第4話【問題用務員と怠惰の魔王】
「ふーん、なるほどね」
部屋全体を見渡したグローリアが、納得したように呟く。
学院長室の床に広がる魔法陣、散乱するお菓子のゴミと見覚えのない魔族の少女。ついでに問題児は理由不明な面倒臭さに襲われて、床に伏せたまま動けずにいた。存在してほしくない連中がいたら白目を剥きたくなるに決まっている。
この状況を目の当たりにした学院長は、果たしてどう考えただろうか。今日に限って言えば第3儀式場を魔法で吹き飛ばして怒りが収まっておらず、加えてこの状況を引き起こしたとなれば感情はぐちゃぐちゃになるはずである。ただでさえ面倒ごとの塊な問題児が、さらに面倒ごとを引き起こしたのだ。
グローリアはため息を吐くと、
「とりあえず言い訳ぐらいは聞きたいから、その魔法は解除しようかな」
彼が指を弾くと、身体を支配していた気怠さがスッと抜けた。それまで悩んでいた身体の重さとか怠さが嘘のようになくなる。
ユフィーリアは驚きに目を見開き、自分の身体の調子を確認する。鉛を飲み込んだかのように重かった身体が軽さを取り戻しており、立ち上がることもその場で飛び跳ねることも簡単に出来ていた。「あ、あー」と試しに声も出してみるが普通である。
エドワードやアイゼルネも、今までの疲労感や倦怠感は何だったのだろうかとばかりの態度で立ち上がっていた。気怠さから解放されたショウとハルアの未成年組も元気を取り戻しており、その場で飛び跳ねたり逆立ちしたりと忙しない。全員揃って元通りである。
ユフィーリアが笑顔でグローリアへと振り返ると、
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
「ちくしょう、やっぱり怒られんのか!?」
「当たり前でしょ、怒られないと思っているのなら君の脳味噌には随分と綺麗なお花畑が広がっているんだね!!」
予想していた通り説教を食らうこととなり、ユフィーリアは自分の耳を塞ぐ。塞いでもなおグローリアの金切り声は手のひらを貫通して鼓膜に突き刺さり、喧しいことこの上ない。ずっと聞いていると頭が痛くなってくる。
とりあえずもう説教を受けることは決定しているようなので、問題児は大人しくその場で正座をする。最初こそ説教を受けるつもりはなく、何なら嫌がらせにでもなればいいかなと思っていたら、ただただ減給の刑罰を重くしただけだった。後悔しかない。
すると、説教をするグローリアの横から「ちょっと!!」と声が飛んでくる。薄い胸の下で腕を組み、納得していなさそうな表情でグローリアを睨みつけるサニィである。
「あんた、随分と頭が高いんじゃないの? この魔王の前で不敬じゃない?」
「ユフィーリア、この女の子は誰? 学校に子供を入れないでくれる?」
「誰が子供よ!!」
サニィはグローリアへと詰め寄り、
「あんた、いい度胸してるじゃない。あたしは魔王よ? 魔族の中で最も偉大で怖い悪魔なんだから!!」
「どこの魔王様?」
「え」
サニィに怒鳴りつけられても、グローリアの態度は変わらなかった。紫色の瞳は、目の前で子犬のように喚く少女を品定めするように蠢く。
予想だにしていなかった切り返しに、今度はサニィがたじろいだ。どう説明をすればいいのか分からないと言ったような雰囲気で、急に態度が弱々しくなる。それまでの我儘さはなく、まるでお説教に怯える子供である。
グローリアは「ほら」と回答を促し、
「言ってごらん、どこの魔王様?」
「あ、あの」
「ほら、言ってごらん。どうせ魔王って言っておけば人間は言うことを聞くとでも思ってるお子ちゃまでしょ?」
「ち、違う、違うもん!!」
サニィは舐めた態度を取るグローリアを睨みつけると、
「た、怠惰の魔王よ、怠惰の魔王サニィ!!」
「ふーん、怠惰の魔王ね」
