第8話【異世界少年と覗き魔】
さて、男子勢も風呂の時間である。
「ショウちゃんの髪を全部逆立ててみた!!」
「わあ、強そう」
「後輩で遊ばないのよぉ」
ショウは湯気で曇った鏡を覗き込み、自分の姿を確認する。
タオル1枚という心許ない装備の中、洗髪剤の泡塗れになった自分の黒髪は何故か全て天に逆らうかのように立っていた。その後ろに映り込むハルアが満足げな表情で額の汗を拭う仕草を見せる。仕切りを隔てた隣の洗い場を使用するエドワードが、呆れた視線をハルアに寄越していた。
当然なことだが、男子勢は洗髪剤にこだわりなんてないので備え付けのものを使用している。美容に命を懸けていると言っても過言ではないアイゼルネが聞けば卒倒しそうだ。
せっかくハルアが逆立ててくれた髪だが、ショウはお湯を被って泡を洗い流してしまう。
「あ、残念!!」
「お返しに、俺がハルさんの髪を洗ってあげよう」
「どんな風にされちゃうの!?」
「トゲトゲにしてあげる」
「強そう!!」
洗い場の椅子を交代し、お行儀良く座ったハルアの背後に立つショウ。まずはシャワーで彼の髪を湿らせてから、目の前に台座に置かれた洗髪剤の容器を手に取る。容器からドロリとした薄緑色の液体を手のひらに出し、丁寧にそれを馴染ませる。
手のひら全体に薄緑色の液体を広げたところで、ハルアの髪に擦り付ける。わしゃわしゃと軽く擦ればすぐに泡立ち、あっという間に彼の赤茶色の髪の毛は泡塗れになってしまった。
気持ちよさそうに琥珀色の瞳を細めるハルアは、
「くすぐったい」
「動くと泡が目に入ってしまうぞ」
「じゃあ目を瞑ってるね!!」
ギュッと目を瞑るハルアの髪で、ショウは棘を作る。彼の赤茶色の髪は短いので逆立てて遊ぶのではなく、小さな棘を量産してトゲトゲさせた方がきっと面白い。
順調に2個、3個と棘を作っていくショウ。ハルアも髪で遊ばれている感覚が楽しいのか、少しばかりワクワクした様子で完成を待っている。
やがて作業を終えたショウは、ハルアの肩をポンと叩いた。
「目を開けていいぞ」
「うわあ、凄え!!」
湯気で曇る鏡を覗き込み、ハルアは瞳を輝かせた。
彼の赤茶色の髪はハリネズミのようにトゲトゲと逆立ち、周囲に威嚇をしているような見た目をしている。固まっている訳ではないので最初に作った棘は先端がへにょりと垂れ落ちてしまっているが、そこはご愛嬌だ。
エドワードに振り返ったハルアは、
「エド、見て!! トゲトゲ!!」
「早く洗っちゃいなさいよぉ」
「わぶッ」
容赦なくエドワードにシャワーのお湯をかけられて、ハルアのハリネズミヘアは見事に泡と共に流されてしまった。少し残念である。
「ショウちゃんも遊ばないのぉ」
「ぶみゃッ」
ついでと言わんばかりにエドワードはショウの顔面にもシャワーのお湯をかけてきた。それほど熱いと感じるような温度ではなく、エドワードなりに調節してくれたようだ。
濡れた顔を擦り、ショウは「えへへ」と笑う。元の世界ではこのようなじゃれ合いなど経験がないから楽しくて仕方がない。
湯気で曇る鏡と悪戦苦闘しながら細かく生えた髭を剃るエドワードは、
「他のお客さんもいるんだからぁ、あんまり騒がないのよぉ」
「あいあい!!」
「はぁい」
「ハルちゃんはもう少し声を落とそうねぇ。反響してうるさいからぁ」
エドワードに注意され、ショウは周囲を見渡す。
大浴場にはちらほらと他の利用客も見受けられた。利用しているのは、ほとんどヴァラール魔法学院の男子生徒たちである。誰も彼もお行儀よく大浴場の湯船を楽しんでおり、賑やかな雰囲気ではあるものの騒ぐような場面はない。
他の利用者にとっては静かに湯へ浸かりたいと考える人もいるだろう。そんな彼らに配慮をしてやるのも優しさである。
ハルアはタオルに石鹸を擦り付けて泡立てると、
「ユーリとアイゼは部屋のお風呂を使ってるかな」
