第5話【問題用務員とお化け屋敷】
ルージュによって古本市から追い出された。
「駆逐完了」
「何か凄いやり切った感があるから何も言えない」
清々しい表情で額に浮かんだ汗を拭うショウに、ユフィーリアは苦笑するしかなかった。
あれから凄く暴走したショウは、生徒や教職員の創作物を次々と燃やして回った。相手が学院長を題材に使っていようが副学院長を題材に使っていようが、全て平等に消し飛ばした。燃えていく自分たちの作品に作者である生徒や教職員は悲鳴を上げていたが、こればかりは何とも言えない。
健全なものだったらまだ見て見ぬふりをしたのだが、さすがに脱がされちゃうと反応に困るのだ。ちゃんと題材として使用することに許可を求められた訳でもないし、扱う題材によっては世界中に喧嘩を売る代物でもあるので注意が必要だ。特に妄想の中とはいえ、聖職者であるリリアンティアを脱がすのは節度がなっていないと言えよう。
ちなみに特に何も考えることなく生徒や教職員の出店を許可してしまったルージュは、しれっと「だって皆さんが勝手に売り始めたんですの。わたくしは場所を貸しただけですの」と宣ったので、ショウが逆エビ固めの刑に処していた。
「許さない……妄想の中でもユフィーリアを間男に寝取られるなどあってはならないことだ……絶対に……絶対に……!!」
「ショウ坊、戻っておいで。さっきからずっと何言ってんだ?」
黒い炎みたいなものを背負って「ふふふ……」と仄暗い笑みを見せる最愛の嫁に、ユフィーリアは困惑する。まだ暴走していた時の余韻を引きずっている模様である。
そういえば古本市を荒らしている最中も『コミ○』とか『ドージンシ』とか叫んでいたが、あれは一体何だったのか。ユフィーリアも長いこと生きているのだが知らない単語である。まさか異世界の言葉だろうか。
すると、
「4学年の死霊学専攻の生徒でお化け屋敷をやってます。ぜひ来てください」
人混みの真ん中に立つ少女が、立て看板を片手に声を張り上げている。彼女は頭から真っ白い布を被り、自身をお化けに見立てているようだ。何とも可愛らしいお化けである。
立て看板もお化けらしい雰囲気が漂うように装飾されていた。赤い塗料でもわざと飛び散らせたような意匠は血が滴っているようにも見えるし、縁を掴むかの如く枠から伸びた指先は肌に腐敗が進んでいるように作られていた。題材を捉えるのが上手い。
その出し物を見たハルアが、琥珀色の瞳をユフィーリアに向ける。
「お化け屋敷!!」
「嫌です」
「まだ何も言ってないんだけど!?」
「嫌です」
ユフィーリアは笑顔でハルアの要求を拒否した。彼の言わんとすることなど表情で読み取れる。
「絶対に嫌だ」
「ユーリのお化け嫌いは筋金入りだねぇ」
「拒否の姿勢が崩れないワ♪」
「そんなユフィーリアも可愛いなぁ」
ハルアの要求を断固として拒否するユフィーリアに、エドワード、アイゼルネ、ショウが反応を返す。何か、若干1名の反応は他と違っていたが。
お化けが嫌いなのに、わざわざ嫌いなものがうじゃうじゃと蔓延る場所に誰が行くものか。絶対に行きたくない、死んでも嫌である。
ヴァラール魔法学院の出し物で喫茶店に次ぐ人気を誇るのがお化け屋敷である。毎年、死霊学という授業を受けている生徒が中心となっていくつか運営しているのだが、誰でも開ける喫茶店とは違って運営方法がかなり難しい。幽霊の管理なども大変なので、死霊学を学んでいる生徒でなければお化け屋敷の出店が許可されないのだ。
ショウは「ところで」と首を傾げ、
「死霊学とは一体?」
「幽霊とか死者蘇生魔法を学ぶ授業だな」
降霊術や死者蘇生魔法、各国の文化に合わせて死者を弔う方法まで学ぶことが出来る分野が『死霊学』である。この分野は冥府に深く関わりを持つことが多く、将来的には葬儀屋や冥府との現地外交官という少々難しい仕事に就いたりする。
そんなお化け特化の学問を勉強している連中がお化け屋敷なんてものを運用すれば、心臓の弱い人間はポックリと逝き、お化け嫌いな人間は二度と1人で出歩くことなど出来なくなる。勘弁してほしい。
ユフィーリアはそのあとも、聞かれてもいないことをベラベラと語り始める。
「なお似たような系統で黒魔法ってのがあるけど、黒魔法という大きな括りの中に死霊学があります黒魔法とは『人道に反してはいるけど使い道を間違えなければいいよね』という魔法が多く細分化していくと色々とあるから省略させていただきます今回の死霊学は霊魂などに特化した学問であり」
