第5話【問題用務員と脱落者】
1階層と2階層を突破し、問題児は順調に3階層までやってきた。
「資格を取りすぎて次は何の資格を持ったらいいか分からねえ」
「外国語検定も持ってるもんねぇ、ユーリ」
「持ってない資格なんてないんじゃないの!?」
「ユーリは何を目指しているのヨ♪」
「分からん」
そんな他愛のない会話を繰り広げながら、問題児どもはシンカー試験の会場を歩いていく。
角燈に設置された蝋燭は、不思議なことに燃え尽きない。おそらく溶けることなく永遠に燃え続ける『永久蝋燭』を使っているのだろう。こんな暗闇で蝋燭が燃え尽きてしまったら、それこそパニックを引き起こして馬鹿の道を進みかねない。
相変わらず景色に変化はなく、見上げても果てがない本棚が作り出す道が続いていくだけだ。ただ、本棚に詰め込まれていた書籍が床に落ちている光景を見かけるので、脱落者もそれなりにいる様子である。
初受験者は3階層で脱落するし、魔力汚染に耐性がなかったら1階層でもうダメである。酷い場合だと試験会場に足を踏み入れただけで脱落してしまう受験者もいる。耐性は個人によるものなので、ユフィーリアがどうこう出来る問題ではない。
「しっかしねぇ、ショウちゃんとリタちゃんは惜しかったねぇ」
「だな」
エドワードの言葉に、ユフィーリアは頷く。
ショウとリタは魔力汚染に耐性がなかったのか、1階層で馬鹿の道に進んでしまった。「下着はいらない!!」とトチ狂ったことを叫び始めたところだったので、そのまま穿いている下着を脱ぎ出す前に脱落を宣言した次第である。
試験会場から外の様子を見ることは出来ないが、試験監督のルージュがいるので彼らの身に何かが起こることはないはずだ。まあ、問題児筆頭の可愛い嫁に乱暴するような輩がいるなら見たいものである。全力の報復が怖くないらしい。
「まあでも、ショウ坊がトチ狂ったところを見れたのは珍しかったな」
「いつでもトチ狂ってると思うけどねぇ」
「主にユーリが関係するとね!!」
「あまり自覚がないご様子ネ♪」
エドワード、ハルア、アイゼルネが冷めたような視線を寄越してくるが、ユフィーリアは無視する。いつだってショウは可愛い嫁なのだ、ちょっと嫉妬心が強くて拘束具に目がなかったとしても嫁は嫁である。
可愛い嫁への盲目的な愛がユフィーリアの目を曇らせているが、旦那様が関係すると周囲に容赦のない暴力を振るったり旦那様の意見を全肯定したりとトチ狂っているのは否めない。否めないのだが、可愛いんだから何でも許せちゃうのだ。ユフィーリアも大概トチ狂っている。
ユフィーリアは「いやいや」と否定し、
「可愛いだろ、ちょっと暴力的なところとかアタシのことをメロメロにするのに一生懸命なところとか」
「この前、ユーリの使用済みのタオルの匂いを嗅いでたよ!!」
「おっとぉ?」
ハルアの口から何かとんでもねーことが語られ、ユフィーリアは瞳を瞬かせる。
「何で?」
「ユーリの匂いでご飯5杯いけるって言ってた!!」
「アタシはおかず扱いか?」
何だか可愛い嫁がトチ狂った方向ではなく、どんどんやべえ方向に転がっていくような気がする。大体、使用済みのタオルの匂いを嗅いで「ご飯5杯はいける」と宣言するとはどういう精神状態をしているのか。
そんなに匂いを嗅ぎたいのであれば、抱きついてくるなりすればいいのに。ユフィーリアはいつでも大歓迎である。出来ればあらかじめ予告しておいてほしいものだが、匂いを嗅ぐことだって許しちゃう。
ユフィーリアは自分の手のひらの匂いを嗅ぎ、
「アタシってそんなに美味しそうな匂いがする?」
「んー?」
問題児の中で嗅覚に優れたエドワードに匂いを確かめてもらうと、
「洗髪剤の甘い匂いしかしないねぇ」
「これで飯食える?」
「無理ぃ」
「だよな」
