第3話【問題用務員と神癒の宿】
初めて訪れる神癒の宿は簡単に足を踏み入れてはならないような、神聖な雰囲気が漂っていた。
「さすが神域結界、この建物かなりの規模があるぞ」
「凄いねぇ」
「走り回れるかな!?」
「お仕事で走り回ることにはなるわネ♪」
「わあ、凄い」
神癒の宿を前に、問題児は揃って「凄い」の言葉を連発した。そう褒めるしか言葉が出なかったのだ。
目の前の巨大な屋敷は、瓦屋根が特徴的な極東独特の作りをしている。暖簾が揺れる玄関は広く、まだ開店前だから明かりがついていない。遠くに見える五重塔を中心として天守閣がいくつも突き出ており、極東風の城が連なって巨大な建造物を構築しているようだ。
普通ではあり得ないような屋敷の構造である。さすが神々の座す神域結界だ。ここまで好き放題に世界を構築できるなど、どこぞの名門魔法学校の学院長だけかと思っていた。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「こりゃなかなか楽しい3日間になりそうだな」
「3日間でいいのぉ?」
「忙しくなるのは今日の夜中ぐらいからだとよ。3日目はもう神癒月も終わりに近いから開店の準備を手伝ってお暇ってところだな」
樟葉からの話では今日と明日が宿の忙しさが頂点に達するらしく、開店準備から何から何まで忙しい模様である。そんな中に初心者の問題児が何か出来るとは思えないが、出来る限りのことはしよう。
帰る日である3日目になると神癒月も終わりに近くなっており、神癒の宿を訪れる神様も少なくなるので手伝いは必要なくなるらしい。せいぜい出来ることは開店準備ぐらいだろうが、忙しさによっては延長戦ということも考えられる。
エドワードは「へえー」と応じ、
「じゃあ3日目が忙しかったらぁ?」
「延長戦でもう1泊ってところだな」
「こんなに面白そうな場所だからぁ、2泊3日で帰るのは惜しいよねぇ」
「だよなぁ」
ユフィーリアとエドワードは「せいぜい忙しくなることを祈るか」「だねぇ」と互いに頷く。少しでも長く堪能したいのは誰も同じ気持ちらしい。
「お土産買える場所あるかな。リタとちゃんリリ先生に買っていきたい」
「入浴剤とかになるだろうか。そもそもお土産を買うお店があるのか問題だが」
「買えなかったら極東の都に寄っていきまショ♪」
未成年組とアイゼルネは、神癒の宿でお土産が購入できるか否かを議論していた。こんな珍しい場所を訪れた楽しさを友人にも共有したいとはいい考えである。問題はお土産が売っているかどうかだが。
「よし、じゃあ行くか」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「わくわク♪」
「どきどき」
期待に胸を膨らませ、ユフィーリアたち問題児は宿に向けて伸びる桟橋を渡る。
桟橋はしっかりと作られている様子で、未成年組が楽しそうに飛び跳ねても走り回っても壊れる気配がない。等間隔に並べられた提灯も雰囲気があって見応えがある。
惜しいのは明かりが灯っていないことだろうか。明かりが灯っていればもっと見応えはあっただろうが、それは開店してからのお楽しみと言うことだろう。
すると、
「あれ!?」
「何だろうか」
桟橋をドタバタと走り回っていたショウとハルアが何かに気づく。
「どうした、2人とも。何か珍しいものでもあったか?」
「あんなのいたかなって!!」
「俺の記憶が正しければいなかったはずなのだが」
未成年組が示した先には、ボロボロの笠を被った奇妙な男がいた。
それまでは桟橋にユフィーリアたち問題児以外の姿は見かけなかったのだが、何故かそこにいつのまにか立っていた訳だ。古びた腰蓑を巻きつけ、浅黒い肌が剥き出しとなった上半身は異様に痩せ細っている。肋骨が浮き彫りとなっており、だらりと垂れた両腕もまた枝のように細い。
俯いた顔はボサボサの黒髪がかかっており、よく見ることが出来ない。ボロボロの笠も相まって顔の存在を認識できないようになっている。背筋も丸まっており、まるで幽霊のようだ。
