第1話【問題用務員と課外授業】
――ザザ、と波の音が耳朶に触れる。
「はい、皆さん集まってくださーい」
ヴァラール魔法学院の学院長を務める青年、グローリア・イーストエンドは喇叭のような形をした魔法兵器を使って生徒を呼び集める。
晴れ渡った青い空に映える白い雲、頬を撫でる潮風が実に爽やかだ。目の前に広がる海と砂浜の光景は非常に夏らしい組み合わせと言えよう。
現在、ヴァラール魔法学院の2学年は課外学習の真っ最中である。毎年2学年になると課外学習と称して、この『エージ海』と呼ばれる海水浴場を訪れることになっているのだ。もちろん体力育成を目的とした水泳の授業ではなく、ちゃんと歴とした魔法の授業目的である。
総勢2000名弱はいる2学年の生徒たちを前に、グローリアは喇叭の形をした魔法兵器『拡声魔法器』を使って今回の授業の説明をする。
「今日は1泊2日の課外授業に来ています。これは授業なので、くれぐれも怪我などしないように気をつけましょう」
――ザカザカザカザカ。
「また、今回の授業内容は難易度が高いものになります。自分の判断で行動すれば命を失う危険性が伴いますので、必ず教職員の指示に従ってください」
――ザクザクザクザク。
「学院の敷地外での授業は初めてになる皆さんですが、勝手に変な場所まで行かないようにしましょう。何か事件があった場合は必ず教職員にご報告をお願いします。周囲の人たちにも注意して、安全に楽しく授業をしましょうね」
――ペタペタペタペタ。
「そして問題児、君たちは何をやってるの?」
「え?」
グローリアの説明など右から左へ華麗に受け流していたヴァラール魔法学院の用務員――またの名を問題児どもは、キョトンとした表情を浮かべたまま作業の手を止めていた。
玩具の円匙にバケツを装備した彼らは、砂浜から砂を掻き集めて砂の城を築いている最中だった。一体どんな阿呆な手を使ったのか、極東でよく見かける瓦屋根が特徴的な素晴らしい城が出来上がっていた。城の屋根には背筋を逸らした魚みたいな物体も向かい合うようにして配置されており、生垣から瓦の模様まで見事に再現されている。
城の壁を補強していた銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルは「見て分かんねえのか」と言う。
「城を作ってんだよ」
「こんなところで築城をしないでくれる?」
グローリアはジト目でユフィーリアを睨みつけると、
「まさか最初から遊ぶ為についてきたんじゃないよね?」
「ははは、もちろんそのつもりだけど?」
ユフィーリアはさも当然とばかりに言い放つ。
最初から仕事をするつもりなんてなかった。なかったのだが、グローリアが「明日から1泊2日でエージ海に課外授業だから」と言うものだから、自分自身が持てる資格を活用してついてきたのだ。無駄に資格の数だけはあるユフィーリアたち問題児しか出来ない荒技である。
ちなみに何の資格で売り込んだのかと言ったら、海での救助を主体とするライフセーバーである。この資格を持っているのはヴァラール魔法学院の中でもユフィーリアたちだけだ。海で授業をするとなったら必須になる職である。
砂浜に穴を掘って築城に必要な砂を確保していた筋骨隆々の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは「そうだよぉ」と同調する。
「夏と言ったら海に来なきゃ終わらないじゃんねぇ」
「授業を利用して夏の思い出を作ろうとしないで」
グローリアはため息を吐くと、
「珍しく意欲的に売り込んできたと思ったら、こんな下心があったなんて……」
「むしろ騙される学院長も学院長だよね!!」
「ハルア君?」
城の敷地を順調に拡大している少年、ハルア・アナスタシスはイカれた笑顔を見せたまま言う。城が簡単に攻め込まれないようにと水堀を作り、そこに海からわざわざ汲んできた海水を流し込んでいた。そこまでの再現度はむしろ必要なのか。
