第5話【学院長とおじさん妖精】
「嘘よ!!」
真実が語り終わると同時に、アニスタ教のニーナ・フルハウンドは激昂した。
「この可憐な美少年が、魔女ですって? そんなことあり得ません、歴代で捧げてきた花嫁の中で最も美しい彼が!?」
エドワードの口から真実が語られてもなお、ニーナは信じる気配がない。
アニスタ教からすれば由々しき事態なのだろう。見た目だけなら可憐な美少年が、実はその中身が名門魔法学校の創立当初から阿呆な問題行動ばかり引き起こしている問題児筆頭だとは誰も思うまい。中身をちゃんと精査せずに連れて攫ってきてしまうと、アニスタ教は見た目しか重要視しない阿呆の集団ということになってしまう。
そうなると対策も可能だ。アニスタ教が狙うだろう美少年に片っ端から変身魔法や幻惑魔法を使えば、見た目だけ誤魔化すことが出来るようになる。信者たちは見た目だけしか重要視していないから、見た目が美少年なら誰でもいいと言うことになってしまうのではないか。
ヤケクソ気味に笑ったニーナは、
「彼をアドニス様に捧げれば、アドニス様は必ずやお迎えに来てくださいます。神は全て見ているのです!!」
そう言って、ギロチンの刃を繋ぎ止めている縄を魔法で焼き切った。
ギロチンにはすでに、ショウ(の姿をしたユフィーリア?)が木製の首枷を嵌めた状態で待機している。ギロチンの刃が解放された以上、その鈍色に輝く刃は真っ直ぐに落ちて彼の首を胴体から切断してしまう。
誰もが息を呑んだ。あの大胆不敵に笑う問題児筆頭は抵抗する素振りすら見せずに膝をついている。刃が彼女の首を断ち切るまで、もう数秒とない。
「ユフィーリア!!!!」
ユフィーリア(の姿をしたショウ)の絶叫が聖堂内に響き渡る。
ギロチンの刃は、ついに膝をついたショウ(の姿をしたユフィーリア?)の首を断ち切った。重力を伴って落下した鋭い刃は、いとも容易く神々の花嫁として捧げられた生贄の首を落とす。
ただ不思議なことに、血は出なかった。刃がショウの首を断ち切った時に飛び散ったのは、真っ赤な血潮ではなく鳥の羽である。胴体から切り離されたショウの首は処刑台の階段をコロコロと転がってきて、グローリアたちを取り囲む騎士の足元に当たってようやく止まる。
表情の抜け落ちたショウの首は、どうやら枕で作られている様子だった。切断面から溢れる鳥の羽と綿がその証拠である。
「は――」
呆然とするニーナの前に、それは唐突に出現した。
――ハーレルヤー、ハーレルヤー!!
荘厳な音楽がどこからともなく流れてくると、朝日が降り注ぐ天窓から一条の光が差し込んでくる。
キラキラと輝く黄金色の光は処刑台のニーナを包み込み、何かが迎えに来るように光の柱から降りてきた。その光景は天使が信者を迎えに来たかのような宗教画に相応しい景色だが、その天使の姿を見た誰もが我が目を疑った。
頭頂部のみが禿げ散らかった、中年男性によく見られる頭髪。口の周りの青髭。着回しすぎてヨレヨレになった肌着と縦縞の下着という「何でその学校で外を歩けるのか?」と疑問に思える服装。極め付けに、頭にはチカチカと光る輪っかと作り物の天使の羽根というごっこ遊びとも受け取れるおかしな装飾。
どこからどう見てもおっさんが休日のリラックスモードスタイルの状態で、天使の格好をしながらニーナを迎えに来ていた。何を言っているのか分からないが、グローリア自身も今目の前で起こっている出来事が全く理解できない。
おっさんの天使は何と複数人でニーナを取り囲むと、
「嫌あああああ!? 何よこれぇッ!?」
ニーナの絶叫がこだまする。
ふざけた天使の格好をした謎のおっさんどもは、ニーナの周囲をぐるぐると回り始めたのだ。それはそれは、楽しそうな満面の笑みで。
弾けるような笑顔を浮かべておじさんが自分の周囲をぐるぐると回り始めたら、悲鳴を上げるのは必然的である。もはや悪夢のような光景を、七魔法王を始めとしたその場の全員が目撃することになってしまった。反応に困る。
やがてニーナを取り囲んでいたおっさんどもは、用事は済んだとばかりに光の柱を昇っていく。天使が信者を天界へ連れ帰るような風体だが、実際にはニーナを取り囲んでいただけである。
