第6話【問題用務員とコンコン酒楼】
死ぬかと思った。
「怖かった……怖かった……!!」
「本当に罪人になったかと思ったよぉ」
「心当たりしかない!!」
「幽霊よりも恐ろしい目に遭ったワ♪」
「父さん……」
「ははは、すまないな。楽しくてつい」
ぐったりとした様子の問題児たちに、キクガが軽い調子で笑いかける。
笑い事ではない。何せ相手は最愛の嫁であるショウの実父の上、冥王第一補佐官を務める優秀なお父様なのだ。しかもコネなどを使わず、冥府の獄卒として罪人を追いかけ回していた経験を積んでから実力だけで冥府の2番手にのし上がったお人である。追いかけ回されたら楽しさよりも恐怖が勝る。
さすが過去に冥府の獄卒を経験していただけあって、手加減が上手だ。追いつきそうな時は速度を緩め、逆に引き離されそうな時は全力で追いかけてくるという遊び感覚で追いかけてくるのだ。エドワードに荷物として抱えられているユフィーリアでも恐怖を感じざるを得なかった。
そんなお父様から逃げ切ってお化け屋敷を飛び出したユフィーリアたち問題児は、それはそれはもう疲れ切っていた。動くこともしんどいほどである。いや、ユフィーリアは荷物として抱えられていただけなので疲れる要素はないのだが、心労が凄まじい。
「そんなに怖かっただろうか。きちんと手加減をしたつもりなのだが」
「親父さん、もしかしてお化け屋敷のお客さんを追いかけ回していたりする……?」
「いいや?」
青い顔のユフィーリアの問いかけに対し、キクガは普通に否定した。
「私1人がこのお化け屋敷の対応をすれば、回転率が悪い訳だが。冥府総督府で暇そうな面子を連れて、お化け屋敷の脅かし要員として働いている訳だが」
「誰だよ、その脅かし要員。怖い」
「何、そんなに怖くないとも。冥府を学ぶのにいい機会な訳だが」
キクガは飄々と笑い、
「冥府の処刑場に導入する為の拷問の実験台を探し求める魔法使いの獄卒とか、現在の冥府の獄卒を取りまとめてくれる獄卒課の課長とか色々呼んできた訳だが」
「で、全員が追いかけてくるのぉ? やだよぉ、それぇ」
「泣いちゃう!!」
「足がガクガクなのヨ♪」
「これ以上は勘弁してほしい」
「私だったからよかったと思うがね。他の連中は手加減が出来ないかもしれない」
そう考えると、追いかけてきた冥府関係者がキクガでよかったのかもしれない。キクガはまだ手加減が出来る冥王第一補佐官なので追いかける相手によって態度を変えるだろうが、他はどうなのか不明である。怖すぎて仕方がない。
いや、そもそも冥府関係者が誰であれ『追いかけてくる』という過程が怖すぎる。幽霊や学院長が追いかけてくるだけでも脊髄反射で逃げ出すのが問題児だ。追いかけられたら誰だって「逃げる」という考えが刷り込まれていると思う。
さすがに悪いと思ったのか、キクガは疲れ切った雰囲気を見せる問題児に申し訳なさそうに謝罪してきた。
「怖がらせてしまってすまない、お詫びに何か食べに行こうか。ちょうど私も、これから休憩に入るところな訳だが」
「本当っすか、奢りっすか」
「奢ってくれるのぉ?」
「オレのお財布に287ルイゼしかないからショウちゃんパパがお金出してね!!」
「ゴチになりまース♪」
「こんなに怖がらせたんだから高くて美味しいものじゃないと納得しないぞ、父さん」
「凄いな、一瞬で元気を取り戻した訳だが」
それまで憔悴しきっていたはずの問題児が、食事に誘われた途端に元気を取り戻していた。しかも堂々と代金のことまで押し付ける始末である。
キクガも最初からそのつもりだったようで、特に何も言わずに苦笑するのみだった。「元気な様子で安心した訳だが」などという言葉さえも聞こえてくる。態度は子供の成長を見守る父親のそれだが、数分前までは大人げなく問題児どもを追いかけ回していたとは思えない。
キクガは「では早速行こうか」と言い、
「夕凪翁が大食堂を借りて店をやっていると聞いた訳だが」
「……それ平気な店だよな?」
「ユフィーリア君、ここは学校な訳だが。学生主体の行事でまさかいかがわしいことなどある訳がない」
ほわほわ笑うキクガに、ユフィーリアは何も言えなくなった。
実は数十分前のこと、古本市にお邪魔した際にその『いかがわしさ』と遭遇したばかりである。半脱げのアレとか全部脱げたソレとかとにかく肌色が多めの冊子を作っては古本市に訪れた客にそれらを販売していた訳である。
まあ結果的に、全てショウが灰にしてしまった。大半は七魔法王が題材となった薄い冊子ばかりだったので、当然ながらキクガも若干その対象にはなっていた。知らないと言うことは世の中にまだ広く出回っていないようである。