しかも砂浜に落ちていた木片を加工して橋を設置するところまでしていた。遊びで築城をしている気配がない。むしろどこまでも真剣な様子である。
ユフィーリアたち問題児が順調に城を築き上げていく様を、日傘を差した南瓜頭の美女――アイゼルネが楽しそうに見守っている。
「むしろそこまで再現度を求めるなら城下町も作りましょうヨ♪」
「よし来た。エド、追加の砂」
「はいよぉ」
「小石見つけた!! 生垣に埋め込んでいい!?」
「もう少し小さいのを見つけてこい」
「あいあい!!」
アイゼルネの要らん助言を受けて、ユフィーリアたち問題児は築城の他に城下町の作成にも取り掛かり始める。適当な大きさで砂を盛り、枝などの鋭利なものを使用して砂を削り落として形を作って固めていく。同じような手順でいくつも建物を連ねていき、城下町も順調に出来上がっていった。
遊びに対する本気度が凄まじい。砂浜に築かれた砂の城に関しては着色でもすれば本物と見紛うほど精緻な作りをしており、周囲に巡らされた水堀も海水を流し込んだことでそれらしくなっている。城下町も作られていくので、そのうち住民でも配置しそうな気配があった。
グローリアは頭を抱え、
「絶対に君でしょ、ショウ君」
「何のことでしょうか?」
うっとりとした表情でユフィーリアを眺めていた女装メイド少年、アズマ・ショウは不思議そうに首を傾げる。
今回は海が近いということもあり、水色のワンピースと純白のエプロンドレスの爽やかな見た目をしたメイド服を身につけていた。大きな襟元は海兵を想起させ、胸元の真っ赤なスカーフが目を惹く。フリルがあしらわれたスカートの裾から真っ白な長靴下に覆われた華奢な足が伸び、足を傷つけないようにという配慮なのか黒いストラップ付きの革靴を履いていた。
潮風に靡く艶やかな黒い髪をそのまま背中に流し、夕焼け色の瞳で見据えるのは彼が愛してやまない旦那様であるユフィーリアだけだ。要らんことを伝えたのは彼に違いない。
「ユフィーリアが『砂像を作るから何がいいか』と言ったので、どうせなら砂の城を作ってみてはどうかと提案したまでですが?」
「いつもの流れだね」
グローリアは題名すら書かれていない真っ白な本を取り出し、
「はい、仕事してよね。連れてきた意味なんてなくなるんだから」
手を翳して魔法を発動する。
穏やかに寄せては引いてを繰り返していたエージ海の水面が持ち上がると、大きな波を作り出して浜辺に押し寄せる。波が襲いかかったのは授業が始まるのを待っていた生徒たちではなく、頑張って精緻な城を築いていた問題児どもだ。
城下町の作成に気を取られていたからか、すでに作り終えていた見事な城は波に襲われて崩れ落ちてしまう。せっかく築いた城の屋根は海水よって溶け出し、そこまで強度がない砂の城は哀れ脆くも儚く瓦解した。
波によって城を崩されたユフィーリアは「ぎゃあああああ!?」と悲鳴を上げる。
「ふざけんなよ、グローリア!! アタシらの汗と涙と努力の結晶を返せ!!」
「それはこっちの台詞だよ、ユフィーリア!!」
グローリアは紫色の瞳でユフィーリアたちを睨みつけ、
「君たちは生徒たちの安全を守る為に今日の課外授業に呼んだんだよ。それなのに職務放棄して遊んでいるとか、呼んだ意味がないじゃないか。生徒たちの安全の為にもちゃんと働いてよね!!」
「働けって言われて働きたいって望む馬鹿がいるかよ」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を吹かすと、
「崩れたから次はレティシア王国の城でも作ってみるか?」
「どうせならヴァラール魔法学院にしようよぉ。高く再現できそうじゃんねぇ」
「やりたい!!」
「あら素敵♪」
「時間をかけて作った城が崩されても切り替えるユフィーリア、とても格好いいぞ」
