第3話【問題用務員と魔王】
目論見通り、学院長室には誰もいなかった。
「お前ら、グローリアが帰ってこないように見張ってろよ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「ああ」
豚肉と赤ペンキ、針金、それから透明な箱に入れた蛙を抱えてユフィーリアは学院長室へ侵入を果たす。
見張り役を部下に任せ、ユフィーリアは学院長室の様子を確認する。
広々とした学院長室には来客対応用の応接セットと魔導書や教科書などが隙間なく詰め込まれた大きな本棚、紅茶のカップを収納した戸棚と物が少なくごちゃごちゃしていない。煌びやかな照明器具が天井から吊り下がり、広い室内を明るく照らしていた。
天井は第3儀式場と比べればだいぶ低いのだが、一般的な大きさの悪魔ならば召喚しても天井をぶち破る心配はない。いや、背の高い悪魔を召喚して天井をぶち破ってもらった方が面白いだろうか。
「よし、まずはっと」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
転送魔法を発動し、バサバサと大量の羊皮紙を学院長室に呼び寄せた。真っ白な羊皮紙を広げて配置すれば、その上に魔法陣を描いても学院長室に敷かれた絨毯が汚れることはない。
購入したばかりの赤ペンキで、ユフィーリアは床に広げた羊皮紙の上に魔法陣を描いていく。羊皮紙を雑に広げただけなので描きにくいことこの上ないが、何とか魔法陣が完成する。
今回、召喚することを選んだ相手は下級の悪魔である『コロコロ』だ。ふわふわとした綿毛みたいな見た目に、小さな角と小さな尻尾が生えた可愛らしい悪魔である。
「よし、準備完了」
羊皮紙の上に書かれた魔法陣を確認し、ユフィーリアは満足げに頷く。魔法陣のどこにも間違いはないし、供物である『豚肉の赤ペンキソースがけ〜針金の気まぐれを添えて〜』も用意した。
下級悪魔はどんな供物でも召喚できるぐらいに判定がガバガバすぎるので、ユフィーリアがどれほどふざけていようと召喚できてしまう。逆に言えば初心者でも簡単に召喚できる良心的な悪魔なので挑戦しやすいのだ。
魔法陣の中心に豚肉へ赤ペンキをぶっかけたゲテモノを置き、針金を豚肉に突き刺す。さらに生贄である蛙をぞんざいな手つきで供物の上に放って、ユフィーリアは魔法陣に手をかざす。
「〈暗黒の空、黒い風、乙女は嘆き、世は揺らぐ〉」
魔法陣が赤い光を放ち始めた。
供物と生贄が置かれた魔法陣の中心が強烈な赤い光を放ち、ごうごうと湿った風が吹き付ける。吸い込むような風向きに、ユフィーリアの着ている袖のない真っ黒な外套が大きく揺れた。
悪魔召喚の儀式が成功の兆しを見せ、グローリアの動向を見張っていたエドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウの4人も魔法陣の動きに注目する。バチバチと赤い火花も散り、悪魔召喚の儀式も佳境を迎えた。
「〈悪魔よ応えよ。鎖に繋がれ、我が命に従え〉」
強い光を放つ魔法陣を前に、ユフィーリアは最後の1節を唱えた。
「〈召喚・下級悪魔コロコロ〉」
可愛らしい名前を魔法陣に告げれば、光の柱が魔法陣から放たれた。
これで悪魔召喚の儀式は成功である。あんなふざけた供物でも成功するとは愉快なことだ。きっと悪魔側も困惑しているだろうが、下級悪魔であるコロコロはいわゆる愛玩動物みたいな立ち位置である。心はあっても意思を伝える為の言葉がない。
悪魔召喚の儀式の結果に満足げなユフィーリアだったが、
「あたしを召喚したのはあんたなの?」
学院長室に響き渡る甲高い声。子供特有の甘く、それでいて毒のような危険さを孕むそれは「へえ、まあ随分と上等な召喚者ね」などと言う。
魔法陣の上に立っていたのは、どこか幼さを残す少女である。真紅を基調としたゴシックドレスと緩やかに波打つ真っ赤な頭髪が特徴的で、意思の強さを感じさせる吊り目がちな瞳は綺麗な翡翠色をしている。勝ち気な雰囲気を想起させる顔立ちは整っており、ドレスの黒っぽさが彼女の白磁の肌を際立たせる。
