第5話【問題用務員と厨房】
手伝いを命じられた厨房は戦場と化していた。
「刺身は完成したか!?」
「汁物の準備がまだ終わりません!!」
「煮付けはどうなってる!!」
「米を炊き忘れました!! すみません!!」
「馬鹿野郎!?」
従業員用の制服に着替えたユフィーリアとエドワードが目の当たりにしたのは、バタバタと慌ただしく人が動く厨房だった。
そこはまさに『戦場』と表現するのが正しい。料理を提供する故にエプロンや帽子で神々に提供する料理に塵や埃が飛ばないように徹底されており、さらに唾が飛ばないようにと口布まで巻いている。衛生管理がしっかりした環境だが、飛び交う胴間声と悲鳴が凄まじい。
壁際にずらりと並んだ釜は全力で火をくべられて米を炊いており、いくつもの寸胴鍋を掻き混ぜる従業員の姿がある。巨大な石窯では豚の丸焼きが今まさに炎の中に放り込まれ、配膳台に並べられた小鉢に菜箸を持った少年少女たちが出来上がったばかりの料理を綺麗に詰めていく。何工程にも及ぶ作業が分担されているが、厨房を担当する従業員の数はやけに少なく思える。
ユフィーリアとエドワードは目の前の地獄を眺めてから、
「帰るか?」
「配置換えを頼みに行こっかぁ」
こんな地獄に放り込まれれば最後、終わる頃には痩せ細っているかもしれない。精神面と肉体面でも危機を覚える忙しさだ、こんな場所に1秒でもいたくない。
地獄の戦場は見なかったことにして、勝手に配置換えをしようと踵を返した時、背後から「あ、おい!!」と呼び止められる。
嫌な予感がして振り返れば、壮年の男性がユフィーリアとエドワードを指差していた。頭には料理人らしく和帽子を被り、前掛けと口布まで完全装備した従業員が大股で歩み寄ってくる。立ち去る前に見つかってしまった。
「助っ人、助っ人だよな? なあ!?」
「人違いです」
「たまたま通りかかっただけですぅ」
ユフィーリアとエドワードは即座に否定するも、目を血走らせた従業員は2人の腕を掴んで離さない。
「助っ人、よく来てくれた!! 離さないからな、2泊3日は離さないからなァ!!」
「止めろぉ!! 地獄に引き摺り込むんじゃねえ!!」
「助けてぇ!! 死にたくないよぉ!!」
地獄の戦場に引き摺り込まれまいとユフィーリアとエドワードも懸命に抵抗するも、他の従業員も応援に入ったことで呆気なく厨房に引き摺り込まれてしまった。これで地獄の道を歩む羽目になってしまった訳である。
「説明は時間がないからしていられない、料理は出来るな!?」
「出来ないです」
「何も作れませぇん」
「じゃあ死ぬ気で覚えろ!! 大丈夫だ、2泊3日で完璧に極東の料理が作れるようになってるさ!!」
どこが「大丈夫だ」なんて言えるのか、せめてもの抵抗として料理が出来ないことを伝えてみたら無茶なことを言われてしまった。全く何も大丈夫と言えるような状況ではない。
いやまあ、ユフィーリアもエドワードもある程度の極東料理なら作れるのだ。作れるから厨房の手伝いを樟葉からお願いされて引き受けたのだが、こんな地獄が待ち受けているなら最初から引き受けることはなかった。「遠慮します」と言っていたかもしれない。
従業員は調理台を指差し、
「まずはお客神にお出しする茶碗蒸しを作ってくれ、急げよ!!れ
「おい調理手順とかねえのか!?」
「大丈夫だ問題ない!!」
「問題大有りだろうがよクソが!!」
調理手順などを示されることなく、いきなり茶碗蒸しを作るように命じられてしまった。忙しさは本当に誰しもを狂わせると思う。
ユフィーリアとエドワードは揃ってため息を吐くと、仕方なしに調理台の前に立つ。
茶碗蒸しの概念は知っているし、何なら調理方法も完璧に頭へ叩き込んである。問題は茶碗蒸しをどれほど作ればいいのかという部分だが、もう「作れ」と言われたのでヤケクソで作るしかないだろう。
鉄製のボウルに卵を割るユフィーリアは、
「エド、他の食材を探してこい。野菜とキノコ類があれば」
「はいよぉ」
蒸し器を用意していたエドワードに食材探しを命じ、ユフィーリアは割り入れた卵を箸で手早く掻き混ぜる。味付けに塩を少量振り、
「あ、出汁も作らなけりゃいけねえのか」
卵を掻き混ぜる工程をしながら、ユフィーリアは足を一度だけ鳴らして転送魔法を発動させた。
手持ちの小さな鍋を手元に召喚すると、魔法で水を投入する。配膳台にいい感じに放置されていた昆布を拝借して鍋の中に沈め、同じく魔法で火にかけて出汁を取っていく。もう火を使う場所が汁物の寸胴鍋でいっぱいなので、魔法で対応していくしかない。
すると、
「ユーリぃ」
「おう、見つかったか?」
「いいの見つけたぁ」
戻ってきたエドワードの手には葉物野菜の籠が抱えられており、さらに処理済みの鶏肉まである。「処理しといたよぉ」と下処理まで済ませていることも報告された。
なるほど、鶏肉を茶碗蒸しに入れるのはいい考えだ。一口大に切れば茶碗蒸しの中にも混ぜやすいし、あっさりとした肉なので食べやすいだろう。
ユフィーリアは口の端を吊り上げ、
「よくやった」
「今はどんな感じぃ?」
「出汁作りの最中」
「じゃあ葉物野菜と鶏肉を切って入れちゃうねぇ。器はこっちに用意されてたものを使うよぉ」
