第1話【問題用務員と花宴】
ひら、と目の前を桜の花弁が落ちていった。
「お前ら、今日の昼飯はアタシとエドがめっちゃ早起きして作ったから心して食えよ」
銀髪碧眼で特殊な黒装束を身につけた魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、雪の結晶が刻まれた煙管を一振りした。
転移魔法が展開され、地面に敷かれた赤い絨毯の上へ大きめの重箱が並べられる。
蓋を開けば燦然と輝く料理の数々が、小分けされた状態で重箱に隙間なく詰め込まれていた。しかも人参が花の形をしていたり、小さな氷の薔薇が添えられていたり、卵焼きの表面に雪の結晶の焦げ模様がついていたりとかなり手が混んでいた。
「うわあ……」
重箱に詰め込まれた料理の数々を眺めるのは、用務員の勤務歴が最も短い新人のアズマ・ショウである。行儀よく正座をした彼はズイと身を乗り出して、重箱の中身に視線を巡らせている。
雪の結晶が随所に刺繍されたメイド服を着用する彼は、一見すると可憐な少女に見えなくもない。加えて本日はホワイトブリムに黒い猫耳が縫われた装飾品と黒い猫の尻尾が生えたベルトをしているので、完璧な猫耳メイドである。
興奮気味に尻尾をゆらゆら、黒猫の耳をピコピコと揺らすショウは「凄いな」とユフィーリアに素直な称賛の言葉を送った。
「これだけ種類が多いと目移りしてしまいそうだ」
「最初に好きなものを食っとけよ、ショウ坊。モタモタしていたらエドに全部食われるぞ」
「そんなことしないよぉ」
使い捨ての食器を配る筋骨隆々とした巨漢――エドワード・ヴォルスラムがユフィーリアの言葉を否定する。その馬鹿みたいにデカい図体では料理なんて繊細な作業は不可能だと思うだろうが、意外と手先は器用なのである。
「俺ちゃんだって良識ぐらい持ち合わせてるもんねぇ」
「本当かよ」
「それにぃ、今日の俺ちゃんは飲む気満々だもんねぇ」
ドン、と重箱の横に置かれたのは、極東地域から輸入されたという大吟醸酒である。『獅子泣き』と銘打たれた酒は、きちんと購買部で未成年ではない証明書を出して購入した代物だ。
「いいなお酒!!」
「ハルちゃんは未成年だからダメねぇ」
「ちぇ!!」
酒瓶に手を伸ばそうとする毬栗頭の少年――ハルア・アナスタシスは、エドワードに手を叩き落とされて悔しそうに唇を尖らせた。
彼は永遠の18歳と言っているので、残念ながら酒が飲めないお年頃なのだ。今回ばかりは同じく未成年であるショウと一緒にお弁当を楽しむしかない。
南瓜頭の娼婦――アイゼルネは葡萄酒の瓶を取り出しながら、
「キクガさんは葡萄酒がいいかしラ♪ それとも大吟醸酒の方がいいかしラ♪」
「それでは葡萄酒を貰おうかね」
学院を騒がせる悪い意味での注目の的となる問題児に、新たな仲間が加わった。
ショウの実父、アズマ・キクガである。趣味の悪い髑髏の仮面を頭に乗せてはいるものの、本日の格好は桜の模様が刺繍された淡い桃色の着物に白い帯を合わせている。どこからどう見ても女性用の着物だった。嫋やかな印象の和装美人にしか見えない。
硝子杯には果実のジュースを注ぎ、お酒を嗜む大人組の硝子杯には葡萄酒と大吟醸酒が注がれる。
全員の手には使い捨ての食器と飲み物で満たされた硝子杯が行き渡り、これで準備は整った。
さて、楽しい宴の始まりである。
「それじゃ、花宴を始めまーす」
ユフィーリアの号令の下、乾杯の音頭が取られたのだった。
☆
ヴァラール魔法学院には花宴という行事がある。
約500年ほど前のこと、どこかの馬鹿が極東地域の文化である『花見』に憧れて学院の施設である植物園に侵入し、飲めや歌えやの大宴会を開いたのが発端だ。
