第6話【問題用務員と新商品】
新商品開発騒動があった2日後のことである。
「確かにもらったよ」
レディ・マリンは契約書の署名を確認して「ちゃんとあんたの名前だろうねェ」などと疑う素振りを見せる。
蛸足の人魚が用意した契約書には、簡素な2文字で『東翔』とあった。正真正銘、ショウの名前である。ここまで来て嘘を吐くような不義理な真似など、最愛にして聡明な嫁がする訳がない。
あれからレディ・マリンは正式にショウを商品開発の助言役として協力してもらいたいということで、ちゃんとした契約書を持ってきたのだ。未成年なので保護者の同意書と、契約不履行時の保証人欄もバッチリ記載済みである。法律関係に詳しいルージュに契約書の内容を確認してもらい、不備がないことも調査済みだ。
ショウは申し訳なさそうに、わざわざ冥府からお越しいただいた父親のキクガに顔を向ける。
「父さん、忙しいのにごめんなさい」
「謝ることはない。それに、これは君自身が決めたことだ。親として、私は君の意見を尊重する訳だが」
穏やかな微笑を浮かべ、我が子の頭を撫でるキクガ。その姿は慈愛に満ちた父親そのものである。
「銭ゲバがまさか商品開発の為に報酬10万ルイゼも用意するなんてな」
「新商品の開発に金を惜しむ訳ないだろうに」
保証人欄に署名したユフィーリアは、レディ・マリンを見やる。
問題児がやらかしたのは明らかにレディ・マリンへ喧嘩を売るような内容だが、彼女からすればショウの提案は魅力的だったのだろう。たとえ臓物に見立てた魚のすり身だらけのアフタヌーンティー試作品を食わされようと、新商品の開発の為に呼んだ方が売り上げが見込めると判断したか。
それほどショウの異世界知識は手放したくなかったのだ。それは幾度となく異世界知識で悪戯をしてきたユフィーリアも同じ気持ちである。だから新商品の開発に協力するとして、1回10万ルイゼというなかなか高額な報酬を払うことにしたようだ。
レディ・マリンは契約書を人魚の従業員に渡し、
「さあ、助言役として以前の話の続きからしようじゃないかい」
「アフタヌーンティーですか?」
「そうさね。ふざけた見た目じゃなくて、ちゃんとした奴だよ」
あの臓物や身体の部品を題材にしたアフタヌーンティーは気に入らなかったのか、レディ・マリンが求めたのは別のアイディアである。あれはあれでユフィーリアも一生懸命に作ったのだが、気に入ってくれなくて残念だ。
「それではこれでどうでしょう?」
地獄のアフタヌーンティーの代わりに出されたショウの意見は、即座に採用される運びとなった。
☆
――ビストロ・マリーナ改め『マリンスノウ・ラウンジ』の新商品が、放課後の女子生徒や休憩時間の女性職員に人気らしい。
「お待たせしました、ディープブルーアフタヌーンティーです」
人魚の従業員が運んできたティースタンドには小さなケーキや硝子杯に詰め込まれたゼリー、燻製の鮭や店お手製のツナを使った軽食などが乗せられていた。軽食は小腹を満たすのにちょうどいい大きさのサンドイッチが中心だが、注目すべきはティースタンドの中段と上段に乗せられたケーキたちである。
銀色の粒が散らされたカップケーキには青色のクリームが乗せられており、クッキーの表面には貝殻の模様や人魚の模様が描かれている。硝子杯には星の形をしたラムネが沈んでおり、青くまとめられていながらも全体的に綺麗な見た目のスイーツばかりだった。
見た目からも楽しめるアフタヌーンティーを前に、注文していた女子生徒や女性職員は口を揃えて「可愛い」と言う。
「食べるのがもったいない!!」
「アフタヌーンティーってこんなに綺麗なケーキが出てくるんだ」
「お金持ちが優雅に食べている印象だったけど、私たちでも経験できるのがいいね」
「今日のご褒美って奴よ」
