第5話【問題用務員とキール王太子殿下】
ステラ=レヴァーノ王立学院はとても綺麗で華やかな雰囲気があった。
「凄え、照明器具が豪華だ」
「壁に絵画が飾られてるよぉ」
「お庭も凄い!!」
「調度品も高級品ばかりだワ♪」
「さすがお金持ちの学校だ」
「ふむ、ヴァラール魔法学院とはまた違った趣がある」
生徒たちがまだ残っている校舎内を、ユフィーリアたち問題児とキクガは件の王太子殿下を探して歩き回る。
廊下を行き交う生徒たちは、制服を身につけたユフィーリアたち問題児に怪しげな眼差しを向けていた。見覚えのない生徒たちが堂々と校舎内を歩き回っているのだから、彼らの反応は正しいと言えよう。
ただ、男子生徒も女子生徒も怪しむには怪しんでいるものの、その瞳にはどこか羨望や恍惚といった感情が乗せられているような気がする。「誰だろう、あれ」「とても素敵な人だわ……」などと声まで聞こえてきた。
周囲を落ち着かなさそうに見回していたショウは、
「な、何故か別の意味で注目されているような……」
「そりゃまあ、当たり前だろ」
ユフィーリアは自信満々に自分を示すと、
「こんな絶世の美女が目の前に現れりゃ、老若男女を魅了して止まねえぞ」
「それは困るな。全人類がユフィーリアに惚れ込むようなことがあれば、俺は人類の敵になってしまうかもしれない」
ショウは真剣な表情で、やたら物騒なことを言う。旦那様であるユフィーリアを心の底から愛しているからこそ老若男女を魅了されては困るのだろう、何とも可愛い嫉妬心だろうか。
当然のことだが、浮気をするような真似はしない。ユフィーリアが愛しているのはショウだけだし、ショウが老若男女を魅了する対象になってしまったらユフィーリアも全人類の敵になってしまうかもしれない。ユフィーリアの心はショウだけのものである。
ユフィーリアは「冗談はさておいて」と話を切り替え、
「王子様がいるのはどこだ? 部活動だって聞いたけど」
「やはり場所を探らなければならない訳だが」
キクガがパッと顔を上げると、
「きゃッ」
「顔を上げられたわ」
「綺麗……」
「あちらは男性? それとも女性?」
「背が高いから男性かしら」
キクガと目が合った女子生徒が、一斉に黄色い声を漏らす。彼女たちは遠巻きにこちらを見てくるだけで、積極的に声をかけてこようということはしなかった。淑女というより、年頃の少女らしさがあると言っていいだろう。
この態度には、さしものキクガも困っている様子だった。聞こうとしても距離を詰めれば相手から距離を取られてしまう。美形に生まれてしまったが故の定めである。
ユフィーリアはポンとキクガの背中を叩き、
「親父さん、諦めろ。顔がいい男は敬遠されがちなんだよ」
「ふむ、異性と自然な会話をするにはやはり女装をした方がよかったか。更衣室があれば着物に着替えてくる訳だが」
「躊躇いもなく女装を選ぶな」
そうツッコミを入れるものの、キクガは息子のショウが似合うのだから自分も似合うに違いないという思考回路で女装をしているのだ。躊躇いもなく『女装』という手段を選ぶし、何ならそこに恥など一切ない。それがアズマ・キクガという男である。
仕方がないのでユフィーリアが代表して聞き込み調査をしようとしたところ、生徒たちが中庭を見るなり「あ!!」「あのお姿は!!」と色めき立つ。綺麗に整えられた庭園に集まり、男子生徒は見惚れるような眼差しを送り、女子生徒からは羨望の眼差しが投げかけられる。
彼らの視線につられて、ユフィーリアたちも中庭に視線を投げた。色とりどりの花々が咲き乱れる生垣、天使の像が中心に据えられた噴水、花々に囲まれた東屋など全体的に金がかかっていることが嫌でも分かる。その光景を見て出てきた感想が「ここの入学金は一体いくらなんだろうか」であった。
