第3話【学院長と異世界料理】
「お昼ご飯の時間ッスよー」
そんな言葉と共に学院長室へやってきたのは、副学院長のスカイ・エルクラシスである。
学院長室に飾られている時計を確認すると、確かにもうお昼時と呼べる時間帯だった。仕事に没頭していた為に今まで気が付かなかったのだ。
今日は不思議なことに、問題児が目立った問題行動をしていない。もしかしたら悪戯の仕込みの最中かもしれないが、今のうちに出来るだけ仕事を片付けておくのが最適だ。
時計を一瞥したグローリアは、机の上に広げた魔法の研究のレポートに視線を戻す。
「今日はいいや」
「馬鹿野郎ッスねぇ、お昼ご飯は大事なご飯ッスよ」
スカイは「はい没収ッス」とグローリアの手から羽ペンを取り上げる。別に取り上げられたところで他の羽ペンがあるから仕事を続けることは出来るが、そうすると羽ペンがなくなるまで彼は没収し続けることになるだろう。
無駄な労力は使いたくないので、グローリアは仕方なしに仕事を中断する。午後は問題児の問題行動がないことを祈るばかりだ。
やれやれとばかりに肩を竦めたグローリアは、
「何? どこか行きたいお店でもあるの?」
「実は自動調理の魔法兵器を組み上げまして」
嫌な予感しかしねえ。
「まさかお昼ご飯だって主張したのはそれの実験台にする為?」
「だってグローリア、ご飯に頓着しないんスもん。適当なものを作っても『美味しい』って言ってくれそうじゃない?」
「いやまあ確かにそうなんだけども、僕にもちゃんと味覚は搭載されてるからね?」
軽い調子で笑い飛ばすスカイに、グローリアはため息を吐いた。
確かにグローリアは食事に重きを置いていないので、うっかりすると朝ご飯だけ食べて以降は食事を口にしないという日がザラにある。何日も食事を抜くということはないが、気がついたら1日1食の生活が1週間ほど続いたこともあって問題児のご飯襲撃を受けたものだ。
今でこそ、せめて2食にしようと朝ご飯とお昼ご飯は意識していたつもりだ。まあ、たまに食事を忘れて仕事に没頭し、やはり気づけば1日1食の生活に戻っていたりするのだが、ここ最近は意識して食事をしていたと自分でも評価できる。
「ユフィーリアたちなら喜んで食べそうじゃない? 用務員のところに持って行きなよ」
「何言ってんスか、グローリア!? ボクが殺されるッスよ!!」
「そんなに?」
必死な様子のスカイに、グローリアは首を傾げる。自動でご飯を作ってくれる魔法兵器など新しいだろうから絶対に興味を示すはずなのに。
「だって問題児どもは学院きっての料理上手どもッスよ!? 舌が肥えに肥えまくった連中に自動調理の魔法兵器なんぞ差し出してごらんなさいよ、鼻で笑われて『馬鹿じゃねえの』とか言われるんスよ!?」
「そこまでじゃないけど、僕は鼻で笑った上で『自分で作った方が早い』とまで言いそう」
問題児ことヴァラール魔法学院の用務員連中は、かなりの料理上手として有名だ。実際、ヴァラール魔法学院に併設されているレストランで手伝いに駆り出されると生徒や教職員がこぞって行列を作るぐらいである。
グローリアも何度か料理を味わう機会があったが、確かにその腕前は一般的な料理人以上と言ってもいいぐらいである。特に郷土料理から高級料理フルコースまで幅広い調理方法を頭に叩き込んだユフィーリアと、肉料理など特定の調理方法が異様に突出しているエドワードの組み合わせは学院内だと勝ち目はない。用務員ではなくレストランの経営をさせなかったのはグローリアの失態だ。
スカイは「だからッスよ」と言い、
「あんな料理上手どもを唸らせるほどの腕前なんて魔法兵器で出せないんスよ」
「監修してもらえばいいじゃないか」
「注文が多すぎて調整が入るどころか最初から組み上げのし直しになっちゃうからまたの機会に」
スカイがポンと手を叩くと、学院長室に何やら大きめの鉄の塊が転送されてくる。
