第1話【問題用務員と結婚の申し込み】
ここに1人の淑女がいる。
「ふんふーん、ふーん♪」
ご機嫌な鼻歌を奏でながらレティシア王国の商店街を歩くのは、ヴァラール魔法学院の魔導書図書館にて司書を務める魔女――ルージュ・ロックハートである。
スキップをしない勢いの弾んだ足取りで、彼女は人通りの多い商店街を闊歩する。燃えるような赤い髪を翻し、舞踏会でも見かけることのない真紅のドレスに身を包んだ真っ赤な淑女に誰も話しかけることはなかった。遠巻きに眺めながら「ねえ、あれって」「凄く機嫌がいいわ……」などと声を潜めている。
それもそのはず、ルージュは世界的にも有名な七魔法王が第三席【世界法律】の名を冠する魔女である。法を定め、秩序を世界にもたらしたとされる偉大な魔女が鼻歌混じりに1人で歩いていたら敬遠もされる。
「ようやくクロマダラガエルの粘液が手に入りましたの。これをジャムにして紅茶に入れるのが1番美味しいんですの〜♪」
弾んだ声で「取りに行くのが楽しみですの」と締め括るルージュ。
彼女がレティシア王国を訪れたのは理由があった。以前から魔法薬の素材などを取り扱っている小売店で注文していた希少価値の高い素材『クロマダラガエルの粘液』がようやく入荷されたと連絡があったのだ。これは買わなければならないということで、自分の受け持つ授業を急遽自習にしてまでレティシア王国に向かった訳である。
問題のクロマダラガエルだが、黄色の表皮に黒いまだら模様が特徴的な蛙である。猛毒を含んでおり、特に粘液には口に含むと肌に黒いまだら模様が浮かび上がる他に下痢や嘔吐の症状に見舞われるという特性を有していた。劇物を口に含んでも平気でいられるのは、ここにいるルージュ・ロックハートという馬鹿野郎だけかもしれない。
その時、
「異国の王子様、いかがですかい。婚約者へのプレゼントなんかに最適ですぜ」
「確かに、この大粒の宝石がついた指輪がこの値段で売られているのは見かけたことがない……」
何やら怪しげな会話が耳に飛び込んできて、ルージュは思わず足を止めてしまった。
周囲を見渡すと、商店街の一角に人だかりを発見した。集まっているのは同じような制服を着ているので、どこかの国から派遣された王族とその護衛だろうと予想できる。
その人だかりの中心にいたのが、金髪碧眼で背の高い美男子と見窄らしい格好をした宝石商である。まるで絵本から飛び出してきた王子様のような見た目をした金髪の青年は、見窄らしい宝石商から手渡された指輪を繁々と眺めている。
彼の手にある指輪は、黄金色の台座に大粒のダイヤモンドが嵌め込まれた簡素な意匠のものである。子供か、宝石に詳しくない人間が見れば騙されて購入に踏み切ってしまうだろう。
「まあ、相手は王族ですの。宝石など見飽きているぐらいですの、すぐに嘘だとお分かりになりますの」
助けるまでもないか、とルージュはその場を後にしようとしたのだが、
「これを買おう、いくらだ?」
「毎度あり」
「はあッ!?」
ルージュは反射的に声を上げてしまった。すぐ近くを通りかかった買い物中のご婦人が、驚いたように肩を縮こまらせた。
「お待ちなさいですの!!」
「な、何だ急に、一体」
見窄らしい宝石商と王子様然とした見た目の青年との間に割り込んだルージュは、青年の手に握られた指輪を毟り取る。
大粒の宝石がついている割には非常に軽く、煌めきも紛い物である。指輪の台座に触れれば玩具のような材質であることが判断できた。外側を金色に塗っただけの代物のようだ。
ルージュは玩具の指輪を青年に突きつけ、
「貴方、これらが何か見分けはつかないんですの?」
「す、すまない、今まで剣術しかやってこなかったものだから宝飾品には疎くて」
「まあ!! 貴方、本当に王族ですの? もう少し教養を身につけた方がいいんですの」
