第10話【異世界少年と深夜の待機客】
みんなと一緒に就寝である。
「きゃほーい!!」
「ハルさん、他の人を踏みつけてるぞ」
「ハルちゃん、もう寝るんだから大人しくしなねぇ」
広々とした大部屋に隙間なく敷布団を敷き、就寝準備が進められていく中でハルアが布団の上を自由奔放に駆け回る。大部屋で、しかも全員と一緒に布団を敷いて眠ることが珍しいので興奮気味のようだ。
まるで修学旅行や移動教室を想起させる空気感に、ショウもちょっとだけワクワクしていた。ハルアのように布団を走り回るとまではいかないが、他の従業員と一緒に就寝という状況が楽しくて仕方がない。今日は寝ることが出来るだろうか。
エドワードの手によって首根っこを掴まれ、布団の上を駆け回っていたハルアが回収された。さながら親猫に運ばれる子猫である。
「ハルちゃん、大人しくしろって言ったよねぇ」
「楽しくなっちゃったんだもん!!」
「寝る準備をしなぁ」
畳の上に落とされたハルアは、エドワードの言葉に従ってようやく終身準備に取り掛かる。
あてがわれた敷布団をショウの隣の陣地に広げ、蕎麦殻の枕をポンと放る。布団の存在が珍しいのか「床と近いね!!」などとはしゃいでいた。
今日の疲労感もあって、ショウは早々に布団へ潜り込む。異世界で言うところの極東地域『日本』に馴染みのあるショウにとって、布団は慣れたものである。「ショウちゃんがお団子みたいになっちゃった!!」というハルアの元気な声が隣から聞こえてきた。
「うわ、布団短いなぁ」
「エド、足が出ちゃってるよ!!」
「もうちょっと大きい布団とか用意してくれてもいいじゃんねぇ、何で他の人と同じ規格にするのかなぁ」
ハルアとは反対隣から、何やらぶつくさと文句が飛んでくる。重くなる瞼を持ち上げると、エドワードが布団の短さに四苦八苦していた。
どうやら布団の大きさが、エドワードの規格外な高身長に対応していなかったようである。どうやって寝ようが足がはみ出てしまい、大きな身体を目一杯に縮めて眠るしかない。ただ、その体勢だとあまりにも寝にくいだろう。
モソモソと起き上がったショウは、布団から大きくはみ出たエドワードの足に自分の布団をかけてやる。布団を2枚使うことで、ようやくエドワードの長い足も隠すことが出来た。
「ショウちゃん何してんのぉ?」
「お布団あげます」
「でもそれだとショウちゃんが寒いじゃんねぇ」
「問題ないです」
エドワードに布団をあげたショウは「お邪魔します」と断りを入れてから、彼の布団の中に潜り込んだ。
さすが規格外の高身長を持つエドワードである、ショウの華奢な身体をすっぽりと包み込んでしまっている。なおかつ大きな身体による『ぎゅー』がより安心感を与えてくれており、あと何かちょっと石鹸のいい匂いとかもしてきていた。これは素晴らしい安眠スポットである。
胸元に額を寄せて眠り始めてしまったショウの頭上から、エドワードの「ええ……?」という困惑の声が落ちてくる。
「ショウちゃん、甘えてどうしたのぉ?」
「エドさんの身体……おっきいから安心できます……おやすみぐぅ……」
「寝始めちゃったぁ……」
エドワードの困惑など知ったことではないとばかりに、ショウは眠る。ウトウトと微睡むショウの頭を撫でたり、髪の毛を指先で梳かしたりなどのエドワードの寝かしつけ行動が本格的にショウの意識を夢の世界に引き摺り込んでいく。これはもう起きたくなくなってくる。
「ショウちゃん狡い!! オレも一緒に寝たい!!」
「ぐう」
「詰めて!!」
「むぎゅ」
「何で未成年組は揃って俺ちゃんのところに潜り込んでくるのぉ」
眠るショウをエドワードの身体に押し付け、ハルアも自らの布団を手土産に参戦である。
一足お先にエドワードの身体に張り付いて眠るショウの背中に抱きついてきたハルアは、手土産代わりに持ってきた自分の布団をエドワードの布団の範囲を広げるようにして並べて包まる。前も後ろも安心できる構造になったので、ショウも満足して寝ることが出来る。