グローリアはそう適当に応じると、懐から通信魔法専用端末『魔フォーン』を取り出した。慣れた手つきで表面に触れ、通信魔法を飛ばす。
『あいー、どうしたんスかグローリア』
「やあ、スカイ。今って大丈夫かな」
『エロトラップダンジョンに新しい罠を導入し終わったばかりだから平気ッスよ』
通信魔法の相手は、副学院長のスカイ・エルクラシスだった。ほわほわと緊張感のない声でとんでもねーことを言ってのける彼に、グローリアは「君は相変わらず何やってるか分からないな」と肩を竦める。
その声を聞いたユフィーリアたち問題児は「ひえッ」と口を揃えて声を漏らす。まさかの通報相手は副学院長である。しかもエロトラップダンジョンに新しい罠を仕掛けたばかりだから、問題児による問題行動が明るみに出れば実験台にされることは間違いない。きっとエロトラップダンジョンから解放される頃には人間としての尊厳は全て失っていることだろう。
危機感を覚えたユフィーリアはサニィに堕落の魔法をグローリアにかけてもらって逃げようと画策するのだが、肝心の彼女の顔を見上げると心配になるほど青褪めていた。脂汗も酷く、顔色は青を通り越して紫色になっている。今にも死にそうだ。
さすがにサニィの体調を心配したユフィーリアは、
「お、おい、大丈夫か?」
「あば、あばばばばば」
「おい、しっかりしろ、おい」
ガタガタと震え始めたサニィは、ユフィーリアに泣きついてくる。その声はあまりにも必死だった。
「助けてよあんた、あたしを召喚したでしょ!? 魔界に帰して!!」
「え? い、いきなり何言ってんだお前。さっきまで意地でも帰らなかったくせに」
「お願いだから帰して、今すぐ!! そうじゃなかったら、あたし」
滂沱の涙を流してユフィーリアに縋り付くサニィだったが、
「久しぶりッスね、サニィ」
ポン、と彼女の華奢な肩が背後からやってきた人物によって叩かれた。
ユフィーリアもその姿を見て固まる。出来れば今すぐ逃げたかった。
エドワードは目を逸らし、ハルアとショウは互いに抱き合って震えており、アイゼルネに至っては南瓜のハリボテを前後逆にすることで目の前の光景を見ないようにしていた。現実逃避の方法が独特すぎるのだ。
サニィの背後に現れたのは、副学院長のスカイである。
悪い魔法使いを想起させる真っ黒な長衣と目元を覆う黒い目隠し、鳥の巣を彷彿とさせる赤い髪は鮮血のように毒々しい。問題児も見慣れた副学院長の姿が、今や本物の悪魔のようにしか見えない。
サニィはゆっくりと背後に立つスカイへと振り返り、
「お、お兄様、ひさ、久しぶりでございます」
「はい、お久しぶり。妹に会えてボクは嬉しいッスよ、里帰りしてないからなぁ」
しみじみと呟くスカイは、次にユフィーリアへと顔を向けた。
「ユフィーリア、ウチの妹を召喚したんスか? いや、凄いッスね。妹はこれでも怠惰の魔王って呼ばれてて、ウチの家督を継いでる偉い子なんスよ。材料揃えるの大変だったでしょ?」
「いやー……」
返答に迷うユフィーリアがサニィへ視線をやると、彼女はブンブンと首を左右に振っていた。「言わないでくれ」と伝えようとしていることだけは分かる。
サニィはスカイを『お兄様』と呼んでいた。そして態度から鑑みるに、現在の怠惰の魔王であるサニィよりも兄であるスカイの方が恐ろしい存在なのだ。魔王ならばすでに家督を退いた兄に対して恐怖心など抱く訳がない。
怖がっているのは明白なので、サニィの為にも事実を伝えない方がいいと思うユフィーリアだが、
「いやー、違うんだよ副学院長。実は別の悪魔を召喚しようとしたらソイツが勝手に出てきてさ」
「ちょッ!?」
サニィはユフィーリアの胸倉を掴み、
「何で言うのよ!?」
「問題児、馬鹿だから嘘吐けないんだよゴメンネ」
「明らかに棒読みじゃない!! 絶対嘘でしょ!?」