その奇行は生徒たちも真似をし始め、教職員がどれほど注意しても毎年数名の生徒が植物園に侵入して宴会を開くものだから、学院側はこれを行事の1つに数えることとなったのだ。それが花宴の由来である。
ちなみにどこかの馬鹿とはご存じの通り、ここにいる問題児どもである。
「毎年この場所で花宴をしてんだよなァ」
大吟醸酒を注いだ硝子杯を傾けながら、ユフィーリアは「ぷはあッ」と息を吐く。
ユフィーリアたち問題児とキクガが花宴をしている場所は、ヴァラール魔法学院の植物園が誇るエリシアで最も珍しく美しい桜――雪桜の木の下である。
見上げるほど立派な木の幹を中心に、四方八方へ枝が伸びる。全ての枝には真っ白な桜の花が咲き、ふわふわひらひらと雪の如く小さな花弁が舞い落ちる。
雪桜が咲くこの場所は、花宴を開く場所の中でも最高の場所と呼ばれている。毎年のように争奪戦が起きる絶好の位置なのだが、問題児が場所を取れる理由は仕事をサボって場所取りをしているからに他ならない。
「お花見自体も初めてだから、何だか少し嬉しい」
木を削り出して作られた使い捨ての箸で上手に卵焼きを摘むショウは、甘く仕上げられた卵焼きを口に運んで「んー!!」と唸る。黒猫の尻尾が揺れ、猫耳も忙しなく動いている。
甘いものが好きな彼に合うような味付けをしたが、気に入ってくれた様子で何よりである。基本的に好き嫌いなく食べてくれるので、どんな味付けが好ましいのか手探り状態なのだ。
卵焼きに舌鼓を打つショウの隣で、葡萄酒をチビチビと消費するキクガが口を開いた。
「私も花見には縁がないものでね、ある意味でこれが初体験な訳だが」
「へえ? アズマ親子は揃って花見すら未経験とはいいことを聞いたな」
ユフィーリアはニヤリと笑う。
この場にいるのは物事を『面白い』か『面白くない』かで判断する、ヴァラール魔法学院創立以来の問題児である。花宴も毎年、馬鹿みたいに騒いでは怒られている始末だ。
酔っ払うと自分でも何をしでかすか分からない上に、記憶がほとんどなくなるという性格の悪い酔っ払い方をするので困る。去年の花宴では何故かハルアが植物園の天井に突き刺さっていたのだが、あれは一体何だったのか。
硝子杯の中を満たす大吟醸酒を飲み干したユフィーリアは、
「まあまあ、今日は無礼講だ無礼講。堅苦しくしないで、気ままに酒を飲んで美味いモンでも食おうぜ」
「君たちは年中無休で無礼講ではないのかね?」
「あははは、何のことやら」
キクガの指摘を、ユフィーリアは笑って誤魔化した。
普段から問題行動をやらかす問題児ならぬ問題用務員なので、無礼講もあってないようなものだ。むしろ毎日が無礼講である。無礼の祭り真っ最中である。
揚げた鶏肉を齧るハルアは、
「ユーリ、今日のお昼ご飯は美味しいね!! ほとんど食べたことないものばかりだよ!!」
「だろォ? 実は事前に親父さんからレシピを聞いておいてだな」
「父さんから?」
甘辛いタレを絡めた肉巻きを箸で摘むショウの視線が、葡萄酒を追加で硝子杯に注ぎ入れる実の父親に向けられる。
「ショウに馴染みのない料理を出すのも嫌だから、私たちが生きていた世界で一般的な家庭料理を教えてほしいと手紙を受け取った訳だが。とりあえず思いつく限りは書いて返答したのだが、まさかこれほど多く作るとは」
「どれが好みか分からねえから、とりあえず片っ端から作っていったんだよ」
エリシアの料理はみんな大好きな家庭料理から、少し特殊な食材を使った料理まで多岐に渡る。キクガから教えてもらった料理のほとんどは極東地域でよく見られる料理の内容だったので、料理本を見ながら何とか納得のいく味付けをすることが出来たのだ。
