第12話【異世界少年と堕ち神】
本日も神癒の宿の営業開始である。
「えいやえいや」
「ちょえー!!」
ショウとハルアは、綿毛みたいな神様を洗っていた。
巨大な五右衛門風呂みたいな浴槽を設けた浴室には、大量の綿毛が転がっている。全員泡塗れとなっており、行列を作るそれにアイゼルネが順番にお湯をかけて泡を洗い流していた。
その綿毛みたいな神様だが、綿埃や綿飴のようにふわふわと丸っこい見た目をしており、そこから鳥の足のような細い脚部が突き出して自分たちの身体を支えている状態だ。鼻や口の類は綿毛の神様にはなく、代わりに大きくつぶらな瞳だけがくっついている。ショウとハルアの手によって押し潰されるようにして洗われているのだが、彼らは気持ちよさそうに目を細めていた。
綿毛の神様を押し潰して水分を抜くショウは、
「これでいいですよ」
「ッ♪」
綿毛の神様はぴょこんと細い両足で立ち上がると、濡れた身体でショウに体当たりをしてから綿毛たちの行列に並ぶ。お礼を言われたのだろうか、可愛いことをしてくれる神様である。
洗っていた神様が行列に並ぶと、また別の綿毛の神様がショウの前にやってくる。「次は儂じゃ」と言わんばかりの堂々とした立ち振る舞いである。まだお湯もかけられていない状態なのでふわふわな手触りが心地よく、1柱ぐらいは連れて帰ってもいいんじゃないかと思うぐらいだ。
桶に溜めたお湯を目の前に居座る綿毛の神様にぶっかけると、あっという間にふわふわの体毛が濡れてしまい、全体的に萎んでしまう。お湯をかけられる際も、お湯が目に入らないようにと目を瞑る仕草が可愛かった。
十分に綿毛の神様を濡らしたショウは、次に石鹸を手に取る。
「洗っていきますね」
「♪」
濡れた身体を揺らして準備万端であることを告げてくる綿毛の神様。
ショウは石鹸の泡を綿毛の神様に擦り付け、髪の毛を洗うように丁寧な手つきで綿毛の神様の全身をくまなく洗っていく。泡が足りなくなったら石鹸からまた泡を取って、擦り付けて、全身を洗ってという行動を繰り返す。
そうしていくうちに綿毛の神様はどんどん泡塗れになっていく。むぎゅむぎゅと押し潰したりコロコロと転がしたりしても綿毛の神様は怒らず、むしろ「もっと」と言わんばかりに体当たりしておねだりしてくるので洗っている方も楽しくなっちゃうのだ。
綿毛の神様をコロコロと転がして洗うショウは、
「痒いところはないですか?」
「♪♪」
「なさそうですね」
コロコロと転がされる綿毛の神様は非常に楽しそうなので、この洗い方は間違いないらしい。ちょっと嬉しそうな雰囲気があった。
「ショウちゃん、その子で最後みたいヨ♪」
「本当ですか?」
「そうみたいネ♪」
綿毛の神様を洗いながら、ショウは浴室をぐるりと見渡す。
あれほど大量にいた綿毛の神様は全員、泡を洗い流して熱いお湯で満たされた五右衛門風呂に浸かっていた。むぎゅっと綿毛の神様で満たされた五右衛門風呂は少しきつそうだが、綿毛の神様たちは大して気にもしていないようで気持ちよさそうにお湯を堪能している。
お湯を堪能していないのは、ショウが洗っている綿毛の神様以外にいない。ハルアの担当している分もすでに五右衛門風呂へ浸かっているようで、彼は五右衛門風呂に浮かぶ綿毛の神様たちを撫でてあげていた。犬や猫を可愛がるような感じがある。
ショウは自分が洗っていた綿毛の神様をむぎゅっと押し潰して水分を抜くと、
「はい、終わりです」
「ッ♪」
ぴょこんと立ち上がった綿毛の神様は、ショウにお礼の体当たりをかましてからアイゼルネの元に向かっていく。
お湯を桶いっぱいに溜めて待っていたアイゼルネは、泡塗れでやってきた綿毛の神様にお湯をかけて泡を洗い流す。洗い残しがないように指先でマッサージをしながらお湯をかけると、綿毛の神様も気持ちよさそうに目を細めていた。
そして洗い終わると、
「♪♪」
「きゃッ♪」
