第4話【問題用務員と宿の主人】
正座でお説教のお時間である。
「何しとるんじゃ、お主ら」
玄関前で仁王立ちをするのは、白髪の美人である。
雪のように綺麗な白髪は足首に到達するほど長く、それでいて簪やら花飾りやらを大量に取り付けて盛っているので下ろせばさらに長さは増すだろう。鋭さを宿した赤い双眸は鮮血を想起させるほど毒々しい色味を帯びており、珠の肌に浮かぶのは爬虫類の鱗だ。整った顔立ちは妖艶さがあり、仁王立ちさえ絵になる凄みがある。
大幅に着崩した着物は豪奢で、高下駄を履いているから身長もさらに高くなっている。はだけた胸元は豊満で、腰に巻きつけた帯が支えているようなものだった。捲れた着物の裾から覗く生足は肉感があり、秘められた艶かしさを感じる。世の中の男どもを視線だけで虜にしそうな危ない女の完成である。
鮮やかな化粧を施した顔を盛大に歪めたその美人は、低く唸るような声で言う。
「話は聞いておるぞ、樟葉のところの遣いだろう。何ぞ、妾の宿を手伝ってくれるという話だったはずだがのう」
「その通りだな」
「手伝いに来たよぉ」
「参上!!」
「お手伝いさんでース♪」
「事実ですが」
正座を命じられてもなお反省の素振りすら見せない問題児は、美人の言葉に対して「その通りだ」と肯定する。樟葉にお願いされて手伝いに来たのは事実なので、肯定する以外に答えは持ち合わせていない。
「それが、宿屋の主人である妾の姿を見ただけで童の如くはしゃぎながら捕まえようと画策する猿以下の野蛮人どものことだと?」
「ウキーッ!!」
「キャッキャ!!」
「ウキャーッ!!」
「キィキィッ!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「1人だけ何かおかしくないか?」
おちょくる為に猿の鳴き真似を披露したら、ショウだけがその可愛い顔から想像できない野太いおっさんの叫び声を上げたものだからユフィーリアたちも驚いた。猿と呼ぶにはあまりにも太すぎる叫びである。
気になったハルアが「何の真似?」と問いかけると、最愛の嫁は「フクロテナガザルだ。おっさんのような叫び声で面白いんだぞ」と笑顔で語ってくれちゃったものだから、ハルアも真似しておっさんのような叫び声を上げ始めてしまった。神聖な神癒の宿の玄関前、一瞬で動物園化である。
頭を抱えた白髪で美人なおねーさんは、
「何か疲れる……」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「喧しい、黙れ!!」
白髪で美人なおねーさんから一喝され、ユフィーリアたち問題児は仕方なく口を閉ざす。
「阿呆なことばかりしくさりおって、お主らは何がしたい!?」
「いやぁ、世界がアタシに面白さを求めているものだからつい」
「馬鹿じゃろ!?」
全力でふざけ倒すユフィーリアに、白髪で美人なおねーさんは深々とため息を吐いていた。何だか疲れているような気がする。
「樟葉からは優秀な人材だと聞いておったのだが、本当に優秀なのか? 初対面なのに馬鹿なことしかせなんだ……」
「おうよ、アタシら以上に優秀な人材はいねえぞ」
「変に自信満々で答えるのが逆に怖い、本当に大丈夫なのか心配になってくるぞ……」
白髪で美人なおねーさんは「まあよい」と言い、カンッと足元の高下駄を鳴らす。
「妾は水を司る神にしてこの『神癒の宿』の主人、セトノウミアラヒメノミコトじゃ。長いのでミコト様と呼ぶようにせよ」
「よろしくミコト」
「よろしくねぇ、ミコトちゃん」
「よろしくミコミコ!!」
「よろしくお願いするわ、ミコトちゃン♪」
