第5話【問題用務員と注射】
大戦犯野郎どものお説教である。
「お馬鹿なキノコを生やした馬鹿タレ問題児ども、今の気分はどうかな?」
「お前も馬鹿」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだって教わったよぉ」
「学院長って馬鹿なの!?」
「気分がいい訳ないじゃなイ♪」
「文句ばかりは一丁前だね」
逃げないように両手を縄で縛られ、ユフィーリアたち問題児は罪人よろしく学院長の手によってどこかに連行されていく。
朝食のホワイトシチューに謎キノコが混入されたことで、被害者は全校生徒のおよそ3分の2程度となった。頭や身体のあちこちからキノコを生やした生徒や教職員は縄で縛られて学院長の手によって連行される問題児の後ろに続いていた。誰も彼も表情が死んでいる。
学院長が向かう先は、さすがの問題児も予想が出来ない。保健室で魔法植物の毒性を消してもらう薬でも処方されるのかと思いきや、保健室とは真逆の方向を歩いているのだからもう予想がつかない。一体どこで何をされるのか。
ユフィーリアは縄で縛られた手首を示し、
「おいグローリア、一体どこに連れていく気だよ」
「コノコノキノコの毒性を身体から排出する為には、駆除剤を投与しなきゃいけないんだよ」
グローリアはそう言うと、とある扉の前で立ち止まる。
そこは『魔法工学実践室』とあった。魔法工学実践室ということは、副学院長のスカイ・エルクラシスがいるところだ。
何故だろう、物凄く嫌な予感がする。エロトラップダンジョンに叩き込まれるか、それとも副学院長お手製の魔法兵器の餌食になるのか分かったものではない。
顔を青褪めさせる問題児をよそに、グローリアは魔法工学実践室の扉を叩く。
「スカイ、準備できた?」
「もちろんッスよ」
扉を開けて姿を見せた副学院長のスカイは、意地の悪そうな笑みを見せると「よく来たッスねぇ」などと言う。
「じゃあ順番に並んで、はい。大丈夫ッスよ」
「副学院長、ユフィーリアを魔法兵器の実験やエロトラップダンジョンの犠牲者になさるおつもりですか?」
列整理をするスカイをジト目で睨みつけるのは、ユフィーリアの愛するお嫁さんであるショウだ。彼はコノコノキノコを混入したホワイトシチューを飲んでいないので頭からキノコを生やしていないのだが、ユフィーリアたちが心配でついてきてくれたのだ。
魔法兵器の実験台やエロトラップダンジョンの犠牲者にされるかと怪しんだショウは、炎腕を足元からワサワサと生やして副学院長に威嚇している。嫁に愛されて嬉しい限りだ。
スカイは「そんなことしないッスよ」と否定し、
「これから身体の中にいるコノコノキノコの胞子を駆除しなきゃいけないんスから、それどころじゃないッスよ」
「エロトラップダンジョンの魔法植物に頭から食わせるおつもりですか?」
「凄い勢いで疑われてるけど、本当にボクが普段からやってるようなことはしないッスから。エロトラップダンジョンも使わないし、魔法兵器の実験台にもしないッスよ」
「普段からやってる自覚はあるんですね」
ショウによる冷静な指摘を受けて、スカイは「うん!!」と元気よく答えた。
それにしても、魔法兵器の実験台にもしないしエロトラップダンジョンの犠牲者にもならないのであれば安心できる。スカイがやることと言ったらその辺りだと踏んでいたので、その2つの選択肢がなくなったらもう怖いことはない。
では駆除剤を投与とは何があるだろうか。魔法薬を服用するのはユフィーリアも苦手だが、やらなければ頭から間抜けなキノコが生えたままだと飲まざるを得ない。最終的にエドワードが押さえつけてでも無理やり飲ませてくるから開き直るしかない。
「じゃあ駆除剤はどうやって投与するんですか?」
「注射ッスよ」
スカイは「ほら」と言って、銀色のトレイを魔法工学実践室から持ってくる。