生徒たちの注目の的になっているのは、東屋で読書中の女子生徒である。柔らかな白金の髪をリボンで飾り、翡翠の瞳で手元に広げた本の頁を捲る。彼女が存在しているだけで、不思議と東屋周辺が1枚の絵画と思えてきた。
「聖女様よ」
「ああ、今日もお美しい……」
「でも近頃は元気がないと聞くわ」
生徒たちは口々に少女の情報を交わす。
なるほど、彼女が聖女――つまりアステラ島に於ける魔法が使える人間なのか。魔法を学ぶ手段がないにも関わらず独自で魔法の腕前を身につけるとは、将来有望な魔女と言ってもいいだろう。
ユフィーリアは読書中の少女に羨望の眼差しを送る女子生徒の1人に近づく。何とはなしに彼女の隣に立ち、
「なあ、あの女の子は何で聖女って呼ばれてんだ?」
「きゃあッ!?」
「おっと、驚かせたか」
驚きのあまり悲鳴を上げる女子生徒に、ユフィーリアは「驚かせて悪いな」と謝罪する。
「実は、この学院に転入する予定なんだ。海を越えてやってきた田舎者だから、まだここの事情が分かってなくてな」
「ま、まあ、そうだったの」
女子生徒もまた居住まいを正すと、
「失礼いたしましたわ。遠路はるばるようこそ」
「それで、聖女について知りてえんだけど」
「ミシェーラ・ダムフィールと言いまして、癒しの力を授かった聖女様ですわ」
「癒しの力を?」
ユフィーリアは首を傾げる。
癒しの力と聞いて該当するのは、回復魔法や治癒魔法だろうか。あれらについては医学知識に基づいて魔法を行使するか、医神エリオスや天使たちの加護を受けて魔法を行使するかの2択に絞られる。どちらにせよ、魔法を使えることが立派なことだ。
聖女と呼ばれているから鼻で笑ってやろうかとも思っていたのだが、相手は本当に聖女となる資格を持っている。リリアンティアに話せば「身共と共に世界中へ癒しを届けませんか?」などと言いそうなものだ。
その時、
「何の騒ぎだ?」
雑踏の中でも凛と響く男性の声。
その声を聞いた途端、それまで聖女様を見てはざわめいていた生徒が一斉に身を翻すと、声の聞こえてきた方向にお辞儀をする。男子生徒は胸に手を当てて頭を下げ、女子生徒はスカートの裾を摘んで淑女のような態度を見せる。
やってきたのは透き通るような金の髪と白を基調とした軍服のような服を身につけた青年である。ピンと伸びた背筋は王族に相応しい態度と言えようか。その腰には鞘に収まった細剣が吊り下げられており、彼が歩くたびにカタカタと揺れる。
まさしく、絵本から飛び出してきた王子様と言ったような風貌だった。ルージュに求婚した王子様が自分から会いにきてくれるとは思わなかった。
「うわ本当に王子様だ」
「本当だねぇ」
「イケメンだね!!」
「あらマ♪」
「いけ好かないイケメンですね」
「おや、絵本の登場人物のような訳だが」
ところがどっこい、ユフィーリアたち問題児とキクガは頭を下げることもなくその王子様とやらを観察していた。立場が立場ならば首を斬られかねない。
「ちょ、ちょっと何しているんです!?」
「殿下の前で頭を下げないなんて無礼にも程がある!!」
「一体何を考えているの!?」
ユフィーリアたちが頭を下げないことで、あちこちから批判の声が飛んでくる。確かに王族に対する態度ではないが、立場で言えばユフィーリアの方が上である。国を守るべき王族など一瞬で殺すことが出来るのだ。
何だか、今更になって頭を下げるのも面倒になってきた。こんな顔だけの王子様を相手に頭を下げるぐらいならば、学院長のグローリアに土下座をした方がまだマシである。
飛んでくる批判の声を無視していたユフィーリアだが、その声を制したのは件の王子様である。
「止めないか。海を越えてきたのなら、私のことを知るはずもない」