真っ赤な髪へ埋もれるようにして生えるのは、歪に捻じ曲がった角である。動物のようなそれではなく、禍々しさの残る角は悪魔と言ってもいいだろう。少女の背中あたりで揺れるのは三角形の先端が目を引く尻尾だ。
平坦な胸の前で両腕を組み、犬歯の覗く桜色の唇を持ち上げて大胆不敵に笑う少女は言う。
「この魔王であるサニィ様を呼び出したんだから、それ相応の願いはあるのよね?」
それに対するユフィーリアの回答は、
「帰れ」
「何でぇ!?」
自らをサニィと名乗った少女は、目を剥いて驚きを露わにした。
「え、だって魔王よ? あたしは魔王なのよ? 魔界じゃそんじょそこらの悪魔よりも偉いんだからね?」
「帰れ」
「何で二度も同じことを言うのよ!!」
サニィは「キィーッ!!」と悔しそうな声を上げる。
何度だって言おうではないか、召喚した悪魔違いである。ユフィーリアが召喚したかったのは、どんなに阿呆な供物でも生贄でも割と召喚されてくれるガバガバ判定の下級悪魔コロコロである。あのふわふわな見た目と小さな角、小さな尻尾が愛らしい悪魔を召喚したかったのだ。
なのに豚肉ペンキがけ、針金添えなどという間違い以上の何物でもない供物で召喚されたのが魔王を名乗るクソガキである。魔王を召喚するにはかなり希少価値のある素材を使わなければならないのだが、あんなふざけた供物で召喚に応じてしまうとはあり得ない。
ユフィーリアはサニィの頭を掴み、
「ほら帰れって、お前なんかお呼びじゃねえんだよ」
「ちょ、痛い痛い!! 離して!!」
サニィはユフィーリアの手を振り払うと、
「嫌よ!! せっかく久しぶりの人間界だもの、存分に堪能させてもらわなきゃ!!」
「ふざけんな帰れ、主人の命令を聞け」
「嫌ったら嫌!!」
サニィは我が物顔で学院長室の内装を見渡し、
「へえ、なかなかいいところじゃない。気に入ったわ」
「エド、コイツの顔面を魔法陣に擦り付けてやってくんねぇ?」
「ちょっと、止めてよ暴力反対!!」
ユフィーリアに言われて指の骨を鳴らすエドワードから、サニィは顔を青褪めさせて逃げる。主人の命令を聞こうとしないからこうなるのだ。
大体、彼女はお呼びでないのである。だから今すぐ帰ってほしいし、何なら代わりに下級悪魔のコロコロを置いていってほしいものだ。欲を言えば羊か山羊の姿をした悪魔がいいのだが、高望みをすればどうなるか分かったものではないので暴力に訴えることとする。
サニィは「分かったわよ」と言い、
「言うことを聞けばいいのね? 何を命じる訳?」
「帰れ」
「それ以外で」
「帰れ」
「もう、そればっかり!!」
学院長の執務椅子に我が物顔で座るサニィは、
「馬鹿の一つ覚えみたいに同じことしか言わないんだから、つまんない召喚者に呼ばれちゃったわね」
「お前はお呼びじゃねえんだよ。アタシが呼び出したかったのは下級悪魔のコロコロだ」
「あんなのを呼びたかったのぉ?」
サニィはふかふかな執務椅子が気に入ったのか、くるくると回りながら遊んでいる。とっとと帰ってほしいのに何故帰らないのか。
「あたしの召喚者って随分とセンスがないのね」
「これ以上の侮辱は敵対行為と見做してぶっ殺します、そいや」
「きゃあ!?」
唐突に炎の矢で襲われたサニィは、甲高い悲鳴を上げてそれを回避する避けられた炎の矢は彼女の背後にあった窓をぶち破って、晴れ渡った空に消えていった。
炎の矢をぶっ放したのは、ユフィーリアを愛して止まない女装メイド少年のお嫁さんであるショウだ。彼の側には歪な三日月――冥砲ルナ・フェルノが第2射を構えている。高火力を発揮する神造兵器を前に、さしものサニィも態度を変えた。
慌てるサニィは、
「ちょ、ちょっと待ってよ、危ない!!」
「知りません、ユフィーリアの命令が聞けないダメな悪魔は存在もろとも消し飛ばしてやります。冥府でお会いしましょう」
「あ、あたしのことを殺したら魔界が大変なことになるわよ!!」
