第8話【異世界少年と×××】
「…………」
カーテンで仕切られたベッドの上に正座をし、ショウは真剣な表情で目の前のものと向き合っていた。
模様替えをした際に寝室の家具も新調され、全員が天蓋付きのベッドを与えられたのだ。脇に備わったカーテンは開閉自在で、自分だけの空間がお手軽に作ることが出来る。「個室を持つのが嫌ならこれでどうだ」とユフィーリアが提案したのだ。
薄い布1枚の向こう側には、いつもの寝室の風景が広がっているので安心できる。カーテンだけで個室と認識できるちょっとした空間があるのは便利だ。
そう、今の状況に於いては。
「…………」
真剣な表情でショウが見つめるものは、枕の上に置かれた女性用下着である。
真新しい純白の生地に汚れはなく、レースが随所に施された可愛らしい意匠となっている。だが清純さを押し出したものではなく、横側で結ばれた華奢な紐が大胆さも演出していた。
この下着は、ショウが自らの意思で注文した品物である。購買部の店番を請け負った次の日に秘匿配達で用務員室に届けられ、用務員の先輩たちが寝静まった頃を見計らって開封したのだ。
(どうしよう……)
大人の余裕で溢れる愛しい恋人のユフィーリアをメロメロにするべく女性用下着に手を出したが、いざ自分が穿くとなったら少しばかり足踏みしてしまう。
何故ならこれは、本来であれば男であるショウが手を出していい代物ではないのだ。ちゃんと綺麗な女性が身につけるべき大切な布であり、男の象徴がしっかりついたショウが着るべきものではない。
着るべきものではない、のだが。
「…………」
小さな布の塊を手に取り、しばし逡巡する。
見た目は可愛いが、少しばかり布面積が少ない気がする。やはり最初に手を出すのであれば、もう少しだけ布面積がある下着を選んだ方がよかったかもしれない。
こんな心許ない布地だけで大事な部分が隠せるのだろうか、と疑問に思えてしまう。大きさは問題ないだろうが、その、色々と見えてしまうのではないだろうか?
(これを、身につければ)
ユフィーリアは、どう反応するだろうか。
笑いながら「似合うな」と言ってくれるだろうか。
それとも戸惑いながら「どうしたショウ坊」とか、あるいはドン引きした冷たい目線を突き刺しながら「引くわ」の一言だろうか。出来れば後半の反応だけは避けたいところだ。
ユフィーリアに引かれたくない、今よりもっと好きになってもらいたい。
いけない扉を開いてしまうことになるだろうが、それでもこれは自分で選んだ方法だ。たとえ間違っていても、もう後戻りは出来ない。
キュッと唇を引き結んだショウは、なるべく音を立てないで洋袴を脱ぐ。
(これで喜んでくれるなら)
湧き上がる羞恥心を根性で捩じ伏せ、ショウは暗闇の中で静かに着替えるのだった。
☆
寝室の扉を静かに開ければ、ぼんやりとした明かりが居間を照らしていた。
広々とした居間の隅に設けられた団欒の空間で、銀髪碧眼の魔女が酒盃を静かに傾けながら魔導書を読んでいる。まだそれほど飲んでいないのか、僅かに頬が赤いだけで目立った酔っ払いの行動は見られない。
ぺたり、というショウの足音に気づいたようで、銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルが顔を上げた。宝石にも勝る色鮮やかな青い瞳を瞬かせ、それから彼女は首を傾げた。
「どうした、ショウ坊。また悪い夢でも見たのか?」
「1人で晩酌をしている恋人に、酒を注いでやろうかと思って」
「へえ? それは嬉しい申し出だな」
ニヤリと笑ったユフィーリアは、ショウに小さめの酒盃を渡してくる。火酒を飲む際に用いられる硝子杯だろう、相当な年季が入っているのか細かい傷が刻まれていた。
零さないように、小さな硝子杯へ琥珀色の火酒を注ぎ入れる。空模様を描いた紅茶など魔法みたいな食べ物をよく見かけるのだが、酒はこの世界でも奇抜な色はしていないらしい。