アイゼルネにもお礼の体当たりをしてから、最後の綿毛の神様は仲間たちが浮かぶ五右衛門風呂に突撃する。鳥の如く細い両足から考えられないほどの跳躍力で持って五右衛門風呂に飛び込むと、ほかほかの湯船に浸かって満足げな表情を見せていた。
これでお風呂のご案内は完了だ。昨日の神様よりもちょっとだけ大変じゃなかったのでよかった。
ショウは洗浄用の道具を片付けながら、
「それでは失礼します」
「失礼します!!」
「ごゆっくリ♪」
五右衛門風呂からワサワサと綿毛の神様が飛び跳ねる様子に見送られながら、ショウたちは浴室を後にする。
「大変だったね!!」
「たくさんいたからなぁ」
「やり甲斐もあったわネ♪」
楽しげな足取りで次の現場に向かおうとする3人だが、やけにバタバタと忙しない神癒の宿内の雰囲気を感じ取って足を止める。
昨日もバタバタと忙しそうに従業員たちは駆け回っていたが、今日は輪をかけて駆け回っているように見える。それも神様のお風呂を介助することではなく、料理を運搬する為のようだ。
慌ただしく走る従業員たちの手にはお膳が抱えられており、油に塗れたお皿だけが乗せられていたり、逆に山のような料理が盛られていたりと状態は両極端だ。それほど神様たちが宿屋を訪れているのだろう、厨房はてんてこ舞いになっていそうだ。
ショウは苦笑し、
「ユフィーリアとエドさんはきっと悲鳴を上げているな」
「昨日、厨房のお話を聞いたから怒ってると思うよ!!」
「大変だったみたいネ♪」
ハルアとアイゼルネも納得したように頷く。
昨日、ユフィーリアとエドワードが配属された厨房はどうやら従業員が「忙しいから」という理由で手抜き料理を提供しようとしたところ、問題児の料理番である2人から一喝されたらしいのだ。従業員が使えないと判断するや否や、ユフィーリアとエドワードは従業員から料理の業務を奪い取り、怒涛の勢いで料理を作って提供しているらしい。
これほど大量の料理が行き交うのだから、ユフィーリアとエドワードの苛立ちは凄まじいものになっていそうである。罵声も怒号も飛び交っている光景が想像できた。
ユフィーリアとエドワードには可哀想だが、忙しいのは今日限りである。ここで2人には頑張ってもらいたい。
「――所望、所望――」
ゾ、と。
背筋が粟立つ声が、すぐ近くから聞こえてきた。
この声は、あの時に聞いた笠を被った男のもので。
「あ、見つけた!! おいお手伝いの3人、ちょっと!!」
そこに、湯殿を担当していたらしい従業員が慌ててショウたちに駆け寄ってくる。その手には石鹸が握られているので、ちょうどお客様である神様を対応していたのだろう。
「ミコト様がお呼びだ、すぐに水神の間まで行ってくれ!!」
「何で!?」
「理由がないなら命令しないでほしいのですが」
ショウとハルアは文句を垂れるが、お手伝いの身であるとちゃんと自覚があるアイゼルネが「文句を言わないのヨ♪」と耳を掴んでくる。
「お手伝いなんだからお手伝いしなキャ♪」
「アイゼ待って耳取れちゃう耳取れちゃう!!」
「アイゼさんごめんなさい自分で歩きますので耳を離してください!!」
容赦なく耳を引っ張るアイゼルネに痛みを訴えるショウとハルアだったが、訴え虚しく終わりそのままずるずると引き摺られていくのだった。
☆
「来おったか」
水神の間と呼ばれる場所は、やたら広い宴会場のようである。ピタリと閉ざされた襖には白蛇の絵が端から端までいっぱいに描かれており、大人数で利用することを想定して設計されたと判断できる。
その宴会場の前に、ずらりと従業員たちが苦々しげな表情を浮かべて行列を作っていた。その腕に抱えたお膳には大量の料理が盛られた皿が置かれており、お客様に提供する順番を待っているようである。
宴会場の襖の前で待ち構えていたミコトは、アイゼルネに耳を引っ張られながらやってきたショウとハルアを睨みつける。
「お主ら、やりおったな」
