第1話【問題用務員とレディ・マリン】
人魚たちは悩んでいた。
「次のフェアどうする?」
「まだ夏だから夏らしいものを出した方がいいのかしら」
「他の店はもうテーマが決まっているみたいだけど」
「ウチだけよ、まだテーマも何の商品を出すのかも決まっていないのは」
そんな内容の会話が飛び交う。
ヴァラール魔法学院に併設された4つのレストランのうちの1つ、ビストロ・マリーナでは商品会議の真っ最中だった。
議題は客を呼び込む為の限定商品や新商品の開発である。他のレストランはすでにテーマも決められており商品の用意に向けて準備が進められているが、ビストロ・マリーナだけがまだ商品どころかテーマすら決められていなかったのだ。テーマが決まらなければ提供できる商品の内容すら定まらない。
商品会議の中心にいる蛸足が特徴の人魚――店長のレディ・マリンは、苛立たしげに細長い煙管を咥える。煙管には巻貝のモチーフがあしらわれており、人魚らしい意匠が特徴的だった。
「いつまで無駄な会議をしているんだい」
「でも店長、テーマも何も決まらないんです。このままではどんどん売り上げが落ちます」
レディ・マリンに対して果敢に意見を言うのは、従業員である女性の人魚の1人だった。
「そもそもヴァラール魔法学院は生徒数が圧倒的に多いから、酒類の提供はあまり振るいません。値段も高めですから、せめて学生の懐に優しいぐらいに値段を下げなきゃ」
「それがウチの良さだろう。他と一緒にするとウチのブランドが廃れるね」
レディ・マリンは鼻を鳴らし、従業員の意見を一蹴する。
ビストロ・マリーナは人魚が経営する店を題材にしており、従業員はみんな美しい人魚揃いだ。昼間にはお洒落な魚料理を提供し、夜には人魚の美声が堪能できるディナーショーも開催される。値段はそこそこお高めだが、少し贅沢がしたい時なんかに利用されるのが多い。
ところが、最近では売り上げが減少傾向にあったのだ。というのも、そもそも値段が他より高めなので学生のお財布には少しばかり優しくないのが現状だ。お財布に余裕のある教職員は豊富な酒の種類が取り揃えられている部分に目をつけて来店するものの、お目当ての生徒たちを呼び込むことが出来ていない。
困惑した人魚たちは、
「でも店長、このままではカフェ・ド・アンジュやノーマンズダイナーの売り上げには追いつきそうにありません」
「学生を呼び込む為にはランチタイムなどで値段を少しでも下げないと」
「ああもう、うるさいねェ」
喧しく騒ぐ人魚たちを睨みつけたレディ・マリンは、
「あたしは絶対に値段を下げるつもりはないよ。このままで行くんだ、いいね」
「それなら学生たちを呼び込む手段を考えなきゃ」
「考えているさね。あたしは店長だよ、あんたらにだけ任せるんじゃ店長失格じゃないかい」
人魚たちが頭を悩ませている間にも、レディ・マリンは様々なことを考えていた。
確かにビストロ・マリーナの売り上げは好転しない。生徒にとっては値段が高めに設定されているのでお財布に優しくなく、客として呼び込めないのだ。ならば他に学生相手に魅力のある商品が提供できるかと問われれば、それもまた難しい。
女性客に人気のカフェ・ド・アンジュ、男性客から絶大な支持を受けるノーマンズダイナーが売り上げ1位を争っている最中だ。幅広い生徒が利用するダイニング・ビーステッドは品数の多さを誇り、定期的に商品を入れ替えるので固定客がいる。ビストロ・マリーナの強みと言えば高級感のある外観と豊富な酒の種類だが、それは学生にとっての魅力ではない。
そこまで考えてから、レディ・マリンは「ちょいと」と口を開く。
「カフェ・ド・アンジュやノーマンズダイナーの売り上げが上がったのはいつ頃だい」
「え? ええと」
人魚の1人が思い出すような素振りを見せ、
「5月ぐらいかと。その頃から毎月新商品が出ているようです」
「新商品?」
「こちらです」
従業員の人魚が差し出してきたチラシを受け取り、レディ・マリンは紙面に目を走らせる。
