第9話【問題用務員と嵐の前の静けさ】
「問題を起こすなって言ったでしょうが!!」
大浴場で霧蒸し風呂や岩盤浴を楽しんで、サッパリした気分で出てみたら怒号が鼓膜に突き刺さった。先程までの清々しい気分が台無しになる勢いである。
見れば男湯の壁沿いに、正座をしている人間がずらりと並べられている。大半の人間は若い少年たちで、何故か頭にはたんこぶが数段ほど重なり、顔には青痰が出来たボロボロの状態で正座させられている。
一方でボロボロになっていない状態ではない連中もいた。問題児の仲間であり大切な部下のエドワード、ハルア、ショウの3人だ。たんこぶや青痰などは作られていないものの、不服そうな表情で正座をさせられている。
「何この状況?」
「さア♪」
「うお、お前のパック姿は急に出てくると怖えな」
「うふフ♪」
女湯と書かれた暖簾を潜ったユフィーリアは、背後から顔を覗かせたアイゼルネの姿を目の当たりにして驚く。
風呂上がりということもあり、純白のバスローブ姿が妙に艶めかしい。同じ格好をしているユフィーリアとは色気の出し具合が違う。どれほど逆立ちしようとアイゼルネのような艶めかしさを出すことは不可能である。
南瓜のハリボテで頭部を覆う訳ではなく、目を引く整った顔立ちにはピッタリと白い布のようなものが張り付いている。目や鼻や口元には穴が開いているので呼吸も確保できているのだが、急にこの顔が迫ってくると驚いてしまう。
たっぷりと水気の孕んだ布に触れるアイゼルネは、
「明日のお肌の調子がよくなるのヨ♪」
「そうか、頑張れよ」
「ユーリもお部屋に戻ったらやるわヨ♪」
「髪を乾かされた際にさんざっぱら塗りたくったってのにまだやるのかよ」
ユフィーリアはうんざりした様子で応じる。
大浴場から上がる際、アイゼルネの手によって髪の毛まで綺麗に乾かされたのだ。どういう乾かし方をしたのか、いつにも増して髪の毛がツヤツヤのサラサラになっているような気がする。髪の毛が揺れるたびに芳醇な林檎の香りが鼻孔を掠めた。
髪の毛を乾かしている間、アイゼルネの指示で液体やらクリームやら色々と塗ったばかりなのだ。これ以上にないほどモチ肌である。他に手入れが必要と言うのであれば理由を教えてもらいたいところだ。
アイゼルネはユフィーリアの肩を掴むと、
「やるのヨ♪」
「問答無用か……」
言葉の端々に感じられる圧に耐えられず、ユフィーリアは思わず「はい……」と応じてしまった。これはもう仕方のないことである。どう足掻いても逃げられなさそうだ。
「他の利用者もいるのに風呂場で乱闘騒ぎとか、羽目を外しすぎでしょうが!! 何を考えてるのさ、君たち問題児は!!」
「今回ばかりは俺ちゃんたち悪くないもん」
「もん!!」
「もん」
「可愛く言っても無駄なんだよ問題児!! 少しは反省する素振りぐらい見せて!!」
不貞腐れた様子のエドワード、ハルア、ショウに対して説教をするのは学院長のグローリアである。紫色の瞳を吊り上げさせ、喧しい怒号を宿泊施設の廊下に轟かせる。他に説教をされている少年たちは今にも泣き出しそうな勢いで反省しているのだが、普段から怒られ慣れてしまっている問題児にとって学院長からの説教は聞くに値しないことである。
そもそもどうして問題行動を起こすような余地があったのか。エドワードもハルアもショウも、風呂場で騒ぐような性格ではない。ハルアはまあ浴槽で泳ぐとか騒がしくしてしまうこともあるにはあるのだが、他の利用客がいるような大浴場で騒ぐような真似はしないと思っていた。
現実に引き戻されたユフィーリアは、
「おいグローリア、この騒ぎは一体何だよ」
「あ、ユフィーリア!! アイゼルネちゃんも!!」
グローリアは勢いよくユフィーリアとアイゼルネへ振り返ると、
