第2話【問題用務員と様子のおかしい嫁】
「どうして……どうしてこんな……どうして……」
用務員室に戻ってきたショウは、消え入りそうな声で何度も「どうして」と繰り返しながら部屋の隅に置かれている長椅子に突っ伏す。
大食い大会の概要を聞いてから、彼はずっとこんな調子である。心配になるほどの落ち込み具合だ。先輩であるハルアはショウの精神状態を心配して、長椅子に突っ伏した彼の背中に用務員室のアイドルであるぷいぷいを乗せたり頭を撫でたり励まそうと努力していた。
確かに大食い大会の概要はあまりにもお粗末である。アダムズもやたら自信満々に説明していたが、聞けば聞くほどつまらない内容だ。「大食いの観戦が好きだ」と期待を寄せていたショウは、大会の内容が明らかになって失望しているのだろう。
ユフィーリアは首を傾げ、
「ショウ坊、ショウ坊や」
「ユフィーリア……」
「大会内容があまりにもつまらなさすぎて失望した気持ちは分かるけど、学生が企画する遊びのような行事だから杜撰でも仕方なくねえか?」
生徒が企画する行事は遊び感覚が多い。今回の大食い大会も記念に参加したり、遊び半分で参加する生徒が大半だ。本気で大食いを制そうとする参加者など企画を立ち上げた張本人であるアダムズか、用務員最強の大食漢であるエドワードぐらいのものだろう。
規則や規定が杜撰なものだったり、大会内容が面白くなかったりといった事情は、学生が企画する行事だから仕方がないことだ。これで参加費を徴収したり、観戦券が販売される事態になると話は変わってくるが、有志の生徒を集めて計画して参加するもしないも自由を掲げているのならば多少は目を瞑るのが優しさである。
顔を上げたショウの頬を撫でたユフィーリアは、
「な? エドが参加するから応援してやろうぜ。ショウ坊が応援すりゃ優勝をもぎ取ってくるだろ」
「そうだよぉ。ショウちゃんが応援してくれるなら、俺ちゃん頑張っちゃうねぇ」
エドワードも同調してくる。やはり後輩に元気がないことは彼にとっても気掛かりだったのだろう、「だから元気出してぇ」と励ましてくる。
その言葉に対して、ショウは何も言わなかった。無表情のまま虚空を見つめたっきり反応を返さない。嫁が見つめる方向に何かがあるのかと思って振り返ってみたが、やはりそこには何もない。彼自身に特殊なアレやソレが見えるような才能が宿ったという訳でもなさそうである。
まさか、大食い大会の内容があまりにもお粗末だから「応援なんてしたくない」と言うのだろうか。いくら杜撰で中身がスカスカな大会内容でも、身内のエドワードが出場を決めたのだ。応援しなければ可哀想である、エドワードのやる気も半減だ。
ところが、ショウはもっと別のことを考えていたようだ。彼の脳味噌では革命が起きたのか、弾かれたように立ち上がる。
「そうだった!! ここは海外方式だった!!」
「何だ!?」
「いきなりどうしたのぉ!?」
「元気になった!!」
「きゃッ♪」
唐突に意味不明なことを叫び始めたショウに、問題児一同は揃って驚く。
それからショウは「靴も脱がないし、そうだ海外なんだここは」とか「ならば大食いの定義が違うことにも納得」とか全く理解できないことを呟いている。急に元気を出してくれたことには喜んでいいものだろうが、本当に唐突すぎて彼の精神状態がそろそろ心配だ。
元気になったかと思えば途端に呪文を唱え始めてしまったショウを見て、ユフィーリアたちは互いの顔を見合わせる。果たしてこの結果は最良なのかと考えたが、ユフィーリアの中で納得できる回答が出てこなかった。もうショウ本人に任せるしかない。
ぶつぶつと呪文を唱えていたショウは、ピタリと静かになる。そして赤い瞳をぐるんとユフィーリアに向け、
「ユフィーリア、ユフィーリア!!」
「お、おう、どうしたショウ坊」
「俺の望みを叶えてくれるのは貴女だけだ、ユフィーリア。貴女であれば簡単に出来る。魔法の天才と呼ばれた貴女の手腕をどうか見せてほしい」
いきなり大胆なおねだりである。これはいよいよ、彼の頭の中身も不安を覚える状況になってきたかもしれない。
しかし、魔法の天才という部分を引き合いに出してくるのだから、おねだり関係は魔法が関わってくるということになる。魔法と言えばユフィーリアだ。ユフィーリア以上の腕前を持つ魔女や魔法使いは――まあ存在しないと言っていい。
最愛の嫁から頼られてことでちょっと嬉しいユフィーリアは、
「おう、いいぞ。ショウ坊が頼むなら何でもやってやろうじゃねえか」
「では大食い大会に参加する参加者の情報を魔法で探ってきてくれ。出来れば名簿もほしい」