紙面に記載されていたのは『9月の新商品のお知らせ』と銘打たれた題名と、新商品として期間限定のパンクックの写真が掲載されている。黄金色のパンクックにかかっているのは甘く煮詰めた林檎とたっぷりの生クリーム、それから黄金色の蜂蜜もふんだんに使われた秋らしい商品となっていた。
発売日は来月に設定されており、もう目前まで迫っている。この商品が世に出されれば生徒たちはそちらに目が行き、ビストロ・マリーナのことなど目もくれなくなってしまう。
危機感を覚えたレディ・マリンは、
「おや」
「どうしましたか?」
「この商品、開発協力者がいるみたいだねェ」
チラシの隅には小窓のような穴から人物の写真が掲載されており、少し照れ臭そうに笑ってピースサインなども決めている。メイド服を身につけた可愛らしい少女で、黒髪に赤い瞳が特徴的な人物だった。
ただしこのメイドの少女は、実のところ少女の見た目をしておきながら少年である。それもヴァラール魔法学院を騒がせる問題児の1人で、特に主任用務員である銀髪碧眼の魔女に心酔しているとのことだ。
レディ・マリンはニヤリと笑い、
「そうさね、いいことを思いついた」
その笑顔を目の当たりにした従業員の人魚たちは、店長の笑みに戦慄するのだった。
☆
さて、本日のお昼会議である。
「今日はどこに行く?」
「まだ暑いもんねぇ」
「美味しいところならどこでも!!」
「冷たいものがいいわネ♪」
「たまにはいいかもしれないな」
正面玄関に設置された掲示板に貼り付けられたレストランのチラシを眺めながら、ヴァラール魔法学院の問題児と名高い用務員の5人は昼食をどこで取るか会議をしていた。
銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルは雪の結晶が刻まれた煙管を咥えてチラシの情報から食べたいものを吟味する。
どこのレストランも色々と趣向を凝らして新商品を開発しているようだった。どれもこれも興味をそそられるのだが、来月からの新商品を掲げたカフェ・ド・アンジュのチラシには商品開発協力者としてショウの写真が載せられていた。常連客であり異世界の知識も豊富なショウの知恵を借りることが多々あるようだ。
筋骨隆々とした巨漢――エドワード・ヴォルスラムは首を傾げ、
「あれぇ? 珍しくビストロ・マリーナのチラシがないねぇ」
「本当だね!!」
無数の衣嚢が縫い付けられたつなぎを着た少年、ハルア・アナスタシスもその言葉に同意を示す。
掲示板にあるのはそれぞれカフェ・ド・アンジュ、ダイニング・ビーステッド、ノーマンズダイナーの3店だけでビストロ・マリーナは『人魚のディナーショーのお知らせ』のチラシのみだ。期間限定の商品のお知らせはない。
他の店舗は新商品を続々と出しているのだが、不思議なことにビストロ・マリーナだけは音沙汰なしである。少々値段設定が高めなので生徒を呼び込むことが出来ず、新商品の開発にも難航しているのだろうか。
ユフィーリアは「おかしいな」と言い、
「金にがめついババアが商機を逃すとは思えねえけどな」
「やり手の経営者だものネ♪」
南瓜のハリボテを被った美女、アイゼルネは「きっと遅れているだけヨ♪」と弾んだ声で言う。
ビストロ・マリーナを経営する人魚は敏腕女経営者であり、ビストロ・マリーナの他にも数多くの飲食店を経営している。どの店も値段設定が高めだがサービスがよく、品質の高い食材を利用した見た目も美しい料理を提供しているので人気が高い。
他に出ている店に比べればビストロ・マリーナの値段設定はやや低めに抑えられているが、やはり学生のお財布には優しくないことは確かである。あの敏腕女経営者はどんな策を打ってくるのか楽しみだ。
「ビストロ・マリーナはあまり行きたくないな」
「お、ショウ坊がそんなことを言うなんて珍しいな」
「ぼったくられそうで怖いんだ、あの店」
掲示板のチラシ群を眺めていた女装メイド少年、アズマ・ショウがそんなことを言う。
本日はマーメイドラインが特徴的な深い青色のワンピースとサロンエプロンを合わせた人魚風メイド服である。ワンピースの裾や袖にはレースがあしらわれ、生地は銀糸が織り交ぜられているのかキラキラと煌めいている。床を踏むのは磨き抜かれたストラップシューズだが、少しだけ踵が高くなった意匠となっていた。
