第7話【永遠聖女と聖母?】
コロコロと台車を引く。
「ふんふん♪ ふんふーん♪」
夕暮れに染まる廊下を、リリアンティアは鼻歌混じりに進む。
小さな身体で扱うにはあまりにも立派すぎる台車を、リリアンティアは誰の手も借りずにコロコロと引いていた。木製の台車には畑で取れたばかりの野菜が木箱に詰め込まれており、いかにも重そうな見た目をしていても不満を口にすることはない。
実際、リリアンティアの使う台車には荷物の重量を軽減させる魔法陣が刻み込まれているので、子供であるリリアンティアでも大量に野菜を積んで楽に移動が出来るのだ。転送魔法を習得すれば台車を使って移動しなくても済むのだが、生憎と他の魔法とリリアンティアは相性が悪い。「神託の影響をいくらか受けているかもしれない」と教えてくれたのは誰だったか。
とはいえ、台車を引くことに対してリリアンティアは苦に思ったことなど一度もない。こうしていると、農夫の娘として平野を駆け回った遠い日の過去が蘇るのだ。
「ふんふふん♪ ふふーん♪」
適当な音程で鼻歌を奏でつつ、リリアンティアが目指したのはヴァラール魔法学院の最果てである。
校舎の端が近づいてくると、自然に人通りも少なくなる。学生寮や教員寮からも遠いこの場所は、ヴァラール魔法学院を創立当初から騒がせる問題児の領域になってしまうので積極的に関わろうとする生徒や教職員はごく僅かだろう。不用意に近づけば問題行動の餌食にされるかもしれない、と悪い印象を持たれているようだ。
コロコロと台車を引いていたリリアンティアは、目的の扉の前で立ち止まるとコツコツと扉を叩いた。
「――お、リリア。今日はちゃんと来たな」
「こんばんは」
扉が開き、顔を覗かせたのはユフィーリアである。彼女はリリアンティアが引いてきた台車を見て、
「野菜を持ってきたのか?」
「エリオット教で消費する分は確保しておりますのでご安心ください。こちらは元々、用務員室にお届けする予定でした」
「そっか、助かる」
ユフィーリアは頭巾の上からリリアンティアの頭を撫でてくる。真っ黒な手袋で覆われた彼女の手のひらは、冷感体質の影響でひんやりと冷たいが優しい手つきは心地いい。
「ハル、ショウ坊。野菜運び入れてくれ、リリアが持ってきた」
「あいあい!!」
「ああ」
用務員室へと振り返ってユフィーリアが呼びかけると、遅れて部屋から飛び出してきたのはハルアとショウの2人組である。台車に積まれた木箱を確認すると、2人がかりで木箱を台車から下ろしてくれる。
木箱に詰め込まれた野菜を前に、ハルアとショウはその瞳を輝かせた。「立派な野菜!!」「どれも美味しそうだ」と、どこか嬉しそうに言う。
ユフィーリアはリリアンティアが引いてきた台車を魔法で片付けながら、
「昼間のオニキスポテトがまだ余ってるから、ベルファッシェグラタンにしようと思ってたんだ」
「べる?」
「昔の言葉で『蓋をする』って意味。パイ生地で蓋をされたグラタンのことだな、レティシア王国の家庭料理としても有名だぜ」
聞いたことのない料理名に、リリアンティアは瞳を瞬かせる。
昼間に収穫したオニキスポテトが思った以上に多かったので、ユフィーリアは大量消費を目論んで献立を考えてくれたのだろう。鼻孔をかすかに掠める蒸した芋の香りやバターの匂いが食欲を唆る。今まさに、そのベルファッシェグラタンとやらを準備中なのか。
お昼ご飯として食べた溶岩焼きピザもそうだが、ユフィーリアは多くの料理を知っている。知識を実践に移せるだけの行動力も見習いたいところだ。
「母様、リリアも何かお手伝いします」
「あとは焼くだけだし、配膳の用意だけ手伝ってくれれば――」
ユフィーリアはリリアンティアを見やり、
「……母様?」
「はッ」
リリアンティアは自分の口を塞ぐ。
何だか雰囲気が母親のそれと似通っていたので、思わず口走ってしまった。料理上手で、面倒見がよくて、リリアンティアの健康面をよく考えてくれるその姿は世の中の『母親像』と重なる部分も多い。
確かにユフィーリアとリリアンティアに血の繋がりはない。彼女の両親はどこかにいるだろうし、リリアンティアの両親はすでに亡くなったとはいえ最初から存在しなかった訳ではない。本当の家族とは言い難い関係性ではあるのに、ユフィーリアはこうして積極的にリリアンティアの面倒を見てくれるのだ。
故に、思わず口走ってしまったのだが、どうすればいいのかリリアンティアは混乱していた。顔から火が出るほど恥ずかしい。
「いいよ、好きに呼べば。母様でも何でも」
予想に反して、ユフィーリアは揶揄うことなくリリアンティアが無意識に口走ったことをあっさりと受け入れる。
「お前が健康になってくれるなら、母様でも何でもなってやるさ」
「…………はい、ありがとうございます!!」
リリアンティアはユフィーリアに抱きつく。遠い昔に亡くした在りし日に戻れたような気がして、少しだけ嬉しかった。
☆
それからのことである。
「本日のお仕事は植物園の手入れとなります。雑草が増えてきてしまったので、魔法薬学を学ぶ学生の皆様の為にも雑草除去のお手伝いをお願いします」
「かしこまりました」
「植物園ともなると広い範囲に及びますね。もう少し人員を導入するか、本日中に雑草を取り切る区画を決めなければ」