隣に座るショウの頬を指先でくすぐり、ユフィーリアは「ありがとな」と言って火酒を呷る。度数の強い酒が彼女の喉奥に滑り落ちた。
「ショウ坊に酌をしてもらっただけなのに、安酒が美味く感じる」
「それならいくらでも注ごう」
「歯止めが効かなくなるから1杯だけでいい。ありがとうな、ショウ坊」
小さな硝子杯を机に置き、ユフィーリアは読みかけだった魔導書を閉じる。題名には『変身魔法の応用!!』とあった。変身魔法の魔導書なのだろうか。
「晩酌のお供は、やはり魔導書なのか?」
「まあなァ。最近だとエドもアイゼも付き合いが悪くてよ、仕方がないから1人寂しく酒を飲みながら読書中って訳」
「言ってくれれば、いくらでも付き合うのだが」
「だぁめ」
黒い長手袋で覆われた指先をショウの頬に突き刺して微笑むユフィーリアは、
「成長期が夜更かしすると、身長伸びねえぞ」
「せっかく2人きりになれるのに」
不満げに唇を尖らせれば、ユフィーリアは「可愛いこと言うなよ」と笑う。
「昼間にも2人きりになれる時間はある。アタシのくだらねえ晩酌に付き合ってないで、成長期なんだからさっさと寝ろよ」
「でも目が冴えてしまったし……」
「なら仕方がねえな」
ユフィーリアが指を弾くと、机の上に綺麗な硝子杯とジュースの瓶が置かれる。自分の使っていた硝子杯には琥珀色をした火酒を注ぎ入れ、彼女は空いた硝子杯をショウに突き出す。
まだ未成年だから酒には付き合えないが、ジュースならということなのだろう。ショウの我儘を叶えてくれる彼女は、やはり世界で1番優しい魔女だ。
ジュースの瓶を開封し、乳白色の液体を硝子杯に注ぎ入れる。すると彼女の手が横合いから伸びてきて、琥珀色の火酒で満たされた硝子杯をぶつけてきた。
「ほい、乾杯っと」
「乾杯」
そうして、ショウはジュースを呷った。舌の上に広がるのは、林檎の酸味と甘味。ほんの少しだけすり潰された林檎の食感が口の中に残り、とても美味しいジュースだ。
隣ではユフィーリアが火酒で満たされた硝子杯をチビチビと傾けていた。それまでの飲みっぷりが嘘のような大人しさである。
空っぽになった硝子杯を両手で包み込むショウは、
「ユフィーリア」
「何だ、ショウ坊?」
「聞きたいことがあるのだが」
「ん?」
優しげな光を湛えた青い瞳が、ショウへと向けられる。
ドキリ、と心臓が跳ねた。
その色鮮やかな青い瞳で見つめられると、これから聞きたいことが聞けなくなってしまうし、見せたいものも見せられなくなってしまう。
「その……下着のことなんだが」
「ん、そういや何か頼んでたよな」
「男性が女性用の下着を身につけることは、その、気持ち悪いことなのだろうか」
「あ、グローリアのことか?」
硝子杯に残る琥珀色の酒をちゃぷちゃぷと揺らすユフィーリアは、
「あれは傑作だよなァ、だって気づかないんだぜ? 絶対にすぐ気づいて怒られるって思ってたのに、いつのまにか穿き慣れてんだもんな。今度はもっとえげつないの仕掛けてやろうかな」
「ユフィーリア」
ショウはユフィーリアの手から硝子杯を取り上げて、机の上に置く。それから長椅子にもたれかかる彼女の膝の上に跨った。
少し下に視線をやれば、ユフィーリアが不思議そうにショウの顔を見上げている。鮮明な色を宿した青い瞳を瞬かせ、それから「ダメだぞ」と唇を手で覆う。
どうやらキスをされるとでも思っているようだ。ショウは、これからそれ以上のことをするのに。
「今は酒臭いからキスはまた今度――」
「ユフィーリア」
心臓が口から飛び出そうなほどドクドクと脈動している。顔全体に熱が集中するのが分かった。
いざその時になったら、どうしても寝巻きの下に身につけたものの存在を意識してしまう。羞恥心でどうにかなってしまいそうだ。
首を傾げるユフィーリアに、ショウは僅かに震えた声で言う。
「見てほしいものが、あるんだ」
「見てほしいもの?」
「貴女は、どう反応するか分からない。でも、どうか引かないでほしい。――嫌いにならないで、ほしい」
