第10話【問題用務員と浮気撲滅】
「私は本日を持って、ミシェーラ・ダムフィールとの婚約を白紙とする!!」
その言葉を聞いたと同時に、ユフィーリアは即座に動いていた。
「リリア、飲み物あげるから静かにな」
「はい、ありがとうございまイタタタ」
「炭酸が強すぎるみたいだから別の奴にしようか」
硝子杯にまだ残っている林檎の炭酸水を渡すが、炭酸が強すぎるのかリリアンティアがまた「イタタタ」と呻き始めてしまった。もはや癖になっている節がありそうだ。
林檎の炭酸水をリリアンティアの手から回収し、代わりに給仕へ炭酸の入っていない飲み物を注文する。給仕が急いで持ってきてくれたのは普通のオレンジジュースで、リリアンティアはニコニコの笑顔で橙色の飲み物を飲んでいた。
さて、問題の婚約破棄宣言である。件の王太子殿下はやたら自信満々な表情をしていた。
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ミシェーラが至って冷静に応じると、
「理由? 聖女としての力が衰えているお前に国の命運を任せる訳にはいかない。王族は聖女を妻に迎えるのがしきたりだが、聖女が2人いた場合はより強い聖女を妻として迎えるのが道理だろう?」
王太子であるキールは、すぐ側にいたルージュの腰を抱き寄せる。
渦中のルージュは石像よろしく固まっていた。真っ赤な瞳を見開き、真っ赤な口紅を引いた唇をあんぐりと開け、やたら自信満々で清々しそうな表情のキールを「何言ってんだコイツ」と言わんばかりの視線を突き刺していた。そんな視線を受けてもなお、キールはルージュのことなど気にした様子もないが。
その後もキールの口から「聖女の仕事にかまけてばかりで、夫である私を立てるような真似もしない」とか「優雅さも足りない」とか「貧相」とか様々な批判が飛び出してくる。後半はほぼ容姿をなじるようなものばかりで、創立記念パーティーの空気がどんどん悪くなっていく。
好き勝手なことを言うキールを制したのは、ようやく我に返ったルージュだった。
「ちょっと、貴方」
「何でしょう、真紅の君。私との婚姻が不安ですか?」
「あの方とは婚約をしていましたの?」
ルージュの質問に、キールは「家が決めた結婚ですよ」と返す。
「それに今、彼女との婚姻は白紙になりました。これでようやくあなたと結婚が出来ます」
「貴方がわたくしに求婚をした際、まだあの方とは婚約関係にありましたの?」
「ええ、ですが」
「それって浮気ではありませんの? しかもわたくしが浮気相手?」
ああ、キールの行動はとてもよろしくなかった。本当によろしくなかったのだ。
彼がルージュに結婚を迫った際、まだミシェーラとは婚約関係にあった。今は婚約を白紙にすると宣言していたが、その宣言をする前まではまだ婚約者同士という繋がりがあったのだ。婚約者がいる身で他の女性に求婚をすることは、広義的に見れば浮気に該当するのではないだろうか?
