第4話【異世界少年と世界終焉】
時刻は午後6時を過ぎた頃合いだった。
「遅いねぇ、ユーリ」
用務員室の壁に掲げられた時計を見上げ、エドワードがポツリと呟く。
性転換薬の効果はすっかり切れてしまい、エドワードもハルアも元の姿に戻っていた。ハルアの美少女な姿は見慣れてしまったが、エドワードの野生味溢れる美女の姿は何故か慣れることはなかった。おそらく、あの野戦服の布地を押し上げる爆乳が原因だろう。
ショウは読んでいる途中だった七魔法王について記された魔導書を閉じると、
「学院長室で会議でしたよね? 俺が迎えにいってきましょうか?」
「そこまでしなくていいよぉ。どうせ会議が盛り上がってぇ、飲み会の流れになるだけじゃないのぉ?」
エドワードは「俺ちゃんがご飯当番だからいいんだけどぉ」と言い、用務員室の隣に設けられた居住区画へ引っ込んだ。
そろそろ夕飯の支度に取り掛からなければならない時間帯だ。問題児の食事事情はユフィーリアとエドワードの2人で管理され、日替わりの当番制となっているのだ。今日の担当はエドワードなので、夕食の時間が遅れることはないだろう。
エドワードが食事当番ということは、やはり肉料理だろうか。今日は少し難しい本を読んで頭を使ったので、大いにお腹が減っている。こんな時にエドワードの漢の料理は実に嬉しい。
「んあ?」
「ハルさん?」
すると、ショウの膝を枕にしていたハルアが唐突に起き上がった。
何かと思えば、彼はじっと閉ざされた用務員室の扉を見つめている。
誰か来客だろうか。ショウも彼に倣って静かに用務員室の扉を見つめていると、用務員室の扉が外側から蹴り開けられた。
息を切らせて用務員室に転がり込んできたのは、
「邪魔をする。すまないが、ベッドはどこにあるだろうか?」
グッタリした様子のユフィーリアをお姫様のように抱きかかえた髑髏仮面の神父様――ショウの実の父親であるキクガだった。
本当なら息子として歓迎するべきなのだろうが、問題は彼が抱えている最愛の恋人の姿である。
正常な呼吸はしているものの、表情はどこか苦しそうだし顔色も悪い。怪我を負った様子は見られないのだが、果たして彼女の身に何が起きたのか。
ショウとハルアは慌てて長椅子から退き、キクガにユフィーリアを長椅子に寝かせるように勧める。キクガもユフィーリアを長椅子に寝かせて、脈拍と呼吸の状態を確認して安堵の息を吐いた。
「ユフィーリア……!!」
「とりあえず容態は安定している。毒は抜き去ったし治癒魔法もかけたので、あとは目覚めるのを待つだけだが」
「毒?」
聞き捨てならない単語を聞いて、ショウは父へ振り返った。
「父さん、今何と?」
「ああ。実は創設者会議で馬鹿が淹れた毒草ブレンドティーを飲んでしまってね、象も1滴で倒れる代物を飲んで気絶してしまった訳だが」
「……なるほど」
ショウの思考回路が恐ろしいほど冷えていく。
軽く右手を掲げれば、網膜を焼かんばかりに眩い炎と共に歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノが出現する。白い三日月に与えられた加護がショウの身体を空中に止まらせ、ほんの少しだけ床から浮いた状態となる。
やるべきことは1つ、ユフィーリアに毒を盛った人物の処刑だ。
「ショウ、待ちなさい」
「父さんの言うことでもそれは無理だ」
「誰も紅茶に手をつけず、ユフィーリア君が飲んでしまったことで判明した訳だが。下手人は現在、学院長や副学院長からお叱りを受けている。これから冥府の法廷で8時間の説教も待っているのだ、下手に殺すことはお勧めしない」
「…………つまり、その、あれか」
ショウは冥砲ルナ・フェルノを消して、ストンと床に降り立つ。
「ユフィーリアは、毒草ブレンドティーとやらを『面白そうだから』という理由で飲んでしまったのか?」
「頭脳明晰な彼女のことだ、ヘドロとゲロを掛け合わせて糞尿を混ぜ込んだような悪臭漂う紅茶など避けるべきとは理解しているだろう」
分かりやすい臭いの漂う紅茶を飲んだということは、彼女の性格から鑑みて『面白そうだから』という理由で飲んだのは間違いなさそうだ。自ら実験体にならないでほしい。
「とにかく、彼女が目覚めるまで側にいてあげなさい。誰かがいた方が安心するだろうからね」
「……分かった」
頷くショウの頭を軽く撫で、キクガは「いい子だ」と言う。
「では私は毒を盛った下手人を冥府に連行してくる。ユフィーリア君によろしく伝えておいてほしい」
「ああ。また今度遊びに来てほしい」
「今度は手土産も忘れずに持ってこよう」
そう言い残して、キクガは用務員室から足早に立ち去った。
さて、ここで問題が発生だ。
毒を盛られて気絶を果たしたユフィーリアだが、誰がベッドまで運べばいいのだろうか?
