第3話【学院長と聖堂】
正面玄関を抜けると、開けた庭と夜明けの空を貫かんばかりに高い石塔が出迎えてくれた。
「アニスタ教本拠地の建物にいるか、それともあの石塔にいるか。どっちだと思う?」
「両方爆破」
「キクガさんって殴れば正気に戻ってくれる?」
赤い瞳に剣呑な光を宿して石塔を見上げるキクガに、グローリアは呆れたような口調で言う。
あれから凄まじい戦いっぷりを見せたキクガは、敵として立ち塞がる信者を軒並み葬り去った。武器を捨てて命乞いをしてきた信者にさえ容赦なく、情けもくれてやることなく脳天を弓矢でぶち抜いて殺していた。順調に屍を積み重ねていくその様は、まさに悪鬼羅刹のようだと評価してもいいぐらいである。
未だ愛息子を誘拐された恨みが原動力となっているのか、明らかに重要な施設のような見た目をした石塔から視線を外すことはない。彼はおそらく、この石塔に息子が囚われていると思っているのだろう。
すると、
『ようこそ、野蛮な侵入者の皆々様』
嫋やかな印象を与える女性の声が、どこからともなく響き渡った。
肌で感じ取ることが出来る雰囲気で、グローリアは相手が拡声魔法を使用していると判断した。なるほど、どの程度の魔法の知識を有しているか不明だが拡声魔法を使うぐらいの腕前はあるということか。
姿が見えないのに声だけが聞こえてきたので、リリアンティアとハルアが分かりやすく驚きを露わにしていた。リリアンティアは王笏のような見た目をしたメイスを、ハルアは真っ黒なつなぎに数え切れないほど縫い付けられた衣嚢から黄金に輝く剣を引っこ抜いて構える。下手をすれば石塔を吹き飛ばしかねない。
グローリアは石塔を見上げて、
「もしかしてアニスタ教の教祖様かな。石塔にいる?」
『ええ。これから我々アニスタ教にとって重要な儀式が待っていますもの』
教祖を名乗ったその女性は『そうだわ』と明るく弾んだ声で言う。
『どうせなら儀式を見学されてはいかがでしょう? 七魔法王の皆様も、この儀式を目の当たりにすればあまりの荘厳さに心を奪われることに違いありません』
どうやら、グローリアたちが七魔法王であることを知っていたようだ。その上でこれから執り行われる重要な儀式の見学を提案してきた。頭がおかしいのではないかと思ったが、宗教を広めていくには有名な魔女や魔法使いに協力を仰ぐのは常套手段だ。広告塔ぐらいになれば多くの信者を望むことが出来る。
重要な儀式ということで思い当たる節は、アニスタ教特有の儀式である『神々の花嫁』だろう。つまり、花嫁として神々に捧げられる生贄の選定が終わったのだ。生徒が選ばれたか、もしくはユフィーリアの最愛の嫁の方が選ばれてしまったのか定かではない。
教祖の女性は『それはいい案だわ』と言い、
『絶対に分かってくれるはずですもの。この儀式がいかに素晴らしいものか、偉大な魔女様と魔法使い様ならご理解いただけるでしょう』
教祖の女性は『聖堂の扉を開けてちょうだい』と誰かに向けて命じる。
すると、敷地内の中央に聳え立つ石塔の影から、2人組の人影が飛び出してくる。華奢な身体つきと、まだあどけなさの残る顔立ちが特徴的な少年たちである。長く伸ばされた金色の髪は艶やかで、丁寧に櫛で梳かれており、まるで硝子玉のように光の差さない眼球はまるで人形のようだ。
フリル付きの襯衣とサスペンダー付きの洋袴を身につけた姿は金持ちのご子息のようにも見えるが、やはり生気のなさは人形を想起させる。アニスタ教が管理している少年たちだろうか。美少年が好きな神様を崇めているだけあって、何と非道なことをする。
その2人は石塔の扉を塞いでいた閂を外し、両開き式の扉を左右から開ける。重たい音を響かせながら、グローリアたちの前に進むべき道を示した。
『さあどうぞ、野蛮な七魔法王様。お入りくださいな』
開け放たれた扉の向こうで待ち構えているのは、天まで続くほど長い螺旋階段である。人1人がようやく通れるほどの階段の幅で、これを上るには相当な体力が要求されそうである。
グローリアは少しだけ下がり、石塔の高さを確認した。