「見られてないよね!?」
「は?」
「何がヨ♪」
「覗きがあったんだよ!!」
ユフィーリアとアイゼルネは揃って「はあ……」みたいな曖昧な反応を見せる。
覗きの行為はまあ分かる。風呂場での事件につきものだ。男子ならば女子の聖域を覗いてみたいという気持ちは理解できるし、やるならやるで命を懸けるぐらいの覚悟はあるのかとユフィーリアは考えている。
ただ、この宿泊施設の大浴場はきちんと男湯と女湯は区切られており、天井までピタリと大浴場の壁が及んでいるので聖域を覗くことはまず不可能だ。女装して女湯に突撃したところで股についているブツのせいで、女子全員を敵に回すことになりそうである。
ユフィーリアは首を傾げ、
「え? じゃあウチの連中も覗きに加担しようとしたっての?」
「違うよぉ!!」
「オレらそんなことしないよ!!」
「誰がそんな下衆なことをするものか!!」
ユフィーリアの言葉に、心外なと言わんばかりにエドワード、ハルア、ショウが反論してくる。反応の速さが凄まじかったので覗きに加担しようというつもりはサラサラないらしい。
「俺ちゃんたちはユーリとアイゼを守ろうとしたんだよぉ」
「覗きをしようとしたのはそこの馬鹿たちだよ!!」
「信じてくれ、ユフィーリア」
「信じるも何も、そんなことだろうとは思ったよ」
ユフィーリアはやれやれと肩を竦める。
大方、今日も元気なヴァラール魔法学院の男子生徒諸君が女子たちの入浴時間を狙って覗きを画策したのだろう。透過魔法や自爆とも取れるが転移魔法で女湯に突撃しようとしたのか。
それを勇敢にも阻止したのが、ここにいるエドワード、ハルア、ショウの3人である。大浴場で乱闘騒ぎになってしまったのは否めないが、女子たちの花園を守ったその行動は讃えるべきである。
ところが、グローリアの反応は「いや、そうなんだけど」とどこか難しげな表情で口を開く。
「狙われたのは君たちだよ、ユフィーリア」
「え?」
「おねーさんたチ♪」
「思った以上にボロボロなのが君たちの裸を覗こうしたお馬鹿たちで、エドワード君たちは覗きを阻止しようとして喧嘩になったんだよ」
グローリアはため息を吐く。
なるほど、彼らの行動を鑑みれば理解できる問題行動である。エドワードやハルアはともかくとして、旦那であるユフィーリアを愛してやまない過激派のショウが許すとは天地がひっくり返ってもあり得ない。地雷を全力で踏んだ彼らには哀れの感情しか浮かばない。
標的が可愛い女子生徒ではなく、まさかの問題児であるユフィーリアとアイゼルネだったとは驚きだ。普段から問題行動を重ねる問題児筆頭と、下手すればマッサージ地獄の餌食になってヌルヌルのドロドロにされる危険性すらあるユフィーリアとアイゼルネの裸など見たいのか。
ユフィーリアは「ふーん」と言い、
「そんなに見たいか? 全裸に自信はあるから見られても恥ずかしくねえけど」
「ユフィーリア、その考えはよくない」
ショウは真剣な表情で、
「ユフィーリアやアイゼさんは魅力的なんだから、自分を大切にしなきゃダメだ。あんな下郎どもに肌を見せる必要はない」
「じゃあショウ坊は見たくねえの?」
「えッ」
固まるショウの前に膝をつき、ユフィーリアは自分の着ているバスローブの襟ぐりを少しだけ広げてみせる。
艶かしい鎖骨と襟ぐりから覗く深い谷間、風呂から上がったばかりで胸元に浮かぶ汗の珠が妖艶である。自分の身体つきに絶対の自信があるからこそ起こせる行動だ。
生唾を飲み込む最愛の嫁に、ユフィーリアはコテンと小首を傾げた。
「ショウ坊は、アタシの裸に興味ねえんだ?」
「きょッ、み」
ショウの口から変な声が漏れ、赤い瞳が戸惑い気味に揺れ動く。目の前に提示されたユフィーリアの胸に視線を注ごうとするが、慌てた様子で目を瞑っていた。