キーキーと喧しい声で騒ぎ立てるサニィを無視するユフィーリア。涙目で詰め寄るサニィから視線を逸らし、ユフィーリアは「あはははは」と棒読みで笑う。
だってユフィーリアも下手に庇って犠牲になりたくないのだ。特にスカイは、エロトラップダンジョンだとか頭の中身を疑いたくなるような内容の魔法兵器ばかり発明する阿呆である。サニィの犠牲で命が助かるなら遠慮なく見捨てる所存だ。
するとスカイが、
「知ってるッスよ」
「え?」
「ユフィーリアがウチの妹を召喚した訳じゃないってことぐらい簡単に察することが出来るッスよ。これでもイイトコの悪魔なんでね、魔法陣を見てどんな悪魔を召喚したかったかってのは予想できるッスよ」
ニコニコと笑顔を保つスカイは、言葉を続ける。
「あの魔法陣って、下級悪魔を呼び出そうとしたんスよね? ユフィーリアの性格を鑑みると、可愛いところでコロコロを呼び出そうとしたかな?」
「ご、ご明答……」
しかも呼び出したい悪魔すらピタリと言い当てられてしまった。凄く怖くて仕方がない。
「つまり、コロコロを呼び出そうとしたところ、何故かウチの妹が釣れちゃったと。その認識ッスかねぇ」
「全部正解……」
「副学院長、怖いよぉ」
「殺さないで!!」
「おねーさんたちは食べても美味しくないワ♪」
「まだ死にたくないです、ユフィーリアのお隣をウェディングドレスで歩くんです」
「殺しもしないし食べないッスよ。安心して安心して」
スカイは「さて、と」と言い、顔を怯えた様子のサニィに向ける。
彼の纏う雰囲気が明らかに変わった。底冷えのするような冷たい空気に、問題児はおろか悪くないはずのグローリアまで「ひえ」という声を漏らしていた。肌をチクチクと刺すような冷たさが、スカイを中心に放たれる。
屁っ放り腰になりながらも逃げようとするサニィは、スカイに尻尾を踏まれて「いだい!!」と悲鳴を上げた。あの尻尾には神経が通っていたのか。
「他の悪魔の召喚を横取りするなんて、魔王として最低な行為ッスよ。下級にも示しのつくような統治者になれって言って、ボクはアンタに家督を譲ったんス」
ミシミシ、と音を立ててスカイの姿が変貌していく。
彼の側頭部から、禍々しい角が生える。サニィが頭に生やした角とは違い、くるんと先端が捻じ曲がっており、黒々と輝く角がいっそ神々しさすらある。しかも左右で大きさの違う角は非常に特徴的であり、悪魔らしいと言えよう。
彼の爪先が長く伸びていき、唇から犬歯が覗く。乱暴な手つきで取り払われた目隠しの下から、漆黒に染まった眼球と紫色の魔法陣が浮かぶ緑色の虹彩が露わになる。人間の持つ眼球ではない。
魔王のような見た目へ変貌を遂げたスカイは、
「サニィ、ちょっとおいたがすぎるッスよ」
「ご、ごめんなさいぃぃ」
スカイの一言によって即座に土下座したサニィの背中を眺め、ユフィーリアは彼女を「ざまあねえ」と笑い飛ばしたのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】悪魔占いで言うと傲慢系統になるらしい。スカイ調べ。確かに驕って失敗することもよくあるなって。
【エドワード】悪魔占いで言うと暴食系統になる。まあそりゃそうだ、先祖が暴食の狼とか言われていたから。
【ハルア】悪魔占いで言うと憤怒系統になる。そんなに怒るかなぁと首を傾げる。
【アイゼルネ】悪魔占いで言うと色欲系統になる。妖艶な姿をしているからまあ理解は出来る。
【ショウ】悪魔占いで言うと嫉妬系統になる。ユフィーリアが関連すれば嫉妬もするし目のハイライトも消える。
【グローリア】悪魔占いで言うと強欲系統になるらしい。魔法の実験結果ばかり欲しがるからか。
【サニィ】怠惰の魔王様にしてスカイの妹。兄が怖い。
【スカイ】元怠惰の魔王にしてサニィの兄。身内には容赦がない。




