第7話【異世界少年と告白】
ユフィーリアたち問題児が避難訓練で張り切ってしまった際に全焼した校舎は、副学院長や残り少なくなった教職員の協力で元通りに修復された。
壁も床も天井も、学院内にあった備品も元通りだ。魔法とは本当に凄い技術である。ショウのいた元の世界に魔法の存在があれば、色々な人から羨望の眼差しを送られたことだろう。
だがまあ、そんな些細なことよりもショウには忘れられないことがある。
「…………」
あれから1日が問題なく終わり、用務員室の隣に作られた居住区画の寝室には寝言やいびきなどがぶつかり合う。
ユフィーリアは「魔力がこれ以上なくなると不安だから今日は早く寝る」と言ってさっさと就寝し、エドワードやハルア、アイゼルネたち先輩方も早々にベッドへ潜り込んだ。ショウも寝床にしている長椅子に身を横たわらせたが、どう頑張っても眠くならない。
瞼を閉じれば、その裏側に昼間の光景が思い出される。全焼した校舎、実父との10数年ぶりの再会、神造兵器を授かった時のこと、それから。
――ユフィーリアの、柔らかな唇の感触。
「ッ」
ショウは思わず飛び起きてしまう。
心臓の鼓動が早すぎる。ユフィーリアとのキスを思い出すだけで頬が熱くなってしまう。
こんな感情は初めてだった。思考回路の隅から隅までユフィーリアだけしか考えられず、それが恥ずかしくて頭の中から追い出そうとしてもやはりキスの記憶は消えてくれない。ショウの中に鮮明なものとして残ってしまっている。
身体の奥底がむず痒くて、何だか叫びたくなる気分だ。一体どうしたというのか。
(分からない、俺に何が起きたのだろうか)
布団を頭まですっぽり被り、ショウは膝を抱える。
何も分からないのだ。ただ頭の中ではユフィーリアの言葉やユフィーリアにされたことが走馬灯の如く駆け巡り、このまま恥ずかしさで死ぬのではないかと錯覚してしまうほどだった。
薄い胸板の向こう側がむず痒くて、言葉に出来ない感情がぐるぐるととぐろを巻く。風邪かと考えたが、熱もなければ咳も鼻水も出ない。多分これは風邪ではない。
ギュッと瞼を閉ざせば、やはり思い出されるユフィーリアとの熱いキス。彼女は魔力回復の為にショウとキスをしたのだが、うら若き青少年には刺激が強すぎたのだ。
「ぅぁぁぁ……」
恥ずかしさのあまり、気づかないうちに声が出てしまっていた。
ジタバタと長椅子の上で悶えるショウは、懸命に昼間の光景を頭の中から追い出そうと躍起になる。慌てれば慌てるほど逆効果となり、ますますその光景だけが脳裏で再生されるようになってしまう。
煩悩退散、と胸中で何度も呪文のように唱えれば、ショウの頭にポンと冷たくも柔らかなものが乗せられた。
「また悪い夢でも見てんのか?」
布団の向こう側から投げかけられた、優しくて穏やかな声。
頭まですっぽりと被った布団の隙間から顔を覗かせれば、薄暗い寝室の中に浮かぶ色鮮やかな青い瞳がショウを見つめていた。煌めく銀髪は夜の闇にも負けず、黒い長手袋に覆われた手のひらからひんやりとした冷たさと女性らしい柔らかさが伝わる。
今まさに、ショウが記憶の中から追い出そうと躍起になっていたユフィーリアがそこにいた。
ユフィーリアは不思議そうに首を傾げると、
「そこまで顔色が悪そうには見えねえけど、何かあったか?」
「いや、あの……」
言えない、言える訳がない。