「ユフィーリアは冷感体質持ちだから仕方がないと思う」
同じくタオルに石鹸を擦り付けて泡立てるショウが応じる。
最愛の旦那様であるユフィーリアは、冷気が身体に溜まってしまう冷感体質と呼ばれる特殊な体質持ちだ。他人よりも体温が低いので熱いお湯に浸かることが出来ず、普段からぬるま湯でお風呂を入っているらしい。
大浴場の浴槽はどれもこれも一般人向けに設定されているのでお湯の温度が高く、冷感体質のユフィーリアには熱すぎる環境だ。それなら最初からお湯の温度が調整できる部屋の浴槽を使った方がいい。
髭を剃り終えたらしいエドワードが顔を洗いながら、
「まあ、ユーリの風呂の面倒はアイゼが見てるしねぇ。最初から火傷するって分かってるなら大浴場を使わせないんじゃないのぉ?」
「心配なのは個室に覗き魔が突撃することですが」
「心配ないでしょぉ。だってわざわざ問題児筆頭と言われてるユーリのところに突撃するようなお馬鹿ちゃんがいると思うのぉ?」
エドワードは「大体ねぇ」と言い、
「ユーリは自分の裸に絶対の自信があるからぁ、覗き魔がいたとしても全裸でぶちのめすと思うよぉ」
「『見とけ見とけ、アタシのダイナマイトボディ』とまで言うと思うよ」
「付き合いが長いと分かってしまうのだな」
最愛の旦那様の行動を簡単に予想できてしまうエドワードとハルアに羨望の眼差しを向けると、大浴場の引き戸が勢いよく開かれた。
湯気に包まれた大浴場に飛び込んできたのは、局部をタオルで覆い隠した少年である。年齢の若さからヴァラール魔法学院の生徒の誰かだとは思うのだが、名前と顔が一致しないので誰か分からない。
その男子生徒は「おい、大変だ!!」と鬼気迫る表情で叫び、
「あの問題児筆頭が大浴場を利用してるって!!」
「何だと!?」
「それは本当か!?」
「南瓜の方は!?」
「南瓜の方も一緒に決まってるだろ!!」
そのやり取りを側で聞いていたエドワード、ハルア、ショウの口から思わず低い声が出ていた。
「あ?」
「え?」
「は?」
ショウの反対隣の洗い場を利用していた客が、その低い声を聞いて「ひッ」と短い悲鳴を漏らす。
ユフィーリアが?
大浴場を利用した?
彼女は冷感体質持ちであり、熱い湯船には浸かれない。だから利用客にあてがわれた部屋に用意されている浴槽を使うと踏んでいたのに、何故この大浴場を使うのか?
「ということは、あのボインが目の当たりに出来るってことか!?」
「学院じゃ1、2位を争うスタイルのよさだしな」
「これはもう覗くしかねえだろ」
ほとんどの利用客がヴァラール魔法学院の生徒だからか、話題に釣られた変態どもがわらわらと集まってきた。「でも大浴場は」とか「ああ、壁が」とかの作戦会議が聞こえてくる。
大浴場の壁は天井にピタリと密着しているので、覗くもクソもない。壁をよじ登るための取っ掛かりすらなく、壁1枚を隔てた向こう側にある女性たちの花園を覗くのは不可能だ。
不可能なのだが、彼らは魔法が使える。不可能を可能にする術などいくらでも持っているのだ。
「おい誰か透過魔法とかねえか?」
「壁を透視すればいけるだろ」
「自爆になるが転移魔法で突撃するか? 一瞬でも見れればいいんだ、あの2つのでけえ果実を!!」
――そうはさせるか。
「くたばれ変態」
「ごふぁッ」
ショウは木桶を引っ掴み、覗きを画策する男子生徒の集団めがけて投げつけた。木桶は見事に1人の男子生徒を仕留め、近くにあった『疲労改善に繋がる』と銘打たれた茶色い湯船に頭から突っ込んだ。
最愛の旦那様が狙われている。それは嫁として由々しき事態である。こんなユフィーリアの性癖にも届かなさそうな芋の集団に彼女が惑わされることはないだろうが、ユフィーリアに好意を寄せた時点でショウの地雷を完全に踏み抜いている。覗きなど以ての外だ。
ショウは光の宿さない赤い瞳で、敵兵どもを見据える。
「誰の、何を、覗くと?」
