第2話【学院長とアニスタ教本拠地】
アニスタ教の本拠地は、レティシア王国から離れた森の中にあった。
「ここがそうだね」
「そうッスね、アニスタ教を象徴するシンボルも掲げられてるッス」
七魔法王と問題児が訪れた先は、白を基調とした建物と夜明けの空を貫かんばかりに高い石塔が特徴のアニスタ教本拠地である。
建物は高い石塔をぐるりと取り囲み、まるで円を描くように設置されている。例えるならば重要拠点を守る為の城壁である。その理屈で言えば敷地内の中央に聳え立つ石塔こそが、アニスタ教にとって最も重要な設備であると強調していた。
正面玄関の前に立つグローリアは、槍と盾を構えた上半身裸の男の紋章が掲げられた両開き式の扉を見上げる。あの金色に輝く紋章がアニスタ教の紋章か。
「ここに大半の信者がいるの?」
「修行施設みたいですの。ここで信者は伝道師として修行を積み重ね、それから世の中に出て伝道師として働くみたいですの」
「え? 押し売りみたいな広め方を修行してるの? ますます廃止した方がいいんじゃない?」
「それが出来たら苦労しませんの」
ルージュはやれやれと言わんばかりに肩を竦める。確かに、何度もルージュ経由で裁判所から解散命令を出しても新しい場所で興る宗教なので、もういっそのこと第七席【世界終焉】であるユフィーリアに宗教の終焉を与えてもらうか検討してもいいかもしれない。
グローリアは、チラと背後を見やる。
集団の最後尾に控えた問題児どもは、普段のうるささが嘘のように大人しい。それはおそらく彼らを率いる魔女が、借りてきた猫の如く静かだからだ。今もなお、エドワードの背中にピッタリと張り付いて出てこない。
「ユフィーリア、平気? これから君のお嫁さんを助けに行くけど……」
「…………」
エドワードの背中からひょこりと頭だけ出したユフィーリアは、無言で頷いた。「平気だ」と表現しているのだが、いつものような軽口がないと調子が狂ってしまう。
「ねえ、あれ本当に大丈夫かな。来る時もエドワード君が無理やり引きずってきたよね?」
「いやまあ、大丈夫なんじゃないッスかね。今は自分の足で歩いてるし」
「どうかなぁ……」
スカイの軽すぎる反応に、グローリアはますます心配になる。
理由は簡単だ、この中で最も強いのがユフィーリアである。彼女の身体能力は七魔法王の中でも頭1個どころか2個も3個も飛び出すほど優れており、物理攻撃と魔法を組み合わせた戦い方は後にも先にも彼女しか出来ない離れ業だ。
そんな彼女が戦えないと言われれば、グローリアも作戦を変えざるを得ない。ユフィーリアを囮のようにして好き勝手に暴れてもらっている隙に信者によって連れ攫われた生徒と、もし脱出していなければショウも救ってついでにアニスタ教の本拠地も爆破する手筈なのに。
早くも作戦に支障が生じそうな未来を予知するグローリアだったが、破綻は意外にも早く訪れた。
「ここを開けろ、全員殺してやる。信者は全て名前と住所と生年月日その他諸々の記録は頭の中に叩き込んだ訳だが。冥府から君たちの死神が来たぞ」
「ちょっとキクガさん!? 何してるの本当に!?」
ピタリと閉ざされたアニスタ教本拠地の正面玄関をガンガン蹴飛ばしながら叫ぶキクガを、グローリアは扉から引き剥がす。
足底でしっかり扉を蹴り付けて恫喝するような素振りは、もはや堅気の人間には見えない手慣れっぷりだ。キクガの知らない一面を目撃してしまったような気分である。主に嫌な面で。
キクガはキョトンとした表情で振り返り、
「何とは?」
「嘘でしょ、恫喝していた自覚がない!?」
「恫喝をしていた訳ではない訳だが」
「絶対恫喝でしょあれは!?」
「いいや、恫喝ではない」
首を横に振ってしっかり否定したキクガは、
「あれは確定事項な訳だが。恫喝などではなく、ただの送迎な訳だが?」
「いやあれは本当に恫喝――ていうか送迎!? 本気で全員冥府に持っていくの!?」
あんなやり方が送迎と呼べるだろうか。本当の意味での恫喝と取られても過言ではない。だが、我が子を誘拐されて冷静さを欠いている父親に何を言っても通用しないだろう。
こんなことになるのだったらキクガだけでも魔法で時間を止めて、ヴァラール魔法学院に置いてくればよかった。そう出来なかったのは彼もまた身体能力が高いので、戦闘力の頭数に入れてしまったのだ。問題児が頭数に入っているので、別にキクガが同行する必要はなかった気がする。
