第4話【問題用務員と神扱い】
騒がしいと思えば、何やら最愛の嫁と白い祭服を身につけた女性が激しく言い争っていた。
「か、神は死んでおりません。いつでも我々のお側から」
「神は死んだ」
「罰当たりです、そのような言動な控えて」
「神は死んだ」
「ですから――!!」
「神は!! 死んだァ!!」
白い祭服を身につけた女性が何かを反論しようとするも、ショウは一貫して無表情のまま「神は死んだ」と繰り返している。
彼の背後では、ハルアがどこか怯えたように右往左往していた。後輩の気迫にどうしたらいいか分からない様子である。傍目から見るユフィーリアも出来れば近づきたくない光景だ。
女性側はおそらく宗教団体だろう。どこかの宗教団体か不明だが、ショウの地雷を踏み抜くような真似をうっかりしでかしてしまい、高い知性から放たれる言葉の刃の数々が彼女の心を傷つける。同じような祭服を身につけた集団が女性の背後に控えているものの、ショウは人数差など気にした様子もなく「神は死んだ」と叫ぶのみである。
首を捻るユフィーリアは、
「あれ、何だろうな」
「神の存在を信じる宗教団体の伝道師様とぉ、神の存在を真っ向から否定するショウちゃんの図かねぇ」
「詳細な説明をありがとうよ、全く嬉しくねえ」
とにかく、最愛の嫁がどうにかされる前に助け出さなければならない。
可能な限り宗教団体には近づきたくないのだが、今回ばかりは避けて通れない道だ。最愛の嫁が自ら宗教団体と喧嘩しているのだから、まずは理由を聞いて状況を判断するのが先である。宗教関係者に喧嘩を売るのがそもそもとして面倒極まりない出来事なのだ。
白い祭服を身につけた宗教団体の伝道師を相手に突っ込もうとするショウを羽交い締めにし、ユフィーリアは「どうどう」と彼女たちから引き剥がした。
「お前、どうしたんだよ。またアタシの悪口でも言われたか?」
「…………」
「ショウ坊?」
ショウから熱い視線を向けられ、ユフィーリアはどうしたらいいのか分からずにとりあえず笑顔を返す。穴が開くほど見つめられてしまうと照れちゃうのだ。
その最愛の嫁へ向けた微笑がショウの中でどんな革命が起きたのか、何故か膝から崩れ落ちた。糸が切れた操り人形よろしくその場に倒れ込むと、ツゥと静かに赤い瞳から涙を流しながらユフィーリアに両手を合わせる。何も分からなかった、どんな扱いを受けているのかさえ不明である。
戸惑うユフィーリアに、ショウは「おお神よ……」などと言う。何と言うことだ、旦那様扱いではなく神様扱いに格上げされてしまった。
「ここにいたではないか、俺の女神様が。立てば芍薬、座れば牡丹、口から紡がれる知識はまさに神からの啓示。この世に神はいないと幾度となく呪ったが、そうだ、現人神の存在を忘れていたとは……!!」
「なあ、ショウ坊。悪いもんでも食ったか? 親父さん呼ぶ?」
「女神が俺のことを心配してくれた!! 天にも昇る心地だ!!」
「なあ本当にどうしちゃった? 何に感化された結果の扱いなんだこれ?」
最愛の嫁による暴走に戸惑うユフィーリア。一緒に連れてきたエドワードとアイゼルネも困惑気味である。
知らないことばかりが溢れるこの世界で、ショウは色々と感化されやすい傾向がある。今回もまた何かしらの影響を受けたが故にユフィーリアを神格化しているのだろうが、ちょっと勘弁してほしい扱いだ。拝み倒されるような存在ではない。
とうとうお祈りをし始めてしまったショウを立たせようと彼の腕を引っ張るユフィーリアは、
「おいハル、お前現場を見てたんだろ。何があったか言え」
「フライバゲットの出来上がりを待ってたら、いきなりそこの奴らが『神は信じるか』って話しかけてきたんだよ!!」
ハルアによる簡潔な説明を受けて、ユフィーリアは白い祭服の連中について納得した。やはり宗教団体で間違いなかったようだ。
しかもショウと激しく言い争っていたところを見ると、強引な勧誘をしようとした矢先で地雷を踏み抜いたらしい。結果的に「神は死んだ」と宗教団体の伝道師からすれば目眩を覚えるような発言に至ったのか。
ここはどうか穏便に去ってもらおうとユフィーリアは宗教団体との対応を引き継ごうとするのだが、ハルアの状況説明には続きがあった。