「ユーリが壊れちゃった!!」
「何らかの精神疾患でも発症したぁ?」
「狂気的だワ♪」
「ユフィーリア、正気に戻ってほしい」
「はッ、アタシは何を……?」
ショウに頬を抓られたことで正気を取り戻したユフィーリアだが、
「残念だけどぉ、お化け屋敷は面白そうだから行きまぁす」
「ぎゃーッ!! 行きたくない行きたくない誰か助けてえーッ!!」
問題児の中で『お化け屋敷に行きたくない』という圧倒的少数の意見など聞いてもらえず、ユフィーリアはエドワードによって担がれて強制連行されるのだった。
☆
お化け屋敷は大講堂を貸し切って運営されている様子である。
「はい、問題児……じゃねえや、5名様ですね」
「おい、訂正するなら呼び間違えるな。いっそもう問題児扱いでいいだろ」
受付の生徒に「問題児」と呼ばれたことに、ユフィーリアは食ってかかる。
いつもだったら詰め寄る必要のない呼ばれ方だが、今日に関して言えば苦手なお化け屋敷に無理やり引き摺られてきたので気がささくれ立っているのだ。性格の悪い客と呼ばれようが何だろうが、嫌なものは嫌なのだ。
ユフィーリアから詰め寄られた生徒は特に気にした様子もなく、5人分の提灯を用意して魔法で火を灯していた。
「こちらを持って、靴を脱いでお入りください」
「は?」
「靴を脱ぐのぉ?」
「裸足!?」
「あら珍しいワ♪」
「裸足で入るお化け屋敷か……元の世界ではよく聞いたが、ここで経験できるとは思わなかったな」
生徒からの案内を受け、ユフィーリアは固まった。
だって靴を脱ぐ訳である。つまり足元が無防備になるのだ。無防備な足元を晒し、冷えた床を踏み締めている途中で何かに撫でられたとなった暁には悲鳴だけでは済まない。
石像よろしく固まるユフィーリアをよそに、他の問題児は普通に靴を脱いで大講堂の入り口に設けられた下駄箱にしまっていた。義足であるアイゼルネも、靴を脱いだ状態でも自由に動かせるようにアンクレットを装着しているので歩行も問題はない。
ユフィーリアは「お、おい」と口を開き、
「ほ、本当に、本当に入るのか? なあ?」
「入るって言ってんじゃんねぇ」
すでに裸足の状態となったエドワードは、提灯片手に振り返る。
「ほらユーリも脱ぎなよぉ」
「ちょっと冷感体質がアレであれしちゃうから……」
「それなら俺ちゃんが抱っこすれば解決だねぇ」
どうにかお化け屋敷を回避できないかと苦し紛れの言い訳をしてみたが、エドワードの手によって小脇に抱えられてしまうユフィーリア。まるで荷物になった気分が味わえた。
裸足でなければ入れないとのことだが、荷物のように抱えられる状態であれば何も問題はないらしい。受付の生徒は一瞥をくれただけで、特に何も注意は飛んでこなかった。
青褪めた顔のユフィーリアに、最愛の嫁であるショウがポンと優しく肩を叩いて微笑んでくれた。
「大丈夫だ、ユフィーリア。手を繋いであげるから」
「ありがとう、ショウ坊。手がめきゃめきゃになったらごめんな」
「それはちょっと困るな……」
苦笑するショウの手をしっかり握りしめ、ユフィーリアはエドワードの手によって荷物のように運ばれながらお化け屋敷に踏み入れることとなる。
大講堂の扉を開けると、漏れてきたのは薄暗い雰囲気ではなく白い霧だった。ほんの僅かな先まで見えないほどの濃い霧が満たしており、提灯の明かりも途端に無意味なものとなってしまう。お化け屋敷とは薄暗い迷路のような場所からお化けが飛び出してくるものだと思っていたが、どうやら違うようだ。
しかも、やたら水の音が近くに聞こえると思えば、濃い霧の中を川が流れているのだ。室内に川を作るなど、かなり高度な魔法を使う必要がある。死霊学を専攻する生徒だけで作り上げられたものではない。
「これは凄いねぇ、お化け屋敷なのにお化けじゃないみたいだよぉ」
「水が流れてる!!」
「だから靴を脱ぐ必要があったのネ♪」
「冷たくて気持ちいいな」
じゃぶじゃぶと水の中を進んでいく問題児。ユフィーリアはエドワードに荷物の如く抱えられ、ショウと手を繋ぎながら濃い霧が満たす大講堂を運ばれていく。
いや、本当にここは大講堂なのだろうか。客は立て続けにお化け屋敷へ足を踏み入れているはずなのに、他の声がまるで聞こえない。静寂の中に水を掻き分ける音だけが響く。お化け屋敷という名前で別の世界が出来ているようだ。
霧の中に視線を巡らせたユフィーリアは、