すると、
「侵入者だ!!」
「神聖な儀式を準備している最中なのに!!」
「戦闘員は正面玄関へ向かえ!!」
建物から怒号がいくつも響き渡る。
遅れて、建物の両開き式の扉がゆっくりと開かれた。まだ薄暗い森の中に松明の橙色の明かりが数え切れないほど照らし、白い祭服を身につけたアニスタ教信者たちが姿を見せる。松明を掲げて視界を確保する信者の他、槍や棍棒などを構えた戦闘員らしき人物まで揃っている。
問題児を囮にする作戦、失敗である。
「キクガさん、君って奴は!?」
「構わん、全員殺すまで」
「君はそれしか言わないのか!?!!」
信者たちに見つかる原因を作ったキクガにグローリアは非難の視線を寄越すも、本人は殺意に満ち満ちている。指の骨をポキポキと鳴らしてやる気も十分だった。
こうなってしまっては仕方がない。もう正面突破でどうにかするしか方法はなくなってしまった。転移魔法を使うにしても座標を計算するのが面倒で、適当にやれば壁にめり込む可能性も考えられたので、もう殴った方が早い。
グローリアは普段から使用している純白の魔導書を手元に召喚し、適当に開いた真っ白な頁に右手を突っ込む。そして、
「と、とりゃーッ!!」
「ぐおッ!?」
真っ白な頁に突っ込んだ右手を振り抜く勢いで、グローリアは魔導書から引っこ抜いた何かを先頭に立っていたアニスタ教信者の男性の脳天へ叩きつける。
それは鈍色に輝く大鎌だった。身の丈を超える柄から垂直に伸びる三日月の形をした刃、特徴的なのは柄と刃の接合部分に埋め込まれた巨大な懐中時計である。武器として扱うものではなく、それはさながら美術品のような精巧な美しさがあった。
柄の部分を相手の脳天に叩きつけて気絶させたグローリアは、泣き笑いのような表情を見せる。
「戦闘は苦手と言うけど!! 出来ないとは言ってないんだから!!」
「学院長のそれ、凄え格好いいね!!」
「ありがとうハルア君、振り回しても壊れない特注品さ!!」
ハルアに「格好いいね」と評価され、グローリアはヤケクソ気味に叫ぶ。
グローリアの大鎌は本来、これが魔法の杖である。純白の魔導書は擬装であり、本当ならば大鎌を振り回して魔法を使うはずだったのだ。鈍器としても扱える優れものなので意外と気に入っているのだが、これには落とし穴があった。
この大鎌を普段使いするには重すぎるのだ。これを持ち運んで移動するにしても何にしても、まず「重い」という感想が先に来る。持ち運びするのに適していないので普段は魔導書に擬装しておき、必要に応じて本来の形に切り替えている訳である。この部分はユフィーリアの持つ煙管と同じだ。
両手で懐中時計が埋め込まれた大鎌を握りしめるグローリアだが、
「怯むな、仕留めろ!!」
「うわあッ!?」
突き出された槍の存在に、グローリアは背中を仰け反らせる。
槍の穂先はグローリアの眼球を射抜く軌道で突き出されたものの、寸前で回避したので事なきを得る。無理に背筋を反らしたものだから、その反動でドシンとその場に尻餅をついてしまった。
松明の明かりに照らされて、目の前の信者が掲げる槍が鈍く光る。槍の穂先と同じく信者の鋭い眼光が、無防備なグローリアを真っ直ぐに貫いていた。
その時、
「天罰!!」
「ごはあッ」
グローリアの脇を真っ白い何かがすり抜けていき、槍を構えた信者の顎に頭突きを繰り出す。顎で頭突きを受け止めた信者は痛みのあまり身体を強張らせ、その隙に王笏のような物体が彼の鼻っ面に叩きつけられた。
誰かと思えばリリアンティアである。彼女自身の身長よりも短めの王笏は、聖職者が武器として用いることが多いメイスか。先端に十字架のモチーフを掲げたそれは、実にリリアンティアらしい意匠と言えよう。
最大派閥の宗教を務める教祖様、しかも僅か11歳の少女らしかぬ機敏な動きでメイスを握りしめてアニスタ教信者に突撃していくリリアンティア。小さな身体の利点を生かして相手の懐に飛び込むと、顎へ的確にメイスの先端を突き刺す。鈍器の部分でぶん殴られた相手が身体を仰け反らせた隙に、今度はメイスで腹を突いてすっ転ばせる。その果敢な戦いっぷりは目を見張るものである。
