第2話【問題用務員と植物園の管理人】
「酷いのじゃ……儂はゆり殿が楽しく花宴をしているから、少し混ぜてもらおうと思っただけなのじゃ……」
唐揚げを掻っ攫った罪でユフィーリアにぶん殴られた白い狐は、9本の尻尾をわさわさと揺らしながら女々しく泣く。白衣の袖で目元を押さえているので分かりにくいが、多分あれは嘘泣きだ。
硝子杯に大吟醸酒を追加で注ぎ入れるユフィーリアは、メソメソと泣く白い狐を無視して花宴を再開させる。
唐揚げを食べられてしまったのは残念だが、まだ他の料理も残っている。まあユフィーリアの場合は美味しい酒が飲めれば問題ないので、料理は未成年組のショウとハルアに片付けてもらおう。
大吟醸酒を呷るユフィーリアは、
「どうした、ショウ坊。手が止まってるぞ?」
「いや……あの、ユフィーリア」
取り皿に盛られた大量の料理に手をつけず、何故かユフィーリアの背後ばかりを気にするショウがおずおずと口を開く。
「後ろの狐さんは一体……?」
「何のことだ?」
「え?」
「何のことだ?」
ユフィーリアは満面の笑みでショウに応じた。
「ショウ坊、あれは害獣だ。あとでアタシが責任を持って魔法で処分しておくから、気にせずちゃんと食え」
「酷いのじゃ、ゆり殿!! 徹底的に無視した挙句、友人である儂を『害獣』呼ばわりするのは何事じゃ!!」
純白の狐がダンダンと足を踏み鳴らして怒りの感情を露わにする。9本の尻尾も毛が逆立っていて、これ以上ないほどに怒っているのは明らかだった。
自分には一切関係ないはずなのに何故か狼狽えるショウとは対照的に、ユフィーリアは徹底的に白い狐を無視していた。エドワードやハルア、アイゼルネもユフィーリアの意思を汲み取って白い狐を無視している。
経験上、あの白い狐に関わると碌でもないことが起こるのだ。最終的に怒られるのはユフィーリアたち問題児であり、この白い狐はすっとぼけて逃げるという狡猾な狐なのである。絶対に許さねえ所存だ。
しかし、面倒ごとに巻き込まれていない新人のショウとその父親であるキクガは、物腰柔らかく白い狐と接する。
「狐さんも花宴に参加しますか? まだ料理はありますし」
「飲み物はどうかね? 酒は飲める口なのか?」
「おお、おお!! お主らは優しいのう!!」
ユフィーリアは頭を抱えた。そうだ、アズマ親子に関しては白狐と初対面である。
いそいそと赤い絨毯の上に乗ってきた白い狐は、ショウとキクガの間に「邪魔するぞい」と腰を落とす。
ジト目で睨みつけてくるユフィーリアに、あろうことか白い狐は勝ち誇ったような顔をしてきたのだ。今、この場で油揚げにして食ってしまった方が世の為ではないだろうか。
性格の悪い白い狐は、さらにショウとキクガの肩を抱き寄せて「両手に花じゃ!!」と歓喜の声を上げた。
「これほど別嬪に囲まれるとは、儂は幸せじゃのう」
「えと、ちょっと近い……」
「すまない、少し離れてもらえると……」
「何じゃ何じゃ、そんなに警戒することはないぞ? 儂は狐じゃが、人間は食わんからのう。うはははは!!」
陽気に笑いながらショウとキクガの2名を抱き寄せ、ご満悦な様子の白狐。抱き寄せられるショウとキクガはふかふかとした狐の体毛に魅了されるも、どこか困惑した表情である。
ふふん、と自慢げな視線をくれてくる白狐に、ユフィーリアは静かにブチ切れた。空っぽになった酒瓶へ手を伸ばすエドワードと使い捨て肉叉を逆手に握りしめるハルアを片手で制し、すっくと赤い絨毯から立ち上がる。
完全勝利を確信する白い狐に向かって、銀髪碧眼の魔女が放ったのはたった一言。
「今から極東に転移して、樟葉姐さんを呼んでくるわ」
「すみませんでしたあーッ!!」
白い狐はショウとキクガを解放し、電光石火の土下座を披露した。
「そ、それ、それだけは何卒ご容赦を願うのじゃ。樟葉から怒られたら儂の尻尾が9本から7本に減らされてしまうのじゃあ……」