せっかくの楽しい花宴である。飲み物が美味しくても、肝心の食べ物が美味しくなければ盛り上がらないのだ。
雪の結晶が刻印された卵焼きを重箱から掻っ攫っていくショウは、
「この卵焼き、優しい甘さで美味しい……」
「ショウ坊は甘い味付けの方が好きか?」
「ああ」
幸せそうな表情で卵焼きを頬張るショウは、
「あまり食べさせてもらえなかったからどれも美味しく思えるのだが、やはり甘い味付けの方が俺は好きだ」
「たくさん食おうな」
「たくさん食べようね!!」
「たくさん食べなさい」
「何故こんなに盛り付けて!?」
赤い絨毯に広げられた重箱のあちこちから料理を摘み、ショウの皿の上に盛り付ける。ハルアとキクガも同じことを思ったのか、ヒョイヒョイと容赦なくショウの皿の上に料理を積み重ねていった。おかげで山盛りである。
特にショウが絶賛した卵焼きは、全て彼の取り分となった。エドワードやアイゼルネも卵焼きが全部ショウの胃袋に収まることに異論はないようだ。むしろ「もっと食べなねぇ」「大きくなれないわヨ♪」などと言っていた。
自分の取り皿に積まれた山盛りの料理を眺めるショウは、
「こんなに食べ切れるだろうか……」
「君は成長過程にあるのだから、たくさん食べてたくさん運動しなさい」
「たくさん食べれば父さんのように大きくなれるだろうか?」
ショウの視線が、じっとキクガの全身を巡る。
キクガの身長は、一般的な男性の平均から見ると高身長の部類に属する。高身長の男性といえばエドワードぐらいしか思いつかないので、彼と比べてしまうと誰もが見劣りしてしまうが、キクガも十分に高い。
ただし体格は華奢だ。ちょっと小突いただけでも折れてしまいそうな気配がある。親子ともども身体の中に内臓が詰まっているのか心配になるほど細い。
キクガは成長を喜ぶ父親の笑みを浮かべ、
「なれるとも」
「なら、頑張って食べる」
もぐ、とショウは肉巻きを口に運ぶ。可愛らしい猫耳メイドの格好をしていてもやはり男の子、高い身長には憧れがあるのだろう。
そんな後輩の姿を見て、先輩であるハルアも「オレも身長伸ばす!!」と大量の料理を自分の取り皿に盛っていた。重箱の料理を全て喰らい尽くす勢いである。
ユフィーリアはやれやれと肩を竦め、重箱に手を伸ばす。最後に残った揚げ鶏肉を箸で摘もうとするが、
「やや、これは美味しそうな鶏の唐揚げ」
真横から伸びてきた白い手が揚げ鶏肉を掻っ攫っていく。
ユフィーリアは自然とその白い手を視線で追いかけた。
いつのまにいたのだろうか。ユフィーリアの背後に、二足歩行をする純白の狐が立っていた。白い手で摘んだ揚げ鶏肉を左右に引き裂けた口に運び、薄紅色の瞳を細めて「うーん、美味」などと言う。背後で揺れるのは9本の狐の尻尾だ。
その場にいる誰もが唖然と白い狐を見上げる中、ユフィーリアは静かに拳を握りしめた。
「お前、なァに勝手に食ってんだコラァ!!」
「げぶえッ!?」
ユフィーリアの拳が、白い狐に炸裂したのは3秒後の出来事だった。
《登場人物》
【ユフィーリア】いつでもどこでも黒衣な魔女。花宴の場所でも特にお洒落はしない。お洒落しないでも綺麗だろ?
【エドワード】いつでもどこでも迷彩柄の野戦服な強面の巨漢。野戦服は楽ちん。
【ハルア】いつでもどこでも真っ黒なつなぎ姿の暴走機関車野郎。同じつなぎが何着も箪笥にある。
【アイゼルネ】問題児の中でのおしゃれ番長。ただし足は見せずに上半身の露出は多めのドレスを多数所持。
【ショウ】本日は可愛く猫耳メイドさんになってみた。
【キクガ】本人曰く「今回の私の着物は、知り合いの裁縫魔法が得意な魔法使いに仕立ててもらった」らしい。誰のことでしょうね。