第5話【問題用務員と聖女のおやつ】
ふわりと甘い香りが漂う。
「よし、完成」
ユフィーリアは鉄板に置かれた茶色いケーキを包丁で切る。
ふわっとした感触が包丁から伝わってきて、丁寧に切り分けると黄金色の生地から甘く煮詰めた林檎がゴロゴロと転がってくる。林檎の芳醇な香りと甘い砂糖の匂いが鼻孔を掠めた。
この林檎のケーキがヨクモフ・アップルケーキである。土台のクッキー生地はザクザクして歯応えがあり、スポンジ生地はふわふわに焼けている。間に流し込んだ林檎は香辛料などを使われて柔らかく煮込まれているが、シャッキリとした感触は残されているので噛んだ感覚も楽しめるだろう。
会心の出来であるヨクモフ・アップルケーキを前に額の汗を拭うユフィーリアは、
「これならリリアの栄養補給にもなるだろ」
「あ、焼けたのぉ?」
居住区画を覗き込んできたエドワードが、ヨクモフ・アップルケーキの匂いを嗅ぎつける。タイミングのいい男である。
「おうよ、焼けた。見ろよ、会心の出来だぜ」
「美味しそうじゃんねぇ」
エドワードは焼けたばかりのヨクモフ・アップルケーキを前に涎を垂らし、
「ユーリぃ、小麦と雪塩バニラのアイスのおつかいをこなした俺ちゃんにご褒美はないのぉ?」
「ユーリ♪ おねーさんもおつかいに行ったわヨ♪」
エドワードに遅れて、アイゼルネもまたご褒美を要求してくる。
確かに、彼らが小麦と砂糖を買ってきてくれたのも事実だし、おつかいに対する報酬が必要だ。それに最適な品物が目の前にあるではないか。
ユフィーリアはやれやれと肩を竦める。彼らはヨクモフ・アップルケーキ目当てで手伝いを申し出てきたのだ。まあ、最初から飛ばしすぎてリリアンティアに大量の食事をさせてもかえって身体に毒なので、適度な食事量であることが必要だ。
転送魔法で人数分の皿を手元に呼び出したユフィーリアは、焼きたてのヨクモフ・アップルケーキに小さめのフォークを添えてエドワードに差し出す。
「ほらよ、おつかいの対価は必要だよな」
「わあい」
「さすがユーリ♪」
「その代わりにアイゼ、紅茶を入れてくれ。とびきり美味い奴な」
ユフィーリアに依頼され、アイゼルネはいそいそと紅茶の準備を始める。陶器製の薬缶に水と共に投入したものは、やたら高そうな紅茶の茶葉の缶詰だった。見覚えがある茶葉の缶だと思えば、学院長である青年のグローリア・イーストエンドが持っていた紅茶の缶だったか。
焼き菓子特有の甘い香りと一緒に、心が安らぐような花の香りが強くなる。アイゼルネが持つ陶器製の薬缶をカップに傾ければ、熱々で飴色の液体が注がれた。
ユフィーリアは食料保管庫からバケツのような容器を取り出し、
「エド、アイスどのぐらいがいい?」
「その器全部」
「引っ叩かれてえのか」
大きめのスプーンでアイスクリームの容器から真っ白いアイスをほじくり出し、ユフィーリアはエドワードに渡したヨクモフ・アップルケーキの横に添えてやる。焼きたての温度がアイスにも伝わっていくのか、じわじわと雪塩が混ざったアイスクリームが溶け出していく。
本気で器全てのアイスクリームを求めた訳ではないようで、エドワードはニコニコ笑顔でヨクモフ・アップルケーキを頬張り始めた。スポンジと煮詰めた林檎、それから冷たい雪塩バニラのアイスクリームを合わせて口に入れると、彼の野獣のような強面が緩む。
ユフィーリアは紅茶をちょうど入れ終えたアイゼルネに視線をやり、
「アイゼはどうする?」
「その容器の半分♪」
「多すぎだろうがふざけんな」
大人組の冗談へしっかりツッコミを入れつつ、ユフィーリアは再び容器のアイスクリームを大きなスプーンでほじくり出していく。それからアイゼルネの分のヨクモフ・アップルケーキの横に添えてから、アイゼルネに提供した。