「何が!?」
「話が見えないのですが」
「惚けるな、神癒の宿に堕ち神を招き入れたのはお主らじゃろ」
堕ち神とは、営業前にミコトが言っていた神様のことだろう。人間を殺し、食ったことで神性を剥奪され、怪物と成り果てた元神様だとか。
あの笠を被った得体の知れない男をショウとハルアが招き入れたと思い込んでいるようだが、残念ながらそんなことはしない。あの笠野郎はいつのまにか神癒の宿にいたのだ。そうでなかったら就寝時間の際に怖い目に遭ったりしない。
ショウとハルアは頬を膨らませ、
「オレらは招き入れてないよ!! みんなが寝てる時におトイレ行ったら見かけたんだよ!!」
「閉店時間にはすでに神癒の宿内にいましたよ。結界の精度が甘いんじゃないんですか?」
「むう、それを言われてしまうと弱いのじゃ。神癒月は様々な神が訪れる故に結界の精度が落ちるのじゃ……」
犯行を否定されたミコトは「疑って悪かったのじゃ」と謝罪し、
「厠に行った際に見かけたと言っておったな。『所望』と言われなかったか」
「あ」
「それは……」
ショウとハルアは互いの顔を見合わせる。
従業員が寝静まり、ハルアのトイレに先輩用務員のエドワードと付き合った際にそんなようなことを言われた気がする。その声音があまりにも悍ましく感じたものだから、エドワードも未成年組を抱えて慌てて逃げたのだ。
その声は、ついさっきも聞いた。「所望、所望」とショウとハルアを呼ぶかのように。
ミコトはため息を吐き、
「堕ち神はお主らのことを求めているようじゃ。だから『所望』と呼んだのじゃ」
「求められても困るんですが」
「妾も困るのじゃ。手伝いに来た人間を堕ち神に食われたとなれば、八雲の連中に顔が立たんのじゃ」
困ったように首を捻るミコトは、
「じゃが、堕ち神も我儘なものじゃ。求めるものがやってこなければ意地でも宿から出て行かん」
そう言って、ミコトは白蛇の絵が描かれた宴会場の襖を指差す。
「お主ら、堕ち神を説得して帰らせるのじゃ。お主らの言葉なら聞くじゃろ」
「ちょっト♪」
「仕方なかろう、このままでは宿内の食料を食い尽くされるのじゃ。どうにかして帰ってもらわなければ困る」
危険な領域にショウとハルアを生贄のように踏み込ませることにアイゼルネが苦言を呈そうとするのだが、ミコトもミコトで譲れないようである。このままでは宿内の食料が底を尽きることを懸念していた。
堕ち神が宿内に居座り続けるのだったら、ユフィーリアとエドワードも永遠に厨房から解放されない。ここは説得してお帰り願うのが最適だろう。
ショウとハルアはアイゼルネの肩を叩き、
「大丈夫だよ、アイゼ。オレら強いから」
「口で言い負かせない人はいません。たとえ神様でも言いくるめてみせます」
「そういう問題じゃないのヨ♪」
アイゼルネの制止を振り切り、ショウとハルアは襖の前に立つ。
襖の向こうでは、くちゃくちゃという咀嚼音が聞こえてきた。随分と下品な食べ方をしているらしい。まあ、これだけ料理を運搬する従業員を控えさせているのだから下品な食べ方にもなるだろう。
ショウとハルアは互いの拳を突き合わせ、
「頼りにしてるよ、ショウちゃん」
「背中は任せてくれ、ハルさん」
そう言って、2人同時に襖を開けると宴会場に足を踏み入れた。
《登場人物》
【ショウ】堕ち神にご指名された。問題行動は起こすのだが、見た目が悪い奴を招こうとするような馬鹿じゃない。
【ハルア】堕ち神にご指名された。堕ち神を招く原因になりそうな有力候補だが、今回ばかりは犯人ではないので濡れ衣である。
【アイゼルネ】まさかの未成年組が堕ち神にご指名されて、大人として引き止めようとしたが無駄だった。どうしてあんなに勇敢なのか。
【ミコト】堕ち神を招き入れた犯人がお手伝いの問題児かと疑ったが、どうやら違うらしい。嫌な客には穏便に帰ってもらいたいので、未成年組に対応を任せた。