そして『浮気』そして『婚約破棄』というものは、ルージュがこの世で最も嫌うものである。
「確かにそうだと言える行動をしてしまったかもしれません。ですが、私の心は真紅の君――あなただけのものです。ご安心ください、これからは夢のような生活が」
キールが懸命にルージュに説明をしているが、彼女が出た行動は単純だった。
「ふざけんじゃねえですの!!!!」
そう叫ぶや否や、ルージュはキールのお綺麗な顔面をぶん殴った。
頬などではなく、しっかり顔面の中心にある鼻めがけて拳を叩き入れる。しかも彼女の細い腕のどこにそんな力があったのか、顔面が陥没する勢いでぶん殴られたキールは大きく放物線を描いて大理石の床に背中から落下する。強かに打ちつけた背中が痛そうである。
ルージュの猛攻はさらに続いた。他人が止める間もなくカツカツと履いている赤い靴を鳴らして床に転がるキールに詰め寄り、馬乗りになるとその顔面を追加で殴る殴る殴る。顔の形が変わり、青痰が作られ、ボロボロになろうが構わず拳を振り続けた。
その苛烈な暴力現場を前にして、ユフィーリアは高らかに笑う。
「だーははははははははははは!! アイツやりやがった、やりやがったぞおい!!」
ユフィーリアは腹を抱えて笑うと、
「おい爺さん、八雲の爺さんいるか!?」
「ここにおるぞゆり殿!!」
笑いながら八雲夕凪を呼ぶと、白髪で老人口調の青年がひょっこりと人混みから姿を見せる。意外と近くにいたようだ。
「祝杯だ、酒あるか!?」
「任せるのじゃ、最高のものを用意しておるわい」
八雲夕凪がポンと手を叩くと、彼の足元に巨大な酒樽が出現する。林檎の炭酸水で使われた硝子杯に酒樽から清酒を注ぎ入れ、八雲夕凪と一緒に乾杯をした。その間にもルージュの王太子に対する暴行は続いており、今度は後頭部をガンガンと大理石の床に叩きつけているものだから酒が進む。
この光景が見たかったのだ。絶対にルージュであればやらかすことなど分かっていたので、とっとと王太子が「今の聖女と婚約破棄してルージュと結婚する」と言ってくれないかと待っていた訳である。王族よりも世界的な地位が上の魔女はやることが違う。
酒精の影響で気分も高揚しているユフィーリアは、ルージュの暴行現場を眺めてゲラゲラと笑う。
「見ろよ爺さん、王子様のお綺麗な顔が見事にボロボロだぜ!!」
「最高じゃのぅ、るーじゅ殿ならば絶対に暴行へ及ぶもの思っておったわい」
「そこ、わたくしを娯楽扱いするなんていい度胸をしてるんですの!!」
キールへの暴行を中断し、ルージュは呑気に酒盃を傾けるユフィーリアと八雲夕凪を睨みつける。
「貴女、もしかしてこれを目論んでわたくしをこんな場末のパーティーに寄越しましたの?」
「ははは、何言ってんだルージュ」
ユフィーリアは軽い調子で笑い飛ばし、
「全員で仕組んだに決まってんだろ。何も知らなかったのはお前だけだぞ」
「え?」
「後ろ見てみろ、後ろ」
ルージュは、ユフィーリアに言われた通りに振り返る。
そこにずらりと並んでいたのは、グローリア、スカイ、キクガの3人である。彼らもルージュの暴行現場を楽しんでいたようで、晴れやかな笑顔で「面白かったよ」「最高ッスわ」「そのまま首でも刎ねられれば最高な訳だが」と口々に称賛する。若干1名は称賛に値しない言葉だったが、とにかく3人とも楽しんでいたようである。
ルージュは次いでリリアンティアに視線をやる。この中で最もまともな感性を宿しているのが彼女である。常識人で聖女とも名高い心優しさを持つリリアンティアならば酒盃を傾ける馬鹿野郎や暴行現場を娯楽扱いする阿呆を諌めてくれるとでも思ったのだろう。
オレンジジュースをちびちびと啜っていたリリアンティアは、
「ハルア様とショウ様から教わりました。ざまあみろ、です」
「何つーことを教えるんですのあの未成年組!?」
「身共が手塩にかけて育てた巨人スイカをダメにした件はまだ許してませんので……」
「まだ引きずってるんですの!?」
