第1話【問題用務員と神癒月】
「神癒月?」
聞き慣れない単語を聞いた銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルの疑問に満ちた声が、用務員室に落ちる。
「はい、そうでございます」
用務員室を訪れた狐耳の美人さん、樟葉はふかふかな尻尾をへにょりと垂れ落として頷く。
今朝のこと、朝食を終えて用務員室に戻ってきて数分したところで樟葉が唐突に用務員室へやってきたのだ。扉が控えめに叩かれて、来客対応をしたアイゼルネが驚いていたぐらいである。
何か旦那である八雲夕凪に関連した相談があるのかと思いきや、彼女が口にしたのは「神癒月が週末に控えておりまして」という内容だった。長いこと生きているユフィーリアでも神癒月の行事は聞き慣れないし、経験がない。極東で生きる樟葉たち特有の行事だろうか。
ユフィーリアは非常に申し訳なさそうな表情を見せると、
「姉さん、悪いな。神癒月に関してアタシは参加もしたことなけりゃ内容もよく分からねえんだ」
「大変失礼いたしました。ご説明させていただきますね」
樟葉はユフィーリアが神癒月を知らないと聞くと、分かりやすく説明をしてくれる。
「神癒月とは、神様を癒す為の月日となりますね。極東では今月を神癒月と呼びまして、1年間の疲労を神様が癒す為に『神癒の宿』を訪れるのですよ」
「中途半端な時期だな」
「これからまた年末年始で忙しくなりますから、その前に英気を養っておこうという名目でもあります。旦那様も神癒の宿を訪れましたよ」
樟葉も「私もたっぷりと尻尾を、いえ羽を伸ばすことが出来ました」と満足げに笑っている。
なるほど、年末年始で多忙となる前に疲れを癒して繁忙期を乗り越えようという魂胆か。それは確かに素晴らしい行事である。問題児も疲れを癒したいところだが、あいにくと普段から真面目に働かない問題児にとっては癒しもクソもない。
八雲夕凪も、ヴァラール魔法学院では狡猾なクソ狐ジジイだが、極東地域では立派な豊穣神だ。神様だからこそ神癒月の対象で、1年間の疲れを癒しに行っていたのだろう。そういえば1週間ほど留守にしていたようだが、特に気にも留めていなかった。
ユフィーリアは首を傾げ、
「それで、何でその神癒月の話題が?」
「神癒月は今月のうちどこかで神癒の宿に行けばいいのですが、どうやら例年より多くの神様が今週末に訪れようと考えているみたいでして……」
樟葉は困ったような表情を見せると、
「人手が足りないらしいのです」
「人手が」
「宿の従業員総出でかかっても人手が足りないようなのです。このままだと神様を満足させて送り出すことが出来ないと神癒の宿を取り仕切る主人様が仰っていました」
繁忙期に人手が足りないのは痛いだろう。満足なもてなしも出来なければ、神々からどんな祟りがあるか分かったものではない。
祟りを恐れてか、それとも単純に神様の目線で考えての物言いか不明だが、とにかく人手が足りなければ話にならない。その宿屋の主人は樟葉に人手のことを相談したのだろう。
樟葉は「そこで」と言葉を続け、
「ユフィーリア様たちにお手伝いをお願いできないかと」
「聞くけど、アタシらでいいのか?」
「ええ、もちろん。あなた様以上に優秀で頼りになる魔女様はいませんとも」
「煽ててくるなぁ」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、ミントに似た清涼感のある煙を吐き出す。
依頼をしてきた人物が八雲夕凪だったら即決で断っていたかもしれないが、相手は樟葉である。普段から何かと世話になっている人物からのお願いを無碍には出来ない。