嘲笑するルージュに、青年の周囲を固める衛兵たちが揃って敵意に満ちた眼差しを向けてきた。
「貴様、殿下に向かって何という口の利き方だ!!」
「黙らっしゃい!! こちとら玩具如きに騙されそうになっていたお宅の王子様を助けてやったんですの!! 感謝なさい!!」
臆さず噛みついてくるルージュに、さしもの衛兵たちも気圧されていた。鬼気迫る表情で怒鳴りつけられれば何も言えない。
ルージュは見窄らしい宝石商が広げていた商品を見やる。
どれも見た目だけは取り繕ったものであるが、玩具や偽物である。中には本物らしい宝石を使った髪飾りもあったが、どこかで見覚えのあるものだと思えば盗難届に記載してあった代物である。
怯えたように身体を小さくする宝石商の男に、ルージュは「ちょっと」と声をかける。
「貴方、こちらはどうやって仕入れに?」
「あ、その」
「並んでらっしゃるのは玩具に宝石店で置かれている偽物、それから盗品といった品揃えですの。まさか他人に言えないような仕入れ方をなさっているのではないんですの?」
ルージュの鋭い眼光に怖気付いた宝石商は、彼女を突き飛ばして逃げ出す。その行動こそが動かぬ証拠となった。
「逃げることは許しませんの!!」
右手を掲げたルージュは、
「〈開廷・魔法裁判〉――裁判長権限で『窃盗罪』を適用し、当該被告を拘束しますの!!」
「ぐはあッ!?」
逃げる宝石商ならぬ宝石泥棒へ、どこからか伸びた鋼鉄の鎖が彼の全身を締め上げる。頑丈な鎖で簀巻きの状態にされた宝石泥棒は顔面から地面に倒れ込むと、ジタバタともがいて「許してくれ、助けてくれ!!」と叫んでいた。
鎖の端を握るルージュは真っ赤な髪を払うと、王子様のような見た目をした青年に視線をやる。目の前で起きた出来事を大層驚いたような表情で眺める彼は、石像のように固まって動かない。
鼻を鳴らしたルージュは、
「王族なら、せめて本物と偽物を見分けるぐらいの知識を身につけるんですの。教養がない馬鹿だと思われるのは嫌でしょう?」
そう告げて、ルージュは宝石泥棒を警察組織へ突き出す為に簀巻きの状態にされた泥棒の男を引きずり始めたのだった。
――それが、3日前の出来事である。
☆
「――それ以来、あの王子様のような見た目をした脳内お花畑おぼこ野郎から求婚されておりますの」
「だははははははははははははははは!!!!」
「黙らっしゃい!!」
創設者会議という緊張感があるんだかないんだか分からない状況に、銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルの下品な笑い声が響き渡る。
だっておかしな話である。世界的にも有名で神の如く崇められている七魔法王が第三席【世界法律】に求婚など愚かにも程がある。話を聞く限り、王子様のような見た目をしたかの青年は玩具の指輪を本物と見間違えて購入に踏み切ろうとしたほどの世間知らずなので、ルージュがそんな偉い魔女であると知らなかったのだろう。
いや、七魔法王の存在を知らないとはどんな田舎で育った王子様なのだろうか。逆に面白くて仕方がない。
目に浮かんだ涙を拭うユフィーリアは、
「ど、どこの田舎野郎に求婚されてんだよ。お前に求婚するような命知らずなんてこの世にまだいたんだな」
「どういう意味ですの?」
「いや、もし結婚でもしてお前の手料理を未来の旦那様が食う機会があったとするだろ? そうなったらもう確実に死ぬじゃねえか」
ルージュの料理下手は筋金入りであり、しかも不幸なことに本人がその腕前に気づいていないのだ。鼻の曲がりそうなほど臭え紅茶を入れても平然と飲み干す胃腸の強さを持ち合わせるので、被害を被るのは毎回ルージュの周りの人間だけである。
