第2話【問題用務員と神域結界】
神癒の宿までは旅行気分を味わう為に、魔法列車で行くことにした。
「宿の開始時刻は夜の8時ぐらいだから、昼夜逆転の生活になりそうだな」
「身体も慣らさなきゃいけないねぇ」
「ちゅーやぎゃくてんって何!? ちゅーするの!?」
「お昼と夜の生活が逆転することだ、ハルさん。夕方に起きてお仕事をして、朝になったら寝るみたいな」
「ハルちゃんは相変わらずネ♪」
魔法列車の個室内に、問題児たちの楽しそうな会話が響き渡る。
樟葉から話を聞いたが、どうやら神癒の宿は夜から始まるらしい。仕事を終えた神様がそのまま神癒の宿までやってきて、風呂と食事を楽しんでから明け方に帰られることが多いのだとか。それに合わせて神癒の宿も開始時刻が夜の8時からという遅い時間に設定されている。
よほどのことがなければ超健康優良児、朝起きてお昼寝して夜も寝るような問題児にはなかなか考えられない生活だ。まさに昼夜逆転である。2泊3日は生活リズムが乱れそうである。
ショウから昼夜逆転の説明を受けたハルアは、
「じゃあ今寝とかなきゃいけない奴!?」
「そうだな、多少は寝ておいた方がいいんじゃないだろうか」
「そっか、分かった!!」
元気よく頷いたハルアは、何故かエドワードの膝の上に乗る。
いきなり膝の上へ乗ってきたハルアに、エドワードは「何してんのぉ」と困惑気味である。そんな彼の困惑など気にせずハルアは履いていた運動靴を脱いで綺麗に揃えて床に置くと、もそもそとエドワードの膝の上で自らの身体を小さく縮こまらせた。
それからエドワードの分厚い胸板に頭を預けたハルアは、
「おやすみぐぅ」
「寝るまでの時間が早すぎるんだけどぉ」
「ていうか、何で普通にこいつはエドを寝具にして眠り始めるんだよ。おかしいだろ」
エドワードの分厚い胸板に頭を預け、すぴすぴと普通に寝始めてしまうハルアに誰もが困った。どうしてそんな不安定な場所で寝られるのかが不思議である。
寝息を立てるハルアが転げ落ちないように、と腕で支えてやるエドワードもまた年下には甘い。退いてほしければ寝ていようが何だろうが無理やり蹴落とすはずだが、そうしないところを見ると未成年組にはいいお兄ちゃんをしている様子である。
すると、
「ハルさんだけ狡い、俺も一緒に乗っけてくれ」
「むー……」
「もっとそっちに詰めてくれ、ハルさん」
「何でショウちゃんまで乗ってくるのぉ?」
先輩用務員のハルアが羨ましく思ったのか、エドワードの膝の上で縮こまって眠る先輩を押し退けるショウ。グイグイと遠慮のない手つきでエドワードの膝上を占領するハルアを押して隙間を作ると、自分自身もまたエドワードの膝上に乗った。
困惑するエドワードを無視して履いていたストラップシューズを脱いだショウは、綺麗に靴を揃えてから華奢な足を折り畳んでエドワードの膝の上に収まる。身体を縮こめ、同じくエドワードの分厚い胸板に頭を預けると、小さく欠伸をしてから眠り始めてしまった。
最愛の嫁を信頼している部下に寝取られたような気分になったユフィーリアは、
「エド、未成年組が起きたらボッコボコにしてやるからな」
「八つ当たりは止めてよぉ、俺ちゃんだって分かってないんだからぁ」
上司から理不尽なことを言われ、エドワードは「やだよぉ」と嘆く。彼もまたいきなり上司の嫁から寝具代わりに扱われて困っているようであった。
「ショウちゃん、ユーリのところに行きなよぉ。あっちの方が受け入れ体制万全だよぉ」
「むにゃ……?」
すやすやと眠っていたところをエドワードによって肩を叩かれたショウは、眠たげな赤い瞳を擦りながらユフィーリアを見やる。
「すまない、ユフィーリア……最近ちょっと寒くなってきたから……身体がちべたいから……遠慮したい……」
「がっでむ」
ユフィーリアは頭を抱えた。
まさかの拒否理由であり、そして同時に納得する。これから寒くなるこの時期、ユフィーリアの冷感体質は歓迎されないのだ。基本的に身体はひんやりと冷たくて、徐々に冷気が溜まっていく恐るべき体質なので寒さの厳しい冬では敬遠されがちだ。