「それでね、そいつらがショウちゃんの手を引っ張ったから、ショウちゃんの分のフライバゲットが落ちちゃったんだよ!!」
「あ?」
「せっかく美味しそうなフライバゲットだったのに台無しにされたし、ショウちゃんのメイド服も汚されちゃったんだよ!! だからちょっと暴走気味!!」
「あ゛?」
ユフィーリアの口から低い声が発される。
「おいハル、まさかとは思うが謝ってもらったか?」
「…………」
ハルアは白い祭服の連中を睨みつけると、
「謝ってもらってないよ!! ショウちゃんのフライバゲットを台無しにしたことも、メイド服を汚したことも、全部神様の試練だってさ!!」
「ほーう」
ユフィーリアの瞳が、白い祭服の連中を映し出す。
白い祭服の宗教団体の連中は、引き攣ったような笑みを見せるだけだ。曖昧に笑って誤魔化そうとしてはいるが、状況がそれを許さない。
現に石畳にはひっくり返った状態の紙製の器が放置されていて、クリームが広がってしまっている。ハルアの手にも同じような商品の器が握られているので、おそらくあれがフライバゲットだろう。ショウのメイド服も確認すると、スカートやエプロンにクリームが飛び散っているのが見えた。
あとで物体記憶時間遡行魔法でも使うことを想定し、まずはショウをどうにかしなければならない。
「お姉さん、この店で1番甘い商品をくれ。そろそろ嫁に信仰じゃなくて愛情を向けてほしいんだ」
「はいよ、ちょっと待ちな」
「あと商品をダメにして悪かったな。詫びに店で1番高い商品もおまけでつけておいてくれ。代金は支払うから」
「そんなの気にしなくていいんだよ、あたしも目の前で犯行は見たさね。でもありがたくいただくよ」
商魂逞しい女店主に注文を済ませたユフィーリアは、次いで白い祭服を身につけた伝道師どもに詰め寄った。
「おいコラ、うちの嫁に乱暴を働いておきながら謝罪もねえのか」
「これは神様がお与えくださる試練になります」
白い祭服を身につけた女は、純粋無垢な眼差しでユフィーリアを見つめ返してくる。
「神様がお与えになる試練を乗り越えてこそ真の強者となる――我々はそう教えを受け」
「うるせえいいからとっとと財布出せこのダボが」
ユフィーリアは問答無用で胸倉を掴む。
伝道師の女性が悲鳴を上げ、控えていた他の信者どもが慌てたようにユフィーリアから仲間を引き剥がそうとするのだが、横から伸びたエドワードの太い両腕がさらに信者たちを捕獲する。問題児による暴力を前に「神が許さないぞ!!」「天罰が下るぞ!!」とか叫んでくるが無視だ。
怯えた眼差しを投げかけてくる伝道師の女性を、ユフィーリアはまるで荷物のように振り回した。上下に揺らし、左右に揺らし、泣こうが喚こうが知ったことではないとばかりの遠慮ない手つきで。
「おごごごごあががががが」
「何だよ、小銭しか転がってこねえな」
女性の着ていた祭服の下からコロリと小銭入れが転がり落ち、ユフィーリアは舌打ちと共に女性を解放する。当然だが、転がり落ちた小銭入れは強奪した。フライバゲットの弁償代ぐらいにはなるだろうか。
ユフィーリアの手によって振り回されて、金品を強奪された女性は鋭い眼光を突き刺してくる。どうしてそんな態度を取るのだろうか、これも神様がお与えになる試練と考えれば乗り越えなければならないものではないのだろうか。試練を黙って受け入れなければ信者失格である。
小銭入れの金額を確認するユフィーリアは「うわ」と声を漏らしてしまう。
「子供のお小遣いかよ。478ルイゼしかねえわ」
「あららぁ、しけてるねぇ」
「エド、他の信者どもも絞れ。こんな金額じゃお話にならねえ」
「はいよぉ」
エドワードはすでに捕獲されていた信者どもの襟首を引っ掴むと、その剛腕で持って遠慮なしに振り回す。他の信者の懐からは大小様々な財布が転がり落ちてきたので、金額には期待できそうだ。
だが、まだ足りない。喧嘩を売られれば借金をしてでも買うのが問題児である。誰に喧嘩を売ったのか思い知らせてやるべきだ。
座り込む伝道師の女性に「おい」と詰め寄るユフィーリアは、
「脱げ」
「何ですって?」