仮に彼女が結婚でもしたら、その犠牲者は求婚した王子様である。もはや国際問題に発展しかねない。ヴァラール魔法学院の存亡の危機だ。
そのことを理解しているのか、学院長のグローリア・イーストエンドが苦々しげな表情を見せる。
「ルージュちゃん、ちゃんと求婚は断ってよ?」
「断っているんですの。それでもしつこいんですの」
ルージュは深々とため息を吐き、
「何度断っても手紙を寄越してくるんですの。この前は花束まで送ってきたんですの」
「むしろ何て言って求婚してくるのか気になるッスね」
ルージュの話に興味を示したのは、副学院長のスカイ・エルクラシスだ。同じように第五席【世界防衛】の名前を冠する白い狐、八雲夕凪も首を縦に振る。
それもそうだ、この口汚く他人を罵るのが得意な魔女を相手に求婚をするとはよほどの物好きに違いない。彼女の話を聞く限り、青年にも口汚く罵倒したようである。それで惚れてしまうとは被虐趣味は極まったか。
仕方がないとばかりに肩を竦めたルージュは、
「ドネルト王国の王太子殿下、キール・エルバ・ドネルトですの」
「そこって、独自の法則をお持ちではありませんか?」
思い当たる節があるのか、第六席【世界治癒】の名前を冠する聖女様のリリアンティア・ブリッツオールが口を開く。
「エリシア大陸から離れた孤島にある王国です。その昔、魔法が使えないことで迫害された人々が孤島に追いやられて築かれた王国だとか」
「なるほど、それは確かに独自の文化や認識違いが生まれそうな訳だが」
リリアンティアの言葉に納得するのは、冥王第一補佐官であり第四席【世界抑止】のアズマ・キクガである。今までルージュの話は興味なさそうに聞き流していたのが、唐突に耳を傾けるようになったのはルージュの話題ではなくなったからだろうか。
「確かあそこって、魔法が使える人間は『聖女様』って呼ばれて王家へ嫁ぐことになるんだっけ?」
「あそこだけッスよ、律儀に貴族制度を残してるの」
「独自の文化で育ってきたのであれば、七魔法王を知らなくても無理はありませんね」
様々な言葉が飛び交うが、ルージュがどうすれば求婚を回避できるかという具体的な対策は出てこない。誰も本気で考えるつもりはないのだろう。
ならば、ここはユフィーリアが立ち上がる他はない。どうせ暇だったし、せっかく困っているならば付き合ってやろうではないか。成功すれば恩を売れるし、失敗しても面白そうな予感しかないからやらない手はない。
ユフィーリアは笑顔をルージュに向け、
「ルージュ、アタシがお断りの連絡をしてやるよ」
「信用ならねえんですの」
ジト目で睨みつけてくるルージュを「まあまあ」と宥めたユフィーリアは、
「任せろって、適当に断ればいいんだろ? 適当なことを言って諦めてもらうさ」
もちろん、そんなことをする訳がない。こんなに面白そうなことを放っておくはずがないのだ。
ルージュの怪しむ気持ちなどよそに、ユフィーリアは件のドネルト王国についてどうやって潜入するのか考えを巡らせるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】結婚の申し込みはレティシア王国の馬鹿王子にやられたのが悪夢になってる。思い出すから最愛の嫁との結婚式を妄想した方がいい。
【ルージュ】かつて本気で婚活をしていたのだが、七魔法王であることを隠さなければなかった。今回、久々に結婚を申し込まれてウンザリ。
【グローリア】結婚なんて縁遠いが、結婚の申し込みはおそらく自分からやると思う。
【スカイ】結婚の申し込みは言われたい派。
【キクガ】既婚者だが、奥さんは息子の出産と共に亡くした。その際は奥さんの方から言われた。
【八雲夕凪】結婚の申し込みは自分から言うほど度胸はある。
【リリアンティア】結婚の申し込みは自分から言いたいけど言い出せなさそう。