第11話【問題用務員と堕ち神】
朝食の時間である。
「あの笠の野郎が危険だって?」
「そうなんだよぉ」
「そうなの!!」
「そうなんだ、ユフィーリア」
「男子勢が口を揃えて頷くってことは相当ネ♪」
従業員が集まって簡単な夕食――というか朝食を取っている中、ユフィーリアたちの会話が混ざり込む。
何でも、エドワード、ハルア、ショウの問題児男子組がトイレに行く道すがら、あの笠の男を見かけたというのだ。桟橋で目撃したボロボロの笠を被った待機客で、もうとうの昔に閉店したにも関わらず宿屋内で待機していたものだからエドワードが注意をしに行ったらしい。
そこでハルアの第六感が発動され、急いで逃げ出して事なきを得たのだとか。最初に見かけた際は第六感が発動されなかったから危険ではなさそうと判断したのだが、ハルアの『嫌な予感がする』発言があった以上は警戒しなければならない。
ユフィーリアは茶碗に持った白米を口に運びつつ、
「ハルの第六感は当たるからな。警戒するに越したことはねえ」
「警戒するのは当然だとしてもぉ、どうやって対処するのぉ?」
「相手が何もしてこなければそれでいい、どうせ明日には帰るんだ。相手に近づけば何をされるか分かったものじゃねえ。距離を取って警戒してろ」
昨日は神癒の宿の外にいた謎の神様が、ついに宿屋内に現れるようになってしまったのだ。もし勤務中に音もなく近づかれ、何か危険なことをされたら困る。神々の呪いは洒落にならないのだ、食器にこびりついた油汚れ並みに解呪が面倒である。
危険そうな神様からは距離を取り、何か話しかけられても最低限の会話だけで済ませる方が無難である。他にも従業員はいるのだから、彼らに相手を押し付けてお手伝いの身であるユフィーリアたちは首を突っ込まない方が吉だ。
ユフィーリアはハルアに視線をやり、
「特にお前だ、ハル。間違っても立ち向かおうとするんじゃねえぞ」
「オレのことを何だと思ってんの!?」
「勇敢と無謀を履き違えた暴走機関車野郎だよ。ちゃんと言うこと聞け」
ハルアは多数の神造兵器を所持しているからか、身内に危険が及ぼうとすると相手が誰だろうが突っ込んでしまう勇敢さがある。勇敢なのは大変結構なことだが、それで自分が犠牲になるのはユフィーリアとしてはいただけない。
相手が魔法使いとか魔女などの一般人であれば神造兵器を振り回して終了でも全然いいが、相手が神様――しかも謎の多い極東地域に生息する神様なら話は変わってくる。神が相手だと神造兵器も通じない可能性もあり、何なら神造兵器を奪って攻撃してくる危険性だって考えられる。
不満げに唇を尖らせたハルアは、
「ちゃんと言うこと聞くもん」
「もしあの笠野郎が近づいてきたら戦うんじゃなくて逃げろよ」
ユフィーリアはお味噌汁を啜るショウの肩を叩き、
「悪いショウ坊、笠野郎が近づいてきたらハルとアイゼを冥砲ルナ・フェルノに乗せて逃げてくれ。お前なら逃げ切れるはずだ」
「ああ、2人のことは任せてくれ。逃げ切って見せるぞ」
ショウは胸を張って、自信満々に言う。
彼の神造兵器『冥砲ルナ・フェルノ』であれば、空中に逃げることが可能だ。頑丈な神造兵器なのでハルアとアイゼルネの2人を乗せて神癒の宿から逃げることも出来そうである。
すると、
「皆の衆、おはよう」
「「「「「おはようございます、ミコト様」」」」」
従業員が食事をする大部屋に、豪奢な着物をずるずると引き摺った蛇の女神――ミコトが姿を見せた。
それまで食事中だった従業員たちは一斉に食事の手を止め、座布団から立ち上がるなり直角のお辞儀をして挨拶をしていた。一挙手一投足乱れぬ動きで逆に恐怖を感じた。
ミコトは従業員たちの態度に満足げに頷くと、すぐに表情を真剣なものに引き締めて口を開く。
「昨日、堕ち神が神癒の宿付近で目撃されたようじゃ。従業員は金平糖を持ち歩き、最大限の警戒をせよ」
ミコトの言葉によって、従業員たちの間に衝撃が走った。「堕ち神?」「やだ、どうしよう」「金平糖を持っておかないと……」という言葉が飛び交う。
どうやらその『堕ち神』というのは、従業員にとって恐怖の対象のようである。極東地域の神々をおもてなしする神癒の宿の従業員でも、その堕ち神とやらは警戒すべきものとして認識されているらしい。
聞き覚えのない単語に首を傾げたユフィーリアは、
「蛇口神様、堕ち神って何だ?」
「誰が蛇口神様じゃ!!」
雪のような真っ白い髪を逆立てて怒りを露わにするミコトは、自らを『蛇口神様』と呼んだ相手がユフィーリアだと分かるや否や不思議と怒りを引っ込めた。
「何だ、お主らか」
「お、何だ諦めの境地か? もっと怒るなら怒ってくれてもいいぞ?」
「お主らを怒っていたら血管がいくつあっても足りんのじゃ」
ミコトは深々とため息を吐き、
「で、だ。堕ち神についてじゃがな。奴らは人間を殺し、人間を食ろうた元神の総称じゃ。『かつて神だった連中が怪物に身を落とした』という意味で堕ち神と妾は呼んでおる」