すっ転ばせた信者の股間にメイスを容赦なく振り下ろしたリリアンティアは、尻餅をついたままポカンとした表情を見せるグローリアへ振り返る。
「大丈夫ですか、学院長様?」
「リリアちゃん、凄く強いね……?」
「母様に昔から稽古をつけてもらっています!!」
リリアンティアは「でも」と言い、
「あちらにはさすがに負けてしまいます」
「え?」
「あちらです」
リリアンティアは、正面玄関のさらに奥を指差す。つられてグローリアも、彼女の指差す方向に視線を投げた。
松明がぼんやりと照らす正面玄関の高い天井を、白く輝く純白の鎖が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。その上を何か黒いものが素早く移動していた。
ピンと張られた鎖を足場にして黒い何かが止まったと思えば、矢の雨が降り注ぐ。的確に相手の脳天を貫き、眼窩を射抜き、正面玄関を血と悲鳴で埋め尽くした。致命傷を負った信者は次々と倒れていく。
突如、純白の鎖から倒れた死体めがけて黒い何かが飛来してくる。艶やかな黒髪を翻し、炯々と輝く赤い瞳で信者どもを見据え、その手に握られたのは真っ黒い弓矢である。背負った矢筒から矢を引き抜くと、慣れた手つきで番えて放った。空を切る矢は槍を構えた信者の眼球に吸い込まれていき、脳幹をぶち抜いて命を奪う。
弓矢だけで鬼神の如き戦いっぷりを見せるのは、キクガだった。天井に張り巡らせた冥府天縛を足場に上から襲撃し、足場の冥府天縛から飛び降りるなりしゃがみ込むような体勢から急所の喉を狙う変幻自在の戦い方は誰も真似は出来ない。ユフィーリアに次ぐ戦闘力を有するという評価は間違いではなかった。
黙々と信者を屠るキクガの背中を見て、グローリアは遠い目をする。誰があんな鬼神に勝てると言うのか。
「ショウ君みたいに戦うなぁ……あの子も空中戦に強いし……」
「いやいや、逆ッスよ」
ぼんやりと呟くグローリアに、スカイが否定する。
「ショウ君がキクガさんに似てるんスよ、父親の遺伝子を受け継いじゃったんスよ」
「何で君は戦わないの?」
「いやー、足手纏いってのは分かってるんで」
軽い調子で笑い飛ばすスカイに、グローリアはため息を吐いた。確かに魔法兵器ばかり開発するスカイに直接的な戦闘は厳しいだろう。
いいや、それよりも。
ここでいの一番に出てくるはずの問題児が、正面に出てこないのだ。今もなお最後尾で待機しており、キクガの凄まじい戦いっぷりを見学している。「キクガさん凄いねぇ」「ショウちゃんパパ格好いい!!」と歓声のおまけ付きである。
肝心のユフィーリアは、エドワードの背中に隠れたまま出てこない。時折、顔を覗かせるもののすぐに引っ込めてしまう。
「相当調子が悪いのかな……」
普段と違う問題児の様子に疑問を持ちながらも、グローリアは連れ攫われた被害者を助ける為に大鎌を杖代わりにして立ち上がるのだった。
《登場人物》
【グローリア】実は槍術で戦える学院長。運動神経は悪いが、長いものは扱えたりする。
【スカイ】基本的に魔法兵器を用いた戦い方だが、いざとなったら槍術も使えたりする。
【ルージュ】鞭は扱えるが、果たしてそれが攻撃転換できるのが不安。
【キクガ】かつては獄卒、現在は働き者の冥王第一補佐官。冥府天縛による拘束の他、蜘蛛の巣のように張り巡らせて足場として弓矢もバカスカ打つ。ユフィーリアに次ぐ高い身体能力と、ショウに引き継がせた正確無比な弓の腕前は圧巻。
【八雲夕凪】実は体術が得意だったりする。柔道と合気道が得意らしいが、見たことはない。よくハルアと相撲をとって投げ返している。
【リリアンティア】メイスによる殴打が得意。聖職者だから少しは戦えないと、という意味でユフィーリアからメイスの使い方を教えてもらった。11歳ながら身体能力が非常に高い。
【ユフィーリア】言わずと知れた七魔法王最強の魔女。優れた身体能力を誇るが、今回は大人しい。
【エドワード】無尽蔵の体力と剛腕で相手を確実に壊す他、どんなものでも食らうことが出来る異能力持ち。
【ハルア】あらゆる神造兵器を扱うことが出来る人造人間。高い戦闘力はもはや一個軍団、もしくはそれ以上。
【アイゼルネ】娼婦の時に培った手練手管と情報収集力、変幻自在の変身魔法と精神的に怖いものを見せる幻惑魔法を扱って内側から国を滅ぼす。スパイ行為とか得意。