緩やかに波打つ黒髪に青いリボンをあしらったホワイトブリムを乗せ、胸元を飾る純白のリボンが清楚さを演出する。体型が浮き彫りになってしまうメイド服にも関わらず、彼は完璧に着こなしていた。
ショウは不満げに唇を尖らせると、
「料理は好きなのだが、入店しただけでお金を取られそう。ああいう店は誰だって足踏みしてしまうと思う」
「まあ、高級感溢れる見た目が学生の感性に合わねえんだろうよ」
ユフィーリアはショウの頭を撫でて「他の店にしようぜ」と促す。
ビストロ・マリーナは高級感溢れる店内のせいで、学生は踏鞴を踏んでしまうのは分かる。ユフィーリアも金がない時は出来るだけ近づきたくない店だ。麦酒1杯で1000ルイゼは取られそうである。
その時、
「風評被害だねェ、ウチはいつだって良心的な店さね」
「ひゅッ」
ぬるり、と喉元に何か触手のようなものが絡みつく感覚に、ユフィーリアは思わず息を呑んでしまった。実際に触手は絡みついていないのだが、そんな気配がする声が背後から飛んでくる。
弾かれたように振り返ると、その先にはタイトスカートがよく似合う知的な印象の美女が細長い煙管を吹かせながら立っていた。真っ赤な口紅を塗った厚めの唇から、甘い香りのする紫煙を吐き出す。
肩口で切られた真珠色の髪は緩やかに波打ち、切れ長の双眸は深海を彷彿とさせる深い青色をしている。濃紫のスーツは彼女の豊かな胸や括れた腰付きを浮き彫りにするほど細身で、スカートの裾から伸びる黒いストッキングに包まれた太腿は妖艶な雰囲気を纏わせていた。
真珠色の髪を持つ美女を前に、ユフィーリアは「げえ」と蛙が潰れたような声で呻く。
「マリン、何の用だよ」
「随分なご挨拶じゃないかい、ユフィーリア。あたしとあんたは友達だろう?」
「誰が金にがめついババアと友達なもんかよ」
「あんたもババアじゃないかい。生きた年月はそれほど変わらないだろうに」
真珠色の髪を持つ知的美人――レディ・マリンはおもむろにユフィーリアの肩に腕を回すと、
「昼時で迷っているみたいじゃないのさ、ならウチの店に来な。サービスするさね」
「世界で最も信用できねえ言葉をありがとう、他の店に行くわ」
「言い方が悪かったさね。じゃあ別の言葉に言い換えよう」
レディ・マリンが懐から取り出したのは、どこかで見覚えのある紙である。
よく目を凝らすと、それは伝票である。しかもかなり高額で、品名は酒の名前がずらりと並んでいた。日付は、ユフィーリアたち問題児の大人組が記憶をすっ飛ばすまで飲み、全校生徒と全職員を寮に閉じ込める事件を起こしたあの日だ。
冷や汗を流すユフィーリアに、レディ・マリンが言う。
「面ァ貸しな」
――やはり金にがめついババアと関わりを持つ前に逃げるべきだったのだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】ビストロ・マリーナの経営者である蛸足の人魚と旧知の仲。自分自身も何度か商材として使われそうになったが、その度に鉈を持って追いかけ回した。
【エドワード】子供の頃から金にがめつい蛸足の人魚を見ているので、出来れば近づきたくない。ビストロ・マリーナでバイトをした時は何故か半裸でホールに立たされそうになったので、その日のうちにバックれた。
【ハルア】ビストロ・マリーナで蛸足の人魚の思い出は、騙されて一瞬だけアイドルデビューさせられそうになった。音楽用記録媒体はどこかに残っているかもしれないが市場には出回っていない。
【アイゼルネ】蛸足の人魚の被害に受けないのは前職が影響しているのか、それとも別の理由があるのか。多分、前職が影響しているかもしれない。
【ショウ】まだ蛸足の人魚の被害に受けていない女装メイド少年。というか、蛸足の人魚を見たことがない。物語のよくある悪役か何か?
【レディ・マリン】ビストロ・マリーナの敏腕経営者。蛸足の人魚で、ユフィーリアや学院長のグローリアと同じぐらい長生き。儲けのためなら手段を問わない。