調理台に揃えて置かれていた陶器製の器に、エドワードはぶつ切りにした葉物野菜と鶏肉を放り入れていく。その手つきも慣れたものだった。
ユフィーリアは昆布で取れた出汁を魔法で温度を下げて冷まし、掻き混ぜ終えた卵へ静かに流し込んでいく。軽く掻き混ぜながら別のボウルと網目の細かいザルを用意し、液状になった卵をザルに流し入れた。
ザルに残った卵白は取り除き、卵をエドワードがすでに具材まで用意した陶器製の器へ均等に流し込んだ。ぶつ切りになった具材が埋まる程度まで液状の卵を入れると、器とセットで用意されていた陶器製の蓋で閉じる。
卵を流し入れて蓋を閉じた器から順番に、エドワードが蒸し器に並べていく。それから蒸し器の蓋を閉めて、
「えー、他に何かやるぅ?」
「彩りがほしいな。何かなかったかな」
「蜜紅の花があったはずだけどぉ、それ持ってくるぅ?」
「採用」
蜜紅の花とは食用花として代表的なもので、赤や紫といった小さな花を咲かせるのだ。塩漬けにしたり酢漬けにしたりという調理方法をよく聞くが、彩りを添える食材として大いに活用できる。
エドワードが「はいこれぇ」と持ってきたのは、一升瓶に詰め込まれた桃色の蜜紅の花である。一升瓶が満タンになるまで詰め込まれた小さな花の群れは少し気持ち悪くも思えるが、茶碗蒸しの彩りとして添えるには最適な色味だ。
茶碗蒸しが完成するまで退屈なので他の作業をするかと厨房に視線を戻すと、
「なッ、な、何をしているんだ!?」
「は?」
「ええ?」
従業員の1人が声をひっくり返して叫ぶものだから、ユフィーリアとエドワードは揃って首を傾げた。
何をしている、と問われても見ての通りである。ご注文の茶碗蒸しを鋭意作成中だ。調理手順もなければ個数の指定もないので、とりあえず出来る限りはヤケクソで作っちまおうという問題児根性で挑ませてもらっていた。
それが嫌なら最初から食材の指定と調理手順を置いといてほしいものである。何もないのだから好き勝手にやらせてもらっているのだ。もしかして、逃げる目的で言った「料理なんて出来ません」という嘘を未だに信じているのか。
ところが、従業員は違うことが理由で叫んだようである。
「茶碗蒸しに具材なんて必要ないだろう!? 時間を無駄にするな!!」
「嘘だろ!?」
「神様に出すものだよぉ!?」
ユフィーリアとエドワードも驚きが隠せなかった。
神様に提供する料理だから華やかで極東らしい繊細な味わいを目指したつもりが、まさかのご注文は具材なしのこだわりもクソもない茶碗蒸しだった。そんな具材なしの卵料理を果たして茶碗蒸しと呼ぶのか。カラメルソースでも用意すればプリンと偽って出すことも可能である。
確かに従業員はバタバタしていて忙しいし、食材を切って容器に詰めて卵を掻き混ぜて出汁も作ってという工程は非常に惜しい。それに蒸すのに時間がかかるので、提供を優先で考えてしまうと具材なしになるのは妥当な判断なのかもしれない。
――て、そんな訳あるか!!
「具材なしで他人に提供するんじゃねえ!! 相手はどんなだろうと神様だぞ!?」
「忙しさを理由にして妥協を許すんじゃないよぉ、神様を何だと思ってんのぉ!!」
手伝いの身の上で、しかもそこまで入れ込むつもりは毛頭なかった問題児だが、さすがに甘ったれた妥協を許してやるほど寛容ではなかった。特に料理に関してはもはや職人気質と呼んでもいいぐらいのユフィーリアとエドワードをこの場に配置しておいて、その程度の質素な料理で許せる訳がなかった。
もはや手伝いであるという身分などすっかり頭の中から忘却されていた。ユフィーリアとエドワードの頭に存在するのは「神様相手に妥協など許してなるものか」という何クソ根性である。
ユフィーリアとエドワードは制服の袖を紐で襷掛けして留めると、
「エド、半端な料理でお客神を満足させる訳にはいかねえよなァ」
「当然だよぉ、ユーリぃ。こんなところで妥協なんて出来ないよねぇ」
ユフィーリアとエドワードは問題児である。いつも余計なことしかしないし、本当だったら他人の補佐に回って楽をするつもりだったお手伝いさんだ。
しかし、得意分野で舐めた態度を取られれば、手伝いの立場さえもかなぐり捨てる所存だ。同じような地獄の戦場など過去に何度も経験してきた。
明らかに雰囲気の変わった2人に戦慄する従業員を前に、ユフィーリアとエドワードは気合を入れる。
「やれるよなァ、こんな地獄なんて何度も見てきただろ!!」
「他が舐めた態度を取れないようにしてやるよぉ」
こうして厨房はやけに気合の入った問題児の手によって陥落し、時間が無駄だと切り捨てられた地味な料理が華やかな見た目に作り変えられていくのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】厨房組のお手伝い。レストランなどで食い逃げをした際に代金の精算で厨房に叩き込まれるので、ラッシュなどの忙しいのは慣れている。魔法が使えるのでマルチタスクでこなす。
【エドワード】厨房組のお手伝い。ユフィーリアと同じく厨房の手伝いは慣れているのでラッシュの対応もお手のもの。無尽蔵の体力でいくらでも動ける。