第2話【問題用務員と変身魔法】
学院長から逃げ出したユフィーリアたち問題児は、近くのイストラまでやってきた。
「デート編の写真集なら普通に街で撮影すればよかったな。その方が現実味があっていいだろ」
「だねぇ」
ユフィーリアの言葉に、エドワードが同調を示す。
まるで読者のご婦人たちとデートをするような目線で写真集を作るならば、最初から都市部で撮影をした方が『それらしさ』がある。校舎内だと、どうしても表現方法に制限がついてしまうので、それならば学外での撮影に及んだ方がいい作品に仕上がる。
ちょうどイストラの街並みは、デートに相応しい外観が特徴だ。隔たる霊峰の間から覗くヴァラール魔法学院の古城めいた見た目に合わせ、さながら城下町のように連なる建物群。石造りの建築物は暖色の屋根で統一されており、人々が憩いの場として集まる広場には大きな噴水が据えられている。商店も多く並んでいるので、学生たちが腕を組んで歩くには最適な立地条件だ。
転写機を用意するユフィーリアは、ふと後方を振り返る。
「アイゼ、悪いが頼めるか?」
「もちろんヨ♪」
そこに立っていたのは、目元の部分にのみ穴を開けた紙袋で頭部を覆った妖艶な女性――アイゼルネである。何だかおかしな格好をしている理由は、いつもの南瓜のハリボテが近くにないからだ。
意地でも素顔を見せない為の対策として、こうして紙袋を被ることにしたのだろう。事情を知らない一般人が目にすれば二度見しそうな勢いのあるトンデモな格好である。
ガサガサと紙袋を鳴らして優雅に笑うアイゼルネは、
「普段は出来ないお衣装だもノ♪ 気合いが入っちゃうワ♪」
「お前が楽しいならよかったかもな」
そう言うアイゼルネの格好は、襟が首元まで届く白いタートルネックのニットと茶色い外套という男性の部類で言えば簡素でお洒落なものを身につけていた。これは、表現したい相手であるグローリアが好みそうな格好ということで、問題児のお洒落番長と名高いアイゼルネがわざわざ選んだものだ。
普段のアイゼルネは妖艶なドレス姿が多いものの、今回は男性的な衣装を身につけているので見慣れない部分はある。白いニットを押し上げる豊満な胸元のせいで裾が持ち上げられてしまい、真っ白いお腹がチラチラと見えてしまうのが目に毒だ。あと単純に寒そうである。
転写機の用意が出来たユフィーリアは、
「じゃあ頼むぞ」
「はぁイ♪」
アイゼルネは弾んだ声で返事をすると、紙袋をガサリと脱ぎ捨てる。
その下から現れたのは緑髪の美女の姿ではなく、烏の濡れ羽色の髪と紫水晶を想起させる瞳を持った爽やかな印象を与える青年だった。どこからどう見ても学院長であるグローリア・イーストエンドと瓜二つだ。鼻の高さから瞳の大きさ、虹彩の色合いまで全てが似通っていた。
ここまで高度な変身魔法を使える魔女や魔法使いは、世界中を探しても早々いないだろう。よく見れば体型まであっという間に変化している。白いニットを押し上げていた豊満な胸元はストンと落ちて平坦な胸元となっており、妖艶な腰つきも男性らしい線を残している。指先も節くれだった男性のようなものに変貌を遂げ、どこからどう見ても学院長にしか認識できない。
烏の濡れ羽色の髪を手で払ったアイゼルネは、爽やかな笑みをユフィーリアに向ける。
「『これでどうかな、ユフィーリア』」
「そい」
「きゃッ♪」
形の整った唇から紡がれた穏やかな声に、ユフィーリアはアイゼルネの頭へ紙袋を被せた。
紙袋から聞こえてきた甲高い悲鳴。遅れて「何するのヨ♪」とアイゼルネの訴えがくぐもった声で聞こえてくる。
ユフィーリアは紙袋越しにアイゼルネの頬を両手でぶにぶにと押し潰し、
「アイゼ、こんなことをさせるアタシも考えものなんだけど声は変えるなって言ったろ」
「ごめんなさイ♪」