アイゼルネは紅茶のカップをユフィーリアに渡すと同時に、ヨクモフ・アップルケーキの皿を受け取る。小さなフォークでヨクモフ・アップルケーキを切り分けると、南瓜のハリボテを被ったままの状態で口に運ぶ。顔が綻ぶ様は見えなかったが、彼女の口から「♪」と甲高い声が聞こえてきた。
アイゼルネに入れてもらった紅茶を口にするユフィーリアは、
「あ、これ美味えな」
「学院長のところからチョロっとしてきたのヨ♪」
「素直に持ってきたって言えばいいじゃんねぇ」
「可愛いでショ♪」
口いっぱいに広がっていく花の香りと紅茶の渋みが絶妙にマッチし、最高に美味しいお茶である。やはり紅茶を入れる技術はアイゼルネが1番だろう。
アイゼルネもエドワードも、ユフィーリアが作ったヨクモフ・アップルケーキを食べてご満悦である。いつもは一瞬で食べ終えてしまうエドワードも、今回ばかりはゆっくりと食べ進めていた。珍しいことで逆に面白い。
すると、
「ただいま!!」
「ただいまです」
「みー……」
用務員室の方面から元気溌剌な声が鼓膜を突き刺してくる。
居住区画から顔を出せば、予定より少し遅れて未成年組と問題のリリアンティアが引きずられて用務員室に帰還を果たした。特にリリアンティアはショウとハルアに両脇を固められており、まるで宙吊りにされるかのようにぷらんと力なく2人の間で垂れ下がっていた。
予想通りというか、かなり抵抗したらしい。そりゃ食べ物が美味しい秋で、体重が増加してしまったから減らしたいという乙女心は理解できるのだが、彼女の場合は落とさなくていい体重まで無理に落としているのだから仕方がない。これは教育である。
リリアンティアは納得していないような表情で、
「酷いです……あんまりです……」
「おうおう、今にも餓死寸前の聖女様が何言ってんだ」
「今のユフィーリア様は優しくないです、身共の気持ちも考えてください!!」
「贅沢は敵だなんて戯言は聞こえません」
ユフィーリアはリリアンティアを強制連行したハルアとショウに「ご苦労だった」と声をかけ、
「よし、そのままリリアごと洗面所で手を洗ってこい。おやつあるぞ」
「楽しみにしてたんだよ!!」
「どんなケーキなのか楽しみだ」
「そんな大したものじゃねえんだけどな」
未成年組の素直な期待を寄せられ、ユフィーリアは苦笑する。これは彼らの期待に添えるような代物を作れたのか心配になってくる。
ショウとハルアは、宙吊りにしたリリアンティアを引きずって居住区画に消えていった。遅れて「お帰りぃ」「お帰りなさイ♪」と大人組の声が聞こえてくる。
居住区画から未成年組のはしゃぐような声が耳朶に触れる。リリアンティアは洗面所から飛び出してこないので、おそらく逃げることは諦めたのだろう。問題児の中でも特に身体能力が高く、逃げれば地の果てまで追いかける未成年組から逃げられるものなら逃げ切ってほしいものだが。
ユフィーリアが未成年組とリリアンティアのおやつを用意していると、はしゃぐ声が一層大きくなった。ちゃんと手を洗い終えたらしい。
「アイスどれぐらい添える?」
「ショウちゃんと半分こするから器の半分!!」
「眼球抉るか前歯を折られるかどっちがいい?」
「何でそんな暴力的なの!?」
「このやり取りが3回目だからだよ」
3回も似たようなやり取りをしてきたので、ユフィーリアはついハルアに八つ当たりをしてしまった。己の大人げなさを反省する。
バケツのような容器からスプーンで雪塩バニラのアイスクリームをほじくり出し、少し冷めたヨクモフ・アップルケーキに添える。ちょっと時間は経過してしまったが、完全に冷めた訳ではないのでまだ美味しく食べることが出来るはずだ。
ショウとハルアの前にそれぞれヨクモフ・アップルケーキの皿を置くと、彼らの瞳がキラキラと輝いた。両手を合わせて「いただきます!!」と元気よく挨拶を済ませると、小さなフォークで丁寧にヨクモフ・アップルケーキを切り分ける。