それは寸胴鍋のような胴体に鉄製のボウルみたいな半球系の頭を取り付け、異様に細い手と履帯の脚部系で移動する不思議な見た目の魔法兵器だった。眼球部分に位置する半球系の頭にはピカピカと赤い光を明滅させる魔石が詰め込まれており、履帯をゴロゴロと転がして学院長室を動き回る。
特に目を引くのが、細長い腕である。管のように細い腕の先端には吸い口のような部品が取り付けられており、もうこの時点で嫌な予感しかしない。絶対に固形物は出てこない。
誇らしげに移動式の寸胴鍋のような魔法兵器を見せてくるスカイは、
「どうッスか?」
「もう嫌な予感しかしないんだけど、早速その料理とやらを作ってくれる?」
「見た目の感想もないんスか。せめて何かこう『可愛い』とか『格好いい』とかさぁ」
ぶつくさとグローリアの評価に対する文句を呟くスカイは、寸胴鍋のような無骨な見た目をした魔法兵器の頭部を軽く叩く。
すると、半球系の頭部が2つに割れた。割れた箇所から薄いスープ皿のようなものが飛び出してくると、それをグローリアの目の前に置いてくる。吸い口のような形をした腕の部品が花が綻ぶかの如く割れると、器用に皿を掴んで置いたのだ。よくそんな動きを組み上げられるものだと感心する。
グローリアの前へ置かれたスープ皿に、魔法兵器は吸い口のような腕の部品からドバドバとペースト状の何かを吐き出す。色はクリーム色、悪臭はしないのだがドロリとした見た目がよろしくない。
魔法兵器がどこからか取り出したスプーンを受け取ったグローリアは、
「これ、何?」
「栄養価の高い食べ物を色々と混ぜ合わせたんスよ」
「それは一体?」
「ボクがよく食べてる携帯食料を数種類」
確かに食べ物ではあるが、撹拌してペースト状にすればいいってものではない。
グローリアは心底嫌そうな視線を、目の前のスープ皿に注ぐ。
食べられるもので構成されているのは喜ばしいことだ。でも見た目からして、こう、言ってはいけないと思うのだが吐瀉物を想起させるので食べたくないのが本音である。
でも食べなければならない雰囲気に立たされているので、グローリアは覚悟を決めてスプーンをペースト状の料理もどきに突っ込む。少量をすくい、恐る恐る口に運んだ。
「……ざらざらする」
「美味しいッスか?」
「食べられなくはない。食べたくないけども」
グローリアは「もういいや」と食べることを止めた。これ以上は別の意味で気分が悪くなりそうである。せめて目隠しをすれば食べられなくもない微妙な味だが、そうまでして食べたいと思えない料理である。
不思議そうに首を傾げるスカイは「おかしいッスねぇ」などと言っていたが、この料理もどきに疑問を持たないとは恐ろしい。彼は食事をたびたび携帯食料で済ませてしまう阿呆なので、携帯食料こそ効率よく栄養を補給できる万能食品だとでも思っているのか。
その時、
「突撃、お昼ご飯の時間だよ!!」
学院長室の扉が蹴り開けられ、問題児の5人が駆け込んできた。しかも恐ろしいことに、何やら期待に満ちた笑みを浮かべている。
加えて、エドワードが湯気をこぼす釜を抱えており、ハルアは陶器製の丼を掲げ、ショウが紙製の箱を大事そうに抱きしめていた。もう何が何だか分からない。彼らの問題行動はいつだって予想が出来ない。
ユフィーリアは「お」とスカイの存在にも気づくと、
「副学院長もいたのか、お前も食ってけ!!」
「ボクには携帯食料があるんで」
「うるせえ、食わねえと殺すぞ」
「食べまーす」
そして流れるような暴言でスカイも引き摺り込んだ。ますます何を企んでいるのか分からなくなった。
ユフィーリアはハルアから渡された陶器製の丼に、エドワードから抱えていた釜から白米をよそう。どうやら白米は炊き立てのようで、食欲を唆るいい香りが鼻孔を掠めた。米粒は艶々と輝いているし、そのままでも十分に美味しそうである。
さらにユフィーリアがショウから手渡されたものは、生卵である。購買部でも販売されている卵だ。何を思ったのか、ユフィーリアはその生の状態の卵を丼に盛り付けた白米の上に落としたのだ。
「な、生卵ッ!?」
「卵って生で食えるものッスか? お腹壊しそう」