この神聖な神域結界に相応しくない見た目である。桟橋の隅に佇むそれは、ただじっとそこに立っているだけでそこはかとない恐ろしさがある。
「誰だあれ、神癒の宿に早く入りたくて出待ちしてんのか?」
「まだ営業時間前じゃんねぇ、非常識じゃない?」
「人気のお店だと開店前から待機しているお客さんとかいるものヨ♪」
ユフィーリアやエドワード、アイゼルネもあの神様に覚えはない。そもそも極東地域に於ける神様はあまり情報が出回っていないので、知らないことの方が多いのだ。
あのボロボロの笠を被った奇妙な男も、きっと極東地域の神様なのだろう。神癒月に合わせて神癒の宿を訪れ、あまりにも人気の場所だからここで待機しているのだ。可哀想に、あと何時間待てば入店できることになるだろうか。
とはいえ、ただの手伝いであるユフィーリアたち問題児が案内する訳にはいかない。よく分からないものには触れない方がいいのだ。
「ねえねえ、何してんの!?」
「神癒の宿の待機中ですか? まだ営業時間前ですよ?」
――触れない方がいいと思った矢先に、度胸が天元突破している未成年組があの奇妙な神様へ話しかけに行ってしまった。
「お前らコラ、相手にだって事情があるだろうがよ」
「えー、だって気になるよ!!」
「もしかしたら営業時間を間違えてしまったのかもしれないし……」
「他人の事情に首を突っ込むものじゃありませんっての」
奇妙な神様相手に話しかけに行ってしまった未成年組の首根っこを引っ掴んだユフィーリアは、
「いやあ、すみませんねウチの未成年組が。好奇心旺盛なものですから興味を示すと何でもかんでも話しかけちまうんですよ」
「そうだよ、話しかけるよ!!」
「世の中、興味の尽きないことだらけですから」
「どこ住み!?」
「結婚してますか?」
「お前ら、下手なナンパ野郎どもか。それで引っかかるのは良識あるお姉さんだけだぞ」
知らない人物が相手だからとふざけ倒す未成年組を、ユフィーリアは奇妙な神様から引き剥がす。これ以上は本当にどうなるか分かったものではない、気に入られて連れて行かれでもしたら困るのだ。
「…………」
ボロボロの笠を被った奇妙な神様は、騒がしい問題児どもを一瞥すると足を引き摺りながら立ち去る。歩くたびに桟橋が軋んだ音を立て、ずるずるという足音が気味悪い。
神癒の宿で出待ちを止めたらしい奇妙な出立ちの神様は、桟橋の奥にある石造りの鳥居を潜るとそのまま姿を消す。桟橋の板には濡れたような神様の足跡がくっきりと残されていた。
奇妙な神様を見送った問題児どもは、
「何だったんだ、あれ」
「気持ち悪い神様だねぇ」
「もっとお話ししたかったのに!!」
「知らない神様とお話ししちゃいけないのヨ♪」
「残念だ」
すると、
「人間がここで何をしている!?」
静寂を切り裂くような絶叫が、ユフィーリアたちの鼓膜を震わせた。
弾かれたように振り返ると、明かりの落とされた神癒の宿の玄関から袴姿の少年が飛び出してくる。暗い緑色をしたおかっぱ髪とキッと吊り上がった青色の双眸、雪のように白い肌に浮かぶのは爬虫類を想起させる鱗だ。少年の整った顔立ちは、よく見れば蛇に似ていなくもない。
年の瀬はショウよりも少し下ぐらいの10代前半といったところだろうか。濃紺の袴と同色の着物は、まるで極東でよく見られる甚平と似通っている。ただ生地が甚平よりも分厚めなので、いくらか改造は施されているのだろう。細い足が履く一本下駄がカコンと音を立てた。
少年は大股でユフィーリアたち問題児に詰め寄ると、
「ここに来てはいけない、すぐに戻れ!!」
「は?」
「え、誰ぇ?」
「どちら様ですか!?」
「いきなり誰♪」
「失礼な人ですね」
唐突な命令に、ユフィーリアたち問題児は怪訝な表情を見せる。
何せここには樟葉のお願いで手伝いに来たのだ。いきなり「すぐに戻れ」と言われても小服しかねる。何か理由でもない限り、いきなり戻るのはお断りしたいところだ。