そこに並んでいたのは大量の注射器だ。おそらくホワイトシチューを食べてコノコノキノコの犠牲となった人数分はあるだろう。鋼色をした細い針がギラリと輝き、見る相手に恐怖を与えてくる。
注射器の群れを眺めたショウは、どこか安堵したように「何だ、注射か」と言う。注射に対する恐怖心はない様子である。注射に慣れているのだろうか。
ところが、問題児はそれどころではなかった。
「ちゅッ、ちゅうッ、注射ッ!?」
「あばッ、ばひゃッ!!」
「おべべべべべべ!!」
「きゃー♪」
「え、どうしたんだユフィーリア!?」
ユフィーリアは声をひっくり返し、エドワードは奇声を上げて威嚇をする。涙目のハルアはスパイダーウォークでその場から逃げようとするのだが手首を縄で縛られているので逃げられず、中途半端なスパイダーウォークでその場をガサガサと動き回るしか出来なかった。アイゼルネはいつものような声音で叫んでいるものの、エドワードをしっかり盾にして注射器から全力で目を逸らしている。
そんな問題児の反応を目の当たりにしたショウが、戸惑ったように「ユフィーリア、大丈夫か?」などと聞いてくる。それどころではないのだ。注射器を出されたら、さしもの問題児も慌てるしかない。
そんな慌てふためく問題児に、グローリアは呆れた様子で言う。
「いい大人なんだから注射ぐらい怖がらずに受けなよ」
「怖いに決まってんだろうが!?」
「だって注射だよぉ!? 痛いじゃんねぇ!!」
「助けて!!」
「何でわざわざ痛い思いをしなきゃいけないのヨ♪」
コノコノキノコの餌食になったユフィーリアたち問題児は、平気そうな口振りで言うグローリアに涙目で訴えた。
そう、問題児は注射が嫌いである。針は痛いし、刺される前の恐怖心は凄まじいし、注射に対していいことはない。人類誰しも注射は嫌いである。
駆除剤を投与するという話を聞いた時点で魔法薬が思い浮かぶが、注射は受けたくないが為に選択肢から除外していた。絶対に嫌である、誰が何と言おうと嫌なものは嫌だ。
ショウは不思議そうに首を傾げると、
「ユフィーリア、注射が嫌なのか? それほど痛くないだろう?」
「痛いよ!?」
不思議そうにするショウに、ユフィーリアは即座に否定した。
「注射は痛えんだよ、ショウ坊!!」
「そんなに痛くないぞ、ユフィーリア。痛いのも一瞬だし」
「痛いって!!」
「痛くない」
「注射は痛い!!」
ユフィーリアは子供のように「注射は痛いものだ」と駄々を捏ねる。
「そりゃショウ坊は過去のあれやそれが原因で注射の痛みなんか屁の突っ張りでもないんだろうけど!!」
「そんなことないぞ、ユフィーリア。確かに注射は痛いし、俺も嫌だとは思うが――」
ショウは真剣な表情で、
「注射よりも親知らずを抜く方が遥かに痛い」
「おやしらず」
「俺が生活していた元の世界では回復魔法も治癒魔法も発達していないから、親知らずという歯が生えてきた時には抜く必要があるんだ。時に歯茎を切開して抜歯する必要があるらしい」
ショウは「俺は生えていないから痛みは知らないんだがなぁ」と笑っていた。
痛みを知らないながらも体験したかのような口振りで語れるのは、身近で親知らずなる歯を抜いた人物がいるのだ。そういえばショウの元々いた世界は魔法が存在せず、医療が発展しているので怪我や風邪などは医療に頼るものだと言っていただろうか。
歯を抜くにしても魔法を使うユフィーリアたちとは違って、歯を抜くことも魔法を使わずに医療に頼るショウからすれば多少の痛みは平気なのだろう。涙が出てきちゃう。
ショウはユフィーリアの背中を押し、
「だからユフィーリア、注射の痛みよりも歯茎を切り開かれる方が痛いんだから大人しく注射を受けた方がいい。注射は一瞬で終わるんだから」
「いやいや待て待て待て、それとこれとは話が違うだろ!?」
ショウに背中を押されるまま魔法工学実践室に連れ込まれたユフィーリアは、小さな丸椅子に座らされる。