だって「ユフィーリアとのキスを思い出してしまって眠れない」なんて言えば、絶対に彼女は面白がるに決まってる。馬鹿にされるまではいかないが、揶揄われることは間違いない。
ショウは首を横に振って「何でもない」と消え入るような声で言う。
「何でもない訳ねえだろ、呻き声も聞こえたし」
「大丈夫だ、俺は大丈夫」
「そういうことを言う奴に限って大丈夫じゃねえんだよ」
ポンポンと2度ほどショウの頭を優しく叩いてから、ユフィーリアは「おいで」と手招きする。
寝室の外側に消えていく、彼女の銀髪。
眠る先輩用務員たちを起こさないように寝床から出たショウは、ユフィーリアに導かれるまま寝室から去る。
「お前を召喚したばかりの頃もやったなァ」
戸棚から花の模様が描かれた紅茶のカップを取り出し、薬缶へ魔法で作り出した水を投入しながらユフィーリアは笑う。ショウに椅子へ座るように指先だけで指示し、ショウは大人しく従った。
その時はよく覚えている。
元の世界での虐待の光景が悪夢としてショウを支配し、助けてくれたのはユフィーリアだった。彼女と夜のお茶会を密かに開いて、今まで起こしてきた武勇伝を聞いて、いつしか悪夢を見なくなったのだ。
あの時と変わらず夜空の紅茶を淹れたユフィーリアは、カップの1つをショウに差し出して団欒用の机を挟んだ対面の椅子に腰掛ける。
「何があったか話せるか?」
もう逃れることが出来ない。
ショウはカップの中で揺れる夜空を見つめる。
紺碧の空には白銀の星々が散らばり、カップの中で揺れている。凝縮された星空を眺めていると、不思議なことに口が軽くなるような気がした。
「…………貴女のことが、忘れられなくて」
「アタシのこと?」
首を傾げるユフィーリアに、ショウは言葉を続ける。
「貴女は魔力回復の為にキスをしたが、その、どうしてもその時の光景が忘れられなくて。何度も忘れようと思ったのだがその度に思い出して、こう、胸の内側がむず痒くなる……」
吐き出してしまえば、あとはもう止まらなかった。
「分からないんだ、貴女のことばかりを考えてしまう。どんな時も、俺の思考回路の中心にはユフィーリアがいる。その度に胸が苦しくなって、むず痒くなって、おかしくなってしまいそうなんだ」
ショウの告白をただ静かに夜空の紅茶を啜りながら聞いていたユフィーリアは、
「なあ、ショウ坊」
「…………?」
「今からアタシの質問に答えろよ、正直にな。嘘を吐くんじゃねえぞ」
「分かった」
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えたユフィーリアは、質問の内容を口にする。
「お前がメイド服を着る理由は?」
「ユフィーリアに『可愛い』と褒められたのが嬉しくて」
「神造兵器に手を出したのは?」
「ユフィーリアに『凄いな』って褒めてほしくて」
「アタシとキスするのは嫌じゃなかったか?」
「その、むしろ『もっとしたいな』と思って……ぁぅ……」
最後の質問に関しては反射的に答えてしまったが、嘘偽りではない。ただ恥ずかしくなって途中で回答を止めてしまった。
それらの回答を受けて、ユフィーリア「なるほどな」と頷いた。
彼女は理解したらしい。やはり魔法の天才と呼ばれているだけある。
「ショウ坊。お前、思った以上にアタシのことが好きだな?」
「ぶッ」
紅茶を噴き出しそうになった。我慢しようとしたら変な場所に紅茶が入ってしまい、ショウは激しく咳き込んでしまう。
好き?
この訳の分からない感情が好きだと?