とりあえずユフィーリアが言えることは、
「ソダネー」
「生徒が主体のお祭りだもんネー」
「怪しいことなんてないよ!!」
「キクガさんの言うとおりだワ♪」
「お腹が空いてしまった。父さん、早く行こう」
「何故か全力で話題を逸らすようなことをし始めたのだが、私は何も聞かない方がいいのかね?」
困惑する問題児に連れられて、キクガは大食堂まで案内させられるのだった。
☆
大食堂に掲げられた看板には『コンコン酒楼』とあった。
「何てお店!?」
「酒楼だから中国……じゃないか。ここで言うところの東洋地域の飲食店の呼び名な訳だが」
店の名前が読めなくて首を傾げるハルアに、キクガが懇切丁寧に教えてくれた。分かりやすい説明を受けたハルアも納得し、ついでにショウも父親に尊敬の眼差しを送っている。
大食堂を貸し切っているだけあって、客入りは好調のようだ。行列は解消され、大食堂から出てくる客は誰も彼もが蕩け切った表情を見せている。客層の性別比率が男性に偏っているのはこの際見なかったことにした方がよさそうな気配すらあった。
教室を貸し切って限られた空間にしか座席を用意できない学生主体の出し物とは違って、大食堂を貸し切ったからか客の回転率が高い。行列もあっという間に解消されていき、いつのまにやらユフィーリアたちの順番も目前まで迫っていた。
そんな時に、エドワードがふと周囲を見渡す。それから嫌そうに顔を顰めると、
「何か変な匂いがするよぉ」
「そうか?」
「香水とかじゃないねぇ、何か甘いような匂いがするぅ」
エドワードは鼻を摘んでそんなことを言う。
嗅覚の優れたエドワードだからこそ言えるのだろう。ユフィーリアでは残念ながら何も感じ取ることが出来なかった。若干の香水を振っているアイゼルネもエドワードがいるから気にかけているのだろう、鼻が曲がるほどの量はかけていない。
すると、閉ざされていた大食堂の扉が開き、従業員らしき女性がひょっこりと顔を覗かせる。艶やかな金色の髪から狐の耳を生やし、豊満な肢体が身につけているのは扇状的な東洋ドレスである。腰の辺りで大胆なスリットが刻まれており、浮き彫りになった体の線は肉感的で劣情を誘う。
ふわっふわな狐の尻尾を揺らす女性は、ユフィーリアと目が合うとにっこりと笑って見せた。
「何名様ですか?」
「あー、6人だ」
「お席にご案内いたします」
女性に招かれて店内に足を踏み入れると、噎せ返るような花の香りが一気に広がった。おそらくエドワードの鼻が反応したのも、この匂いだろう。
東洋らしい赤い提灯が店内の天井からいくつも吊り下げられており、広大な大食堂の座席は何故か全て回転する部分が設けられた丸い机になっている。1列に並ぶ長机の存在は片付けられており、本当に東洋の飲食店を訪れたのかと錯覚してしまう。
店内の空気に充満するのは香炉だろうか。ただの店の雰囲気の為に用意されたと主張されても疑ってしまうほど匂いは濃く、息を吸うのもやっとの状態だ。この状態で普通にご飯は食べられない。
ここまで来れば匂いを感じたのはエドワードだけではなく、ユフィーリアやハルア、ショウ、アイゼルネ、キクガも匂いに難色を示す。それもそうである。
「臭え!!」
「い、息が出来ない……」
「空気が最悪すぎるワ♪」
「エドワード君の顔色が見るからに悪い訳だが」
「うう、さすがに気持ち悪くなってくるぅ」
顔色の悪いエドワードの背中をさするキクガは、
「これはさすがに食事が出来る状況ではない訳だが。店を変える訳だが」
「この香炉さえどうにかしてくれりゃな……」
ユフィーリアもあまりの甘ったるい香りに思わず咳き込むと、
「おお、きくが殿。来てくれおったかぁ」
「夕凪翁かね」
「八雲の爺さん、これは……」
甘ったるい香りを掻き分け、見覚えのある白狐がふさふさの尻尾を9本も揺らしながらやってくる。白衣と真っ黒い袴を合わせたその姿は極東地域に於ける巫女にも見えるし、実際この狐は豊穣神として有名らしい。
八雲夕凪だ。どうやらこの甘ったるい匂いには反応していないようで、平然とした様子で空気を吸い込んでいた。むしろ「非常にいい匂いだ」と言わんばかりの態度である。
ユフィーリアは八雲夕凪を睨みつけ、
「この匂いは一体何だ? どうせ碌なもんじゃねえだろ」
「人聞きの悪いことを言わんでくれ、ゆり殿。ただの香炉じゃよぉ」
八雲夕凪はけらけらと笑い飛ばし、
「匂いが気に食わんのであれば個室もあるのじゃ。匂いはマシになるじゃろ」
「大食堂をどんな風に改築しやがった」
