第4話【問題用務員と王立学院】
3時間ほど船に揺られ、ようやくアステラ島に到着した。
「おえッ」
「久々に乗ったから気持ち悪ぅ……」
「おげ!!」
「まだふわふわしているワ♪」
「ちゃんと船から降りれただろうか……」
「こんなに全員が大変なことになってしまうとは」
久々の船に、ユフィーリアたち問題児は吐き気を催していた。特にショウは初めて船に乗ったものだから顔色が悪い。
足元がまだ揺れているような感覚がある。たった3時間の船でもこんな状態になってしまうとは、この付近の海は波が荒いのか船の運転が乱暴なのか分からない。マグロ漁船に乗って波に慣れたはずのユフィーリアたち問題児でさえも今にも吐きそうだから、他の乗客もきっと同じような目に遭っているだろう。
この中で唯一、平然としているキクガは不思議そうに首を傾げる。
「それほど酷かったかね?」
「親父さんは何でそんなに平気なんだよ……」
「いや、何。前の職場では少しばかり海に出ることもあった訳だが」
キクガはほわほわと笑い飛ばしながら、
「まあ、それで慣れてしまうのも考えものだがね」
「それってマグロ漁船とかじゃねえよな?」
「ははは、まさか。単にゴミ捨てな訳だが」
「ゴミ捨て……」
キクガに限って借金をこさえて返済に滞る、などという状況に陥るはずがない。真面目な彼のことだ、逆に金を貸す側になっている。そういえば以前の職場は金融業だと言っていたので想像は容易い。
なのに、金融業に於けるゴミ捨てという話題を聞いてしまうと恐怖を覚えた。これは絶対に別の意味がある。でもうっかり聞いてしまったら、今度はユフィーリアがゴミ捨ての対象になりかねないので口を閉ざすだけに留めた。
キクガは周囲を見渡し、
「ほう、ここがアステラ島か。初めて来た訳だが」
蒼海にポツンと浮かぶ島であるが、決して寂れている訳ではない。客船が停まった船がある港には多くの漁船が並んでおり、新鮮な魚が木箱や樽に詰め込まれた状態で右に左に運ばれていた。どの魚も氷漬けにされておらず、漁師たちは急いで解体作業に回っているようである。
少し離れた場所に、解体した魚を販売している市場が見えた。塩漬けや干物、すでに焼いて調理済みであるものや煮込み料理といった提供方法が確認できるものの、氷を用いた生での販売は見られない。一切の魔法を使っていないからである。
そして、遠くにある立派な王城はアステラ島にある唯一の王国『ドネルト王国』だろう。蒼天を貫かんばかりに伸びたいくつもの尖塔には旗が靡いており、その豪華な見た目から資金的にも潤っていると想像できる。
「さて、早々に王立学院へ乗り込もうではないか」
「ちょっと待って親父さん」
「何かね、ユフィーリア君?」
どこかイキイキとした表情で振り返るキクガに、ユフィーリアは青い顔で伝える。
「吐きそう」
「おええええ」
「オロロロロ」
「ショウちゃん、おトイレってどこか分かるかしラ♪」
「海に吐いちゃえば分かりません、アイゼさん。いっそ海におえ」
「おや、地獄絵図な訳だが」
全員揃って海に向かい、そのままゲロをぶち撒けるという事態に陥った問題児の背中を、キクガが苦笑しながらさすってあげるのだった。
☆
気を取り直して、王立学院への潜入である。
「すでに放課後の様子な訳だが」
「そりゃ午後1番の便で3時間も揺られれば放課後にもなるわな」
王宮の一部ではないかと見紛うほど絢爛豪華な見た目をした学校――ステラ=レヴァーノ王立学院の敷地を覗き込み、問題児どもと冥王第一補佐官がそんなやり取りを交わす。
さすが王族が通うだけあって、外観はヴァラール魔法学院と遜色ないほどの規模がある。何かよく分からない建物が密集しており、学校として何に使うか分からない尖塔も確認できる。磨き抜かれた鐘が吊り下がる鐘塔は、がらーんごろーんと荘厳な音を響かせていた。辺鄙なところにあるとはいえ、多くの生徒が在籍して賑わっている。