「よろしくお願いします、ミコーン」
「ふざけておるのか!?」
白髪で美人なおねーさん――ミコトは「何じゃお主らぁ!!」と顔を真っ赤にして叫ぶ。本人的には『ちゃん』付けで呼ばれることが恥ずかしい様子である。
特に未成年組の2人から呼ばれた「ミコミコ」とか「ミコーン」はふざけていると認識したようで、ミコトは物凄い形相で睨みつけていた。本人たちはどこ吹く風だったが。
ミコトは咳払いをすると、
「これから忙しくなる、猫の手ならぬ猿の手も借りたいところじゃ。妾が直々に案内してやる故に、大いに感謝せよ」
「ありがとよミコっちゃん」
「ありがとうねぇ、ミッちゃん」
「せんきゅーミコミコミコ!!」
「コトちゃんありがト♪」
「ありがとうございます、ミーコンコン」
「そこの童らはふざけておるな? ふざけておるなぁ!?」
なおもふざけた名前で呼ぶ未成年組にミコトは金切り声を上げ、開店前にも関わらず神癒の宿は大層賑やかになるのだった。
☆
そんな訳で、従業員たちに自己紹介である。
「本日より3日間、手伝いに来てくれた阿呆……猿どもじゃ」
ミコトによる悪意が混ざった紹介が、ずらっと揃えられた神癒の宿の従業員に向けられる。
従業員の顔触れは、誰も同じような爬虫類の鱗を持つ少年少女たちである。見た目は子供だが神域結界で生活する時点で普通の人間ではないことは理解できる。おそらく、ミコトの配下に位置する下級の神様だろう。
中には年を重ねた男性や女性の姿もちらほらと見かけ、勤続年数の長さを感じさせる。年老いるほど長く神癒の宿に勤めているのだろう、どことなく熟練者のような雰囲気が漂っていた。
ミコトはユフィーリアとエドワードを指差し、
「そこの白髪の男女は厨房担当じゃ。挨拶せい」
「誰が白髪だ蛇女がよ」
「これは銀髪ですぅ、俺ちゃんは灰色の髪だけどぉ」
白髪と呼ばれたことに憤慨するユフィーリアとエドワードは、一応は形式的に自己紹介をする。
「ユフィーリア・エイクトベルでーす、どうぞよろしくー」
「エドワード・ヴォルスラムでぇす。一生懸命頑張りまぁす、よろしくねぇ」
当然ながら拍手は起きない。歓迎されていない雰囲気がひしひしと伝わってきた。
神癒の宿の従業員たちは互いの顔を見合わせると、ヒソヒソと声を潜めて何事か言葉を交わす。どうせ「使えるのか?」とか「人間が本当に手伝いに来た」とでも言っているのだろう、今に見てろ。
次いで、ミコトはハルア、アイゼルネ、ショウの3人を指差す。
「えー、残りの連中は湯殿担当じゃ」
「指差すなボケェ!!」
「ぎゃああああああああああああああああ指折りよったああああああああああああ!?!!」
ミコトから指を差されたハルアが、彼女の白魚の如き細い指先を容赦なくへし折る。ボキッと変な方向に折れ曲がった指先に、ミコトの口から悲鳴が迸った。
指を差されたことに対してハルアは腹を立てていた訳ではない。彼はミコトの指をへし折ってから「ショウちゃん、今のどうだった!?」と感想を聞いていたので、聡明で可愛いお嫁様からの入れ知恵による行動だろう。ショウは清々しいほどの笑みで頷いていた。
ミコトは指を折ってくれたハルアを睨みつけると、
「何をするんじゃこの童がァ!!」
「指を差されたら折ってもいい合図だって聞いたよ!! 綺麗に折れたね!!」
「頭がおかしいのかこの小僧!?」
ミコトは「おい、そこの白髪女!!」とユフィーリアを呼び、
「お主の配下じゃろ、頭のおかしな童を連れてくるなぞ何を考えているのじゃ。お客神が傷ついたらどうしてくれる!?」
「お客様を傷つけるようなことはしねえよ、さすがに」