最も可能性があるのはエドワードだが、彼は現在、夕飯の下拵えの真っ最中である。これ以上に仕事を増やすのは忍びない。
次点でハルアなのだが、彼は手加減というものを知らない。下手に抱きかかえて他に怪我を負わせても大問題だ。ハルア自身もそれを理解しているのか、率先して「オレがやる!!」と言わなかった。
残るアイゼルネとショウは非力である。気絶した人間を抱えるほどの筋力を有していない。
「炎腕はどうかしラ♪」
「俺は平気ですけど、他の人は燃えちゃうかもしれないです」
「このまま寝かせておいた方が良さそうだね!!」
ハルアは「毛布取ってくるね!!」と言って、居住区画に駆け込んでいった。扉の向こうから「どうしたのぉ、ハルちゃん?」「毛布!!」などというやり取りが聞こえてくる。
ショウはユフィーリアが横たわる長椅子の側に寄り、彼女の綺麗な銀髪を撫でた。
どこか苦しそうだった表情も少しだけ和らぐが、顔色は一向に良くならない。あとは目覚めるだけと言っていたことが信じられなくなってくる。このままユフィーリアが死んでしまったら、ショウは世界中を壊して殺して回っても足りないぐらいだ。
「ユフィーリア……」
今のショウに出来ることは、せめてユフィーリアの苦しみが和らぐようにと彼女の手を握ることぐらいだった。
☆
時刻は午前2時に差し掛かろうとしていた。
用務員の先輩たちは最後までユフィーリアの体調を案じていたが、やはり眠気には抗えずに用務員室の床で寝落ちしてしまった。冷たい床にうつ伏せで寝転がるエドワードの上にハルアが乗っかり、2人揃って愉快ないびきの大合唱を響かせる。アイゼルネは用務員室の片隅で、毛布にくるまっていた。
ショウは眠気を紛らわせる為に、ユフィーリアの机に積まれた本を読んでいた。だいぶ読んでしまい、残るは『七魔法王伝説』という絵本である。ちょうど絵本の表紙を開いたところで、長椅子に寝転がったユフィーリアから僅かな呻き声を聞いた。
「ん、ぁ……? あれ、何で用務員室に……」
閉ざされた瞼が持ち上がり、ぼんやりとした青い瞳が露わになる。
開きかけた絵本を脇に置き、ショウはユフィーリアの顔を覗き込む。
キクガが用務員室まで運んだことを知らない様子だ。本当に意識があるのか確かめる為に彼女の目の前で手を振ってみると、ユフィーリアは「何してんだよ」と小さく笑った。
よかった、目覚めたのだ。ショウはそれだけで涙が出そうになるほど安心する。
「おはよう、ユフィーリア。もう夜中だけど」
「今何時……」
「深夜の2時だ」
「お前、こんな時間まで起きてたのかよ……」
苦笑するユフィーリアが、ショウの頬を撫でてくる。やや冷たくなってしまっていた。副学院長が「忘れ物ッスよ」などと言って届けてくれた、彼女愛用の煙管を手渡してやる。
「大丈夫か? 体調の方は?」
「何か若干気持ち悪い……」
「白湯は飲めるか?」
「飲む……」
上半身を起こしたユフィーリアに水筒の器を渡す。空っぽの器に白湯を注ぎいれれば、まだほんのりと湯気が立ち上った。
彼女の桜色の唇が、ゆっくりと白湯で満たされた水筒の器に近づく。両手でしっかりと水筒の器を持ち、中身の白湯を啜って「はぁ」と息を吐いていた。
顔色は少しだけ悪いものの、最初の頃と比べれば良くなっていると言えようか。まだ不安は残るけれど。
「……それ……」
「これか?」
側に放置されていた『七魔法王伝説』と銘打たれた絵本を手に取り、ショウは「今日届いたばかりのものだ」と言う。
「七魔法王について学んだばかりだが、誰も彼も偉大な魔法使いや魔女なのだな。世界を形作り、現在でも信仰があるなんて凄いと思う。特に第七席は」
「凄かねえよ」