そうして批判の声を一瞬にして止めさせると、その王子様はユフィーリアに向かって微笑みかけた。
「見ない顔だ、転入生かな?」
「はあ、まあ……」
ユフィーリアが嫌そうに応じると、ショウがユフィーリアと王子の間に割って入ってきた。
「キール王太子殿下ですね。初めまして」
「知っているのか」
「転入する以上は学校の情報を調べるのは当然のことです。王太子である貴方がこの学校に通っていることも承知しております」
ショウの声は敵意に満ち溢れていた。
それもそのはず、真っ先に王太子殿下――キールが声をかけてきたのはユフィーリアである。彼からすれば愛しの旦那様に近寄る野郎どもは処さなければならない敵なのだ。まあ、ユフィーリアもこんな阿呆に思慕を抱く訳がないのだが。
ところが、事態は思わぬ方向に転がった。
「――美しい」
「は?」
キールはあろうことか、ショウの手を取った。彼の視線は、ショウの瞳に注がれている。
いきなり爽やかイケメン野郎からじっと顔を見つめられ、ショウは嫌悪感を抱いているようだった。手を振り払おうとするものの、相手の握力が強いからか剥がせずにいる。
ショウの瞳を覗き込むキールは、
「美しい瞳だ、私が想いを寄せる聖女様と同じ赤い瞳……」
「あの」
「ああ、もっとその瞳を見せてくれないか。もうずっと手紙を送り続けているけれど、にべもなく断りの手紙ばかりが送られてくるんだ。顔を合わせたくて堪らないのに……」
「ちょ」
何故かキールは、ルージュとショウを重ねている様子だった。ショウもルージュも赤い瞳を持っていることには持っているのだが、それにしたって系統が違う。同じ色をした瞳などこの世に何人いるのか。
それにしたってふざけないでほしい。誰の前で誰を口説いているのだろうか。そしていつまで経っても手を離さないその状況が酷く疎ましい。
なので、
「いつまで嫁の手を触ってやがんだボケがァ!!」
「ぐはあッ!?」
ユフィーリアの華麗な右ストレートが、キールの顔面に炸裂する。
顔面を殴られたキールは、身体をコマのように回転させてから廊下に尻餅をつく。殴られた頬を押さえて呆然とユフィーリアの顔を見上げてくる彼に、ユフィーリアはさらに顔面を踏みつけておいた。
靴裏を通じて柔らかい肉を踏む感覚が嫌になるが、それ以上に王族へ乱暴を働いたことで生徒たちが俄かに騒ぎ始めた。存在が面倒であるり
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめ、
「上等だ全員殺してやらァ!!」
「ユフィーリア君、今は撤退する訳だが」
「あ、ちょ、親父さん待って冥府天縛はずるいって!!」
全身を真っ白な鎖――冥府天縛によって縛られたユフィーリアは、キクガに引きずられながらその場から逃げ出すのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】王太子殿下って何で見境なく結婚を申し込むんだろうな。王族自体には苦い思い出しかない。
【エドワード】この島に魔法がなくてよかったなぁ、魔法があったらユフィーリアはきっと王太子殿下を消していたかもしれない。
【ハルア】ショウの手を取った辺りから嫌な予感はしていたが、自分の出番ではないなと判断した。
【アイゼルネ】王族って命知らずな人が多いわネ♪
【ショウ】自分を見ていないことは気づいていたが、それよりもユフィーリアの右ストレートが格好良すぎて惚れ直した。お目目もハートである。
【キクガ】暴走する義娘が手に負えないので冥府天縛で即連行。多分、ユフィーリアが殴っていなければ手が出ていたかもしれない。
【キール】ルージュに求婚した王太子殿下。眉目秀麗、成績優秀、剣術にも強いというまさに絵本から飛び出してきた王子様っぽい。