そう言って、ショウは寝巻きの襯衣をたくし上げる。
薄い胸元や腹筋すら碌についていない貧相な腹を見せたところで、興奮の対象にもならない。問題はその下だ。
紐で縛って留める洋袴に指を引っ掛け、ショウはほんの少しだけ洋袴をずり下ろす。
「ユフィーリア」
洋袴の下から現れたのは、
「に、似合って……いる、だろうか」
純白の布地に覆われた、自分の大事な部分だった。
随所にレースが施された可愛らしい意匠だが、腰の辺りでかろうじて引っ掛かっている華奢な紐が大胆な印象を与える。頼りない紐を引っ張られた暁には、全てが曝け出されてしまう危険性がある。
顔を真っ赤にし、羞恥心で瞳を潤ませるショウは、愛しい恋人の反応を待った。
「…………」
唖然とその光景を目の当たりにしたユフィーリアは、静かに自分の鼻を押さえて言う。
「待って、鼻血出てない!? アタシ鼻血出てねえか!?」
「え、えと、大丈夫だ」
「そうか、分かった!!」
ユフィーリアはたくし上げられたショウの襯衣を直し、洋袴をしっかり穿かせてくる。手際が鮮やかだった。抵抗する暇さえなかった。
やはり目に毒だったのだろうか、とショウは後悔する。
喜んでもらえるように、と決心をして穿いたのだが無駄に終わってしまった。
しょんぼりと肩を落とすショウの目の前で、銀髪碧眼の恋人は何故か綺麗な土下座を披露した。
「ユフィーリア?」
「いいモン見させてもらいました、金払います」
「ユフィーリア、待ってくれ」
「あ、3万ルイゼまでなら出せるんだけど、それ以上ってなるとさすがに臓器を売らなけりゃならなくなるんですけど。いくら払ったらいい?」
「払わなくていい、払わなくていい!!」
ショウは首を横に振って金銭の支払いを拒否し、
「ユフィーリア、顔を上げてくれ。こんな、変態と呼ばれてもおかしくないのに」
「変態だなんて誰が思うか。むしろ『ご馳走様です』だわ」
土下座の状態から顔を上げ、床に胡座を掻くユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥えながら言う。
「めっちゃ似合ってた。もうあれ以上ないぐらいに」
「本当か……?」
「アタシが今までで嘘を吐いたことあったか?」
ユフィーリアは「実はな」と照れ臭そうに笑い、
「アタシの為に着てくれたってのが1番嬉しかった。いや、うん、本当に。男の尊厳を奪っちまうようで悪いんだけどな」
「ユフィーリア!!」
「うおッ」
感極まって、ショウはユフィーリアに抱きついていた。華奢でありながらしっかりと鍛えられた彼女の身体を抱きしめ、肩口にグリグリと額を押し当てる。
間違いではなかったのだ。彼女はしっかりと喜んでくれた。本心はどうなのかショウに確かめる術ないのだが、それでも「似合っている」という一言以上の称賛はいらなかった。
ショウは彼女の耳元に唇を寄せ、
「嬉しい、ユフィーリア」
ビクリと驚いたように肩を跳ねさせるユフィーリアに、ショウは小悪魔的に微笑みながら囁いた。
「次はもう少しだけ頑張ってみるから、その時はまた見てほしい……」
「お、お手柔らかにお願いしますゥ……」
口元を引き攣らせるユフィーリアへ微笑みかけ、ショウは彼女の桜色の唇に自分のものを重ねた。ちゅ、と音を立てて名残惜しげに離れる。
いきなり派手なものに挑戦すれば引かれるだろう。ここは清純さを強調した可愛い意匠のものを取り揃え、靴下留めなどで飾るのも一興か。年上の恋人は、どんなものが好きだろうか?
ユフィーリアを強く抱きしめながら、ショウは彼女を魅了する手法に思考回路を巡らせるのだった。
《登場人物》
【ショウ】年上の恋人が大好きすぎるあまり、本格的な女装に目覚める少年。次はどんな手段で恋人をメロメロにさせようかな?
【ユフィーリア】年下の恋人からの熱視線が凄すぎるが、彼が何をしても全部「可愛い(血涙)」で片付けられるほど愛している。ヤンデレな部分には気づいていない様子。