「んん?」
予想に反して意味の分からないおねだりの内容に、ユフィーリアは首を傾げた。
確かに魔法を使えば大食い大会の参加者も分かるし、名簿を作ることも容易い。だがその作り上げられた参加者の名簿は何に使われるのか。
情報だからと言って、大飯食らいだけが寄せ集められた個人情報など誰がほしがるだろうか。個人情報を売っ払うにしても、もう少し売る価値のありそうな個人情報がいいに決まっている。
頭に目一杯の疑問を浮かばせるユフィーリアに、ショウは綺麗な笑顔で言う。
「ユフィーリア、大丈夫だ。俺を信じてくれ」
「いや信じてるけど……」
「これは絶対に面白くなる。貴女もきっと『協力してよかった』と心の底から思うことだろう」
ショウはユフィーリアの手を取り、
「だからお願いだ、ユフィーリア。今は何も詮索せずにお願いを聞いてくれないか? 絶対に後悔させるようなことはないから」
「うんいいよ!!」
ユフィーリアは即答していた。
あまりにも決断が早すぎた。所詮は最愛の嫁に首っ丈の旦那様であり、嫁の笑顔によるおねだりは問題児筆頭にとって最大の弱点だ。
ショウは「ありがとう」と弾んだ声で返し、
「ハルさん、一緒にレディさんのところに行こう。これから忙しくなるぞ」
「何でって聞いていい奴!?」
「出来れば聞かないでいてくれたら嬉しいな。お願いできるか、ハルさん」
「うん分かった!!」
ハルアにもユフィーリアと同じようなことをしていた。しかも同じく「何も詮索しないでほしい」と来たものである、第六感の働く比較的理性的なハルアでも後輩のお願いには弱かった。
「ショウちゃん、俺ちゃんは何か協力できるぅ?」
「おねーさんも楽しそうだから協力させてほしいワ♪」
「アイゼさんはユフィーリアの結果次第で招待状を書いてもらいたいです。用務員の中で1番綺麗な字が書ける人はアイゼさんですので。エドさんは――」
協力を申し出てきたエドワードを見やったショウは、ふいと視線を逸らした。
「戦力外通告です」
「何でぇ!?」
「エドさんは知られたら困ります。何もしないでください」
理不尽な戦力外通告かと思えば、エドワードを除外したことも理由はあるようだ。しかも「知られたら困る」と来たものだ。
つまり、彼は大食い大会関係で何かをしようとしている訳である。だから大食い大会の参加者を知りたがったし、参加者の1人であるエドワードには戦力外通告を言い渡したのだ。これは何か楽しいことが起こる予感しかしない。
ショウは決意を示すように拳を握りしめ、
「絶対に変えてみせる……文化の相違はあれど、こんなのは大食いとは認めない……!!」
「やっぱり大食い大会関係なんだな」
「ただ胃に詰め込むことなど誰でも出来る!! 俺が見たいのは大食いによる絶望感を与えることだ!!」
「何をするつもりだ本当に!?」
大食い大会が関係していることは予想できたが、大食いに対して「絶望感を与えたい」とはどういうことだろうか。嫁が何をするつもりなのか分からなくて、ユフィーリアは恐怖に身体を震わせた。
参加者であるエドワードもショウのやることなすことが想像できずに怯えている。大食いで絶望感など、それはもう好物の中に苦手なものを仕込むようなものと言っていい。食べ物が怖くなる絶望感だ。
何に協力させられるか分からず身を寄せ合って震える問題児たちに、ショウは「安心してくれ」と言った。
「エドさんの嫌いなものは仕込まない。そんなの平等じゃないだろう?」
「何も安心できないよぉ」
「なあ、アタシは本当に協力していいんだよな? これ本当に大丈夫だよなぁ!?」
「ショウちゃん、オレ大丈夫? クビになったりしない?」
「おねーさんも何だか怖くなってきちゃったワ♪」
協力に不安を覚えるユフィーリアたちをよそに、ショウは「頑張るぞー」と気合いを入れていた。本当に心配しかない。
《登場人物》
【ユフィーリア】嫁のおねだりには弱い魔女。お目目うるうるでおねだりされちゃうと何でも聞いちゃうのだが、既成事実だけはどうしても踏み込めない。
【エドワード】後輩のおねだりには弱い。ハルアならば「あー、はいはい」で済ませるのだが、ショウが相手だとコロッと絆されちゃう。でも絆されない時もある。
【ハルア】後輩のおねだりに弱い。だって可愛がっている後輩だから、おねだりされたら聞いちゃうのも当然では?
【アイゼルネ】年下のおねだりには弱い。ハルアとショウは弟のように可愛がっているので、そりゃ弱い。
【ショウ】自分の可愛さを自覚してからは最大限に活用しておねだりしまくる最年少の問題児。でも旦那様の「ダメか?」でやられちゃう。