サニィがそう主張するも、世界は旦那であるユフィーリアを中心に回っていると思い込んでいるショウは「だから何ですか?」と首を傾げた。
「貴女はユフィーリアによって召喚された悪魔でしょう。ルールが守れないのであればお帰りいただくべきか、それこそ死んでもらうのが妥当では?」
「不敬よ!!」
「頭がぱっぱらぱーなメスガキに言われたくないですね」
ショウは哀れみを込めた目線を彼女の身体に向け、
「大体、魔王だ何だとほざくならもう少し体型をどうにかしては? 幼児体型で何を誘惑するんですか、大きいお友達ですか?」
「は? 何言ってんの変態なの? 気持ち悪い」
サニィは自分の身体を抱きしめ、ショウを睨みつけた。
とはいえ、ショウの言葉は事実である。湾曲な表現もなければもう少し柔らかい言葉を選ぶかと思いきや、そんなことはなかった。自らを『魔王』と名乗るサニィだがその姿に威厳はなく、かと言って召喚者であるユフィーリアを誘惑するような要素も全くない。ちんちくりんで寸胴鍋のように起伏のない身体付きである。
これで修道服でも着ていれば慎ましやかな聖女様と表現できるだろうが、召喚者であるユフィーリアの言うことを聞かずに人間界にしがみつく阿呆な悪魔に手加減などしてやるつもりは毛頭ない。こっちはとっとと帰ってほしいのだ。
「ショウちゃん、女の子に体型のことを言うのはよくないよぉもぐもぐ」
「エド、これ賞味期限が切れてるよ!!」
「あらマ♪ 学院長ってば相変わらずネ♪」
「そこは何をしてるのよ!!」
サニィが金切り声を上げたことで、戸棚を漁っていた問題児が動きを止める。大事にしまい込みすぎて賞味期限が到来したお菓子を口の中にもぐもぐと詰め込み、平然と咀嚼して飲み込む。堂々とした盗みである。
自由に過ごす問題児を前に、サニィは地団駄を踏んだ。自分が支配しているとでも思ったのだろうか。強制的に帰ってもらおうとも思ったのだが、ショウに対応してもらった方が早そうだ。
サニィは「んもう!!」と吐き捨て、
「もう怒ったわ!!」
執務椅子から立ち上がると、サニィは厳かに詠唱を始める。
「〈堕落の熊より命じる、気力をなくして怠惰となれ〉」
「はん、クソガキの魔法な、んて」
サニィの魔法を鼻で笑ったユフィーリアだが、唐突に訪れた疲労感と倦怠感が身体に重くのしかかってくる。同じようにエドワードとアイゼルネも「何か身体が重いねぇ」「動くのが面倒になるワ♪」などと言っていた。
魔王を自称しているのかと思いきや、本当に魔王としての実力はあったようだ。他人を堕落させる魔法は悪魔の専売特許である。食らうのは初めてだが、まさかここまでとは。
重くなる身体にハルアとショウの未成年組さえ黙り、ユフィーリアもまた床に伏せる。思考回路も重くなって、全てがどうでもよくなってきた。
「あはははははは!! 無様ねぇ、あれだけ喚いてたのに!!」
「ちくしょー……反論するのも面倒臭え……」
高笑いするサニィに、ユフィーリアが気怠げに悪態を吐いた時である。
「……何してるの?」
「げ」
部屋の主人であるグローリアが帰還を果たし、ユフィーリアはこれまた面倒臭そうに顔を顰めるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】本を読んでいたら食べることと風呂に入ることが面倒になるのでやらなかったらエドワードに死ぬほど怒られたので、なるべくそこまで読書に没頭しないようにしている。
【エドワード】面倒くさくなったことがあるのは料理。疲れた時は何もしたくなくなるのでユフィーリアに任せちゃう。
【ハルア】片付けるの面倒くさいなって思って放置しちゃうが、最近ではショウが来たので面倒くさがらずに片付けもするようになった。
【アイゼルネ】面倒になるってことはないが、しつこい男の誘いを断るのは面倒なのでユフィーリアかエドワードに追い払ってもらう。
【ショウ】面倒になるってことがない。根が真面目だからである。
【サニィ】魔王を自称する少女。誰かと容姿が似ているような?