紙袋を僅かに持ち上げたアイゼルネは、グローリアの顔で申し訳なさそうに謝ってくる。
「次は気をつけるワ♪」
「変えていいのは姿だけだ。あと紙袋を被せたら変身魔法を解くこと、そういう約束だったろ」
「ごめんなさいネ♪」
ユフィーリアはアイゼルネの頭部を覆い隠す紙袋を戻してやると、自分の財布を心配そうにやり取りを眺めていたエドワードに投げて寄越す。
「エド、どこかで飲み物を買ってこい。アイゼの調子が整ってから再開するぞ」
「何でもいいのぉ?」
「出来れば冷たいものがいいな」
「はいよぉ」
ユフィーリアの財布を預かったエドワードは、飲み物を調達に商店街方面へと歩いていった。飲み物を売っている喫茶店ならばいくらでもあるのだから、すぐに戻ってくるだろう。
その間、アイゼルネを広場の長椅子に座らせる。「疲れてないのニ♪」と訴えてくる彼女の言葉など無視だ。
ショウとハルアは一連の流れに首を傾げると、
「何か知らないけど、アイゼの体調が悪いの!?」
「今日は撮影を中止にした方が……」
「そんなことないわヨ♪ おねーさんの調子はいつも万全だワ♪」
心外なと言わんばかりにアイゼルネがぷりぷりと怒るのだが、ユフィーリアは「そうだな」と頷く。
「ちょっと無理させすぎたから、休ませて調子を見てから考えるか」
「ユーリまデ♪」
「お前は自分の限界ってものを理解してねえんだからそんな反応にもなるんだよ、いい加減に分かれ」
ガサガサと乱暴に彼女の頭部を覆い隠す紙袋を鳴らせば、アイゼルネは「やめてちょうだイ♪」と叫ぶ。嫌ならば自分の調子の良し悪しぐらいを把握できるようになってほしい。
「アイゼさん、体調が悪かったら言ってほしいです」
「アイゼ、あんまり無理するとオレ怒るよ」
「だから体調不良じゃないのヨ♪」
「いや立派な精神異常だから止めとけって言ってんだよ」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「アイゼが変身魔法を使用した状態で声まで変えてなりきり始めたら相当まずい。お前らも覚えとけよ、この状態になったら頭を何かで隠して休ませてやれ」
「それは分かったが……」
ショウはユフィーリアを見やり、
「あの、精神異常とは?」
「変身魔法を使うと自我の境界が薄れてくる弊害があるんだよ。アタシが氷の魔法を使い続けて『冷感体質』なんてものにかかっちまった時と同じようにな」
特に変身魔法を乱用すると、自我が希薄化して『自分』という存在が曖昧になる現象が起こるのだ。変身魔法は自分が他の誰かに変化する魔法であり、他人になりきってしまうと今度は元の姿に戻れなくなる。
アイゼルネは、そう言った現象に陥りやすい体質だ。特段、変身魔法を乱用しすぎた訳ではないのだが、他人に変身してから自我の希薄化までの速度が一般的な記録と比べるとだいぶ早い。誰もが見紛うほどの精緻な変身魔法は極めて使い所も多いが、あまり頼りきりになってしまうと彼女自身を危険に晒す羽目になってしまう。
ユフィーリアは「だから」と言葉を続け、
「アイゼには『他人になりきるな』とは言ってるんだよ。声までそっくりになっちまったら元の姿に戻れなくなる。特に変身魔法は解除の方法が難しいからな、親父さんに頼った方がいいかもしれねえけど」
「父さんにいつでも連絡できるようにしておこう」
「ショウちゃんパパなら協力してくれるよね!!」
「被害がどんどん広がっていくワ♪」
アイゼルネは少し不機嫌そうに、
「おねーさんが気をつければいいだけでショ♪ これからはちゃんとユーリの言いつけを守るわヨ♪」
「おっと、まだ限界を知らねえとはいい度胸だ」
ユフィーリアはショウとハルアを見やり、
「ショウ坊、ハル。お前らは何か食いもんを探して買ってこい。ショウ坊、悪いけど代金は立て替えておいてくれ。エドが戻ってきたら返す」