リリアンティアから恨みを向けられている事実に、ルージュは「謝りますのよ……」とやや元気のない声で応じる。年下で常識人のリリアンティアから恨まれるのは、さしもの必殺料理人と呼ばれしルージュでも堪えたらしい。
「それで、貴女。ミシェーラ・ダムフィールと仰いました?」
「は、はい」
「申し訳ありませんの。不本意とはいえ、わたくしは貴女から婚約者を奪うような真似をしてしまいましたの」
どこか緊張した面持ちで対応するミシェーラに、ルージュが素直に謝罪の言葉を述べた。
これは珍しいことである。彼女は自分の罪を認めないことが多い阿呆な魔女だが、今回の件に関してはさすがに謝罪すべきだと判断したようだ。ついでに頭も下げたので、ユフィーリアは驚きのあまり飲み込んだ酒がどこか変なところに行き着いてしまって咳込む羽目になった。
ミシェーラは「顔を上げてください」と言い、
「私も、私もどこかで感じていました。キールからの愛情はなく、ただ両親の期待に応えたいが為に黙って従ってきましたが……」
ミシェーラの瞳には、涙が浮かんでいた。その涙は、婚約者を取られて悲しい気持ちを表現するものではなく、ようやく重荷から解放されたと言わんばかりの安堵から来る涙だった。
「王族に嫁入りすることが、どれほど精神的な負担になっていたでしょう。今はとても晴れやかな気持ちです」
「そうですの、貴女は随分と我慢を強いられてきたんですのね」
ルージュはミシェーラに薔薇の刺繍が施された手巾を差し出し、
「お噂はかねがね伺っておりますの。聖女ならば、リリアンティアさんが面倒を見てくれるんですの。ご両親の説得まできちんと請け負ってくれますのよ」
「はい、そのつもりです」
「あら、お話はもうされておりましたの。では余計な口を挟んだことになったんですの」
ルージュは「それなら聖女の修行に励むのがいいんですの」と締め括った。
ミシェーラも晴れやかな表情で、頬を伝い落ちる涙を拭っている。見事な大団円だ。王太子殿下を殴るまでは面白かったが、それ以降は何だか面白くなくなってしまった。
ユフィーリアは硝子杯の中に注がれた酒を飲み干し、
「つまんねえな、大団円か」
「もうちょっと言い争ってほしかったね。『この泥棒猫!!』まで聞きたかったな」
「それから熾烈な取っ組み合いが始まるんスよね」
「中身が大した人間ではないからこうなる訳だが」
「凡庸じゃのぅ」
「うるせえんですのよ、よくもわたくしを娯楽扱いしてくれやがりましたの!!」
それまでミシェーラと和やかに会話を交わしていたはずのルージュは、娯楽扱いをしてきたユフィーリアたちを睨みつける。
娯楽扱いぐらいに目くじらを立てるとは心が狭い。彼女は普段から毒草ブレンド紅茶を飲ませようとしてくるのだ、殺人という罪を犯そうとしている阿呆よりマシな扱いである。
すると、
「あの、そろそろ王太子殿下を起こしてあげましょう」
リリアンティアがキールの介抱を提案してきた。さすがに聖女としてこれ以上の放置は許せなかったのだ。
「別にいいだろ、浮気野郎なんか起こす慈悲なんてくれてやるな」
「でも、身共の気が収まりません。どれほど罪を犯そうと、その罪を償ってもらうのが道理ではありませんか」
ユフィーリアの制止など振り切り、リリアンティアは床に倒れたまま放置されているキールの元へ駆け寄った。心優しい聖女様である。
ボロボロの状態で放置されたキールの側に膝を突き、リリアンティアは祈るように両手を組む。どこからともなく白い光がキールの顔面に作られた青痰を癒し、ボサボサに乱された頭髪を整え、傷などなかったかのように綺麗さっぱり回復してみせた。
その技術に、創立記念パーティーの参加者たちは目を剥く。今までミシェーラで見慣れてきていたはずだが、上位互換であるリリアンティアの早い回復魔法には驚きが隠せなかったようだ。
キールの治療を終えたリリアンティアは満足げに頷くが、
「ん……」
完治したキールが目を覚ましてしまった。
瞼を持ち上げ、まずは状況を確認する。それからゆっくりと身体を起こしてから傷がないことに気がついていた。ルージュの手によってボロボロにされたのに綺麗さっぱり治癒していれば驚きもする。