すでに崩された城など早々に切り捨てたユフィーリアは、次なる城を作る為に再び砂浜を掘って砂を確保し始めた。今度は城ではなく勤務地であるヴァラール魔法学院を築こうと目論んでいる。
築城を手伝うエドワード、ハルアも早い段階で崩れた極東風の城を建て直すことは諦めて新たな砂像の建築に移っていた。確保した砂に少量の水を混ぜて強度を持たせ、それから建物の形に整えていく。そんな彼らをアイゼルネは応援し、ショウは変わらず旦那様に向けて恍惚とした視線を送るだけだ。
どこからどう見ても働くつもりなんてない様子である。今度はヴァラール魔法学院を築くまで梃子でも動かないつもりだ。
「だから働けって言ったでしょ!!」
グローリアは再び波を起こして彼らの砂像に対するやる気を削ぎ落とそうとするのだが、
「二度もさせると思いますか?」
「え、なッ」
ショウが魔法を発動する前に、グローリアを背後から羽交い締めにする。
目を白黒させるグローリアをよそに、ショウは歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノを呼び出して夏の空に飛び立つ。グローリアは羽交い締めにされているので、ショウの手によって宙ぶらりんの状態にされた。
宙吊りの状態で海上まで運ばれていくグローリア。生徒たちによる心配そうな視線が一気に集中する中で、ついにその時が訪れてしまう。
浜辺からそれほど離れていないところまでグローリアを宙吊りにしたまま運んだショウは、
「レッツダイビング」
「待って、ショウ君。話せば分かる、基本的に悪いのは向こうでしょ!?」
「俺の前でユフィーリアの批判ですか?」
ショウは慈愛に満ちた眼差しを、顔を青褪めさせて命乞いをするグローリアに向けて言う。
「行ってらっしゃい」
「待って、アーッ!!」
パッと手を離されるグローリア。
そこまで高い位置に飛んだ訳ではないので、浮遊魔法を使うこともなくあっという間に海水へ飛び込んでしまう。盛大に水飛沫を散らし、ドボンという音まで聞こえてきた。
しかもグローリアは水着ではない。いつものように仕立ての良さそうな襯衣と洋袴、魔法使いらしさを出している長衣という見慣れた格好である。当然ながら濡れるような場所には適さない服装だ。
全身をぐっしょりと濡らしたグローリアは水を吸って重たくなった長衣を引き摺りながら、ようやく砂浜に戻ってくる。濡れた身体で砂浜を歩けば砂がつくし、潮風がベタベタしていてさぞ気持ち悪いことだろう。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
「突き落としたのはアタシのせいじゃねえからな」
「君がちゃんと教育していればこんなことにはならなかったでしょ!!」
グローリアからの説教、もとい八つ当たりなど飄々と受け流すユフィーリアは砂像の建築に精を出すのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】砂の城を作って遊んでた問題児1号。今回の極東風の城は実際に極東を訪れた際に見たことがあるので作った。天守閣の魚モドキについては、ショウの言葉を参照に作ったら「シャチホコ……」と言われた。
【エドワード】砂の城を作って遊んでた問題児2号。マッチョコンテストなるイベントに誘われて、飛び入り参加で優勝をしたことがあるのだが徹頭徹尾何でこうなったか分かっていない。
【ハルア】砂の城を作って遊んでいた問題児3号。寝ているエドワードに砂を持って「巨乳のおねーちゃん!!」の像を作ったらユフィーリアが過呼吸を起こしたことがある。
【アイゼルネ】砂の城が出来ていく様を観察していた問題児4号。綺麗な貝殻を見つけるのが得意。
【ショウ】砂の城を作る旦那様を観察していた問題児5号。砂像でユフィーリアを作ったらグローリアによって崩されたので、そのままチョークスリーパーの刑に処した。
【グローリア】課外授業に来た学院長。砂像は上手く作れなくて諦めた。