「分かった、ユフィーリア。なるべく栄養価の高いものを買ってくる」
「ショウちゃん、この前あったフライバゲットがいいんじゃないかな!! クリームたっぷりの!!」
「ああ、それは素晴らしい提案だ」
ショウとハルアは身を翻すと、風のような足の速さで広場から飛び出した。
揚げたパンの上に砂糖や生クリームを乗せたおやつを『フライバゲット』と言い、手軽に作れるので生活魔法を教える際に生徒が作ったりするのだ。また生クリームを乗せたり、目玉焼きや燻製肉を乗せたりなど幅広い種類があり、フライバゲットの店舗によって味や見た目が違う。
ただし、物凄くカロリーが高い。油で揚げているし、クリームや砂糖がこれでもかとかかっているのでとにかく甘い。さらに言えば食事系のフライバゲットを提供する店が少ないので、ユフィーリアはあまり口にしないものだ。
「あれぇ? ショウちゃんとハルちゃんはぁ?」
「お、お帰りエド」
「ただいまぁ、グラスコーヒーが売ってたから買っちゃったぁ」
エドワードが差し出した紙袋には、水のような液体が並々と注がれた透明なカップが詰め込まれていた。倒れないように台座までついている。
水で満たされたカップを受け取り、蓋を僅かに持ち上げて匂いを嗅いでみる。ひんやりとした冷たさを伝えてくる液体からは、コーヒーの香ばしい匂いが鼻孔を掠めた。
グラスコーヒーとは、透明なコーヒー豆から抽出される飲み物である。水みたいに透明な見た目をしており、騙される人間が後を絶たない。味は爽やかな後味があり、酸味が強めのコーヒーだ。
「それでぇ、ハルちゃんとショウちゃんはどこに行ったのぉ?」
「アイゼが『気をつければいいだけでしょ』とかふざけたことを言うから、軽食を買いに行かせた」
「え、それはいけないじゃんねぇ」
エドワードはアイゼルネにもグラスコーヒーが入ったカップを渡しながら言う。もちろん、ユフィーリアの右腕的存在であるエドワードにもアイゼルネの事情は許す限りで共有済みだ。
「でもぉ、大丈夫かねぇ」
「何が?」
「ちょうどさぁ、飲み物を買ってる時に聞こえちゃったんだよねぇ。元気な宗教運動がさぁ」
「ああ……」
ユフィーリアは遠い目をする。
この世界に於ける最大の宗教はヴァラール魔法学院の養護教諭でもあるリリアンティアが教祖を務める『エリオット教』だが、世の中にはまだまだ過激な宗教が信者獲得の為に活動を続けているのだ。それが、活動のしやすい秋になると途端に活発になる。
懸念すべき事項はショウである。彼はユフィーリアを心酔してやまない、可愛いお嫁さんだ。宗教活動に巻き込まれたら「俺の女神様は決まってるので」とか言いかねない。
グラスコーヒーをちびちびと飲むユフィーリアは、
「心配だから迎えに行こう」
「そうだねぇ」
「はぁイ♪」
「アイゼは変身魔法を解いてからだ」
「おねーさんはどこも悪くないって言ってるのニ♪」
厳しい意見に渋々とアイゼルネが変身魔法を解いたところを見計らって、ユフィーリアは軽食を買いに行った未成年組の2人を追いかけた。
《登場人物》
【ユフィーリア】得意な変身は男性化。口調も態度も男らしいので得意。
【エドワード】たまにユフィーリアから犬に変身させられる。ウルフドッグなんて大きな犬に変身できるからである。
【ハルア】蜘蛛ならいつでもなれるよ! ブリッジしながら全力疾走してるからね!
【アイゼルネ】変身魔法の天才だが、同時に自我の希薄化に陥りやすい。体質の問題。本人は何とも弊害はないらしいのだが、何度かユフィーリアが自我の希薄化に陥った瞬間に立ち会っているので怒られる。
【ショウ】身長が足りないが、見た目が父親と瓜二つなのでたまに真似をして本人にバレて恥ずかしい目に遭う。




