第5話【問題用務員と神殺しの原因】
回想開始。
『どうせ観光するなら、神が根城とする神殿も見ておきたい』
『魔女様、それ早く終わるよね?』
『アタシが飽きるまでいるつもりだけど』
『ご飯の時間とお風呂の時間と寝る時間は確保する約束だったはずだけど!? それを条件に旅行の許可を出したんだよ!?』
それはかつて、ユフィーリアがまだ幼いエドワードを連れて世界中を旅していた時代の話である。
当時はまだ魔法が世界中に浸透しておらず、魔法の技術は何年も続く名門魔法使い一族が独占状態にあった。ユフィーリアもまた名門魔法使い一族の嫡子だったので魔法は使えたが、家が没落してしまっていたので魔法を使うと世の中の人間に不思議がられたものだ。
そんな時、流行していたのが神殿巡りである。昔はまだ神々の存在が目視で確認できており、神殿を訪れれば気まぐれに姿を見せてくれるような頃だったのだ。中には好みに合致した人間がいて言い寄る神々もいたぐらいで、そうした人間は特別な祝福が授かったりしたらしい。
ユフィーリアもまた例外に漏れず、流行り物が好きだった。だから幼いエドワードを連れて世界中を旅行していたのだ。
『なかなか華やかな神殿だな』
『変な匂いがする……』
『香炉だな』
訪れた神殿には、戦神のアドニスが祀られていると聞いた。
かなり大掛かりな白亜の神殿に足を踏み入れると、鼻孔を掠める甘い香り。噎せ返るほど充満したそれは絶えず焚かれている香炉が原因で、嗅覚に優れたエドワードにとってはかなりの苦痛だったろう。神殿に足を踏み入れた途端に何度も咳き込み、顔を顰め、鼻を摘んで匂いを嗅がないようにしていた。
同行者がこうも苦しそうな反応をしていると可哀想だ。ユフィーリアはエドワードの小さな頭をポンと軽く叩き、防衛魔法を展開する。と言っても身を守るような類のものではなく、匂いを遮断する程度の効力だが。
銀灰色のつぶらな瞳を瞬かせたエドワードは、
『魔女様、急に匂いがしなくなったよ』
『魔法で匂いを遮断している。これなら嗅がずに済むだろう』
『へえ、魔女様もいいところあるね』
『可愛げのない言い方だな』
ツンとした口調で、ユフィーリアは神殿の奥へとさらに足を進める。
石造りの柱に括り付けられた松明がぼんやりと神殿の奥の部屋を照らし、ユフィーリアとエドワードの2人組を誘う。ひんやりとした空気はどこか別の世界への入り口であるように思わせ、得体の知れない雰囲気が楽しくて仕方がない。
カツン、コツンと足音が落ちる中で、ようやくユフィーリアとエドワードは神殿の最奥に位置する部屋に到達した。高い天井を支える柱はぐるりと部屋中を取り囲んでおり、円形のそこは往路と違って非常に明るい。
壁全体に嵌め込まれた繊細な硝子絵図が極彩色の明かりを取り入れ、眩しいぐらいだ。足元の床は真っ赤な絨毯が敷かれており、緩やかな曲線を描く壁に沿って木製の長椅子が等間隔に置かれる。
花道の先にあるのは祭壇だ。祭壇に刻み込まれた紋章は、十字架ではなくて交差した剣である。まるでそこは結婚式場のようである。
その祭壇の前に立っていたのは、
『可愛らしい……』
毛むくじゃらで、上半身裸の大男だ。
うねうねとした白髪は伸ばしっぱなしにされた状態で、腰布で大事な部分を覆い隠しただけの男性である。見上げるほど巨大なその男は明らかに人ではなく、立派な髭が威厳ある者としての威圧感を植え付けてくる。
髪の毛の隙間から覗く瞳は金色をしており、髭と長い髪をどうにかすれば見てくれもよくなるだろう。彫像のような肉体美を惜しげもなく晒し、だが肌を覆う体毛が見苦しい印象を与えてきた。
その男が見ていたのは、ユフィーリアのすぐ側にいたエドワードである。
『何と可愛らしい美少年……!!』
『ほう、可愛らしい』
男の言葉を反芻して、ユフィーリアはエドワードを見下ろした。
確かに、美少年と言えるだけある。まだあどけなさを残す顔立ち、ふわふわな灰色の髪の毛。出会った時よりも伸びたとはいえ、まだまだ成長の余地を感じさせる小柄な体躯。洋服の袖や裾から伸びる華奢な四肢には筋肉すらついておらず、ヒョロヒョロの枝のようだ。
なるほど、この男は見る目がある。外面だけで言えば子供らしくて可愛いだろうが、小言は多いし人並みの生活をしないと怒るような喧しい同行者だ。『可愛らしい』と評価されるのは、まあ、嬉しくない訳がない。
ところが、男はあろうことかこんな言葉を続けてきた。
『ぜひ嫁にほしい!!』
『嫁?』
『女よ、我が供物としてそこの美少年を嫁に捧げるがいい。褒美は遣わしてやろう』
ユフィーリアが首を傾げる横で、エドワードは全身を震え上がらせて拒否反応を見せていた。
『絶対嫌だ!! 誰が!!』
『そう恐れることはない。我が嫁になれば何不自由なく暮らせるぞ』
『嫌だって言ってるだろ!!』