ユフィーリアは軽い調子で笑い飛ばしながら言う。
さすがのハルアだって神癒の宿を訪れたお客様をボッコボコにするような非常識な真似はしないだろうが、まあ保証はしない。身内が変な目に遭ったら最後、神々の怒りを束ねて射出される最強の神造兵器で神癒の宿ごと薙ぎ払われるだけだ。
ミコトは髪を掻き毟ると、
「樟葉ァ!! 本当に大丈夫なのか此奴らァ!?」
「仕事はちゃんとやるよ、今回はやる気だし」
「その口振りだと普段はやる気を出している風には見えんのじゃが!?」
「やる気ねえよ、だってつまんねえもん」
「信用ならァん!! 此奴ら本当に仕事をするのか信用ならァん!!」
ミコトは甲高い声で発狂している。何だかちょっと足先から蛇っぽくなっていっているような気がしないでもないので、元の姿に戻りつつあるのだろうか。
「ミコト様、お気を確かに!!」
「そろそろ開店準備をせねば間に合いませんぞ!!」
「はッ、そうじゃったこの阿呆猿どもに構っている暇などないわ」
配下である少年少女の言葉によって正気を取り戻したミコトは、軽く手を打って「注目!!」と呼びかける。
「この手伝いを名乗る連中がどれほど使えるのか知らんが、これから訪れる神癒月は忙しくなる。皆の者よ、心して取り掛かれ!!」
「ひえええええええ」
「嫌だああああああ」
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!」
「だらしのないことを言う連中は軒先に吊り下げておこう」
今度は従業員たちが発狂し始めたところで、ミコトは「それでは開店準備に取り掛かれ」と残酷な命令を下す。下っ端がどれほど苦しもうがお構いなしらしい。
白目を剥き、涎を垂らし、心ここに在らずと言ったような雰囲気で従業員たちは嫌々と行動を開始する。これから忙しくなるのが本当に嫌みたいだ。どれほど忙しく、それで従業員の心が死んでいくのか手に取るように分かる。
ユフィーリアたちは互いの顔を見合わせ、
「あくまで手伝いだから程々にしような」
「そうだねぇ」
「助っ人だもんね!!」
「そうヨ♪」
「軽いものだな」
そう、あくまでユフィーリアたちはお手伝いである。助っ人の身であるので気が楽だ。どうせそこまで使い潰されないだろう。
男子組と女子組に分かれ、ユフィーリアたちは一旦従業員用の制服に着替えることにする。お手伝いとはいえ、3日間はお世話になるのだ。従業員用の制服ぐらい着て然るべきである。
一体どんな業務が待っているのか、と期待に胸を膨らませ、問題児は宿の開店準備の作業に向かうのだった。
――この見通しが、のちに「甘かった」と後悔するのである。
《登場人物》
【ユフィーリア】ぶっちゃけ神様よりも偉い存在だし、呪われたとしても魔眼でどうにか出来るので割とうるせえ神様は舐めてかかる。
【エドワード】ユフィーリアと行動を共にしている影響で、態度のでかい神様には舐めてかかるし物腰柔らかな神様には丁寧に対応することを学んだ。
【ハルア】いざとなったら神殺しさえ実行可能なので何も怖くない。だから神様相手でも自分の態度は崩さない。
【アイゼルネ】ユフィーリアと出会ってからまともに神様のことを学んだが、とはいえ別に助けてもくれない神様相手に縋らない。なので高飛車そうな神様には舐めている。
【ショウ】神様を信じていないので偉そうな神様にはふざけ倒す。ユフィーリア以外、信仰するつもりは毛頭ない。
【ミコト】セトノウミアラヒメノミコトという神様。水を司る女神にして神癒の宿の主人。彼女が怒ると海が荒れると言われているのだが、問題児と出会って海も荒れ放題かもしれない。