第1話【学院長と誘拐の被害者】
アニスタ教の信者たちによってショウが連れ攫われたことがきっかけで、ヴァラール魔法学院は騒然となった。
「被害の状況は?」
「ショウ君の他、3名の男子生徒の行方が確認できてないッスね。名簿と照合できないッス」
学院長室に集められた七魔法王の面々は、ヴァラール魔法学院に在籍する生徒たちの名簿をひっくり返して行方不明者を照合する。
連れ攫われた問題児の1人の他に、3人の男子生徒が行方不明になっていることが判明した。いずれもアニスタ教の信者に連れ攫われたと見ていいだろう。
名簿に掲載されている生徒の証明写真は、いずれも美男子ばかりであった。ショウと似たような系統の、少女めいた顔立ちが特徴的である。アニスタ教が崇め奉る戦神アドニスは美少年が大好きである為、信者たちは戦神アドニスへの供物として捧げるつもりだろう。
ヴァラール魔法学院の学院長、グローリア・イーストエンドは頭を抱える。直近でアニスタ教の連中を見かけたというのに、碌に対処をしなかった自分の責任だ。
「アニスタ教の連中、一体何を考えてるの? ショウ君を連れ攫ったら自殺行為だって気づいてないのかな」
「そもそも、あのお嫁さんが第七席【世界終焉】の花嫁であることは大々的に知られておりませんもの。あの子が『問題児の嫁だから手出ししないでおこう』という常識で守られているのは、あくまで学院内だけですの」
グローリアの嘆きに対して、冷静な指摘をしてきたのは魔道書図書館の司書であるルージュ・ロックハートだ。
「それにしても、お嫁さんの他に3人も誘拐するなんて……宗教関係者の考えはわたくしでは理解できませんの」
「何故に身共の方を見ながら仰るのです?」
ヴァラール魔法学院の保健医、リリアンティア・ブリッツオールは意味ありげな視線を寄越してきたルージュを心外なと言わんばかりに睨み返した。
「エリオット教はそのようなことをしているとでも仰りたいのですか? そんな訳がありません。我々は世界中に健康と安らぎを与えるべく、日々努力を重ねております。あのような頭のおかしな宗教様とは比べないでください」
「リリアさんも頭のおかしな宗教と仰っているんですの、やっぱり頭のおかしな連中でしたのね」
ルージュはやれやれと肩を竦め、
「アニスタ教に関してはいい噂を聞きませんの。強引な勧誘、男児の誘拐、何やら裏でコソコソと怪しい儀式をしているとも話が」
「あ、それ知ってるかも」
グローリアは名簿を収納しながら言う。
アニスタ教の異常性はよく理解している。信者による強引な勧誘は幾度となく問題視されており、第三席【世界法律】のルージュ経由で裁判所から警告を発しても無視して強引な勧誘を続けるアニスタ教には手を焼いていたのだ。世界最大派閥の宗教団体であるエリオット教と比べて規模がかなり小さく、何度も解散命令を出してはまた新しいところで宗教が興されるので頭を抱えるしかない。
そんな彼らがやってきた罪で、男児の誘拐がある。今回起きた事件と同じように見目麗しい男児を誘拐し、アニスタ教独自の儀式に参加させるとグローリアはどこかの魔導書で読んだ記憶があった。確かあれはアニスタ教の元信者による暴露本だったか。
「確か、神々の花嫁って呼ばれる儀式だったかな。花嫁を神様に捧げるって内容の、アニスタ教独自の儀式だね」
「それって内容から察すると」
「まあ、簡単に言うと聞こえのいい処刑だね。神様はこの世に存在できない霊魂みたいな存在だから、死なないと花嫁さんになれないし」
グローリアは朗らかに笑いながら言った。
それがいけなかった。
もう一度言おう、それがいけなかった。
ほわほわと笑いながら『神々の花嫁』なる儀式内容を説明するグローリアに、純白の鎖が強襲する。対象者の魔力や異能を封じ、暴れる罪人を冥府に引き摺り込む為の神造兵器『冥府天縛』だ。
「…………ほう?」
底冷えのするような声が、学院長室に落ちた。
「つまりそれは、息子は最愛の旦那様と引き離された挙句によく分からん神と無理やり結婚させられると。そういう認識でいいのかね?」
永久凍土を想起させるその声は、学院長室の隅から発された。