さすがに匂いでご飯が食べられるといえば、飲食店の近くぐらいではないだろうか。あのいい匂いをおかずにしてご飯を食べるならまだしも、ユフィーリアの体臭をおかずにされても困る。
これは早急に止めさせるべきだ。可愛い嫁が変態な嫁に変わる前に軌道修正をさせなければならない。
試験が終わってからショウにどうやって説明をしようかと頭を悩ませるユフィーリアだが、
「アイゼ?」
「…………」
「おいアイゼ、どうした?」
「…………」
それまでちゃんと受け答えが出来ていたアイゼルネが、唐突に静かになったのだ。
南瓜のハリボテ越しに、彼女はエドワードを見つめている。
エドワードもアイゼルネに見据えられることがあまりないので、どこか緊張気味に「アイゼぇ?」と彼女の様子を窺う。何やらとてつもなく嫌な予感がしてならない。
アイゼルネはエドワードの分厚い胸板に飛び込むと、
「エド♪」
「なぁにぃ?」
「何でお洋服を着ているのかしラ♪」
エドワードの着ている迷彩柄の野戦服を掴むと、その布地を力任せに引き裂いた。
弾け飛ぶ野戦服の釦、露わになるエドワードの鍛え抜かれた上半身。
ユフィーリア、エドワード、ハルアは唖然とする。アイゼルネは初めてのシンカー試験だから3階層目で脱落してもおかしくない。初受験者の平均的な合格値なので恥じることはないのだ。
だけどトチ狂い方が常軌を逸していた。自分が全裸になる訳ではなく、相手を裸にひん剥き始める馬鹿さを発揮してしまった。
「きゃあああああああああああああああああああ!?!!」
「お前、そんな声出たんだな」
「出るに決まってるじゃんねぇ!?」
エドワードの口から生娘のような甲高い悲鳴が迸る。裸に剥かれれば誰だって生娘のような悲鳴が出るに決まっている。
「アイゼぇ、正気に戻りなよぉ!!」
「おねーさんはいつだって正気ヨ♪」
「正気だったら俺ちゃんのことを脱がそうとしないんだよぉ!!」
下半身にまで手をかけようとしてきたので、エドワードはアイゼルネの手を押さえつける。
おかしなものである。問題児の中で1番の非力と言っても過言ではないアイゼルネが、まさかのエドワードの野戦服を引き裂くほどの腕力を有していることに驚いた。まさか馬鹿になると腕力の制限も失うのだろうか。
両腕を押さえつけられたアイゼルネは、
「大人しくしなさイ♪」
「ぐうッ!?」
バチィッ!! とアイゼルネの全身から紫電が弾ける。
相手を麻痺させて動けなくする麻痺魔法だが、エドワードは一瞬だけアイゼルネの腕を押さえつける手の力を緩めてしまう。その一瞬が命取りだった。
エドワードの拘束をあっという間に振り解き、アイゼルネの白魚の如き指先が彼の迷彩柄の洋袴に迫る。このままでは彼は全裸にひん剥かれてしまう。そこまで全裸にひん剥きたい理由は皆目見当がつかないが、この状況が非常にまずいものであることは傍目から見ても分かる。
暴走するアイゼルネを押さえつけたのは、
「アイゼ、ダメだよ!!」
「ハルちゃん、邪魔しないでちょうだイ♪」
アイゼルネの背後からハルアが羽交い締めにし、エドワードから無理やり引き剥がす。
ハルアの拘束を振り解こうとするアイゼルネは再び麻痺魔法でハルアを行動不能に陥らせようとするが、持ち前の第六感が働いたのかアイゼルネの細い首に腕を巻き付かせてハルアは彼女の意識を落とそうと試みる。動きがもはや暗殺者のそれである。
ユフィーリアはハルアとアイゼルネの取っ組み合いを眺め、騒ぎが起きてからあらかじめ引き抜いておいた本棚の本を開く。白紙の頁に向けて、
「代理申請。受験者、アイゼルネの脱落」
『申請を受理しますの』
試験監督であるルージュの声が響くと同時に、ハルアの手によって意識が落とされる寸前だったアイゼルネの姿が掻き消える。転移魔法が発動され、シンカー試験の会場から放り出されたことだろう。