一口に収まる程度のアップルケーキを口に運んで、ショウとハルアはクワッと瞳を見開いた。
「美味え!!」
「林檎の酸味と甘味が同時に押し寄せて……ふわああ……」
「気に入ってもらえて何よりだ」
ショウとハルアはとても嬉しそうにヨクモフ・アップルケーキを食べ進めるので、ユフィーリアも思わず笑ってしまう。作り甲斐のある反応だ。
さて、リリアンティアを見やると彼女は出されたアップルケーキに手をつける気配がなかった。何やら親の仇のようにケーキを睨みつけるばかりである。
変なところで頑固になるので、おそらく意地でも食べないつもりだろう。そんな意固地になっている間も添えた雪塩バニラのアイスクリームはじわじわと溶けているし、焼きたてのケーキも冷めていく一方だ。
だから、
「リリア」
「…………何ですか」
「お口開けて、はいあーん」
「? あーん」
何も疑うこともなく口を開いたリリアンティアに、ユフィーリアは手付かずだったヨクモフ・アップルケーキを食べさせてやる。
いきなり甘いケーキを口の中に放り込まれたリリアンティアは目を白黒させるが、それでも口に入れたものを吐き出す訳にはいかないとでも思っているのかモグモグと咀嚼する。小さな口を動かして甘いお菓子を堪能する彼女は、その可愛らしい顔を綻ばせた。
両手で頬を押さえたリリアンティアは、幸せそうな表情で言う。
「お、美味しいです……!!」
「おう、そりゃよかったな」
「はッ」
我に返ったリリアンティアは、
「も、もうこれ以上はいりません。お腹が空いていないので」
「はいあーん」
「あーん」
リリアンティアに再び『あーん』をしてやるユフィーリア。素直に口を開けた聖女様の口に、ヨクモフ・アップルケーキを入れてやる。
もぐもぐとケーキを咀嚼して嬉しそうに顔を緩ませるリリアンティア。試しにその状態でフォークを握らせてやると、今度は自分でヨクモフ・アップルケーキを食べ始めた。ケーキの甘さに陥落した模様だ。
ヨクモフ・アップルケーキを食べるショウとハルアは、リリアンティアの顔を覗き込んで笑う。
「美味しいね、ちゃんリリ先生!!」
「美味しいですね」
「はい!! 林檎がシャキシャキで甘くて美味しいです、ケーキともよく合います!!」
リリアンティアはアップルケーキに添えた雪塩バニラのアイスクリームにスポンジを染み込ませ、熱さと冷たさを兼ね備えたアップルケーキを口に運ぶ。美味しさのあまり表情が緩んでいる。先程までの意固地な聖女様はどこに行ったのだろうか。
「よし、次は夕飯だな」
「夕飯は何を作る予定なのぉ?」
「安心しろ、ちゃんと考えてる」
すでにヨクモフ・アップルケーキを食べ終えたエドワードにユフィーリアが耳打ちをすれば、彼は「いいねぇ」と笑う。
聖女様の肉体改造計画はまだ始動したばかりだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】お菓子作り大好き。工程が多いし、見た目をこだわれるが、基本的に食べない。甘いものがそこまで得意ではない割には作るのだけ好き。
【エドワード】繊細なお菓子はあまり得意ではないが、クッキーやカップケーキなど得意。でもユフィーリアのように飾りばっちりのケーキを作ってみたい。
【ハルア】食べる専門。甘いもの大好き。
【アイゼルネ】紅茶を入れるの専門。お菓子作りはあまり得意ではないが、アイシングは得意かもしれない。
【ショウ】食べる専門。お菓子大好きだし、ユフィーリアお手製のお菓子が美味しくてたまらない。
【リリアンティア】生真面目で純粋無垢な聖女様。おやつを完食してから「食べちゃった……!!」と後悔するものの、食育計画からは逃れられない。