「まずい、問題児の野郎勢だ!!」
男子生徒たちはショウから一斉に距離を取ると、
「いや、今は丸腰だ。魔法で対抗しろ!!」
「馬鹿言え、あいつが1人で大浴場なんぞ利用するはずがねえだろ!!」
「きっと他にも奴らが」
警戒心を抱く男子生徒諸君だったが、横から飛び込んできた肌色の爆弾によって吹き飛ばされる。湯船へ頭から突っ込み、あるいは濡れた床を滑って壁に全身を叩きつけて意識を手放す。かろうじて生き残った男子生徒たちは、自分の仲間を蹴散らした相手を認識して震え上がる。
本能的に恐怖を感じる頭の螺子が外れたような壊れた笑みを見せ、濡れた床を踏みつけて仁王立ちをするハルアがそこにいた。爛々と輝く琥珀色の双眸で、覗きを画策した男子生徒たちを無言で眺めていた。
そして当然ながら、
「ぎゃああああああああああ!?!!」
「あらぁ、いい悲鳴だねぇ。もっと聞かせてぇ?」
「痛い痛い痛い痛い!!」
2名の男子生徒が、エドワードの大きな手のひらによって顔面を握り潰されようとしていた。あまりの痛さに彼らは暴れているが、エドワードの大きな手のひらは彼らの顔面にピタリと吸い付いたかのように離れない。
間伸びした口調でのほほんと物騒なことを言うエドワードは、顔面を掴んでいた2名の男子生徒を熱い湯船めがけてぶん投げる。見事に背中から熱い湯船に飛び込んだ彼らは、悲鳴を上げて湯船の中で暴れていた。
指の骨を鳴らすエドワードとハルアは、
「ウチの魔女たちの裸を覗こうだなんて100億光年早えンだよ、出直してこい」
「オレ、オマエらを殺すのなんて10秒もいらないよ!!」
「実は俺、足には多少の自信があるんです。サンドバッグになってくれますね?」
暴力の権化と化した問題児に、覗きを画策した馬鹿野郎どもは果敢に挑む。
「こっちに何人いると思ってんだ」
「お前たちだけいつも狡いんだよ!!」
「あんな美人が常に側にいるとか羨ましいにも程があるだろ!!」
「あのたわわな胸と尻を拝む為には命さえ懸ける!!」
「お前ら、やっちまえーッ!!」
大浴場を舞台に、問題児と覗き魔たちによる戦いの火蓋が切って落とされた。
☆
「――何か外がうるさくねえか?」
「あラ♪」
覗きの標的にされていたユフィーリアとアイゼルネは、ふと外の喧しさを感じ取って顔を上げる。
白い靄が部屋全体を包み込んでおり、蒸すような暑さを感じる。バスローブに似た入浴着を身につけたユフィーリアとアイゼルネは、部屋に置かれた簡素な長椅子に並んで腰掛けていた。
宿泊施設が売りにしている霧蒸し風呂である。最初から設定されている温度が低いので冷感体質のユフィーリアでも利用しやすく、心地よい部屋の暑さによって日頃の疲れと共に汗が流れ落ちていく。
ユフィーリアは大きく伸びをすると、
「あと1巡したら岩盤浴の方に行くか」
「そうネ♪」
外での乱闘騒ぎなど露知らず、霧蒸し風呂を楽しむのだった。
《登場人物》
【ショウ】元の世界では貧相な身体を見せたくないし見たくないのでお風呂は苦手だったが、今では長風呂をするぐらいに好きになった。最近はハルアと面白い髪選手権をするのが楽しみ。
【エドワード】未成年組の保護者。実は2人がやる面白い髪選手権を楽しみにしていたりする。過去にユフィーリアの風呂上がりに出くわして全裸を見せつけられたので耐性はあるのだが、それはそれとして女湯を覗くのは悪い。
【ハルア】最近は面白い髪選手権をするのが楽しみ。覗きとは何かとショウに以前説明され、女の子には嫌がるようなことを極力しないと学んでいるので覗き魔は阻止する所存。
【ユフィーリア】蒸し風呂が結構好きな長風呂派。温度を下げてくれるならジャグジーとか好き。
【アイゼルネ】ユフィーリアが蒸し風呂好きなので必然的に蒸し風呂が好きになった。普段の自分のお風呂は義足を外してしまうので、ユフィーリアに介助してもらっている。