それに、神癒月など経験したことのない行事に関われるなど面白いことである。経験したことのないものは何だって面白いのだ。神癒の宿など特殊な状況ではない限りは絶対に訪れることのない場所に足を踏み入れることも魅力的である。
以上を鑑みて、ユフィーリアの回答は決まっていた。
「いいぞ、樟葉姐さんの頼みだ。引き受けてやろうじゃねえか」
「ありがとうございます、宿屋の主人様もお喜びになります!!」
引き受ける旨の回答をすると、樟葉はもふもふの尻尾を振り回して喜びを露わにする。断られることを心配していたらしい。面白そうだと思えば断る理由など問題児にはない。
「では業務の説明を――」
「はいはい、何すりゃいいんだ?」
樟葉から説明を受けたユフィーリアは、その業務内容にますます惹かれて「絶対に手伝う」と心に決めるのだった。
☆
そんな訳で、仲間たちに情報共有である。
「お前ら、神癒月に備えて宿の手伝いをするぞ」
「何の話ぃ?」
「話が見えない!!」
「樟葉さんが言っていたことかしラ♪」
「樟葉さんが来ていたんですか?」
いきなり訳の分からん場所の手伝いをすると宣言した上司に、可愛い部下たちは困惑気味である。少々説明が足りなさすぎる。
「実はさ、樟葉姐さんから神癒月に合わせて知り合いの宿屋を手伝ってほしいって言われてさ。週末に入る1日前から宿屋で待機して、2泊3日の手伝い合宿だ」
「それって何やるのぉ?」
筋骨隆々の巨漢――エドワード・ヴォルスラムから至極当然の質問が飛んできた。内容が分からなければ、いくら知り合いの手伝いだろうが考えてしまうのも理解できる。
「アタシとエドは料理担当、神癒月で疲れを癒しにきた神様に食事を提供するんだとよ」
「どんな料理でもいいのぉ?」
「ある程度の自由はあるみたいだけど、基本的には向こうの総料理長の指示に従ってほしいってよ。厨房が忙しくなるみたいだからな」
「まあ、それなら俺ちゃんとユーリが適任かぁ」
エドワードは「はいよぉ」といつもの間延びした返事をする。
問題児の料理番といえば、ユフィーリアとエドワードの2人だ。ユフィーリアも自分の料理の腕前には自信があるし、エドワードもユフィーリア仕込みの料理の腕前は他人に振る舞っても恥ずかしくないぐらいに鍛えたつもりである。てんやわんやな状態の厨房でも問題なく渡り歩けるだろう。
調理手順と総料理長の指示があるなら、それを聞いて料理を作ればいいだけだ。所詮は手伝いだから碌なことはしないだろうし、気楽に挑むことが出来る。
「ハルとショウ坊、アイゼはやってきた神様たちの風呂の世話と風呂掃除だな。結構人手がいるみたいだから張り切ってやってくれ」
「お風呂掃除!!」
「任せてくれ、ユフィーリア。舐められるぐらいにピカピカにしてみせる」
「はぁイ♪」
そしてやってくる神様たちの風呂の世話と風呂掃除を命じられたのが、ハルアとショウの未成年組に加えて手先の器用なアイゼルネである。
風呂掃除はなかなかの重労働と聞くからハルアとショウの2人がかりで挑んでもらえれば早く終わるはずである。それにショウが意外にも掃除が得意で片付け上手なので、風呂釜もきっとピカピカに磨いてくれるだろう。「掃除なら自信あるぞ」とショウも自分の腕の見せ所を主張していた。
一方でアイゼルネは、マッサージが得意だから風呂の世話ついでに特技のマッサージで神々を快楽の坩堝にでも落としてくれれば幸いだ。現に彼女は「どんな神様をお相手するのかしラ♪」と両指をワキワキと動かして楽しそうにしている。もう神々を快楽落ちさせる為の模擬戦が頭の中で繰り広げられていた。
ショウが「あ」と思い出したように声を上げ、
「アイゼさんは大丈夫ですか? お風呂のお世話なんてやったら、危ない目に遭ったりとか」
「ああ、その点に関しては問題ねえぞ。極東地域の神様は人の姿してねえから」
ユフィーリアは最愛の嫁が抱える心配を真っ向から否定する。