エドワードの本気の拒絶をただの照れ隠しだと勘違いしているようで、男はニヤニヤと笑いながら距離を詰めてくる。
ユフィーリアも嫁や婿の概念は知っている。共にいるべき配偶者だろう。両親とはまた別の、愛情で結ばれた者同士のなる関係性だ。
それがどうしてこうなったのか。片方は求婚し、もう片方は盛大に拒否している。どのみち、これは間違っているのだろう。
なので、ユフィーリアはエドワードを守るように男の前へ立ち塞がった。
『これ以上は許さない。こいつは旅の同行者だ』
『何だとォ……?』
男はキュルリと目を眇め、
『女、よもや我を誰か忘れた訳ではあるまいな。我はアドニス、戦を司る神よ!!』
『そうか』
ぐわりと巨躯を誇示する男に、ユフィーリアは冷めたように頷く。
『お前のような変態は知らん。言い寄ってくるなら殺す』
そして、ユフィーリアは相手が何かを言う前に行動していた。
白亜の神殿に似つかわしくない真っ黒なドレスを翻し、重たいドレスなど意にも介さず床を蹴飛ばして高く飛ぶ。アドニスだか何だか知らない男の金色の瞳が見開かれた。
ユフィーリアが手にしていたのは、身の丈ほどの銀製の鋏である。いつのまにか使えるようになっていたもので、雪の結晶が刻まれた煙管を変化させるとこうなる。
身の丈を超える銀製の鋏を握りしめて半身を捻り、飛んだ時の勢いを使ってユフィーリアは巨大な男の胸めがけて鋏を突き出した。
『ごふッ』
ぼたぼた、と男の口から涎混じりの鮮血が吐き出される。
倒れ込んだ男の身体を踏みつけ、ユフィーリアは胡乱げに鋏へ突き刺さった物体を見やる。
何だか綺麗なものだった。黄金の光を発する球体のようなもので、チカチカと明滅しているその様は生物の心臓を想起させる。男は胸にぽっかりと穴を開いた状態でピクリとも動かず、光の途絶えた瞳を虚空に投げかけていた。
その光る物体に、どこか見たことがあったような気がした。そうだ、神様の心臓だったか。
『魔女様、それって何?』
『神の心臓。正式名称は神核』
この神核が神々にとって大切な代物であり、これを抜き取られてしまうと死んでしまう。粉々に壊されればもう二度と神として蘇ることは出来ないだろう。
ただ、この阿呆な神を蘇らせる気分にはなれなかった。もちろん人間ではないので神核を元に戻してやれば息を吹き返すのだが、今度は何が起きるか分かったものではない。
ユフィーリアは男の巨躯から飛び降りると、
『これは知り合いにあげよう。こうした珍しいものに目がない奴がいるんだ』
『え、でも、神様じゃ……』
『じゃあ都合が悪いから肉体もどこかにやろう。そうだな、こっちも知り合いにあげようか。簡単に死なないような実験台がほしいと言っていたんだ』
躊躇いもなく神殺しを実行したユフィーリアは、それきり用事はないとばかりに神殿をあとにするのだった。
ここまでで回想終了である。
☆
「――みたいな感じだな」
「エドさん、昔は美少年だったんですね」
「そうよぉ。俺ちゃんも可愛かったんだよぉ」
エドワードは自分の頬を指で差して言う。そんなことをやっても可愛くない年齢にはなった。
あれから神核はグローリアに渡し、遺体はスカイの玩具にして、証拠隠滅を図った。別に殺しただけでこの世から消し飛ばした訳ではないので、神様はてっきりお空に戻ったものだと勘違いしたらしい。だから宗教が出来るのだ。
ユフィーリアは軽い調子で笑い、
「いや、アタシもあの時は怒りやすかったっていうか、すぐに手が出る性格でな。だいぶ丸くなったよな?」
「それどころかよく笑うようになったよねぇ」
「そうだっけ?」
何でもない調子で言うユフィーリアとは対照的に、かの宗教団体はへなへなとその場に座り込んでいた。
自分たちが信仰していた神様が死んでいた。しかも心臓をぶち抜かれた上で死体は心ない魔法使いの玩具にされてしまったのだ。やるせない気持ちでいっぱいだろう。
熱心に勧誘してきた敬虔な信者の女は、ユフィーリアを睨みつけてくる。
「おのれ、神によくも無礼なことを!!」
女は下着姿のままやおら立ち上がると、
「お前には天罰が下る!! 我らが主神、アドニス様を愚弄した逆賊どもめ!!」
「そうだ、蛮行を許してはならぬ!!」
「お前は殺されるべきなのだ!!」
「聖戦だ、戦争だ!!」
下着姿でぎゃーぎゃーと「天罰が下る」と騒ぐ連中を前に、ユフィーリアは聞く耳すら持たずに欠伸をしていた。何かもう馬鹿みたいに同じことを繰り返されていて聞き飽きた。
エドワードもフライバゲット屋から購入したお高め商品『宝石糖乗せフライバゲット』をむしゃむしゃと食い、アイゼルネもまたショウからクリームがたっぷりと盛られたフライバゲットを食わされていた。完食するまで逃げられない雰囲気である。
明らかに話を聞いていない問題児を前に、信者どもは顔を真っ赤にして怒る。そして女性の信者がユフィーリアめがけて手を振り上げた。
――――ちゅいんッ、どんッッッッ!!