「へえ、2本ぐらいで済むんだな」
土下座をする白狐に絶対零度の視線をくれるユフィーリアは、
「毟り取られた尻尾を貰えねえか、樟葉姐さんに聞いてみるか。ショウ坊とハルに冬用のマフラーを仕立ててやろうかな」
「か、勘弁しておくれぇ!! ゆり殿、勘弁しておくれぇ!!」
白い狐が縋り付いてくるが、ユフィーリアは明後日の方角を見上げて徹底的に無視を決め込んだ。唐揚げを掻っ攫った挙句、可愛い新人であり恋人のショウに馴れ馴れしくした罪は重いのだ。
「あ、あの、ユフィーリア」
状況についていけないショウは、わざわざ挙手をして発言を求める。
「どうした、ショウ坊?」
「その狐さんは、ユフィーリアの知り合いなのか? あと樟葉姐さんとは一体……」
「コイツの奥さん。極東地域でコイツのいた社を守ってんだよ」
縋り付いてくる白狐を乱暴に引き剥がしながら、ユフィーリアは言葉を続けた。
「コイツは、この植物園の管理人をしてる自称豊穣神だ。見た目と違って性格はクソみたいに悪いから、関わらないことをお勧めするぞ」
「誰がクソみたいな性格じゃい。ゆり殿に比べればマシじゃろ」
不満げに唸る白狐は「うおっほん」と咳払いをすると、
「お初にお目にかかるぞい、お二方。儂は八雲夕凪、極東地域では豊穣神と崇め奉られる神様じゃ。儂に優しくするとあとでご利益があるやもしれんぞ?」
「は、はあ……」
「よろしく頼む」
白い狐――八雲夕凪から握手を求められ、ショウとキクガは真面目にもきちんと応じていた。心優しい親子である。
「それよりもゆり殿、花宴に儂を呼ばないとは連れないことをするのう。儂とお主の仲だと言うのにのぅ」
「あ゛?」
大吟醸酒を傾けるユフィーリアは、自分の出せる声で最も低いもので応じた。
「誰と誰が仲良しだって? もう1回言ってみ?」
「儂とお主じゃよ。仲良しじゃろ、儂ら」
「仲良しだったら仕事をサボって酒盛りした罪をおっ被せてこねえんだよなァ」
この八雲夕凪と名乗る白狐は、その見た目に似合わず狡猾である。ユフィーリアたち用務員が学院最大級の問題児であるという悪名を利用して、積極的に罪を被せてくるのだ。
主な罪状は酒盛りに関することだろう。酒盛りの主催は八雲夕凪であり、ユフィーリアたち問題児は彼の開いた酒盛りにお呼ばれしたはずが、いつのまにか言い出しっぺはユフィーリアになっているのだ。「儂は巻き込まれただけなのじゃぁ……」とメソメソと泣きながら学院長に訴えるので、いつも怒られるのはユフィーリアたちなのだ。
八雲夕凪は「あの時は仕方がなかったのじゃ」と主張し、
「だってそうでもせねば樟葉から禁酒を命じられていたのじゃ」
「コイツもう本当に死んでくれねえかな」
割と本気で八雲夕凪を油揚げにしてやろうと雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめるユフィーリアだが、
「ユフィーリアに罪を着せることは許さない、この害獣」
最近、使えるようになった腕の形をした炎――炎腕を呼び出して八雲夕凪に絞め技を仕掛けるショウ。色鮮やかな赤い瞳から純粋さの光が消え、完全に八雲夕凪を敵として認定した目つきである。
両腕と両足を掴まれて、まるでブリッジするように背筋を強制的に反らされる八雲夕凪は「あーッ、あーッ!!」と悲鳴を上げた。
背骨を逆方向に折られる勢いである。炎腕は触れただけで相手を火傷させる効果が見込めるのだが、純白の狐に火傷を負う気配はない。
キクガは葡萄酒を硝子杯の中に注ぎ入れながら、
「おお、さすがショウ。綺麗なロメロスペシャルだ」
「へえ、そんな名前なのか?」
「元の世界にはプロレスと呼ばれる格闘技がある訳だが、その技の1つだ。見た目が派手な技が多いので、ハルア君やエドワード君は好きだと思うがね」