「何よこれ……」
おっさんに取り囲まれるだけ取り囲まれ、ニーナはワナワナと震えていた。
「何よこれ!!!!」
ぐったりと処刑台の上で転がるショウの残された胴体部分を蹴飛ばして、ニーナは怒りを露わにする。やはり胴体部分は枕か、もしくは布の塊を利用していたようで鳥の羽や綿が飛び散った。
アニスタ教に於ける重要な儀式『神々の花嫁』が、まさかの展開を迎えたのだ。ただただおっさんが教祖様を取り囲んでマイムマイムするだけの結末など誰が想定しているだろうか。教祖様も想定していないだろう、こんな愚かな儀式など。
全てを眺めていたグローリアは、儀式が失敗したことで怒るニーナに自分の見解を述べる。
「今のはおそらく『おじさん妖精』だと思うよ。珍しい妖精で、幸福の化身なんて呼ばれてるんだ」
「あれが幸福とか冗談でしょぉ?」
「悪夢の間違いじゃないの!?」
グローリアの説明に、エドワードとハルアが訝しんだ様子で返す。
だが、実際に妖精の界隈ではそう言われているのだ。幅広い分野に精通するスカイやルージュもまた「吉兆の証って言われてるんスよ」「おかしな見た目をしていますが、幸せを運んでくれると有名ですの」と頷いていた。
おじさん妖精とは見た目こそ中年のおっさんの姿をしているのだが、滅多に人前には現れず目撃すれば幸福を運んでくれるのだ。事実、おじさん妖精を目撃した貧しい家庭のもとに大金が転がり込んで幸せな生活が送れるようになったという報告もある。妖精に精通している魔女や魔法使いに話せば吉兆の証として羨ましがられることだろう。
ただ、おじさん妖精が出現した状況が謎である。こんなの誰も幸せにならない――というか幸せを運ぶ気などないことが嫌でも分かるのに、一体誰の為の幸福を運んできたのか。
「どうでもいいわよ、そんなこと!!」
ニーナは頭を抱えて叫ぶと、グローリアたち七魔法王を睨みつけた。
「誰がやったの!? 誰かが『神々の花嫁』の為に用意した魔法陣を改造したんだわ!! 誰がやったのか吐けえッ!!」
「僕たちを疑っているようだけど、そんなことしてないからね」
グローリアはニーナの疑いを全面的に否定する。
もちろんアリバイはある。グローリアは七魔法王全員で学院長室に詰め、連れ攫われた生徒の特定などに忙しく動き回っていたのだ。残念ながらアニスタ教の本拠地に転移魔法で出向いて儀式用の魔法陣を改造し、そのまましれっとヴァラール魔法学院に戻ってから何食わぬ顔でここにいるという面倒なことなど進んでやらない。魔法の知識だけはあるが魔法を使うことが出来ないキクガも同様に魔法陣の改造など出来やしない。
では残りとして考えられるのが問題児の面々だが、問題児筆頭以外は魔法陣の改造など出来るはずもないので当然ながら犯人として数えられない。犯人として真っ先に名前が上がる最有力候補の彼女は現在、誘拐されている真っ只中なのでもう完璧に犯人が誰なのか明らかだった。
その事実があるにも関わらず、ニーナは「知らないわよ!!」と甲高い声で叫んだ。
「あんたか!? そんなことを言うんだからあんたでしょう!?」
「だからやってないってば」
「嘘をおっしゃい!! ご高名な魔法使いだもの、魔法陣の改造ぐらい簡単よねぇ!?」
「話を聞かないな、この教祖様」
呆れたように肩を竦めるグローリアの態度が気に食わないのか、さらにニーナは金切り声を上げた。
「あんたよ、絶対あんたがやったんだ!! 許さないから、絶対に許さないんだかむぁ」
グローリアが犯人だと決めつけるニーナの横から指が伸びて、彼女の頬をぶにっと押す。そのせいで言葉が変な風にくぐもり、何だか情けない響きになってしまった。
「犯人は誰かって?」
涼やかな印象を受ける少年の声が、聖堂内に落ちる。
いつのまにそこに立っていたのだろうか、黒く染まった祭服を身につけた少年がニーナへ笑顔を向けていた。艶やかな黒髪は丁寧に梳られ、紅玉の如き色鮮やかな瞳には今の状況を楽しんでいる愉悦の感情が乗せられている。まるで友達にでも悪戯をするかのように、少年は白魚のような指先でぷにぷにとニーナの頬を突いて遊んでいた。
