第9話【問題用務員と説得】
「よう、パーティーを楽しんでる雰囲気はなさそうだな」
「…………あなたは」
会場の隅に佇む聖女の名を冠する少女――ミシェーラは、沈んだ面持ちで応じる。
ユフィーリアが笑顔で挨拶をしても、彼女の雰囲気は晴れない様子である。その重苦しい空気が周囲の人間にも伝播し、どこか心配している様子だ。「大丈夫だろうか、聖女様は……」「具合でも悪いのかしら」というヒソヒソとした声が耳朶に触れる。
この空気は非常によろしくない。ユフィーリアは楽しい雰囲気のパーティーが大好きなのだ。ドレスを着るのはとても面倒で仕方がないのだが、みんなが楽しんでいるはずの創立記念パーティーを重たい空気感にしたくない。
ユフィーリアは近くを通りかかった給仕を呼び止め、お盆に乗せられていた硝子杯を2つ受け取る。黄金色の液体はぷつぷつと炭酸が効いており、匂いを嗅ぐと林檎の炭酸水のようである。
「パーティーは苦手か?」
「いえ、そういう訳では……」
硝子杯を差し出すと、ミシェーラはやはり沈んだ表情のまま差し出された硝子杯を受け取る。受け身な姿勢でされるがままと言っていいだろう。
もう1つの硝子杯はリリアンティアに渡してやる。林檎の炭酸水に新緑色の瞳を輝かせるが、少し強めの炭酸がパチパチと口の中で弾けて「イタタタ」と小声で呻いていた。飲み慣れていない様子である。
ミシェーラは痛がりながらも林檎の炭酸水に挑戦するリリアンティアの姿を見て、
「あの、どなたかの妹様ですか?」
「いいや、お前の上位互換」
「え?」
瞳を瞬かせるミシェーラに、ユフィーリアはリリアンティアを一瞥する。
「癒しの力を持つ聖女様よ、その力がお前だけって思わねえ方がいい。海を越えればお前と同等以上の癒しの力を持つ聖女様がわんさかいる、その中でも最高位に位置するのがコイツだ」
「え、じゃあ、この子も聖女……」
「おう、世界に誇れる本物の聖女様だ」
ユフィーリアが「おい、リリア。挨拶挨拶」と促すと、林檎の炭酸水に夢中だったリリアンティアが我に返る。それから慌てた様子で頭を下げ、
「す、すみません、炭酸なんてあまり飲まないものですから……!!」
「これはちょっと炭酸が強すぎたな。帰ったらまずは弱い炭酸から慣らしていこうな」
「す、すみません……」
飲みかけの硝子杯をユフィーリアに預けてきたリリアンティアは、お行儀よくドレスのスカートを摘んでミシェーラに挨拶をした。
「初めまして、リリアンティア・ブリッツオールと申します。エリオット教と呼ばれる宗教団体で教祖を務めております」
「教祖……?」
「はい。身共は、世界中の人々へ平等に癒しと健康を届けるべく、各国に修行を積み重ねた聖女を派遣しております。お金がなくてお医者様の治療を受けられないという方々にも、お医者様が治療できないと匙を投げた重症の方々にも、少しでも広く健康的で明るい未来をお届けできるようにと尽力しております」
世界最大宗教とも呼ばれるエリオット教は、まさに今までミシェーラがやってきた聖女としての活動を集団で取り組んでいるのだ。たった1人で国の命運を背負う訳ではなく、聖女も仲間を作ることで負担を軽減させている仕組みである。
そうすることで、より多くの恵まれない子供たちや救いのない重症の患者を治療することが出来る。膨らむ責任だけを1人で背負い込むのではなく、組織に属することで活動の幅も広がることがあるのだ。
リリアンティアはミシェーラの手を取り、
「ミシェーラ様、お話は伺っております。今までお1人で苦労なさっていたでしょう。ですが、我々エリオット教の思想に賛同いただければ、我々もまたミシェーラ様の活動をお助けできます。今度はお1人で無理をなさるのではなく、より多くの仲間と一緒にアステラ島に安らぎと健康をお届けしましょう」
「あ、えっと」
「どうでしょうか? 我々の思想に、ご賛同いただけないでしょうか?」
ミシェーラを上目遣いで見つめ、エリオット教に勧誘するリリアンティアだが、
「ごめんなさい……」
ミシェーラはあろうことか、リリアンティアの手をやんわりと振り解いた。
「エリオット教の思想には賛成です、誰もが平等に健康を享受できるようにと私も聖女として活動してきました。私も、エリオット教に協力できれば、もっと多くの人を救えるでしょう」
「でしたら……」
「でも、出来ないんです。私はキール――王太子殿下の婚約者だから……」
ミシェーラの表情が沈んでいたのは、それが原因だ。彼女の中にはまだキール王太子殿下がいるのだ。
その問題のキール王太子殿下は、婚約者であるミシェーラを放っておいて熱を上げている新たな聖女様のルージュを連れて挨拶回りである。取り巻きはどこか混乱している様子だが、問題の王太子殿下は嬉しそうにしているので何も言えないらしい。
婚約者を放置して他の女に入れ込むとは、王太子殿下ともあろう地位の高い人間が阿呆なことをするものである。彼の存在が枷となってミシェーラに自由意思がなくなるのであれば捨てるのが最善策だ。
それならば、心優しいリリアンティアの言葉は彼女に響かない。ここは問題児であるユフィーリアの出番だ。
「なるほど、婚約者ってのはそれほど名誉あることなんだな」
「父も母も、私が王族の婚約者になったことを誇りに思っているんです。期待に応える為に、聖女としての活動もしてきたし……」
「そうか、そうか。なるほどな」
ユフィーリアは納得したように頷くと、