「ショウ坊は知ってる?」
「知っているとも。私もいくらかやり方を知っているから、2人に伝授しようか」
「面白そうだからアタシもやりたい」
「もちろんいいとも」
八雲夕凪がショウの手によって綺麗なロメロスペシャルにかけられている間、ユフィーリアとキクガは酒盃を傾けながらのほほんと会話を交わしていた。
「助けるのじゃ、ゆり殿!! 助けてほしいのじゃ!!」
「え? 何? 何か言った?」
「この距離で聞こえておらんとは、お主の耳には塵でも詰まっておるのかぁ!?」
炎腕によるロメロスペシャルの刑に処されている八雲夕凪は、
「わ、儂の手持ちの酒を提供しよう!! だから助けてくれぇ、背骨が限界じゃあ!!」
「ショウ坊、その白狐を放してやれ」
「分かった」
ユフィーリアの鶴の一声によって解放された八雲夕凪は、腰を押さえながら「た、助かったのじゃ……」と安堵する。
「見かけによらず凶暴なのじゃ……」
「ほら爺さん、さっさと酒を出せよ。じゃなきゃ今度は別の技をかけてもらうぞ」
「カツアゲかい、お主は……」
八雲夕凪はぽふぽふと狐の手を叩き、酒瓶をいくつか足元に転送させる。
どれもこれも名酒と謳われる酒である。今回飲んでいる『獅子泣き』もそれなりにお値段は張るものだが、それとは比べ物にならないぐらい高級な酒ばかりだ。
しかも大吟醸酒だけに限らず、葡萄酒や果実酒などもある。火酒の瓶も見つかった。どの酒も高級品に名を連ねるものばかりだ。
「凄え、睡蓮の大瓶がある。小さな瓶でも30万ルイゼは持っていかれるのに」
「こっちは幻のお酒『石楠花』だよぉ。滅多に作られないから市場にも出回らないってぇ」
「あらあラ♪ 星の風葡萄を200年熟成させた高級葡萄酒まであるワ♪ 高すぎるから手が出せないのよネ♪」
酒に詳しいユフィーリア、エドワード、アイゼルネはその酒の種類が如何に高級品であるか理解していた。どれも市場に回らないが故に値段も高く、薄給な用務員では到底手が出ない代物だ。
「儂の秘蔵の酒を提供するからのう、儂も混ぜてもらえんかのう」
いじいじと狐の尻尾を弄りながらお伺いを立ててくる八雲夕凪に、ユフィーリアは「仕方ねえな」と言う。
今回の花宴はこちら側が主催なのだ。
何も持ち寄らずに飛び入り参戦するのは非常に嫌だが、高級な酒を大量に提供してくれるのであれば話は別である。罪を押し付けられるのは癪に触るが、主催はユフィーリアたち問題児なので変に罪を押し付けられることもないだろう。
「ありがとうなのじゃあ!! やはりゆり殿は女神じゃのう、信じておったぞ!!」
「ユフィーリアに馴れ馴れしく抱き付かないでください」
「ぎゃああああああ!? ま、また絞め技がぎゃーッ!!」
感極まって抱きついてきた八雲夕凪に、ショウは再びロメロスペシャルを仕掛ける。黒い猫耳は後ろ向きに倒され、黒猫の尻尾も狸のようにぼわぼわと膨らんでいた。
悲鳴を上げる八雲夕凪を捨て置き、ユフィーリアは高級酒を開封するのだった。
花宴は佳境に差し掛かる。酒も入って楽しくなってきた頃合いだ。
――このあとに待ち受ける悲劇など、誰も想定していなかったのは言うまでもない。
《登場人物》
【ユフィーリア】好きな酒は麦酒と火酒、大吟醸酒。水割りで飲むのが好き。
【エドワード】好きな酒は麦酒と火酒、大吟醸酒。成人した時にユフィーリアから手解きを受けて慣らされた。
【ハルア】お酒飲めない未成年組。酒飲んでみたい。
【アイゼルネ】好きな酒は葡萄酒。葡萄酒だけをひたすら飲んでる。
【ショウ】お酒飲めない未成年組。いつかユフィーリアにお酌をしたい。
【キクガ】好きな酒は葡萄酒、果実酒。どちらかと言えば甘いお酒が好きだが、葡萄酒までなら飲める。
【八雲夕凪】植物園の管理を任された豊穣神。狡猾な性格だが奥さんの名前を出されると弱い。