対面にいるのは注射を構えたスカイだ。消毒役としていつのまにか脱脂綿を構えたリリアンティアの姿もある。もう逃げられない。
泣きそうな表情でショウを見上げるユフィーリアは、
「ショウ坊、やだ……お願いだから見逃して……」
「うーむ、仕方がないな」
ショウは「こっちを向いてくれ、ユフィーリア」と言う。
振り返ると、真剣な光を宿した最愛の嫁の赤い瞳がユフィーリアを真っ直ぐに射抜いていた。その赤い瞳で見据えられると、不思議と緊張感が増す。
ゴクリと唾を飲み込むユフィーリアの頭を、ショウの両手が支えた。まるで耳を塞ぐような形になるのだが、声が完全に聞こえなくなった訳ではない。
「ユフィーリアにいい話を聞かせてあげよう。白内障の手術の話だ」
「はくないしょう」
「歳を取ると眼球が白く濁って、見えにくくなってしまう病気があるんだ。果たしてこの世界にも同じような病気があるのか不明だが、俺の元いた世界で白内障の病気になってしまうと当然ながら手術をしなければならない」
ショウは穏やかな口調で、
「その白内障の手術はひどく有名な話でな、目薬の形の麻酔をかけて感覚をなくしてから眼球に切れ込みを入れるんだ」
「ひえ」
「だから外から見れば、眼球が開いている中に刃物を突き立てて」
「ぴや」
もう聞けば聞くほど別の場所が痛くなってくる。
白内障など知らない病だが、そんな病に罹ったところで回復魔法とか治癒魔法で完治である。その世界で生きてきたユフィーリアにとって、眼球に刃物を突き立てて切れ込みを入れるなどという医療の話は想像できないほど恐ろしい話だ。
顔を青褪めさせるユフィーリアはショウの話から逃げられずに涙目で聞かされることになっていたのだが、
「はい、ユフィーリア。終わったッスよ」
「え?」
「お疲れ様です、母様」
「は?」
スカイとリリアンティアの2人から労われ、ユフィーリアは目を瞬かせる。
いつのまにかユフィーリアの二の腕には、注射の痕跡が残されていた。痛みもなかった、むしろ精神的にそれどころではなかったので痛覚を遮断していた節さえある。
注射が終わると同時に、ショウはユフィーリアのことを解放する。「お疲れ様だ、ユフィーリア」なんてとびきりのいい笑顔で言っていた。
これはもしかしなくても、注射に悟られないようにする為の罠だったのではないか?
「ショウ坊?」
「次はエドさんだな、怖い話はまだまだあるぞ」
「ショウ坊、自分が受けないからって楽しんでるか?」
「まさか。俺も心を鬼にして注射に協力しているんだ、ユフィーリア」
清々しいほどの笑顔を浮かべたショウの手によって、問題児は強制的に注射を受ける羽目になるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】相手の尻に注射をするのは得意だし好きなのだが、自分に注射されるのは好きじゃない。予防接種とか苦手、注射をすると若干腕が腫れる。
【エドワード】注射は嫌い、筋肉のせいで刺さらないから太い奴を用意されるから。
【ハルア】昔だったら点滴とか採血とかで慣れていたし感情がなかったのでよく分からないまま刺されていたが、今では「注射は痛い」と学んで拒否するようになった。
【アイゼルネ】薬物を投与して狂った同僚の姿を見てきたし、その姿を思い出してしまうので注射は嫌。
【ショウ】注射は別に平気。予防接種とか、学校で受けていたので慣れた。
【グローリア】注射は平気。痛いけれど、魔法の実験を失敗して怪我をする時の痛みと比べると別にそこまででもない。
【スカイ】朝食の会場に行かずに携帯食料で朝食を済ませたら阿鼻叫喚の地獄絵図になったようで、その場にいればよかったなと後悔。一応、医療の資格は持っているので注射は出来る。
【リリアンティア】朝食は会場にいたけれど、ホワイトシチューを食べていなかったので被害を免れた。