年甲斐もなくはしゃいだ様子の女子生徒や女性職員の声が飛び交う中、マリンスノウ・ラウンジの一角にて同じくアフタヌーンティーを楽しむ問題児が潜んでいた。
当然だが、最愛の嫁が考えたものであればスイーツでも何でも経験するのがユフィーリアである。今回のアフタヌーンティーにはショウもレディ・マリンと熱い議論を交わしていたのだから、楽しみにしていたのだ。
銀色の粒が表面に散らされたカップケーキにかぶりつくユフィーリアは、
「ん、これブルーシトロンカップケーキか」
「レディさんがそういうものもあるって教えてくれたんだ」
燻製の鮭が挟まれたサンドイッチをちまちまと口に運ぶショウが、ユフィーリアの言葉に応じる。
サファイアレモンと呼ばれる深海にしか生息していない果物を使ったカップケーキは、レモンの酸味とカップケーキそのものの優しい甘さが絶妙に合っていた。そもそもサファイアレモンがあまり市場に流通しないので、海に関して強みを持つマリンスノウ・ラウンジだからこそ活かせる食材だったのだろう。
他にも海に生息するシーベリーという木の実をふんだんに使ったタルトや雪塩を使ったクッキーなど豊富な品々が飽きさせない。金持ちだけに許された娯楽と思っていたアフタヌーンティーがこれほど身近に感じることが出来るのは、さすが異世界ならではの知識である。
あっという間にアフタヌーンティーを食べ終えてしまったエドワードは、
「これおかわり無料?」
「有料ですね」
「えー、意外と物足りない感じぃ」
「エドさんは大食いだから仕方ないと思います」
大食いだから物足りないとか宣うエドワードに、ショウの冷静なツッコミが炸裂する。
そもそも、このアフタヌーンティーのメイン層は女性客である。女性全員がエドワードのように底なしの胃袋を持っている訳がないのだ。
だが、そんな事情など問題児にはお構いなしである。
「一瞬だったね!!」
「全体的に甘さが控えめだから食べやすい。食べ終わるのも一瞬だった」
「あー……」
ハルアとユフィーリアも早々にアフタヌーンティーのケーキと軽食を全部食べ終えてしまった。確かに様々な味を楽しめるのはいいのだが、大きさが物足りないので食べ終わるのも一瞬である。
他の客は大切そうにアフタヌーンティーのケーキや軽食を口に運んでいるのにも関わらず、問題児は雰囲気の欠片も感じられない大食いを披露してしまった。これではせっかくの店の雰囲気も台無しだとは気付かない。
紅茶を啜るショウは、呆れたような口調で呟く。
「問題児にアフタヌーンティーは向かなかったかもしれないな」
「そうネ♪」
問題児の中では唯一と言っていいほどお上品にケーキを口に運ぶアイゼルネが、ショウの言葉に同意を示すように頷くのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】最愛の嫁が「助言役をやってみたい」と言うので、契約書の保証人欄に署名した。ショウが考案したものはスイーツだろうが料理だろうが確認するのは当然。
【エドワード】ショウの考えた料理で外れはないのだが、今回は残念ながら腹に溜まらないものなのでもう食べることはないかなと考える。
【ハルア】あふたぬーんって美味しいケーキが何個も出てくるのは嬉しいけど、全部小さいから食べ応えがないなと感じている。
【アイゼルネ】典型的な女性の胃のキャパシティを持っているので、今回のアフタヌーンティーで満足。味もさっぱりしているのでいくらでも食べられちゃうワ♪
【ショウ】元の世界で叶うことのなかったものを着実にこの世界で叶えている。今回は助言役として商品開発をするたびに10万ルイゼのお小遣いをもらえるのでホクホク。
【レディ・マリン】このたび、店名を変えて新商品が売れてホクホク。次は何を開発してもらおうかねェ。
【キクガ】愛息子がバイトをしたいとのことだったので、保護者同意書を書く為にわざわざ昼休みを使って抜けてきた。




