第3話【問題用務員とアステラ島】
ドネルト王国は、大陸から離れた孤島『アステラ島』にある。
「アステラ島にはメイヴェ地区から出る船に乗る必要があるんだよな」
「メイヴェ地区?」
「メイヴェ連合っていう漁師の組合が根城とする海沿いの村だよ。正式には村なんだが、規模があまりにも大きすぎるから『メイヴェ地区』って呼ばれてるんだ」
ユフィーリアたち問題児とキクガが訪れたのは、南側の果てにある海沿いの村『メイヴェ村』である。
転移魔法で南側の果てまでやってくると、まず耳朶に触れたのが野太い声による喧騒である。鼻孔を掠める潮風の匂いが爽やかで、清々しい気分にさせてくれる。
遠くに見えるのは陽光を受けて煌めく青い海と晴れ渡った空との境界線、そして何隻かの漁船が滑るように蒼海を突き進んでいく。吹き付ける風もそこまで肌寒い訳ではなく、秋らしい雰囲気があって過ごしやすい気候だ。
見たことのない景色に瞳を輝かせるショウは、
「わあ、凄い」
「凄え賑わってるな」
ユフィーリアもまた海沿いの村を見回す。
白い石造りの建物が並び、軒先に魚の干物が何匹も吊るされている。小売店は魚の切り身や魔法によって氷漬けにされた生魚が量り売りされており、中にはその場で網焼きにして食事として提供してくれる店もあった。
レストランも地域で獲れたばかりの魚を使った料理が多く、魚の煮込みや骨で出汁を取った『ボーンスープ』などが有名のようである。港付近に展開する数十からなる屋台の群れは串焼きになった青魚や、塩漬けにされた魚の生ステーキなどが格安で提供されていた。
道行く人間は日に焼けた浅黒い肌をしており、エドワードと同じように筋骨隆々とした男が多い。酒焼けした声を村全体に響かせる姿は活気がある。また、女も海の男と同じように溌剌としており、全体的に明るい村だった。
「何度来てもいいな、メイヴェ地区。帰りに串焼き食いてえ」
「俺ちゃん生ステーキ食べたいねぇ」
「ボーンスープ美味しそう!!」
「海藻を使った洗髪剤ですっテ♪」
「あの」
早くも用事を済ませて帰ってきた時のことを考えているユフィーリアたたちに、ショウが大変言いにくそうに口を開く。
「ハルさんはまだ分かるのだが、ユフィーリアたちも制服を着ているのか?」
「正直に言ったら年齢的に今すぐ脱ぎたくて堪らねえんだよな」
ユフィーリアは自分の格好に視線をやる。
現在、ユフィーリアが身につけているのは普段着である黒装束ではなく、ステラ=レヴァーノ王立学院指定の制服である。汚れ1つない襯衣の上から濃紺のベストを羽織り、胸元を飾るのは学院の校章が刺繍された真っ赤なリボンだ。黒と赤のタータンチェックが特徴的なプリーツスカートを合わせ、裾から伸びる華奢な足は黒い長靴下で覆われている。
清楚な制服など、28歳を名乗る魔女が着ていいものではない。早くも心が折れそうである。未成年組であるハルアやショウならまだしも、見た目が若々しいとは言っても制服姿は無理があった。
同じく制服を身につけたエドワードとアイゼルネも、絶賛表情が死んでいた。どちらも立派な大人であり、制服を身につけて「学生です」などと主張すれば変な目で見られることは間違いない。
「何で俺ちゃんまで制服なのぉ」
「おねーさん、南瓜のハリボテまで脱ぐことになったのヨ♪」
「潜入にむしろ南瓜のハリボテなんて被れば目立つだろうがよ」
アイゼルネの文句を、ユフィーリアは一蹴する。
彼女の場合は認識を阻害させる幻惑魔法でも使えば簡単に潜入できるだろうが、元々の保有魔力量が少ないので潜入の最中に解けてしまう可能性があるのだ。それなら最初からハリボテを脱ぎ、化粧をすれば紛れ込むのも安心である。
エドワードはキクガをジト目で見やり、
「キクガさんは普通にスーツだしぃ」
「私はさすがに学生には見えない訳だが」
キクガは軽い調子で笑い飛ばす。