そこに転がっていたのは、純白の鎖で簀巻きのような状態にされた上、何故か理不尽にふかふかな尻尾の毛を毟り取られた八雲夕凪である。自身を踏みつける相手に対して何か余計なことを言ったのか、目を覆いたくなるほどボロボロの状態にされていた。
真っ白い馬鹿な狐を踏みつけていたのは、髑髏の仮面を頭に乗せた悪鬼である。――訂正、装飾品を極端に削ぎ落とした神父服が特徴の冥王第一補佐官である。炯々と輝く赤い眼差しには剣呑な空気をまとい、明らかに堅気ではない雰囲気を醸し出していた。
グローリアを容赦なく鎖で簀巻きのような状態にしたその悪鬼は、今回の誘拐事件の被害者であるショウの実の父親、アズマ・キクガである。世界の誰よりも息子馬鹿がご降臨なさった。
「答えなさい、そういう認識でいいのかね?」
「ちょ、キクガさッ……あの、呼吸が……身体がミシミシ言ってて……!!」
「その状態でも答えられるだろう?」
「拷問……ッ!!」
簀巻き状態にされ、さらに全身を締め上げられるという恐ろしい拷問に処されているグローリアは、あまりの苦しさに何も答えられることが出来なかった。肺から空気を搾り取られ、全身の骨がミシミシと軋み、その激痛のせいで答えの言葉は全て悲鳴に変わる。
しかし、キクガに相手の事情を汲む余裕などなかった。
何せ彼は亡き愛妻の忘れ形見であり、唯一無二の愛息子を攫われてしまったのだ。余裕もなければ当たり散らすのも正当な感情である。
光の消えた赤い瞳で簀巻き状態にされたグローリアを睥睨するキクガは、
「ヘラヘラしている余裕が、よくもまあ持ち合わせていた訳だが。このまま締め殺されても文句は言えまい。安心しなさい、冥府で丁重にもてなしてやる訳だが」
「ちょちょちょ、ちょーっと待つッスよキクガさん、ね? ね?」
ギチギチと冥府天縛によって全身を絞られているグローリアの代わりに、スカイがキクガの制止に飛びかかる。
「殺されたら困るんスよね、グローリアはヴァラール魔法学院の学院長なんで。あの、息子さんが誘拐されて心配なのは大変理解できるんスけど、もうちょっと抑えてくれてもね」
「ならば早くアニスタ教の本部を特定しなさい」
「いやそれもちょっとお時間がー……」
「言い訳かね?」
キクガは冥府天縛の拘束からグローリアを一時的に解放すると、今度はスカイに向けて喉輪を仕掛ける。容赦なくスカイの首を絞める彼は、まさに悪鬼羅刹の如き佇まいであった。
「無能が露呈した訳だが、第二席。君の眼球は飾りかね?」
「かひゅッ、ごふッ」
「私は居場所の特定も出来ている、単騎で攻め入ることも可能な訳だが。ただ七魔法王としての立場がある故に、こうしてこの場に留まっている訳だが」
キクガは赤い瞳に鋭い光を宿し、
「無能を強調するだけであれば、今この場で私が引導を渡してやろう。行動しない猿にも劣る魔法使いなど必要ではない訳だが」
「キクガさん、落ち着いて!! 君は今、冷静さを欠いている!!」
まだ鈍い痛みを残す身体に鞭を打ち、グローリアはスカイの首を絞めるキクガの手に飛びついた。幽鬼のような眼差しに息を呑むも、負けじとその赤い瞳を睨み返す。
キクガは現在、冷静さを欠いている。客観的に見てもそう感じ取れるほどだ。確かに愛息子を誘拐されて心配のあまり暴走状態に陥るのは親馬鹿らしいと言えばらしいのだが、問題は彼の息子だけではない。
彼自身の焦りと不安は痛いほど理解できるが、グローリアはヴァラール魔法学院の学院長だ。たとえ付き合いの長い魔女の嫁が連れ攫われたからと言って、贔屓できる立場ではない。学院長として平等性が求められるのだ。
「ショウ君が攫われて不安なのは分かる、でも相手がどんな迎撃準備をしているか分からない以上は下手に動けない!! 考えなしに相手の本拠地に突っ込むのは無茶だ!!」
「魔法などを無効化する術を持つ私に関係があるかね?」
「連れ攫われた生徒に危害が及ぶようなことを、学院長であるこの僕が許すと思う!?!!」
ショウは魔法の天才と謳われたユフィーリア仕込みの豊富な魔法の知識と、高火力の神造兵器『冥砲ルナ・フェルノ』がある。単騎で脱出も可能だろう。
では、ショウ以外の被害者はどうだろうか?