真っ黒な祭服は、よく見るとアニスタ教の信者が身につけているものと同じ形をしていた。おそらく魔法を使って色を変えたのだろう。身長に合わせて丈も調節しているようで、彼の身長に合致していた。
誰もが唐突に現れた少年へ注目する中、彼は悪魔のような笑みで少女めいた顔立ちを歪めながら言う。
「ア・タ・シ♡」
ニーナの顔が引き攣る。その表情が見たかったと言わんばかりに、少年の可愛らしい顔立ちがますます歪んだ。服装も相まって、まるで悪役のようである。
「あーははははははは!! おいおい間抜けな教祖様、見た目に騙されてまんまと嵌まってくれてあーりがーとよー!! アタシの大事の嫁を狙ってたみたいだから、お礼に大事な儀式を台無しにしといたぜ!!」
少年は舞台俳優のように両腕を広げ、
「さあ諸君、待たせたな!! さっきのおっさんの舞は楽しんでいただけたか? 見た目はご覧の通りの可憐な美少年、中身は稀代の天才魔女。そう、我こそは――!!」
ピースサインを作り、可愛らしく片目を瞑った少年は高らかにその名前を口にする。
「ヴァラール魔法学院の主任用務員、ユフィーリア・エイクトベルちゃんだ・ゼ☆」
――聖堂内に、沈黙が降りた。
それはそうである。グローリアからすれば「ああ、だろうな。やっぱりそうか」という感想しか出てこない。何せこっちは真相をすでに知っているのだ。驚きも何もない。
他の人物も反応に困っている様子だった。スカイはどんな反応をすればいいのか視線を彷徨わせ、ルージュは失笑し、八雲夕凪は「はて?」と首を傾げるだけである。リリアンティアはまだ混乱しているのか、ユフィーリアに変身したショウとショウに変身したユフィーリアの2人に視線を交互に移動させていた。
そしてその場で最も怒っていたキクガは、
「……仕事のしすぎか、疲れているのだろうか」
「キクガさん、正気に戻って。あれは見た目だけショウ君だけど、ショウ君に変身したユフィーリアなんだよ」
我が息子が絶対にやらないだろうポーズを決めた瞬間に立ち会い、現実逃避をし始めたキクガをグローリアは揺さぶって正気に戻す。現実逃避をされたらたまったものではない。
ショウに変身中のユフィーリアは、自己紹介が華麗に事故を起こしてしまったことに対しても冷静だった。スッと何事もなかったかのように表情を戻し、そして何故か拳を握る。
半身を捻り、赤い瞳で狙う先にいるのは呆然と立ち尽くしているニーナだ。ニーナ本人もまだ現実が認識できていないようで、顔を引き攣らせたまま動かない。
そんな彼女に、可憐な美少年の皮を被った問題児筆頭がしたことは1つだけだ。
「おンらぁ!! 見てんじゃねえよ、ショウ坊の可愛さが半減するだろうが!!!!」
「ほげえッ!?!!」
一切の容赦なく問題児筆頭はニーナの顔面をぶん殴り、聖堂の端まで吹っ飛ばした。
《登場人物》
【グローリア】予想通りの展開で白目を剥きそう。真相を知っていたから驚きは少ない。
【スカイ】よくあの希少な妖精を呼べたなぁ。
【ルージュ】ショウの人となりを知っているので、外見と中身が伴っていないからどう反応していいのやら。
【キクガ】息子らしくない立ち振る舞いでようやく中身が義娘だと理解するも、一方で仕事のしすぎによる幻覚症状ではないかと思い込む。
【八雲夕凪】あの可愛い顔で悪魔のような笑みは似合わんのう。
【リリアンティア】ショウの顔をしながらまるでユフィーリアのように振る舞う相手に戸惑いが隠せないのだが、残念ながら中身がユフィーリアである。
【ユフィーリア】中身がショウ。生真面目な性格のせいで美女要素を遺憾無く発揮。
【エドワード】あの魔女が大人しく死ぬとは思えないんだよなぁ。
【ハルア】さっきのおじさん妖精、この前購買部で見かけたなぁ。そのあとタイムセールが始まってお目当ての新作購買部スイーツがお安く手に入ったのでラッキー。
【アイゼルネ】吉兆の証ということは知っているが、誰のための吉兆を示しているのか。
【ショウ】中身はユフィーリア。重要な儀式をぶち壊した問題児筆頭。