ゾロゾロと下校する生徒たちを眺めるユフィーリアは、
「もう帰っちまってたら城に忍び込むしかねえな」
「聞いてみようよ!!」
ハルアが至極真っ当な提案をするや否や、すぐ近くを通りかかった女子生徒に「すいませーん!!」と元気がよすぎる声と共にすっ飛んでいった。
「はい、どうされました?」
「この学校にね、王子様がいるって聞いたんだけど!!」
「はい、そうですが……」
ハルアに話しかけられた女子生徒は、何やら警戒するような態度を見せる。それはそうだ、いきなり王太子殿下について問われれば襲撃を受けるのではないかと勘繰るだろう。
「大変申し訳ございません。我々、明日よりステラ=レヴァーノ王立学院に転入することになりまして、王太子殿下に粗相のないよう先にご挨拶をしようとしていたところです」
「まあ、そうだったんですか」
そこにショウが補足を出し、それまで警戒していた女子生徒が態度を軟化させる。
上手な連携である。見知らぬ人に突撃するだけの度胸があるハルアだが言葉足らずで警戒される可能性があり、そこにショウが上手く取りなすことで警戒心を解く作戦か。さすが未成年組と言えよう。
女子生徒は「ところで」と口を開き、
「女子生徒の制服を着ていらっしゃいますが、お声が低いですね」
「これでも男です。家の方針で成人を迎えるまでは女性の格好をするように、と言われております」
「家の方針であれば仕方がありませんね」
ショウは現在、女子生徒用のプリーツスカートと上着を合わせた可愛らしい制服を身につけていた。長く艶やかな黒髪と少女めいた顔立ち、そして華奢な体躯も相まって背の高い女性にでも見えたのだろう。女子生徒は彼の声の低さに大層驚いていた。
女装をしているのはおそらく普段からメイド服を身につけている影響で抵抗がないからだろうが、それを上手く『家の方針』を主張することで正当化するのはいい判断である。さすが聡明な嫁だ。
女子生徒は校舎を見やり、
「殿下は剣術部に所属しております。本日は部活動の日ですので、まだ校舎にいらっしゃると思いますよ」
「ありがとうございます。助かりました」
「いえ、明日より一緒に学べることが楽しみです」
優雅に「ごきげんよう」と挨拶をし、女子生徒は綺麗な所作でその場をあとにした。金持ちが通う学校の生徒だけあって、所作に品性がある。
ショウとハルアはユフィーリアの元に戻ってくるなり「聞いてきたよ!!」「聞いてきたぞ」と結果報告をしてくる。その姿がまるで投げた玩具を拾ってきた子犬のようである。
そのあまりの可愛さに、ユフィーリアはショウとハルアの頭をわしゃわしゃと撫でた。頭を撫でられたことでショウとハルアも満足そうに目を細めている。ますますもって子犬のように愛くるしい。
ユフィーリアは「よくやった」と褒め、
「まだいるなら話は早い。その面を拝んでやるかな」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「ああ」
「そうしよう」
王子様の行方も分かったことで方針を固めたユフィーリアたちであるが、
「そこのお前たち、見かけない顔だな」
「げ」
いざ王立学院に潜入しようとした矢先、校門脇で仁王立ちをしていた衛兵に呼び止められてしまった。長靴のような帽子を被り、腰には軍刀を差しており、下手をすれば武力行使で追い返されそうな気配がある。
王族が通う金持ち学校だから、衛兵がいるのは当然のことだ。だがこんなに早く存在がバレるとは想定外である。ステラ=レヴァーノ王立学院の制服を着ているから、てっきり分からないかと思ったのが間違いだったのだ。
衛兵の男はユフィーリアを睨みつけ、
「学院に何の用だ」
「えーと、明日からこの学院に転入してくる新人です……?」
「そんな話は聞いていないが」
衛兵に取り付く島もなく一蹴されてしまった。