「そうですね、雑草を取り切る区画を決める方針でいきましょう。今日の作業場所は――」
エリオット教本部での研修を終えた修道女数名に取り囲まれ、リリアンティアは今日の業務内容について指示を出す。
ヴァラール魔法学院に於ける彼女たちの上司はリリアンティアだ。たとえリリアンティアが僅か11歳の小娘だとしても、生きている年月が彼女たちとは違う。上下関係に年齢など関係はない。
すると、
「へえ、異世界にはそんな料理があるんだな」
「驚きだねぇ」
「他にもあるの!?」
「これもある意味で異世界知識って奴かしラ♪」
「まだあるにはあるかもしれませんが、俺もまだこの世界の料理を全て味わった訳ではないので何とも言えないですね」
聞き覚えのある声が耳朶に触れ、リリアンティアは自然と声の主を視線で探ってしまう。
ちょうど中庭で苗らしきものを鉢植えに植えている問題児の姿が確認できた。コロンと丸い球根を鉢植えの中に投入し、優しく土を被せてやっている。何を育てているのか気になるところだが、きっと碌でもないものであるのは予想できた。
彼らの会話内容は、何やらご飯系のもののようである。より詳しく聞いていくと、異世界の料理の話題だった。
「餃子はいいですよ。小粒で何個も食べれちゃいますから」
「話を聞くと東洋料理の『肉包』に似てるんだよな」
「あれってお肉を皮で包んだ蒸し料理じゃんねぇ。4人から5人で食べることを想定されてるから大きいんだよぉ」
料理に詳しいユフィーリアとエドワードがそんな説明をすると、ショウが「少し違いますね」と返す。
「餃子は手のひらに乗るほどの大きさで、その『肉包』という料理を一口で食べられるようなものにした感じの料理です。一度だけ食べたことがありますが、美味しいですよ」
「そんなに言うなら食ってみてえな」
「そうだねぇ」
「気になる!!」
「美味しそうだワ♪」
「ユフィーリアやエドさんは気に入るんじゃないですか?」
ショウは少しだけ悪い笑みを見せ、
「肉包は蒸し料理だと聞きましたが、餃子は油たっぷりで焼くんです。お肉の旨みと油の美味しさを麦酒で流し込むと癖になるかと」
「うわ最高じゃん」
「どうしよぉ、ユーリぃ。すでにその口になっちゃったよぉ」
「酒飲みには堪らないおつまみになりますし、飲めなければ飲めないで白米にも合いますので絶対にハマると思いますよ。これは本当にお勧めです」
ユフィーリアとエドワードは互いの顔を見合わせ、
「よしエド、今日の晩飯はそれで行こう。まず購買部で肉包の皮を買わねえと」
「切り分ければ使えるかねぇ。大量に作って食べようよぉ」
「お肉を包む作業は人数が必要になってきますし、俺も手伝います。美味しい餃子を期待してるぞ、ユフィーリア」
「オレも手伝う!! 美味しそう!!」
「おねーさんモ♪」
今日の夕飯の話題に、リリアンティアは瞳を輝かせた。
「母様、夕飯のお話ですか?」
「お、リリアじゃねえか。ちょうどショウ坊から餃子の話を聞いて、作ってみるかってことになったんだよ」
ユフィーリアは手のひらについた土を払い落とすと、
「餃子ってのは皮に肉を包んで焼くみたいだから、仕事終わりに手伝いに来てくれ」
「夕方には仕事を終えて向かいます!!」
「待ってるぞ」
ユフィーリアはそう言って「お前ら、食材を買いに購買部行くぞ!!」と号令を出す。それから球根を植えたばかりの鉢植えを中庭の花壇の側に寄せて、購買部方面に走り去ってしまった。
今日の夕飯は異世界の料理ということで、リリアンティアも期待してしまう。ショウの異世界知識は驚かされるものばかりであり、きっと異世界の料理も美味しいのだろう。
ただ、今は仕事をしなければならない。夕飯のことを考えるのは仕事が終わってからだ。
「失礼しました、それでは植物園に参りましょうか」
「あの」
「はい?」
修道女の1人が、何やら驚いたような雰囲気で口を開く。
「あの、リリアンティア様のお母様って問題児筆頭だったのですか?」
「いえ、違いますが?」
修道女の質問を、リリアンティアは普通に否定した。
「でも、ユフィーリア様は母親のように身共のことを気にかけてくれますので『母様』と読んでしまうのです」
「な、なるほど」
修道女が納得したところで、リリアンティアは植物園を目指して足を踏み出す。今日の夕飯が美味しく食べられるように、たくさん動かなければならないのだ。
――それから、問題児筆頭であるユフィーリアへ新たに『聖母』というあだ名がついて回ったのは、リリアンティアがユフィーリアを「母様」と呼ぶようになったからだとか、そうでないとか。
《登場人物》
【リリアンティア】このあと夕方に仕事を終えて、用務員室で餃子作りを手伝った。お肉いっぱいの餃子は確かに美味しくて大満足。体重計に乗るとユフィーリアに怒られるので乗らないようにしている。
【ユフィーリア】異世界料理『餃子』は麦酒によく合い、脂っこさを酒で流し込むのが最高だった。
【エドワード】白飯と麦酒が一瞬でなくなる餃子の魔力に囚われた。これ美味しいな。
【ハルア】白米を今日だけで3杯もおかわりしちゃった。こんなの罪の味でしょ!
【アイゼルネ】こんなにご飯が進むなんて思わなかったので、異世界料理怖い。
【ショウ】餃子は調理実習で作った時に美味しかった。そういえば叔父さんは麦酒と一緒に食べていたら機嫌が良かった気がする。