反対に、エドワードは基礎の体温が高いので今の時期から重宝されるのだ。未成年組が引っ付く理由も、ユフィーリアの身体は冷たいのでエドワードに引っ付いて暖を取った方がいいと考えた結果だろう。これはどうにも出来ない問題だった。
「魔法で、魔法で全身の体温を上げれば」
「それで昔に大火傷を負ったことあるんだから止めなよぉ」
「暖かい格好をすればいいんじゃないかしラ♪ 冷感体質が伝わらないようなセーターでも着れば元通りヨ♪」
「それだ、手伝いが終わったら被服室の素材で研究するか」
最愛の嫁から「身体が冷たい」という酷評を下されたユフィーリアは、学院に戻ったら自分の冷感体質を緩和させる礼装を作ろうと決めるのだった。
☆
『神癒の宿、神癒の宿に到着しました。お降りの際はお忘れ物にご注意ください』
いつのまにかそんな放送が車内に流れる。
魔法列車の揺れが心地よくて思わず眠っていたら、いつのまにか神癒の宿の周辺駅に到着していた。窓の向こうに広がっているのは陰鬱とした雰囲気の漂う森で、魔法列車が停止しているのは誰も降り立つ気配のない寂れた無人駅である。
ユフィーリアは大きな欠伸をすると、
「お前ら、着いたぞ」
「おはようございます!!」
「へぐあッ!?」
到着を告げるとエドワードの膝上で寝ていたハルアが飛び起き、ついでにエドワードの顎に頭突きもかましていた。そのおかげでエドワードも強制的に起床させられる。
頭突きをした側であるハルアは、顎を押さえて震えているエドワードに振り返って「あれ!?」などと首を傾げている。自分がエドワードの顎に頭突きをしたとは思っていない様子である。
運動靴を履いて準備完了なハルアは、
「何してんの、エド!?」
「ハルちゃんが顎に頭突きしたからじゃんねぇ……!!」
痛みのあまり声に力が入っていないエドワードは、銀灰色の双眸に生理的な涙を浮かべてハルアを睨みつける。
「どこで寝てるかちゃんと確認してから起きなよぉ!! じゃないとこんな事故にごふぁッ」
「おはようごじゃいましゅ……」
エドワードの言葉が途中で呻き声に変わったと思えば、今度はショウがハルアと同じくエドワードの顎に頭突きを叩き込んで起床する。2発も顎にもらったのは可哀想である。
顎に頭突きを叩き込んだ張本人であるショウは、ぽやぽやと寝ぼけ眼を擦りながら床に揃えられたストラップシューズを履く。そして旅行鞄をずるずると引き摺りながら、魔法列車の個室をハルアと一緒に飛び出してしまった。完全に先輩の顎へ頭突きしたことに気づいていない。
ユフィーリアは顎に2発も頭突きをもらって痛みに打ち震えるエドワードの肩を叩き、
「大丈夫か、お前」
「ショウちゃんってぇ、最近ハルちゃんに似てきてない?」
「そりゃ背中を見て育っちゃってるから仕方ねえよな」
しかも普段から行動を共にしているから、余計に立ち振る舞いまで似てきたような気がする。変な学びを先輩から与えられちゃっていた。
「ほれ、とっとと降りねえと出発しちまうぞ。ここで降りるのアタシらだけなんだから」
「顎取れたぁ」
「あとでくっつけてやるから」
「あとでくっつけられたら問題なのよネ♪」
顎に関してまだぐちぐちと嘆くエドワードの背中をぶっ叩き、ユフィーリアは先に降りてしまった未成年組を追いかけて無人駅に降り立つ。
陰鬱とした森の目の前にある寂れた無人駅は、他の利用者が誰もいない。不気味な空気が漂う中で橙色に染まった落ち葉がハラハラと風に煽られて舞っている。遠くから聞こえる小鳥の囀りが何とも平和であるが、同時に人里離れた田舎であることを悟らせた。
草木が生い茂る駅の外に、獣道が真っ直ぐに伸びている。舗装されていないから石ころも転がり、道の状態も凸凹としていて歩きにくそうだ。この先に神々が疲れを癒しに訪れる『神癒の宿』があるのかと不安を覚える。
「夜に来たくねえ場所だな」
「何か出そうじゃんねぇ」
「怖!!」
「雰囲気のある場所だワ♪」
「こんな場所に神様が来るのか……?」
無人駅に問題児が降り立つと、用事は済んだとばかりに魔法列車は扉を閉める。それからガタゴトと音を立てながら無人駅を出発し、あっという間にその姿が見えなくなってしまった。
これでヴァラール魔法学院に帰るには転移魔法を使わなければならなくなった訳である。こんな場所に放置されたら並大抵の人間は生きていけない。