この潜入作戦を遂行するにあたり、ユフィーリアたち問題児5名は王立学院へ新たに転入してきた生徒、そしてキクガは赴任してきたばかりの新米教師という設定を課したのだ。1人だけ恥ずかしい制服姿を逃れることが出来た訳である。
確かに、キクガに制服を着せると違和感がある。おそらくそれは彼自身の落ち着きがあり、物腰の柔らかな性格が起因しているだろう。そんな理由で、ユフィーリアたち問題児は制服を着る羽目になったのだ。
ユフィーリアはキクガの背中を叩き、
「親父さん、今からでも遅くねえから一緒に制服を着よう? な?」
「ユフィーリア君、諦めなさい」
キクガは慈愛に満ちた笑顔で切り捨て、
「生徒のみで移動すれば怪しまれる訳だが。ここは引率の教員がいた方がいい」
「じゃあ大人組が引率の教員をやればいいだろ」
「人数が多いと怪しまれる原因になる訳だが」
「ちくしょう、どう足掻いても無理か」
ユフィーリアは空を仰ぎ見る。何を言ったところで制服という状況が覆りそうにない。
仕方がないので開き直ることとし、ユフィーリアは制服姿でメイヴェ地区に足を踏み入れた。雑踏の中に磨き抜かれた革靴のコツンという足音が落ちると同時に、通行人の視線が集中する。
肌を撫でる好奇の眼差しが嫌な感じではある。絶対に似合っていないことをボソボソと囁き合っているに違いない。「若作りか?」「学生には見えねえなァ」という幻聴まで聞こえてきた。
ちなみに、実際はこうである。
「あれってステラ=レヴァーノ王立学院の制服じゃねえか。あそこの学院は美男美女ばかり揃ってやがる」
「別嬪に色男かよ、絵になるな」
「王立学院に行くってなったら誰か船を出すのかい?」
「あんな連中を乗せたら緊張して転覆しちまうよ。綺麗すぎて目が潰れらァ」
誰も彼も、若作りがどうのとか似合ってない云々の言葉は一度も発していない。むしろユフィーリアたち問題児の顔立ちの良さを称賛している雰囲気すらあった。通行人の眼差しも好奇というより羨望の空気が強い。
そんな彼らの心境など知ってか知らずか、ユフィーリアたちは今にも泣きそうになりながらも船着き場までやってくる。港に停められた多数の船には、漁師たちが獲ってきた魚を水揚げしている。獲れたての魚を木箱や樽に詰め込む作業の傍らで、やはり視線は船着き場にやってきたユフィーリアたちに向けられていた。
すぐ近くを大股で通り過ぎようとした漁師に、キクガが「すまない」と呼び止める。
「アステラ島まで行きたい訳だが、どの船に乗ればいいのかね?」
「ああ、半日に1本出てる客船のことかィ」
漁師は船着き場の近くにある売店を指差し、
「あの売店で乗船券を買えばいいさ。午後の便があと少しで出るから、それに乗りゃいい」
「なるほど、助かった訳だが。ありがとう」
お礼を言うキクガに、漁師は「オメェさん」と言葉を続ける。
「随分と綺麗な身なりをしちゃいるが、アステラ島まで何か用事かィ?」
「ステラ=レヴァーノ王立学院に赴任することになった訳だが」
「ああ、教職員ってことかィ。そりゃまた辺鄙なところに勤めることになっちまったなぁ」
漁師は日に焼けた影響で茶色っぽくなった髪を掻き、
「俺たちゃ漁に多少の魔法を使う。獲った魚をその場で凍らせれば鮮度を保ったまま何日も海で漁を続けられるから、上質な魚を大量に獲りやすくなるのさ。七魔法王様には頭が上がらねェ、こんな便利なもんを普及してくれて随分と生活もしやすくなってる」
「ほう」
「だが、アステラ島の連中はいけ好かねえ。誰でも魔法が使えるようになったこのご時世、連中はいつまでも被害者ヅラだ。まあ、迫害されたってんだから同情はするけどよ」
漁師は海の向こうに視線を投げると、
「……だのに、魔法を使える奴を『聖女』だなんて呼んで持て囃すんだ。人にはそれぞれ考えがあるから否定はしねえが、島全体で魔法嫌いになるならまだしも『聖女』だなんて責任を負わせるような役目を1人に課すなんて、やっぱりいけ好かねえ連中だわな」
そう吐き捨てるのだった。
☆