「悪い改築はしとらんよ。学院長殿も許可を下さったのじゃ」
八雲夕凪は「楽しむのじゃ」などと上機嫌な様子でどこかに去っていく。
その姿を見送ると、香炉を苦手とするユフィーリアたちの状況を汲んでくれた女性店員たちが個室とやらに案内してくれた。個室が連なる廊下は香炉の匂いが及んでおらず、まともに空気を吸うことが出来る。
大食堂をどうやって改築すればいいのか、個室は閉ざされた空間となっている。中央に丸い机が置かれており、机の真ん中に置かれた一際高い台座を回すことで料理を楽しむ仕様になっているようだった。
まともに呼吸が出来るようになったところで、あの扇状的な格好をした女性従業員たちが一気にユフィーリアたちの利用する個室に雪崩れ込んでくる。それから各々の身体をピトリとユフィーリアたちお客様に張り付かせて、
「よぅくお越しくださいました、お客様」
「何かお頼みになりますか? こちらのお料理がお勧めですよぅ」
「お飲み物はいかがでしょう? お酒? ジュースがいいですか?」
「ああ、それとも何かアソビにでも興じましょうか?」
くすくすと、それはもう楽しそうに従業員たちは笑っている。
学生主体のお祭りだからいかがわしさなどない、というのは真っ赤な嘘だった。もはやいかがわしさしかない。
エドワードとアイゼルネは鬱陶しそうにしているし、ハルアはそれどころではないようで顔を覆い隠して叫んでいた。そのウブな反応がさらに相手を楽しませるようで、くすくすと笑われている。
一方で同じ未成年組のショウだが、
「ユフィーリア以外が俺にその駄肉を押し付けることは許さないので出直してきてください。変化も無駄です。ユフィーリアのことに関して言えば睫毛の長さから肌のきめ細かさまで把握してますからね採点は厳しめですよ俺は」
「凄え、嫁が面接官みたいなことをしてる」
自分に張り付いてきただろう従業員たちを1列に並べ、ショウは淡々と説教をしていた。取り付く島もないとはまさにこのことである。
従業員たちもどうすればいいのか困惑しているようである。彼女たちはただ仕事をしただけなのに、この言われようだ。
そしてキクガだが、
「冥王第一補佐官なんですかぁ?」
「ああ、そうだが。もし君たちが死んだ暁には、真摯に死後の裁判に臨ませてもらう訳だが」
「どんな内容のお仕事なんですかぁ?」
「主に死者の裁判で、転生などに関わる訳だが」
張り付いている女性店員に鼻の下を伸ばすような真似はせず、かと言って無碍にすることもなく普通に応じていた。妻子がいる身ではあるものの異性に対しての扱い方を学んでいる、まさに紳士である。
「ところで、注文をいいかね」
「あ、はぁい。どうぞ」
キクガはお品書きを女性店員に渡すと、
「ここに書いてあるもの全て」
「え?」
「全てだが。順番に持ってきなさい」
何かとんでもねー注文をしたような気がする。
女性従業員はポカンと立ち尽くしたあと、慌てた様子で部屋を飛び出す。お品書きの料理を全て注文したのだから、そんな反応は至極当然だ。
キクガは運ばれてきた東洋地域が原産のお茶で喉を潤している。最初から最後まで本気のようである。
問題児たちの視線が集まる中で、キクガは不思議そうに首を傾げる。
「どうかしたのかね?」
「いや、親父さんも大胆な注文をするもんだなと」
「ははは、こんな時でしか金は使わない訳だが」
ユフィーリアの驚きに対して、キクガは朗らかに笑って見せるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】キクガの注文した大量の料理を頑張って消費。好きな東洋料理は火鍋。
【エドワード】キクガの注文した大量の料理の大半を食った大食漢。好きな東洋料理は肉包(異世界で言うところの餃子のでっかい奴)
【ハルア】お腹空いてたから大量の料理を色々楽しめて嬉しい。好きな東洋料理は炒飯。
【アイゼルネ】大量の料理には目を回しそうになったが、よくこれだけを提供できたなと驚き。好きな東洋料理は八宝菜。
【ショウ】ターンテーブルを回すのが楽しくて、ついつい多めに回してしまう。好きな東洋料理はマンゴープリン。
【キクガ】ショウの父親にして冥王第一補佐官。生活する金銭の他にあまりお金を使う機会はないので、息子や義娘にご飯を奢るのが最近の楽しみ。
【冥府の処刑場に導入する為の拷問の実験台を探し求める魔法使いの獄卒】「キクガ、オレに仕事を押し付けて飯に行くな。大変だろうが!!」
【現在の冥府の獄卒を取りまとめてくれる獄卒課の課長】「キクガの奴、どこ行きやがったァ!?」