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えたユフィーリアは、
「とりあえず行くか、この獣道」
「樟葉さん、本当にこの先って言ってたのかしラ♪」
「駅の目の前に伸びる道を真っ直ぐに進むと神域結界の入り口があるんだとよ」
アイゼルネの不安そうな言葉にそう応じたユフィーリアは、無人駅を出て獣道へと足を踏み入れていく。
周囲は非常に静かで、小鳥の囀りと風の音しか聞こえてこない。ユフィーリアたち問題児の足音がやたら大きく森の中に響き渡る。
樟葉が言うには「分かりやすい目印がございます」とのことだが、本当に目印があるのかと心配になるほど鬱蒼とした森だ。目印に辿り着くより先に熊にでも出くわしそうである。
「そういえば、神域結界とは一体何なんだ? 聞き覚えのない単語だが……」
「ああ、あまり聞き慣れねえよな」
神域結界について問いかけてきたショウに、ユフィーリアは軽く説明する。
「神様が実体を保つ為の特殊な空間だな。普段はよほどの高位じゃねえと認識できない神様も、神域結界の内部だと実体を保てるんだよな」
「八雲のお爺さんは?」
「あんな性格をしていても高位の豊穣神だからな。神域結界がなくても姿を保てるんだろ、あまり詳しくねえけど」
神域結界はいわゆる『神様が住まう世界』である。その中では、普段は人間に認識されない神様も実体を持つことが出来るという非常に特殊な魔素が満ちた空間であり、未だに研究が続けられている。神々というのはそれほど謎に満ちた存在なのだ。
八雲夕凪のように神域結界を持たずとも問題なく実体を保てる神々もいれば、神域結界でなければ実体を保てない神々もいるようだ。あまり詳しくは分からないが、おそらく高位の神々だと神域結界を持たなくても平気なのではないかという説が最有力候補である。
すると、
「何かあったよ!!」
ハルアが森の奥を指差す。
獣道の終端にあったのは、石造りの鳥居である。灰色の鳥居は見上げるほど高く、しかし何の神を祀っているのか示されていない。鬱蒼とした森の中にポツンと存在する鳥居は、まさに異様の一言に尽きる。
樟葉の言う『神癒の宿』に繋がる神域結界の入り口だろうか。もしくはここに神社があった痕跡かもしれないが、見たところ社の存在は確認できないので神域結界の入り口と見るのが1番かもしれない。
ユフィーリアは「よし」と頷き、
「行くぞ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「ああ」
問題児は、石造りの鳥居を潜る。
鳥居の向こう側に足を踏み入れた瞬間、景色が急に切り替わった。
鬱蒼と草木が生い茂る森の中にいたはずなのに、鳥居を潜り抜けると赤い桟橋が伸びている。桟橋に掲げられた提灯には明かりが灯っておらず、綺麗に書かれた『癒』の文字だけがこちらを向いている。朱塗りの欄干が青空に映え、桟橋の下をサラサラと川が静かに流れていた。
そして、桟橋の先にあるのが瓦屋根が特徴的なお屋敷である。極東風のお屋敷は玄関が広く、神癒と書かれた暖簾だけが静かに揺れている。
「ここが神癒の宿か……」
初めて見る神癒の宿の外観に、ユフィーリアは呆気に取られるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】夏に重宝される魔女。夏場は身体がひんやりしているから未成年組やその他にも大好評だが、寒くなるに連れて不人気になる。
【エドワード】冬に重宝される筋肉野郎。冬場は体温が高いので嫌でもくっつかれるのだが、夏場は「暑苦しい」の一言で近寄られなくなる。
【ハルア】子供体温で冬場は重宝される。そうじゃなくても常時走り回ってるのでカイロみたいになってる。
【アイゼルネ】冷え性なので冬場は本当につらい。寒さ対策はしているが、それでも辛い時はハルアから体温を奪っていたが今年からはショウも仲間入りしたので体温を奪う所存。
【ショウ】痩せ細っていた時は身体が冷えて仕方がなかったが、体重が標準に戻ってから身体が暖かくなってきた。炎腕の恩恵も受けてぽっかぽっか。