「じゃあ誘拐するか。お前の意思など知らん」
「えッ」
ユフィーリアは「あはははは」と軽い調子で笑い飛ばし、ミシェーラの肩を掴む。
ミシェーラは怯えたような視線を寄越してくるが、武力行使が通用するのはこのアステラ島だけの話である。手っ取り早く転移魔法で島の外に連れ出してしまえば簡単に行方を眩ませることが出来る。ミシェーラに出来ることといえば回復魔法と治癒魔法だけだから、逃がさないように鎖で繋いでおいて聖女の授業以外の選択肢を断てばいい。
そういうことが起こり得るのだ。いつまでも「我々は魔法なんて使えません」なんて言い訳は通用しない。誘拐をしようと思えばいつだって出来るし、魔法が使えない連中を欺くことなんて赤子の手を捻るようなものだ。
「何だ、誘拐は嫌か? じゃあドネルト王国を滅ぼすって手段もありだな、内紛を起こせば簡単に潰れるだろ。王族全員揃って洗脳魔法にかけるか。あ、それとも疫病でも流行らせるか? 聖女様でも治せないような疫病を流行らせることだって可能だぜ」
「な、何を考えて」
「魔法の対策すら出来ていない阿呆どもをぶっ殺すことなんて簡単だって言ってんだよ、聖女様。いつまでも世界が優しいままだと思うなよ」
それまで浮かべていた軽薄な笑みを消し、ユフィーリアはミシェーラを真っ向から睨みつける。
「この島は危ない、魔法が浸透していないってことは外部から支配も簡単だ。王族を洗脳することも、疫病を流行らせることも、何だったら津波を引き起こして島そのものを海に沈めることだって簡単に出来ちまうんだよ。それほどに島の外は怖い技術で溢れてるんだ」
「じゃあ、やっぱり島なんて出ない方が」
「ほーう、まだ言うか。お前のその選択がドネルト王国を破滅に導くんだよ」
ユフィーリアは「いいか」と言葉を続け、
「わざわざリリアがお前に声をかけたのは、お前にこのドネルト王国を守れるだけの素質があるって判断したからだ。誰彼構わず声かけをしてる訳じゃねえ、聖女として活動してきた実績があるからこそ正しい知識と経験を積めばドネルト王国を守ることが出来る聖女になるって思ってんだよ」
「ッ」
ミシェーラは息を呑む。
魔法による脅威は計り知れない。特にドネルト王国には魔法が浸透していないので対策の仕様がなく、国の警備が脆弱であることを知られればすぐに攻め込まれる。住人は惨殺、王族は公開処刑、最悪の未来は回避できない。
そんな未来が訪れないようにする為にも、正しい知識と経験は必要だ。ミシェーラには今まで聖女として活動してきたのだから、聖女として起こり得る最悪の未来を回避する為の知識を積ませてやれば国防にも繋がる。拒むことこそが破滅への道なのだ。
七魔法王は国同士のいざこざには入れ込まない。だから、その国の住人であるミシェーラが守るべきなのである。
「家族や故郷を守る為には、それなりの修行がいる。リリアが修行の場を設けてくれるって言ってんだから、お前はより強い聖女を目指すべきなんじゃねえのか?」
「…………」
ミシェーラの瞳が、ユフィーリアの背後に隠れたリリアンティアを映し出す。
一度は断られたことでしょげている様子だったリリアンティアだが、ミシェーラ目が合ったことで不安げな顔を覗かせる。また断られるのではないかと心配しているようだった。
ミシェーラはそんなリリアンティアに、自分の手を差し出す。先ほどはやんわりと振り解いた彼女の手を、今度はミシェーラから触れた。
「今からでも、間に合いますか」
少しだけ震えた声で、ミシェーラは言う。
「家族を――大事な故郷を守るだけの修行を、今から積んで間に合いますか」
「ええ、間に合いますとも。決して、貴殿を1人で戦わせるような真似はいたしません」
リリアンティアはミシェーラの手を握り返し、
「我々も、どうか貴殿の美しい故郷と大事な家族を守る為に協力させてください。魔法の脅威から共にドネルト王国を守りましょう」
「はい……はい、ぜひ!!」
言いくるめたような雰囲気はあるものの、ミシェーラが頷いたことでリリアンティアも晴れやかな表情を浮かべていた。少し前までのしょげ具合が嘘のようである。
問題である聖女様も無事にエリオット教へと引き込めた。あとは彼女がどんな聖女として成長するかに期待が高まる。リリアンティアの下位互換とはいえ、天使の神託が寄せられている彼女ならばエリオット教内でも上の地位を目指せるだろう。
その時だ。
「諸君、どうか私の言葉に耳を傾けてほしい」
それまで取り巻きに挨拶回りをしていた王太子殿下のキールが声を上げる。
彼の凛とした声に、創立記念パーティーを楽しんでいた生徒たちの注目が集まった。王位継承権第1位にして、現役の王族の言葉には耳を傾けずにはいられない。
眉目秀麗な王子様は、注目する生徒や父兄たちに視線を巡らせると、威風堂々たるその声でこう告げた。
「私は本日を持って、ミシェーラ・ダムフィールとの婚約を白紙とする!!」
《登場人物》
【ユフィーリア】いつまでもウジウジと王太子殿下の嫁の地位にしがみつくミシェーラを荒々しく説得した。まあ実際、いつでも攻め込まれる状況なのに王国を維持できているのがもはや奇跡である。
【リリアンティア】純粋に勧誘をして断られたが、相手が思い直してくれてよかった。
【ミシェーラ】ドネルト王国にて聖女として名を馳せる少女。その力は衰えているものの、魔法を知らないなりに国民を守ろうと尽力した。