「幽刻の河か、作り物にしちゃよく再現されているな」
「知っているのか?」
「死んだ魂が冥府に向かう際に通る川だ。生前に犯した罪の重さによって深さが変わるんだよ」
ショウの質問に、ユフィーリアは淀みなく答えていく。
幽刻の河は死んだ魂が最初に訪れる場所であり、生前の罪の重さによって川の深さが決まる。作り物であるこの場所は足首程度の浅さなので、軽い罪を犯した程度と言ってもいい。
そうなると、次に待ち受けているものの予想はついた。お化け屋敷と銘打った極小の冥府体験である。川を渡った先に待ち受けるものは、冥府の主による裁判だ。
「門がある!!」
「本当だワ♪」
ハルアの指摘にアイゼルネが反応をする。
川を渡った先、玉砂利の地面に屹立していたのが霧の中に沈む門である。瓦屋根とぼんやりとした明かりを落とす門は極東にありそうな見た目をしているが表面だけで、素材はハリボテに過ぎない。
門を潜り抜けると空気が変わり、霧が唐突に晴れる。濡れた足を拭く暇もなく進むことを余儀なくされ、問題児は門の先へと足を踏み入れる。ユフィーリアは相変わらず小脇に抱えられたままだ。
待ち受けていたのは、
「凄い、父さんだ」
「ショウちゃんパパだ!!」
ショウとハルアの未成年組が、はしゃいだ声を上げる。
門を潜り抜けた先にあったのは、冥府の裁判場である。裁判長の席に座るのは、艶やかな長い黒髪と髑髏のお面を頭に乗せた美丈夫だ。装飾品の少ない神父服を身につけ、胸元では錆びた十字架が揺れる。赤い瞳は座席の書類に落とされたままで、微動だにしないその様子はまさに蝋人形のようだ。
冥府にて働くショウの実父――アズマ・キクガは、冥王の代行者として現世へ出向くことが多い。人知れず、冥王は彼のような人物だと語り継がれているのだろう。
問題児は、キクガの蝋人形を前に息を吐く。特に息子であるショウにとっては敬愛する父親とそっくりな人形がいるのだ、見惚れないことはない。
「よく出来た蝋人形だな」
「細部までこだわってんじゃんねぇ」
「似てる!!」
「本当にそっくりだワ♪」
「父さんと瓜二つだ」
学生が用意した蝋人形を称賛する問題児だが、
「おや、蝋人形扱いをしてくれるとは嬉しい訳だが。でもそんなことはどこにも書いていないのだがね」
唐突に、キクガの蝋人形が動き出した。
魔法で動いた訳ではなさそうである。滑らかな挙動で首を回し、腕を動かし、ようやく立ち上がって伸びをする。最初から蝋人形などではなく、本物のキクガがそこに座っていたのだ。
呆気に取られる問題児をよそに、キクガは純白の鎖――冥府天縛を取り出した。罪人を捕まえる為の神造兵器だが、非常に頑丈で捕まると魔法を封じられる優れものだ。あれに捕まれば、さすがの問題児でも敵わない。
あ、嫌な予感。
「君たちを捕まえる訳だが」
「待って親父さん!?」
「キクガさんに追いかけられるなんて聞いてないよぉ!?」
「何で!!」
「これがアトラクションってことかしラ♪」
「父さん何で言っておいてくれないんだ!?」
お化けが出てくるという恐怖を味わうのではなく、超人的な身体能力と頭脳を兼ね備えた冥王第一補佐官から逃げるという恐怖を味わう羽目になった問題児は、悲鳴を上げてその場から逃げ出すのだった。
ある意味では恐怖である。二度と味わいたくない。
《登場人物》
【ユフィーリア】お化け大嫌いだし、お化けに関するものはみんな嫌い。怖い話も出来れば遠慮したい。特に嫌いなものは追いかけられる類の話。
【エドワード】雷の演出がなければ怖いものは平気。墓から出てこられる系は嫌だ。
【ハルア】天性のお化け浄化装置。こいつを近くに置いておけばお化けは寄ってこない。本人も多分消し飛ばすと思う。
【アイゼルネ】お化けなどは平気だが虫はダメだ、お前は出てくるな出てくるなってば!!
【ショウ】ホラー話は任せろ系メイドさん。お化けやホラーとか大好きだし、人並みに驚きはするけど見ていられる。ネットの怖い話や代表的な怖い話までたくさん知ってる。
【キクガ】冥王第一補佐官にしてショウの父親。普段は冥府総督府で死後の裁判に関わっているが、現世で出張をして現行の法律内容が変わっていないか確認することも忘れない。今回は現世から「冥府を題材にしたお化け屋敷を作りたいので、文化の紹介がてら協力してほしい」とのことだったので、知り合いの獄卒に声をかけて協力した。なるべく動かないようにと言われたから動かないようにしながら仕事をしていた。