まさか狂い方が他人を巻き込むようなものになるとは想定外である。あとで試験の様子を見て恥ずかしさのあまり転げ回りそうなものだが、これはもう我慢してもらおう。自分がやっちまったことなので仕方がない。
本を閉じたユフィーリアは、
「ハル、よくやった」
「オレ、アイゼに酷いことしちゃった」
ハルアはしょんぼりと肩を落とす。
基本的に仲間へ乱暴なことをするようなことはなく、特に女性であるアイゼルネには手を出すことすらなかったのだ。今回の件は仕方がないことである。シンカー試験の会場が発する魔力汚染が原因で、アイゼルネがトチ狂ってしまったのだ。
ハルアの判断はむしろ間違えてはいない。乱暴な手段を取ってしまったことは否めないが、そこまでしなければ次はハルアが犠牲になっていたのだ。
落ち込んだ様子のハルアの頭を撫でてやるユフィーリアは、
「試験が終わったら謝ればいいだろ。多分覚えてねえけど」
「そうする」
「お前は優しい奴だな」
「うん」
次いでユフィーリアは半裸の状態にされたエドワードへ視線をやり、
「エド、大丈夫か?」
「何とかぁ」
痺れがまだ残っているらしい両腕を振りながら、エドワードは自分の格好を見直す。
「これどうしよぉ」
「直してやるからアイゼのことを責めてやるなよ。トチ狂い方が変な方向に出たんだ」
「最初からそのつもりだよぉ」
ユフィーリアは破れたエドワードの野戦服に修復魔法をかけてやり、元の状態に戻してやった。これで下半身にまで被害が及んでいたら大変なことになっていたかもしれない。
これはある意味でショウとリタの2人は早々に脱落してよかったかもしれない。まだ残っていたらアイゼルネがエドワードを半裸にひん剥く事件現場を目撃していたし、アイゼルネと一緒になってトチ狂おうものなら今度こそ現場は大混乱を極めていただろう。
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えたユフィーリアは、
「結局、いつもの3人が残ったな」
「だねぇ」
「うん」
問題児も初受験の2名が脱落し、引率していたはずのリタもまた早々に離脱してしまった。残ったのはシンカー試験常連組のユフィーリア、エドワード、ハルアの3人だけである。
初受験組の事故は仕方のないことだったのだ。シンカー試験だから予想されて然るべきである。無事に試験を終えた暁には、労いの意味も込めて甘いパンクックでも奢ってやろう。
角燈を片手に本棚が織りなす道を進む3人は、
「ハル、今回で20階層まで踏破できたら季節限定のパンクックを奢ってやる」
「本当!?」
「ハルちゃん、さっきまで元気なかったのにもう元気になってるねぇ」
「アイゼに乱暴したのを引きずってたんだよ」
「あら優しい。その優しさを俺ちゃんにも発揮してほしいんだけどぉ」
「ユーリとエドは乱暴にしても壊れないから!!」
「壊れないって何だ、おい」
「ハルちゃん、馬鹿になったぁ? 脱落しとくぅ?」
「まだおかしくなってないよ!!」
本棚の隙間を縫うように、3人の楽しげな会話が響き渡るのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】脱落した時は下着を脱いで振り回すという痴態を晒した。相手を脱がしにかかる馬鹿さ加減を発揮する脱落者は初めてかもしれない。
【エドワード】いきなり脱がされて甲高い声が出た。脱落した時はユフィーリアと同じような気の狂い方をし、1週間ぐらい羞恥心と戦っていた。
【ハルア】エドワードの貞操を守るためと、アイゼルネにこれ以上恥ずかしい思いをさせないためにお暴力を行使。心優しいのだが、一旦馬鹿になると何をするか分からない。
【アイゼルネ】今回の脱落者。普段は布さえ手で引き裂くことさえ不可能な非力だが、馬鹿になったことで箍が外れた模様。