「アステラ島行きの客船が到着しました。下船されるお客様のあとにご乗船をお願いいたします」
メイヴェ村の港に到着した客船は、そこそこの大きさをしていた。豪華客船とまでは行かないが、人を乗せて大海原を移動するにはちょうどいい規模をしている。
船から降りてくる乗客は、地面に降り立つとふらふらと覚束ない足取りで船から離れていった。船酔いでもしたのだろうか、顔色の悪い乗客をよく見かけたような気がする。
降りていく乗客を眺めていたハルアが、
「船ってそんなに気持ち悪くなるかなぁ」
「ハルさんは酔わないのか?」
「多分ね!!」
ハルアは清々しい笑顔をショウに向け、
「昔、ユーリとエドと一緒にマグロ漁船へ乗ったことあるからね!!」
「まさかとは思うが、借金の返済目的で漁船へ乗らされたという訳ではあるか?」
「何の借金もしてないのに、借金の返済で漁船へ乗せられた人と一緒に混ざって乗ってたよ!! 楽しかった!!」
「普通に楽しんでる。楽しめるような状況ではないはずなのに」
ショウが戦慄の眼差しを向けてくるので、ユフィーリアとエドワードとついでにアイゼルネは無言で親指を立てるだけだった。
マグロ漁船とは、シンジュマグロと呼ばれる純白のマグロを釣る為の船である。遠洋漁業になるので、船に乗ったら転移魔法でも使わない限りは逃げることが出来ない。波も荒く、下手に海へ飛び込んで逃げ出そうとすれば、今度はサメとクジラの餌となってしまう。
ユフィーリアたちは、このマグロ漁船に「面白そうだから」という理由で乗り込んだことがある。特にアイゼルネがヴァラール魔法学院に来るまでは毎年のように乗っており、シンジュマグロを釣り上げて荒稼ぎしたものだ。おかげで船にも慣れてしまった。
「いや楽しいもんだぜ、大物を釣るってのは。特にハルと一緒だと釣れる時になったら第六感が冴えるから、バカバカ釣れるしな」
「借金のカタにされたおじちゃんたちもいい人だよぉ。たまに鬱陶しい奴がいたら餌にしたけどぉ」
「オレ、神様扱いされたのは初めてだったよ!!」
「おねーさんも乗ったことあるけど、シンジュマグロの群れがキラキラしてて綺麗なのよネ♪」
「どういう反応をするべきなんだろうな。とりあえず俺は乗りたくないとだけ言っておこうかな」
遠い目でショウはマグロ漁船へ乗ることを拒否してきた。そう言っても、マグロ漁船を出す組合側から「もう乗らないでくれ」と頼まれてしまったので、乗らなくなって随分経過しているのだ。
「それよりも早く乗るか」
「船内に食べるものあるかねぇ、俺ちゃんお腹空いちゃったぁ」
「ショウちゃん、船内を探検しよう!!」
「わッ、ハルさんいきなり手を引っ張ると危ないぞ」
「ハルちゃんってばはしゃいじゃっテ♪」
「楽しい船旅になりそうな訳だが」
そんなやり取りを交わしながら、ユフィーリアたちはアステラ島行きの客船に乗り込むのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】船にはシンジュマグロの漁船に、借金で首が回らなくなった債務者と一緒に乗った。女でも腕力はあるのでバカスカ釣って凍らせて、しばらくお魚料理を満喫した。
【エドワード】船にはシンジュマグロの漁船に、ユフィーリアと一緒に乗った。別に借金はしていないのだが、債務者のおじちゃんと混ざって釣ったのが楽しかった。絡まれたら容赦なく海に投げ捨てていた。
【ハルア】船にはシンジュマグロの漁船に乗ったことがある。第六感が優れているので釣れる時になったら鬼のように釣るので債務者のおじちゃんから神様扱いされていた。
【アイゼルネ】船にはシンジュマグロの漁船に、一度だけ乗ったことがある。シンジュマグロがとても綺麗だったのが記憶にある。ただ船にはしっかり酔った。
【ショウ】船に乗ったことはない。酔わないか心配。
【キクガ】船に乗ったことはある。よくゴミ捨てに行っていたが、決して不法投棄ではない。