こうなれば相手が動くより先に暴力行使である。こちとら名門魔法学校が創立してから毎日のように問題行動を起こしてきた生粋の問題児だ、お暴力の行使には慣れたものだ。どこを殴れば悲鳴を上げるか、などというのは手に取るように分かる。
それに、衛兵は単独で問題児に挑んできた。これはもう「殺れ」という問題児の本能が告げている。
ユフィーリアは人差し指と中指を立て、
「アタシ、実は催眠術が使えるんだ。この指先をよく見て、視線を逸らさないでくれよ」
「何をする気だ?」
怪しむ口振りで言うものの、衛兵はじっとユフィーリアの指先に視線を合わせる。何と言う愚かな衛兵なのだろう、怪しむなら最後まで怪しめ。
「おっと手が滑ったァ」
「ぎゃーッ!?」
ユフィーリアは衛兵の眼球めがけて指を突き刺した。綺麗に目潰しが決まり、衛兵の絹を裂くような悲鳴が上がると気分も清々しく思えてくる。
目潰しを受けた衛兵は、両目を押さえてジタバタと転げ回った。下校中の生徒たちが怪しいものでも見るかのような眼差しで見てくるが、死にかけの蝉のようにジタバタと暴れる衛兵に誰も近づこうとはしない。
激痛で暴れる衛兵に、今度はエドワードの手のひらが迫った。痛みは残るが視界は確保できたのだろう、涙目で起き上がると同時に大きな手のひらが衛兵の顔を覆い隠す。
何でもないような口調で、エドワードは5本の指にゆっくりと力を込めていった。万力の如くギチギチと顔面が締め上げられ、衛兵がさらに断末魔を口から迸らせる。
「あぎゃああああああああああああ!?!!」
この世の終わりかと錯覚するほどの絶叫を響かせてどったんばったんと大暴れをする衛兵など物ともせず、エドワードはなおも相手の顔面を締め上げながら飄々と応じる。
「俺ちゃんも催眠術が使えるんだよねぇ。名付けて『頭がどんどん痛くなる催眠術』だよぉ」
「そこ握ってるのって頭じゃなくて顔なんだよなぁ」
「誤差だよぉ、ユーリぃ」
「それもそうか」
あはははははは、と軽い調子で笑い飛ばすユフィーリアとエドワード。あまり強く握りすぎてしまうと衛兵の顔面が変な風に陥没しかねないので、適当なところで解放してやる。
石畳で舗装された道路を陸に打ち上げられた魚の如くビチビチと跳ねる衛兵の横を素通りし、ユフィーリアたち問題児とキクガは何事もなかったかのようにしれっとステラ=レヴァーノ王立学院に潜入を果たした。いや、正面から堂々と踏み入れたので不法侵入である。
背中からチクチクと突き刺さる視線に、ユフィーリアは極小の舌打ちをする。
「早いとこ逃げるか」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「魔法で衛兵さんを眠らせればよかったんじゃないのかしラ♪」
「ユフィーリアなら言いくるめられたんじゃ……」
「ふむ、なかなかに貴重な経験な訳だが」
追加の衛兵とか警察組織とか呼ばれる前に、ユフィーリアたちはステラ=レヴァーノ王立学院の敷地内に消えていくのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】催眠術の話を以前にショウから聞いたが、実践してみても意味はなかった。何にも起こらないなら魔法を使った方が早い。
【エドワード】催眠術をユフィーリアに使われたが、特に何も起こらなかった。目の前で小銭を振られたが何だったんだろうか。
【ハルア】催眠術をユフィーリアに使われ、眠くて寝た。目の前で小銭を振られたら眠くなっちゃう。
【アイゼルネ】催眠術なんて使わないでも男性なら籠絡する方法ならある。その手練手管は知っているし、何なら少しずつショウに伝授している。
【ショウ】問題児に催眠術などというものを教えた張本人。グローリアに催眠術と称して首を絞めて意識を落として強制的に寝かせた。
【キクガ】かつてゴミ捨てと称してお船に乗ったことがある。ゴミ捨て(隠喩)