ところが少年は、エドワードやアイゼルネを桟橋から退かそうとグイグイ突き飛ばし、ショウとハルアの腕を引っ張って帰らせようとして、ユフィーリアを桟橋から押し出そうと躍起になっていた。意地でも帰らせたい様子である。
「おいおい、何だよ急に。ここには手伝いに来たんだぞ」
「ダメだ!!」
ユフィーリアの申し出を少年が強い言葉で拒絶し、
「過労で倒れる!!」
「予想外の言葉だった」
「これから忙しくなるのだぞ!? 何が『手伝う』だ、人間は少し働いただけで過労で倒れるのだから手伝いなど絶対に出来るはずがない!!」
少年は今にも泣き出しそうな表情で、
「かくいう僕も右に左に宿中を駆け回り、自分が何をしているのかさえ分からなくなって吐瀉物をお客様であらせられる神様たちにぶち撒けるという大失態をあばばばばばもうダメだまた仕事だ仕事が来る大変だからお願いだから帰って倒れる前に帰りなさいここは本当に大変だからあばばばばば」
「こいつあれだわ、人間を拒絶する系の神様じゃなくて善意で忠告してくれてる系の従業員だ」
「休ませた方がいいのではないか? 涙を流しながら泡を吹いているぞ」
少年は全身をガクガクと震わせて、涙と涎を同時に垂れ流すという色々とぶっ壊れ気味なご様子だった。働きすぎである。「仕事仕事仕事仕事」と譫言のように呟き始めたので、そろそろ精神的にもまずい。
ユフィーリアはとりあえず少年を座らせてやり、頭を冷やす意味で氷塊を用意してやる。ショウとハルアも自分より明らかに年下の少年がここまでぶっ壊れるまで酷使されたことに同情し、2人で彼の背中をさすってあげていた。エドワードもアイゼルネも困惑気味である。
その時である。
「小太郎、何をしておる。とっとと開店準備をせよ」
「ぎゃあッ!! ミコト様の幻聴が!!」
「罰として廊下の雑巾掛け10往復」
聞こえてきた艶のある女性の声に、少年が耳を塞いで蹲る。もうすでに精神にも異常を来しているようだった、可哀想に。
「おい、さすがにこの坊ちゃんが可哀想だろ。ちょっとは加減をしてやれ」
ユフィーリアがそんな苦情を言いながら声の方へと振り返れば、
「何じゃ、宿の主人である妾に口答えか? よほど偉いんじゃのう」
ずるりと神癒の宿の玄関から這い出てきたのは、巨大な白蛇である。炯々と輝く真っ赤な双眸をユフィーリアたちに向け、細い舌をチロチロと覗かせて威嚇している。見た目からして神聖な雰囲気が漂っているのは間違いない。
白い蛇とは珍しいものが出てきた。鱗は高く売れるだろうし、1枚でも魔法薬の材料になる。蛇の大きさは人間を丸呑みできるほどであり、素材もたくさん取れそうだ。
なので、問題児がやることはただ1つ。
「お前ら捕まえろ、珍しい白蛇だ!!」
「高く売れるよぉ」
「開きにしてやろうか!!」
「一部を切り取ってお酒に漬けるのもいいわネ♪」
「皮を剥いだら綺麗だろうなぁ」
「ぎゃーッ!! 何をするのじゃ、止めッ、ぎゃーッ!!」
悲鳴を上げて暴れる白蛇などお構いなしに、ユフィーリアたち問題児は白蛇を捕獲して売り払うべく襲いかかるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】基本的に知らない奴は警戒しがち。笑顔の下で「怪しい動きをすれば即首を刎ねてやる」と考えがち。
【エドワード】初対面の人間に警戒されてしまう。知らない相手からは警戒するどころではなく、人相の悪さ故である。
【ハルア】初対面の人間に警戒するどころか、一周回って話しかけに行っちゃう。目の前で反復横跳びもしちゃう。逆に警戒される。
【アイゼルネ】初対面の人間に警戒されがちだが、首から下は生身なので異性からは嫌な目で見られる。だからお尻に注射されるんだよ。
【ショウ】初対面の人間に警戒心を抱くものの、やはり好奇心が勝つのでハルアと一緒になって話しかけに行っちゃう。度胸がついた。