一応は、ショウも男の子という訳である。ユフィーリアの肌に興味を持ってくれているようでよかった。もしユフィーリアだけがショウの肌に興味があるのだったら、その時はその時で頭を抱えていたかもしれない。
可愛らしい反応を見せてくれたショウの額を指先で弾いたユフィーリアは、
「すけべ」
「違ッ、その、あの」
「見たけりゃ2人きりの時だけな」
ぷしゅー、と顔を真っ赤に染めるショウの頭を撫でてから、ユフィーリアは「さて」と覗きを企てた男子生徒諸君に振り返る。
ちょっとサービスしてやった途端に視線が増えたのだ。それもそのはず、ユフィーリアとアイゼルネを狙ったのだったら多少サービスすると視線が増えるのも考えられる。嫁に見せるならまだしも、その他の有象無象に見せる肌は安くないのだ。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめ、
「よくもアイゼを狙ったな、クソどもが。アタシの肌もアイゼの肌も安くねえんだよ、死んで出直せ」
「アーッ!!」
「やめてーッ!!」
「目覚めちゃうーッ!!」
頭にたんこぶ、顔に青痰を作った男子生徒どもの尻に容赦なく氷柱を捩じ込んで、ユフィーリアは「げははははは」と魔王のように笑うのだった。
☆
夕食を楽しんで、問題児の5人で集まって土産物屋の品物を物色して、グローリアから「明日の課外授業はちゃんとしてよね」と念を押されて適当に誤魔化して。
課外授業の最初で最後の夜を迎えた。深夜ともなれば宿泊施設は静かになり、生徒や教職員も分け隔てなく夢の世界へと旅立つ。今日の課外授業での疲労もあったからか、誰も彼もすぐに眠ってしまった。
問題児もまた、普段の行動と見た目に反して健康優良児なのでぐっすりとお休みの真っ最中だった。
「ぐー、すかー」
「んむ……」
大きめのベッドで布団に包まり眠るエドワードに、華奢な手足を折り畳んで寝息を立てるショウ。どちらも夢の世界から帰ってくることはない。
この中で唯一眠っていないのは、暴走機関車野郎と名高いハルアである。窓から月明かりが差し込んで青白く輝く天井を見据えたまま微動だにしなかったハルアは、ムクリとその上体を起こす。
すぐ隣で寝ていたショウは薄らと瞼を持ち上げ、
「ハルさん……?」
起き上がった先輩の名前を呼べば、彼はこう叫んだ。
「嫌な予感がする!!」
その直後のことである。
――ドゴオオオオオオオッ!!
夜の帳が下りた真夜中の世界の静寂を引き裂くかのように、盛大な爆発音が夜空に響き渡るのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】過去にショウの裸を拝もうと呪いの眼鏡を作ったのだが、肌の透過が行きすぎて骨だけしか残らなかったという黒歴史が……あれおかしいな、目から汗が流れてきた……。
【エドワード】裸に自信があると宣う上司の言う通り、彼女の風呂上がりに遭遇したことがある。というか昔は風呂にも入らないから無理やりひん剥いて風呂に投げ込んでいたぐらい。アイゼルネが来てくれてよかった。
【ハルア】来たばかりの頃、ユフィーリアの風呂上がりに遭遇してセルフ目潰しを決行。覗きは悪と仕込まれたのは妹の存在が大きい。
【アイゼルネ】ユフィーリアの風呂の面倒をエドワードから引き継ぎ、それ以来必ず風呂の面倒は見ている。常にユフィーリアと一緒なので覗き対策も万全である。ただすっぴん以外は娼婦時代のおかげで慣れている。
【ショウ】男の子だもん、好きな人の艶姿には興味津々だもん。
【グローリア】教職員寮の風呂場で、徹夜のあまり女湯に入ってしまったが誰にも気づかれなかったという記録を持つ。