エドワードの口から「仕方がないねぇ」と漏れる頃には、未成年組も意識を手放していた。
☆
「ショウちゃん、ショウちゃん」
「むあ……?」
ぷにぷにと頬を指先で突かれて、ショウは目を覚ます。
閉ざされた障子の向こうは明るく、とうの昔に朝が訪れていることを告げていた。神癒の宿は夕方から深夜にかけて営業する宿屋なので、従業員は必然的に昼夜逆転の生活を強いられる。大部屋を満たすのは従業員たちによる寝息といびき、たまに寝言ぐらいだ。
起こしてきたのは、ショウの背中に抱きついて眠っていたはずのハルアである。まさかお昼だから起こしてきたのかと思えばそうではなく、頼れる先輩は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「おトイレ行きたい、付き合って」
「んむ……分かった……」
寝ぼけ眼を擦るショウは、モソモソとエドワードの腕の中から抜け出す。温かかったら布団からヒヤリとした空気が肌を撫で、眠気が吹き飛んだ。
「んん……ショウちゃん? どこ行くのぉ……?」
「あ、すみません。起こしちゃいましたか?」
腕の中から抜け出したことで、今まで眠っていたエドワードを起こしてしまったようである。まだ眠そうな銀灰色の瞳を擦る彼に、ショウは他の従業員を起こさないように小声で言う。
「ハルさんがおトイレに行きたいみたいなんです。方向音痴だからトイレに辿り着かないかも」
「んんー……そうなのぉ……」
モゾモゾと布団の中に引き篭もったと思えば、エドワードもむくりと起き上がる。
「ついてくよぉ、未成年組だけじゃ何を起こすか分からないしぃ」
「何もしないよ」
「心外ですね」
「ほら行くよぉ、漏れちゃうんじゃないのぉ?」
エドワードに促され、ショウとハルアは少しの不満を抱きながらも大部屋を出る。
ヒヤリとした空気が肌を撫でる。朝でも神域結界の中は少しばかり寒く感じる。加えて神癒の宿全体の明かりが落とされて静かなものだから、声も通るし足音も大きく廊下に落ちる。
窓の外に視線をやると、晴れ渡った青い空と綺麗な花が咲き乱れる庭園が確認できた。庭園は石灯籠や小さな池などを設けた日本庭園――いや、極東風の庭園となっており、綺麗な光景に心が癒される。勤務中の休憩時間に見ることが出来れば、石灯籠の明かりも相まって幻想的なものとなるだろう。
小さく欠伸をするショウは、
「おトイレってどこでしたっけ……」
「廊下の突き当たりだよぉ」
エドワードが「ほらぁ、あそこぉ」と廊下の先を示す。
壁から垂直に突き出た看板に『厠』の文字があった。意外とすぐ近くにあったのだが、振り返ると他と同じような大部屋が続いているので、仮にトイレへ辿り着いたとしても今度は元の部屋に戻ることが出来なくなるに違いない。
トイレの存在を確認すると、ハルアは「待っててねー」と言うなり駆け込んでいった。彼からすればかなり切羽詰まった状況だったようである。間に合うことを祈るばかりだ。
言われた通りにトイレの前で待つショウとエドワードは、
「ん?」
「あれぇ」
見覚えのある人影を見つけ、ショウとエドワードは首を傾げた。
廊下を曲がり、ずっと先に進んでいくと湯殿がある。今はお湯も抜かれ、綺麗に清掃されているからこの時間帯から使うことは出来ない。魔法でも使えれば湯船を自力で溜めてどうにか出来るだろうが、そんな芸当を可能とする人物はショウの最愛の旦那様ぐらいだ。
その湯殿の前に、ボロボロの笠を被った男性が佇んでいた。笠からこぼれる髪の毛はボサボサで、痩せ細った身体は肋骨が浮かび上がっている。スカートみたいな見た目の腰蓑を巻きつけ、その姿でどれほどの貧困に喘いでいるのか計り知れない。