夜明けの空を貫かんばかりに伸びる石塔はかなりの高さを有しており、地上から螺旋階段だけを使って最上階に至るのは、普段から魔法の研究ばかりしている運動不足な魔女や魔法使いには地獄でしかない。勘弁してほしい。
遠い目をするグローリアは、
「転移魔法は……」
「何をしているのかね、早く行く訳だが」
「ええー……」
普通に長い螺旋階段を上り始めてしまったキクガとリリアンティア、そして問題児の背中を追いかけてグローリアもまた階段に挑むのだった。
☆
螺旋階段に目を回しそうになりながらも、ようやく最上階に辿り着いた。
「げほッ、ごほッ」
「あー、走馬灯が見えるッス……」
「ドレス姿で上るのは少々きついんですの……」
「身体が……尻尾が重いんじゃあ……」
「情けない訳だが」
「運動不足をどうにかすべきではないのでしょうか?」
長い螺旋階段を上り終えたグローリア、スカイ、ルージュ、そして八雲夕凪は疲労のあまり床に座り込んでいた。それを可哀想な目線で見つめてくるのは七魔法王の中でも比較的動くことが出来るキクガとリリアンティアの2人である。
問題児は、到達した石塔の最上階の光景に目を奪われているようだった。しきりに周囲を見渡して、瞳を瞬かせている。訪れない場所だからこそ、目新しさがあるのだろう。
石塔の最上階に置かれた聖堂は、それは見事なまでに荘厳な空気が漂っていた。天井に嵌め込まれた硝子絵図が朝日を取り込んで円形の聖堂内に極彩色の光を落とし、石造りの壁には槍と盾を掲げた毛むくじゃらの男の宗教画が飾られている。数多の屍を踏みつけたその男こそ、アニスタ教が崇拝する『戦神アドニス』だろう。
そして何より特徴的なものは、部屋の中央に設置された処刑台だ。三角錐の頂点を切り取ったような台座には四方から上れるように小さめの階段が設けられ、その上にギロチンが鎮座する。あのギロチンで生贄の首を刎ねれば儀式が完遂となるのだろう。
そして、問題の教祖様はギロチンのすぐ脇でグローリアたちを睥睨していた。
「ようこそ、アニスタ教の聖堂へ」
アニスタ教の教祖様は、純白の祭服に金色の装飾を身につけた女性である。栗色の髪を靡かせ、蜂蜜のような琥珀色の双眸を恍惚と輝かせた妙齢の女だ。祭服の上からでも妖艶な肢体の線が浮き彫りとなっており、美少年好きとして有名な戦神アドニスを崇める信者にしては適していない身体をしていると言えよう。
極彩色の光を一身に浴びるその女は、桜色のふっくらとした唇を持ち上げて優雅に笑う。その佇まいは良家のお嬢様と言っても過言ではないだろう。
女は笑顔でグローリアたちを迎え入れ、
「初めまして、アニスタ教の教祖であるニーナ・フルハウンドと申します」
「息子はどこだ」
アニスタ教の教祖――ニーナ・フルハウンドに弓矢を向け、キクガは淡々と問いかける。
「今すぐ彼を解放しなさい。代役を望むのであれば私が務める訳だが」
「まあ、ご冗談を」
生贄の交代を申し出るほどの理性を取り戻しているキクガだったが、彼の提案はニーナによって一蹴されてしまう。
「どこかで見覚えのあるお顔だと思えば、そうですね。今年の花嫁に選ばれたあの子と同じ顔をしています。あの子は紛れもなく美少年でしたが、あなたは違うでしょう? 些か年を重ね過ぎています」
「息子とは同じ顔な訳だが。まだ少年と見紛えるほどではないかね?」
「キクガさん、見苦しいから止めなよ」
ようやく螺旋階段を駆け上がった疲労感から回復したグローリアは、息を整えてゆっくりと立ち上がる。それから懐中時計が埋め込まれた大鎌から純白の表紙をした魔導書の形態に戻し、
「教祖のニーナさん、連れ攫った生徒はどこにいるの?」
「今年の花嫁と比べて容姿が見劣りするので放置していたらいなくなっていましたね。それが?」
キョトンとした表情で首を傾げるニーナ。
放置していたらいなくなっていた、ということは自力で脱出できたのだろうか。そうだとすれば残りはショウを助けるだけの段階である。
連れ攫われた生徒が危険な目に遭わなければ、グローリアも目標は達成だ。あとはショウを助けて終わりにすれば大団円だ。
その時、
がらーん、ごろーん。