連れ攫われた生徒は魔法の腕前はあるものの、やはり大人と比べればまだまだ技術は高いと言えない。ショウと比べて抵抗できる強力な兵器も持ち合わせていない。ショウだけを贔屓にして考えなしに突っ込んだら生徒たちが代わりに犠牲となりました、というオチは迎えてはならない。
グローリアの悲鳴にも似た主張に、キクガはようやくスカイの喉から手を離す。膝から崩れ落ちたスカイは激しく咳き込んでいた。
「ああもうこんな時にユフィーリアは何をしてるのさ。お嫁さんが連れ攫われたってのに!!」
「用務員室に引き篭もったまま出てこないみたいで……」
リリアンティアは、スカイの背中をさすってやりながらグローリアの絶叫に応じた。
「ショウ様が連れて行かれて、本当にショックだったのでしょう。倒れられて、問題児の皆様が用務員室に運び込んだみたいですが……」
☆
「――ごめんねぇ、学院長。まだ元気がないみたいでぇ」
エドワードの声が聞こえてくる。
布団に饅頭のように引き篭もっていたユフィーリアは、のそりと身体を起こす。櫛すら通していない銀髪が目の前を垂れ落ちた。
閉ざされた天蓋付きベッドのカーテンの向こうで、人影が蠢く。ほんの僅かにカーテンを開けて様子を伺ってきたのは、どこかに通信魔法を飛ばしている最中のエドワードではなく心配そうな表情を見せるハルアだった。
ハルアはユフィーリアの乱れた銀髪を手櫛で整えてやると、
「大丈夫?」
「…………」
ユフィーリアは無言で首を横に振る。
「アイゼにお茶入れてもらおうか?」
「…………」
ハルアの申し出に、ユフィーリアは再度、首を横に振った。そんな気分にもなれないのだ。
じわり、とユフィーリアの青い瞳に涙が滲む。堪えられなくて、ボロボロと大粒の涙をこぼすユフィーリアにハルアが何も言わずに抱きしめた。
ボサボサの銀髪を撫で、静かに涙をこぼすユフィーリアを慰めようとしてくれていた。だからユフィーリアもまた、ハルアの優しさに甘えるように彼の背中へ手を回す。
「あららぁ、ダメな感じぃ?」
「エド、学院長は何か言ってた?」
「夜明けまでには相手の本拠地と使ってる魔法が分かりそうだからぁ、それまでに立ち直らせておいてってぇ」
通信魔法を終えたらしいエドワードは、ハルアに縋り付いて涙を流すユフィーリアの頭を撫でてやる。
「大丈夫だからねぇ」
「…………」
ハルアの真っ黒なつなぎを涙で濡らすユフィーリアは、顔を上げることなく無言で頷くのだった。
《登場人物》
【グローリア】ヴァラール魔法学院の学院長。ショウが誘拐されたことも考えているが、生徒も誘拐の被害に遭っているので無視できない。ちゃんと学院長として色々と考えている。
【スカイ】ヴァラール魔法学院の副学院長。騒動を収めようとしたのに喉輪を食らって死にかけた。
【ルージュ】ヴァラール魔法学院の魔導書図書館司書。アニスタ教に度々裁判所経由で解散命令を出していたのだが、不死鳥……じゃなくてゴミムシのように湧いてくるので頭を抱えていた。
【キクガ】冥王第一補佐官にして、ショウの実父。大事な息子を誘拐されて暴走気味。息子馬鹿が過ぎて悪鬼羅刹と化す。誘拐されたと聞いてから犯人の特定、居場所、その人数と詳細な住所その他諸々の情報を頭に叩き込んだ。
【八雲夕凪】植物園の管理人……のはず。理不尽にキクガのサンドバッグになっていた。
【リリアンティア】ヴァラール魔法学院の養護教諭。ショウが連れ攫われ、ユフィーリアがぶっ倒れた話を聞いたばかり。慌てて用務員室に搬送された母様を見て心配。
【ユフィーリア】嫁が連れ攫われてそれどころではない。
【エドワード】学院長から通信魔法を受けて対応中。
【ハルア】嫁が連れ攫われて失意の状態のユフィーリアが心配。
【アイゼルネ】エドワードと一緒に各所からの連絡に対応中。