「脱げって言ってんだよ。その祭服、結構上等そうな生地で作られてそうだからな。売れば金になるだろ」
「ふざけないでください!!」
女性は金切り声で叫び、
「金品を奪った挙句、信者の大事な祭服まで奪おうだなんて!! そんな蛮族にくれてやるものは何もない!!」
「じゃあいいわ、脱衣魔法があるから」
ユフィーリアが「ほい」と雪の結晶が刻まれた煙管を一振りすると、女性の身につけていた真っ白い祭服のみが引き剥がされて手元に転送されてくる。一瞬で下着姿に剥かれた女性は絹を裂くような絶叫を口から迸らせた。
脱衣魔法と呼ばれる魔法は、転送魔法の応用版である。衣服のみに対象を絞って魔法をかけると綺麗に脱げるので、簡単に着脱不可能な衣服を着た場合は便利な魔法だ。ちなみに他人へ脱衣魔法をかけるのは暴力行為や略奪行為と見做されるのだが、乱暴な勧誘をしてくる宗教団体を相手に正論で殴り掛かるなど愚の骨頂だ。
真っ白い祭服をくちゃくちゃに丸めて、ユフィーリアは「お」と青い瞳を輝かせた。
「まだ脱げるな、下着も行ってみようか」
「な、何を」
「全裸にひん剥いたあとは臓器、皮膚、髪の毛と行ってみようか。よかったな、お嬢さん。人間ってのは意外と高く売れるから、余すところなく金に出来るぜ」
ユフィーリアは朗らかな笑顔を絶賛他の信者からカツアゲ中のエドワードへ向けると、
「エド、他の信者も裸にひん剥け。服は多少損壊してても、まあ手巾とかカーテンぐらいにはなるだろ」
「下着までぇ?」
「晒せ、何もかも。変態として放り出せ」
白い祭服集団から財布を毟り取っていたエドワードが、今度は身につけている祭服を狙い始めて信者どもが絶叫した。逃げようとするが、エドワードの遠慮のない手つきが次々と信者どもを下着姿にひん剥いていく。
暴行の限りを尽くされる彼らになす術などない。これほど大きな試練を課されているというのに神様は助けに来ないのだから、いっそ神様など信じない方がマシではないか。
地面に散らばる真っ白い祭服を鼻歌混じりに回収するユフィーリアに、伝道師の女性から呪詛めいた言葉が投げかけられる。
「あなたにはきっと、アドニス様が天罰を下すでしょう……」
「アドニス?」
ユフィーリアは瞳を瞬かせる。
確か、その名前はどこぞの戦神だったか。戦争では無類の活躍を見せるが、美少年に女装をさせて喜ぶ変態面も併せ持つ気持ち悪い神様だったような気がする。
武勇を語る物語は多いが、同時に美少年をどこからか捕まえてきて女装をさせて自分の嫁に娶るという内容の逸話も多い。許せないぐらいの変態である。
ユフィーリアが覚えていたのは逸話でもなく、アドニス神を象徴する武勇の物語を知っていたからでもない。もっと特殊な事情があった。
「ああ、あいつ神核ぶっこ抜いて殺した記憶があるけど、もしかして名前だけが一人歩きしてる?」
――静寂が訪れた。
アドニス神を信じてやまない新興宗教の信者たちは、唖然とした表情でユフィーリアを見上げていた。全員仲良く下着姿なのが笑いを誘う。
助けが来ないのも頷けた。アドニス神は遥か昔、ユフィーリアがその心臓を引っこ抜いて殺害したのだ。引っこ抜いた心臓は学院長のグローリアに研究材料として提供し、死骸は副学院長のスカイに無償でくれてやって魔法兵器の玩具にされたと記憶している。
空気が凍りつく中、フライバゲットをハルアの手によって口の中に詰め込まれたことで我に返ったショウが、ポツリと呟く。
「凄い、神様は本当に死んでいたか」
《登場人物》
【ユフィーリア】神様扱いされているが、実は女神の身体に当時最強の魔法使いの魂が憑依している状態なので広義的に見れば神様ではある。間違いはない。
【エドワード】筋肉フェチの生徒や教職員から「神が作りし肉体……」と崇められた。怖い。
【ハルア】神様が扱う武器をたくさん持ってるから神様扱いでもいいんじゃないかと思ってる、今日この頃。
【アイゼルネ】みんな楽しそうネ♪
【ショウ】フライバゲットを口に詰め込まれて正気を取り戻した。ユフィーリアは最高の旦那様で俺の女神様だぞ? 何言ってるんだ? という訳で彼が旦那様にむけているのは愛情と信仰の両方である。