信者どもの脇を通り抜けて、網膜を焼かんばかりに眩い何かが通り抜けていく。
呆気に取られたのも束の間のこと、信者の遥か後方にあった地面が盛大に抉れた。通行人は悲鳴を上げてその場から逃げ出す。幸いなことは怪我人が誰もいなかったことだろう。
抉れた地面に突き刺さっていたのは、紫電を纏わせた槍である。神々の怒りを束ねるとされる最強の神造兵器――ヴァジュラだ。
「ねえ」
固まる信者に声をかけたのは、琥珀色の双眸を爛々と輝かせたハルアである。
「ショウちゃんに謝りもしなかったし、今度はユーリに手を上げようとしたよね。何でオレの嫌いなことをやるの?」
笑顔を消したハルアは、信者たちに詰め寄る。
「神様の試練とか何とか言い訳して、悪いことをしたら『ごめんなさい』って謝るべきだよね? 何でそれが出来ないの?」
怯える信者たちに、ハルアは「ねえ」と口を開いた。
「神様に殺されるのが本望なら、オレがオマエら殺してやるよ。アドニスって奴が使ってた神造兵器は『アルバトロメス』って名前の斧だったっけ。持ってるから今すぐ殺してあげるね。本望なんでしょ?」
彼らはハルアの逆鱗に触れていた。そりゃもう逆鱗に触れた上でぶん殴ってきたのだから怒っても仕方がない。
大事にしている後輩に乱暴を働いた挙句、上司にまで手を出そうと企んできたのだ。熱心な信者であれば神造兵器に殺されるのも喜ぶはずである。
だが、自分の身が可愛い信者どもは、ハルアからくるりと踵を返して一目散に逃げ出す。
「待てやゴラァ!!」
ハルアは絶叫すると、逃げる信者たちを追いかけていってしまった。その際に地面へ突き刺さったヴァジュラを抜くのも忘れない。
イストラの商店街に静寂が降りる。
大変なことになった。まさかハルアがヴァジュラをぶん投げるとは想定外である。よほど今回の件で怒っていたようだが、果たして彼の願いは叶うのか。どうか追いつくことを祈るばかりだ。
ユフィーリアは「まずいな」と呟き、
「証拠隠滅で地面を直してから逃げよう」
「しばらく獣王国にでも身を寄せるぅ?」
「アーリフ連合国でもよさそうだ」
「極東はまずいかしラ♪」
とりあえず魔法で抉れた地面を修復したユフィーリアがいざ逃げようとすると、
「通報を受けてきました〜」
そこには、満面の笑みを見せた学院長のグローリアが立っていた。
《登場人物》
【ユフィーリア】昔は無表情だし、暴力的だった魔女。女神の身体なので神殺しは楽勝。
【エドワード】昔は可愛い顔をした美少年だった。多分、今の状態のユフィーリアが見たら女装させるレベル。
【ハルア】昔から常識を教えてくれたユフィーリアは守るべき魔女だと思っているので、暴力を振るう相手は嫌い。
【アイゼルネ】フライバゲットを堪能中。
【ショウ】まず筋骨隆々とした先輩が神様を魅了するほど可愛い少年だとは思わなかった。じゃあ自分もパンプアップの可能性はあるのでは?
【グローリア】宗教団体と問題児が言い争っている間に通報されてきた。