「違ったか?」
ユフィーリアがコテンと首を傾げる。
その診断を受けたショウも、どこか納得していた。
言葉に出来ない感情が、誰かを好きになるというのか。相手のことを考えずにはいられなくなって、その人の為に尽くしたくて、他の誰にも渡したくないという色々なものがぐちゃぐちゃになった感情が『好き』というものなのか。
気持ちを落ち着けさせる為に、ショウは夜空の紅茶を啜る。花のような香りが鼻孔をくすぐり、落ち着く味が舌先に広がった。
「初めてのことだから、まだ分からない」
ショウはユフィーリアを真っ直ぐに見据え、
「だけど、そうなのだろう。俺は、自分で思っていた以上に貴女が好きなのかもしれない」
「そっか」
ユフィーリアは小さく笑うと、
「アタシも似たようなものかもしれねえなァ」
「似たような?」
「面白いことや楽しいことを考えてる時と同じぐらい、お前のことをどうやったら幸せに出来るかなって考えててさ」
残りが少なくなった夜空の紅茶が入ったカップを揺らすユフィーリアは、
「でも、そうしていくうちに『ショウ坊のことはアタシが幸せにしたい』って思えてきたんだよな。エドでも、ハルでも、アイゼでもなくて、アタシ自身の手でお前のことを心から幸せにしてやりたいって」
それはつまり、
「お前とは方向性が違うんだろうけど、多分この気持ちがアタシにとっての『好き』って奴なんだろうな」
照れ臭そうにユフィーリアは笑った。
ユフィーリアも自分と同じ気持ちということが判明し、ショウは胸の苦しさを覚えた。多分、自分で抱えるユフィーリアに対する好意が爆発した結果だろう。
目の前の美しい魔女が、自分のことを好いてくれているとは思わなかった。ショウからすれば雲の上のような存在だ。虐待の日々から助け出してくれた救世主である彼女に対する感情ではないと密かに否定していたが、そんなことはなかったのだ。
「ショウ坊」
ユフィーリアがそっと指を伸ばしてきて、ショウの頰をくすぐった。
「好きだよ」
その4文字の告白は、ショウの胸を満たすのに十分すぎるものだった。
ボロボロと胸から溢れてきた感情が、涙となって瞳から零れ落ちる。
拭っても拭っても涙は止まらず、まともにユフィーリアの顔が見られない。こんな情けない顔は見せたくないのに、今のショウには涙を止める術がなかった。
涙で濡れる頬を指先で拭うユフィーリアは、
「泣くなよ、ショウ坊。どうしたらいいのか分からなくなる」
「だって」
ショウは瞳から零れ続ける涙を懸命に拭いながら、
「貴女の言葉が、嬉しくて……嬉しいんだ、嬉しすぎて涙が止まらないんだ」
ユフィーリアからの「好きだよ」という簡素な告白は、ショウにとって何にも代え難い最上級の贈り物だった。もうこれ以上の幸せなんていらない、今この場で死んだって構わないと思えるぐらいに。
困ったように笑ったユフィーリアは、机から身を乗り出した。
顎を持ち上げられ、視線の先には彼女の色鮮やかな青い瞳がある。宝石にも負けない気品漂う碧眼が徐々に近づいて、
「――――」
柔らかな唇が、自分の口に触れた。
ちゅ、と音を立ててからそっと離れていく。
あまりにも自然なキスに、ショウの瞳から涙が止まってしまった。驚きに目を見開くショウに、ユフィーリアは楽しそうに笑いながら言う。
「本当に、アタシの恋人は可愛いなァ」
恋人、とショウはその言葉を口の中で転がす。
互いに好き同士だから、結ばれるのは確定だ。
だけどまさか、本当に恋人になれるなんて夢のようだ。
「これは夢なのか……?」
「おっと? キスまでしたのに夢だって疑うのか、ショウ坊」
むに、とショウの頬を抓って小悪魔めいた笑みを見せるユフィーリアは、
「これから恋人として目一杯可愛がってやるから、覚悟しとけよ?」
ショウが何かを言うより先に、ユフィーリアがキスで口を塞いできた。
唇を通じて伝わってくる彼女のひんやりとした体温に、ショウはこれが現実のものであると悟る。
つまり、恋人になったのだ。世界で1番優しく美しい魔女が、ショウの恋人なのだ。
ああ、本当に幸せだ――ショウは心の底から幸福を実感していた。
《登場人物》
【ショウ】まともな恋愛をしたことがなく、ユフィーリアが最初の彼女……いや彼氏? とにかく恋人である。嬉しすぎて涙が出ちゃう。
【ユフィーリア】遊んでそうに見えるが意外と恋愛観は真面目。ショウが最初の恋人である。告白した時は格好つけているけど内心ドキドキ。