白湯を少しずつ啜るユフィーリアは、
「第七席が凄い奴な訳ねえだろ。アイツは世界を終わらせる死神だ、いつ今ある世界を終わらせるか分からねえんだから」
「だが、その協議は他の七魔法王から承認が」
「そんなの待つ奴だと思うかよ。自分が好きに世界を終わらせられるってなったら、自分の好きな時に『終わらせてやろう』って思うだろうさ」
第七席【世界終焉】に対する否定的な意見を述べるユフィーリアは、最後にこう吐き捨てて締め括った。
「嫌いだよ、あんな奴」
その言葉は、心の底からの嫌悪から来ていた。
大胆不敵で常日頃から面白いことを探す彼女にとって、世界を終わらせる存在である第七席【世界終焉】は忌むべき存在なのだろう。面白い今の世界を気に入っている彼女は、この世界に終わりを告げてほしくないのだ。
叶うなら悠久まで続いてほしい――なのに第七席【世界終焉】は、他の七魔法王から要請されればあっさりと世界を終わらせてしまうのだから。
「ユフィーリア」
沈んだ表情のユフィーリアの頬に触れたショウは、
「俺は、その、不謹慎だがな。第七席のことを格好いいと思っているんだ」
「格好いい?」
怪訝な視線を寄越してくるユフィーリアに、ショウは首肯で返す。
「世界を終わらせる存在だから、確かに怖いと思う。明日になったら第七席の手によって世界が終わっていたらどうしようと考えてしまう」
だけど、ショウが第七席【世界終焉】に対して抱くのは恐怖ではない。
「でも、終わりってそんな悪いことではないと思うんだ。今あるものが終わり、また新しい何かが始まる。それが出来るのは、第七席だけなんだ」
第一席【世界創生】は作るだけならば、第七席【世界終焉】は続くはずだった悠久の世界を断ち切って終わらせる存在。
終わりは決して悪いものではない。新たな始まりの合図だ。今日という1日が終わり、明日という新たな日が始まるのと同じである。
だから決して、全ての終わりが悪い訳ではない。世界の終わりも、多分そこまで悪いものではないはずだ。
「それに、その、無貌の死神って言い方が格好良くてだな。無貌ということは顔がないって意味だろうから、一体どんな顔をしているのか気になって」
「ふッ、あははははッ」
唐突にユフィーリアは笑い出す。眠ってしまったエドワードたちを起こさない声量で、それでもどこか楽しそうな様子で。
「そうか、そうか。単なる終わりにも、新しい見方があったんだなァ」
そう言って、ユフィーリアはショウの頭をクシャクシャと撫でた。その手つきはどこか乱暴だったが、彼女なりの優しさもあったと思う。
「お前のおかげで、少しだけ第七席が好きになれそうだわ。ありがとな、ショウ坊」
感謝された理由は分からないが、彼女の中での第七席の印象が少しでも良くなれば幸いだ。
ショウはユフィーリアの手のひらに頬を寄せ、少しだけ照れ臭そうに笑った。
今日が終わり、明日が始まる。それは多分、誰にとっても素晴らしいことなのだ。
《登場人物》
【ショウ】最愛にして大切な恋人に毒を盛った奴は絶対に許さない所存。
【エドワード】上司が会議に出たと思ったら毒薬飲んで帰ってきてビックリ。ちゃんと胃に優しいようにお粥を作っておいたよ。
【ハルア】馬鹿だけどユフィーリアは心配なのでいつもより静かめでお送りします。
【アイゼルネ】ユフィーリアが体調不良で寝込んだことを見たことがないので驚いている。
【ユフィーリア】毒草ブレンドティーなんてものを飲んで死にかけたが無事に生還。意外と頑丈とか言うな。
【キクガ】愛息子の恋人に毒草ブレンドティーなぞを飲ませた下手人に説教しなければ、と使命感に駆られるお父様。ユフィーリアは義娘。