極東地域の神様は、大体が人間の姿を保っていないのだ。何かこう狐だったり、ひよこだったり、鹿みたいだったりとその姿は多岐に渡る。極東地域ではあらゆるものに神様が宿るという考えがあり、その影響で人間らしくない姿をした神様の方が多い。
そんな訳で、自分自身で身体を洗えるような神様があまりいないのだ。両手もなければ両足もない訳である。誰かが洗ってやらなければ綺麗にならない。
ハルアとショウは揃って「はー」と感嘆の声を漏らし、
「じゃあオレらも身体洗うの手伝ってあげなきゃね!!」
「こればかりは仕方がないな、だって洗えないから」
「頑張ろ、ショウちゃん!!」
「ああ、頑張ろう」
未成年組もちゃんと納得してくれたようで何よりである。意外と誰とでも仲良くなることが出来る彼らならば、神様相手でも友達を作ってくるかもしれない。
「アイゼ、悪いけどアイツらのことをよく見ておいてくれ。極東の神様はねちっこいからな、どこで祟りをもらってくるか分からねえ」
「任せテ♪」
アイゼルネもグッと親指を立てて応じる。
彼女の場合、暴力に関する技術がないのでショウとハルアという暴力特化型問題児の庇護下にいた方が安心だろうが、本来の意味は逆である。暴力特化型の問題児だからこそ神々に粗相をしでかして、祟りをもらってくる可能性も十分に考えられるのだ。
お守りであるエドワードは今回、ユフィーリアと一緒に厨房組なのでつきっきりで面倒は見られない。アイゼルネと一緒だと「アイゼを守らなきゃ」という考えが先行するらしく、彼女のお願いは大体断らないので何かといい組み合わせなのだ。アイゼルネが上手く未成年組の手綱を握り、未成年組がアイゼルネを護衛することで互いに円満な関係を築けるということである。
ワクワクとした様子のハルアは、
「2泊3日だもんね!! お泊まりの準備をしよっか、ショウちゃん!!」
「ああ、楽しみだな」
「お前ら、神癒月の手伝いは週末だからな? あと3日ぐらいはあるぞ?」
はしゃいだ様子で居住区画に駆け込み、神癒月に備えてお泊まりの準備をし始める未成年組にユフィーリアは苦笑した。気が早いのだが、それほど楽しみにしているのだろう。
勢いよく開け放たれた居住区画の扉の向こうから「ショウちゃん、うさちゃんのぬいぐるみって持っていってもいいかな!?」「今回はお留守番をさせた方がいいのではないか?」というやり取りが聞こえてくる。もう早くも楽しそうである。
互いの顔を見合わせた大人組は、
「あいつら楽しそうだな」
「そりゃあねぇ、お出かけだもんねぇ。楽しくなっちゃうよぉ」
「当日は賑やかなことになりそうネ♪」
やれやれと肩を竦めたユフィーリア、エドワード、アイゼルネの3人は、当日の神癒月の手伝いに向けて段取りの議論を交わすのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】極東地域の温泉旅館の旅行券が当たった時に温泉とか訪れたことのある魔女。極東の至れり尽くせりなおもてなしの文化に驚き。
【エドワード】過去に極東で有名な温泉に出かけたことがある。温泉は基本的に足を伸ばせて入れる浴槽があるから最高。
【ハルア】温泉だろうが何だろうがそこに水がある限り、プール扱いも厭わない所存。いや、やるな。
【アイゼルネ】極東の温泉のおかげでマッサージを学ぼうかと思ったきっかけになった。種類が多いから定期的に学びたくなるし、おもてなしの精神は見習いたい。
【ショウ】異世界の極東地域から召喚された女装メイド少年。おもてなしの心は搭載している。いい人やお友達には最大限の嬉しいおもてなしを、意地悪で嫌いな人にはとびきりの嫌なおもてなしを。
【樟葉】八雲夕凪の妻。神癒月でしっかりと疲労を回復してきた。問題児とは何かと仲がいい。