荘厳な鐘が聖堂どころか、アニスタ教本拠地を揺るがす勢いで鳴り響く。
ニーナは極彩色の光が降り注ぐドーム状の天井を見上げ、恍惚とした笑みを見せた。その笑みを見たグローリアは嫌な予感を覚える。
まさかとは思うが、あの鐘の音は儀式の合図ではないのだろうか。このままではショウが生贄として処刑されてしまう。
頭の狂った教祖の暴挙を止めるべくグローリアは魔導書に手を翳すが、横から突き出された棍棒がグローリアの脇腹を思い切りぶっ叩いてきた。あまりの痛さに膝から崩れ落ちる。
見れば、銀製の甲冑を身につけた集団がグローリアたちを取り囲んでいた。その手には棍棒や槍、剣などを構えており、いつでもグローリアを殺すことが可能だと言わんばかりの態度で立ち塞がる。
ニーナは居住まいを正し、
「さあ、時は来ました。儀式を始めましょう」
ニーナの呼び声によって、誰かが甲冑を身につけた騎士によって引き摺られてくる。
艶やかな黒い髪、光の差さない赤い瞳。表情の抜け落ちた少女めいた顔立ちと、花嫁が着る見事なウェディングドレス。花束を持たされた華奢な両手には厳しい手枷が嵌め込まれており、その自由を完全に奪われていた。
アズマ・ショウ――問題児筆頭の大事なお嫁さんだ。何かの魔法をかけられているのか、彼はグローリアたちの存在に気づいていない。
ショウはニーナの配下である騎士によって、断頭台まで引き摺られる。鈍い光を発するギロチンの前に膝を突かされ、細い首に木製の拘束具が嵌め込まれた。
「ショウ君!!」
「ショウ!!」
「ショウ様!!」
グローリア、キクガ、リリアンティアの口から悲鳴じみた声が飛び出る。飛び掛かろうにも騎士が邪魔をしてくるし、魔法も横から飛んでくる棍棒によって叩かれて強制的に終了させられた。
このままでは本当に、ショウはアニスタ教の儀式の犠牲となってしまう。そんなことをすれば、今度こそこの銀髪碧眼の魔女が壊れてしまうはずだ。世界すら滅ぼすことだってしかねない。
ニーナがギロチンの刃を繋ぎ止める縄に手をかけた時、その声はようやく誰もが認識することとなった。
「違う……違う!!」
叫んだのは、エドワードの背後に隠れていたユフィーリアだった。
彼女は青い瞳からボロボロと涙をこぼし、必死に「違うんです、違う」と訴えてくる。その言葉の意味が理解できない。
ただ分かるのは、その態度はいつもの飄々とした彼女では見ることの出来ない類のものだった。涙を流すような場面なんて滅多にないし、弱々しい姿も、エドワードの背中に隠れる仕草も、ハルアに背中を支えられることもない。
まるで、ユフィーリアの真似をした別人のような――。
「俺は……俺は、ユフィーリアじゃないんです」
大粒の涙をこぼしながら、ユフィーリアは自らの存在を否定した。
《登場人物》
【グローリア】階段を上りたくないので単位魔法ばっかり使っているから体力がなくなるんだ。なので多少のウォーキングはするようになったけど、やっぱり体力はない。
【スカイ】部屋から出ないのでやっぱり体力はない。最近、ショウに言われて筋トレ道具を作ってやってみたら筋肉痛を引き起こして起き上がれなくなってしまった。
【ルージュ】図書館から出るとしたら買い物ぐらい。転移魔法はそこそこの頻度を使うので体力はマシな方。力はないので紅茶のカップより重たいものが持てないと言ったらユフィーリアから冷ややかな目で見られた。
【キクガ】元獄卒なので身体能力には自信があるものの、加齢によって体力に自信はない。でもちゃんと鍛え直して体力を作ってきた。「息子の代わりになれるのではないか」という考えのもと、自らを自信満々に美少年扱いをするのは天然を通り越してトチ狂っている。
【八雲夕凪】体力無くなってきたのう……どう運動しようかのう……?
【リリアンティア】農作業のおかげで体力お化け。階段も何のその。
【ユフィーリア】衝撃的事実を告白。
【エドワード】長い螺旋階段だって何のその。
【ハルア】美少年ならオレは? オレは??
【アイゼルネ】ハルアがショウの代わりになれるのではないかとソワソワしているのを見て引っ叩いた。