桟橋で見かけた得体の知れない男が、閉店直後から湯殿の前で待機していやがった。
「今って閉店してるよねぇ?」
「してますね」
「この時間帯はさすがに非常識でしょぉ」
エドワードは「全くもう」と言い、
「俺ちゃん、ちょっと注意してくるねぇ。閉店時間も知らない馬鹿タレを入れる為の湯船はねえんだよって言っておかないとぉ」
「あ」
ショウが何かを言う前に、エドワードは大股であの得体の知れない男性に歩み寄ってしまう。
まあ確かに、閉店時間にも関わらず宿屋内を歩き回る方がおかしいのだ。従業員はみんな寝静まっているし、もちろん他の利用客もいない。営業時間を勘違いしていると言ってもいいだろう。
エドワードがガツンと注意してくれるだろうからショウは首を突っ込まないようにしようと決めると、
「お待たせ!!」
「間に合ったか?」
「うん!!」
トイレから飛び出してきたハルアは、濡れた手をショウから借りた手巾で拭きながら「あれ!?」と周囲を見渡す。
「エドは!?」
「桟橋で見かけた笠を被った人に注意をしにいったぞ。営業時間を間違えたみたいで、今から待機されても困るって」
ショウは廊下の奥を示す。
湯殿の前で待機していた笠の男に、エドワードは何事か注意しているようだった。だが湯殿の前で待機中の彼は決して動こうとはせず、エドワードとも視線を合わせない。無反応な笠の男に、エドワードも苛立っている様子であった。
その姿を見たハルアは、
「ダメ」
「え?」
「ダメだよ、エド!! すぐに戻って!!」
唐突に「ダメ」と叫んだハルアは、すぐにエドワードのもとへ駆け寄る。先輩用務員が振り返る間もなくその腰に飛びつくと、綱引きのように引っ張って笠の男からエドワードを無理やり引き剥がした。
驚きのあまり、エドワードはハルアに引かれるがままだった。「ええ? 何よぉ」と困惑したように言う先輩に、ハルアは構わず笠の男から距離を取らせる。
エドワードは首を傾げ、
「ハルちゃん、大丈夫だってぇ。ちょっと注意するだけだからぁ」
「嫌な予感がするの!!」
腰に抱きつくハルアがそう叫んだ瞬間だ。
「――所望、所望――」
細々とした男の嗄れ声。
エドワードがハルアの手によって無理やり引き剥がされた相手は、それまで無反応だったにも関わらず、裂けるような笑みを見せていた。
目深に笠を被っていても、その凶悪な笑みは分かる。口元は耳まで裂ける勢いで開き、粘性のある涎が垂れる。
悍ましい姿を目の当たりにしたエドワードは、腰に抱きつくハルアを抱え上げるとすぐに踵を返してすっ飛んできた。
「ショウちゃん逃げるよぉ」
「わあ!!」
跳ねるように廊下を駆け抜けてきたエドワードにハルアと同じく抱きかかえられ、ショウたち3人は元々使っていた大部屋に滑り込む。
あの笠を被った男は追いかけてきておらず、廊下にはいつのまにか彼の姿はなかった。ショウたちが逃げたことで用済みとなったのだろうか。
布団を頭からすっぽりと被るエドワード、ショウ、ハルアの3人は、
「ショウちゃん、ハルちゃん。離れちゃダメだよぉ、何があるか分かったものじゃない」
「やです、エドさんこそ離さないでください」
「エド、強めに抱きしめて」
それから3人は、身を寄せ合って仲良く眠りにつくのだった。
ハルアの嫌な予感が的中してしまった。
あの笠の男は、無闇に話しかけてはいけない類の存在だったのだ。
《登場人物》
【ショウ】最近、エドワードの身体に引っ付いて寝るのが心地よい。お昼寝の時にたまたま抱っこされて安定感に気づいた。
【エドワード】最近、未成年組がやたら引っ付いてくるが別に嫌ではない。弟と妹みたいに可愛がっているから、甘えていると思っている。起きてる時も、こんな感じで可愛げがあったらねぇ。
【ハルア】寝相が悪いのだが、ショウに引っ付いていると寝相がいいし寝言も半減する。最近はお腹いっぱいになるとよく一緒にショウとお昼寝している。