驚愕するグローリアとスカイをよそに、ユフィーリアは仕上げとばかりに発酵黒油を白米の上に落とした生卵へ多めに垂らして「完成!!」と宣言する。
料理上手なユフィーリアからでは考えられないほど簡素な調理手順だった。ここで煮たり焼いたりなどの過程はなく、ただ炊き立てのご飯の上に生卵を落として発酵黒油を垂らしただけである。ご飯があれば子供でも出来そうな料理だが、問題は生卵だ。
生卵を落とした丼をグローリアの前に置いたユフィーリアは、
「さあ食え!! お勧めは卵と米をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせる食べ方だな!!」
「ユフィーリア、君って何を考えてるの?」
グローリアは怪訝な視線をユフィーリアに送り、
「生卵を何もせずに食べさせるなんてどうかしてるよ」
「いいから騙されたと思って食え、グローリア。お前はまた飯を抜こうとしてるんだからそれぐらいなら食えるだろ」
ユフィーリアは「それに」と言葉を続け、
「その料理、お前の大好きな異世界伝統の1品料理だってよ」
「え、本当?」
ユフィーリアの言葉に、グローリアは瞳を輝かせる。
異世界の料理ならば実に興味深い。生卵を白米の上に落とした挙句、それをぐちゃぐちゃに掻き混ぜて食べるなど頭がおかしくなってしまったのかと疑いたくなるが、これが異世界の料理として有名ならば食べる価値はある。何せグローリアの常識が通用しない世界の食べ物なのだ。
同調するように、ショウが親指を立てて勧めてくる。
「お忙しい学院長にサラッと食べられるものをご用意しましたので、つべこべ言わずに食べてください。食わず嫌いはギロチンチョークの刑に処します」
「怖いな、分かったよ食べるよ」
それに、スカイが用意した携帯食料を撹拌してペースト状にした万能食品よりもマシである。あれを食べるぐらいなら生卵でも何でも食べた方が気分的にはだいぶいい。
グローリアは用意された木の匙を使って、生卵の卵黄を割る。薄い膜を破ると、ドロリとした黄色い液体が白米に染み込んでいく。ぐちゃぐちゃに掻き混ぜるのが美味しいと言っていたが、完全に混ざりきらない状態でグローリアは白米を口に運んだ。
しっかりと炊けた米に卵黄がよく馴染み、発酵黒油のしょっぱさも相まって美味しい。手放しで賞賛できるかと問われれば首を捻ってしまうが、子供でも簡単に出来る調理方法である程度の美味しさを確保できるのはいい料理である。
「美味しい、普通に」
「だろ!?」
ユフィーリアは「ところで」と視線をグローリアから移動させ、
「そのペースト状のそれは何だ?」
「スカイが自動調理で作った携帯食料混ぜ合わせスープ的な何か」
「へえ」
放置されたままになっているペースト状の料理もどきを見たユフィーリアは、その出来栄えを鼻で笑う。
「あれを作るんだったら自分で飯作った方がマシだな」
予想できていた回答に、スカイが「ちくしょーッ!!」と意味もなく悔しがるのだった。最初から負けているのに悔しがるとは何事だ。
《登場人物》
【グローリア】食にこだわりもなければ頓着もない、食べられさえすればそれでいい。ただ臭いが強烈なものは止めてほしい。
【スカイ】隙さえあれば携帯食料で栄養補給とするマッド発明家。ちゃんと食べる時は食べる。
【ユフィーリア】見た目から味までこだわり抜く料理人1号。ただし面倒くさがる時は面倒くさがるので、その時は既製品。
【エドワード】肉料理に於いては技術が突出している料理人2号。ただしやりたくない時は本当にやりたくないので、その時はユフィーリア任せ。
【ハルア】食べる専門。副学院長の作った料理は研究所にいた時に無理やり食べさせられたな。
【アイゼルネ】お茶汲み専門。腐っていない、あとは単純に体質的に食べられないものであればこだわりはないが副学院長のペースト料理は嫌だ。
【ショウ】食べる専門。食に飽くなき探究心を抱く異世界人なのでこだわりは凄いし、あらゆるものを食べようとする。