「ほーう」
ユフィーリアは堕ち神とやらに興味を示す。
そういう文化があるとは、やはり極東地域の独特の文化は興味深い。ユフィーリアの周囲にある神話では人間に手を出すような神々が多かったので、神々が人間を殺して食ったぐらいでは驚くこともない。
極東地域の神々は、そういった部分に極めて潔白である。人間を殺して食っただけで神性を失い、怪物に成り果ててしまうとは厳しすぎる。遠くの地では食人文化もあるのだから寛容であればいいのにとは思うものの、やはり土地ごとの常識は違うので黙っておこう。
ミコトは「そこでじゃ」と言いながら、豪奢な着物の袖から小袋を取り出す。
「湯殿を担当する従業員には堕ち神対策として金平糖を持たせているのじゃ。堕ち神は常に腹が減って仕方がないようでな、金平糖を食わせて空腹を紛らわせるのじゃ」
「それ、アタシらには配られるよな?」
「湯殿を担当する連中には配る予定じゃ」
「その口振りだと、厨房組には配られねえってことか? 見捨てられた?」
風呂場を担当する従業員には撃退できる為の金平糖を配るくせに、厨房組を見捨てるとは宿屋の主人として従業員の信頼を損なう判断である。もし厨房にその堕ち神とやらが攻め込んできたらどうするつもりなのか。
まあ、今日と明日であればユフィーリアとエドワードがいるので、攻め込んできたらぶん殴ればいいだけの話である。問題児に勝てる神がいるなら相手をしてほしいものだ。ミコトでさえ雑巾のように絞る問題児に敵などいない。
ミコトは鼻を鳴らすと、
「厨房組は常に食事に囲まれておるじゃろ、それを与えてやればいい。いざとなったら厨房を捨てて逃げればいいのじゃ。湯殿組に金平糖を支給するのは、堕ち神に与える食い物を持っていない故じゃ」
「ああ、なるほどな」
ユフィーリアは納得したように頷く。
金平糖そのものに堕ち神へ対抗する手段が織り込まれているのではなく、食べ物全般が堕ち神の対抗手段のようだ。厨房組は常に食材に囲まれ、常時何品も料理を用意しているので、それを食べさせている間に逃げれば解決する。
一方で風呂場を担当する従業員は、食べ物に囲まれている訳でもなければ携帯している訳でもない。堕ち神に遭遇すると対抗手段がなくて喰われる危険性があるから、金平糖を与えて誤魔化すのだ。確かに時間稼ぎぐらいにはなりそうである。
「なので支給した金平糖を食うんじゃないぞ、それはお主らの金平糖ではなくあくまで時間稼ぎの為の道具じゃ」
「何でオレの方を見ながら言うの!?」
「どうして俺の方を見ながら言うんですか」
「お主ら2人が信用ならないからじゃ、童ども。食うなって言ったのに食いそうな顔をしとるじゃろ」
ミコトからの信用が低いショウとハルアは、不満げに唇を尖らせていた。あれだけ脅されておきながら対抗手段として支給された金平糖を完食しましたなんて言ったら、それはもう食われても仕方がないことである。そうなったら全力で逃げなければならない。
金平糖がなくても逃げ足の速さだけは折り紙付きなので、何とかなるには何とかなりそうだ。ミコトからの信用が底辺に位置しているのが笑えてくるが。
ミコトは手を叩くと、
「話は以上じゃ。さっさと飯を終わらせて宿屋の開店準備をするのじゃ」
「「「「「はい、ミコト様!!」」」」」
従業員たちは再び直角のお辞儀を見せると、慌てた様子で食事に戻った。これからまた忙しい時間がやってくると考えただけで憂鬱な気分になる。
「アタシらは適度に過ごすかな」
「適度に過ごせるといいねぇ」
「金平糖ってちょっとだけ食べちゃダメかな、ちょっとだけでも」
「ちょっぴりならいいのでは?」
「ハルちゃん、ショウちゃン♪ 言った側から危険な道に足を踏み入れるんじゃないわヨ♪」
慌てて白米を口に詰め込む他の従業員たちをよそに、ユフィーリアたち問題児はゆっくりと食事を堪能するのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】金平糖はコーヒーとか紅茶に入れて楽しむ派。砂糖の塊だし、角砂糖を入れるより見た目がいいよな。
【エドワード】金平糖は自然と手が伸びちゃう派。ぽりぽりといつのまにか食べてる、砂糖の塊なのに。
【ハルア】金平糖を一気に口へ詰め込んでリスのように食べるのが好き。あのトゲトゲが痛気持ちいい。
【アイゼルネ】娼婦時代に金平糖を送られた時は貴重な糖分として補給していた。瓶詰めの金平糖は思わず買っちゃうかもしれない。
【ショウ】クラスメイトから金平糖の小袋をもらってから美味しさに気づいた甘党。ヴァラール魔法学院に来てから口いっぱいに金平糖を詰めて食べるという夢が叶ったが、やっぱり一粒ずつ食べたい。
【ミコト】蛇の姿を持つ水を司る神。従業員から怖がられているが、まあいい経営者。問題児から蛇口神様とか呼ばれている。