目覚めた患者に、リリアンティアは「おはようございます」と笑顔で挨拶をする。
「ご気分はいかがですか? どこか痛いところはございませんか?」
その問いかけに対するキールの答えは、
「美しい……」
「え?」
恍惚と呟いたキールは、リリアンティアの両手を握る。
嫌な予感がした。これはとてつもなく嫌な予感である。
そういえば忘れていたが、このドネルト王国には魔法が存在しない。魔法は全て聖女が使える奇跡の力と認識され、その奇跡の力を有する聖女は王族に嫁入りをするしきたりになっているのだ。
そして現在、キールはルージュに振られ、ミシェーラとの婚姻は自ら破棄してしまった。婚約者がいない状態で新たな聖女様を見つければ、やることなど1つだけである。
「美しい聖女様、どうか私と結婚」
「見境なしかこの色ボケがぁ!!」
ユフィーリアはキールの顔面を蹴飛ばした。せっかく治癒したはずのキールの鼻っ面から、ゴキィ!! と嫌な音が聞こえてきた。
痛みに悶絶するキールを捨て置き、ユフィーリアはリリアンティアを素早く抱き上げる。いきなり求婚されたことに慣れていないが故に呆然とする少女は、ユフィーリアにしがみついて「ほえ……」と声を漏らしていた。
さすがにキールの笑えない所業に、七魔法王の面々は吐き捨てる。
「幼女趣味は救えないね。死んだ方がいいよ」
「エロトラップダンジョンに放り込むッスか」
「何歳差だとお思いですの」
「冥府拷問刑を適用する訳だが。死んでも連れて行くから覚悟しなさい」
「馬鹿につける薬はないわい。この島が落ちぶれるように呪っとくかのぅ」
「貴殿のような移ろい気味な殿方は嫌です」
「おう、まずはじっくりと足の神経が消えて行く様を味わってもらおうか」
七魔法王を敵に回してしまったキールはその後、足の指先からおろし金で擦られていき、逃げ足をなくされたところでエロトラップダンジョンに放り込まれ、最終的に色々な粘液でべちょべちょになったところをキクガが冥府天縛で亀甲縛りにした挙句、冥府に引き摺られて拷問に処されるのだった。
ついでにアステラ島の豊かさは八雲夕凪の呪いの効果があったことにより消滅し、ステラ=レヴァーノ王立学院はあえなく閉校となり、無事にヴァラール魔法学院に吸収されるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】妹のように可愛がっているリリアンティアに求婚する幼女趣味の男は救えないので、おろし金で指先から削っていくという拷問を実施。
【グローリア】1番若いリリアンティアに求婚するような変態は救えないので、精神が喪失する魔法を実施。鬼畜魔法とか呼ばれてる。
【スカイ】ルージュにあれだけ求婚しておいてフラれたらリリアンティアに乗り換えるのは許せないので、エロトラップダンジョンに蹴落としておいた。
【ルージュ】今回の娯楽扱い枠。怒りが振り切れると手が出る。
【キクガ】若いリリアンティアに求婚する変態野郎を生かしてはおけないので、冥府拷問刑を適用させて冥府に連れて帰って拷問させた。
【八雲夕凪】さすがに孫とも呼べるリリアンティアに求婚するような阿呆を許せなかったので、ちょっと本気で呪ってドネルト王国から豊かさを奪っておいた。
【リリアンティア】ミシェーラやルージュを傷つけておきながらすぐに乗り換えるような人は嫌い。愛が多い人も以ての外。出来れば一途な人がいい。
【ミシェーラ】このあと島が不作に見舞われて両親も家を維持できなくなったので、説得に苦労することもなくエリオット教に所属することになる。聖女の勉強をする側で、ヴァラール魔法学院の生徒にも在籍してリリアンティアのような保健医になりたい。
【キール】今回の元凶。自信満々に婚約破棄宣言をし、より強い聖女と結婚して自分の地位も安泰かと思いきや、ルージュに手酷くぶん殴られた。そのあとも災難は続き、最終的に『七魔法王へ結婚を迫った不届者』として処刑されたのちに冥府へ収容される。