第10話【問題用務員と葬儀行列の開始】
欠けた月が紺碧の空に浮かぶ頃、葬儀行列が開始された。
――コーン。
明かりが落とされたニヴァリカ王国に、霧が立ち込める。
王国全体を覆い隠すような霧の中を、喪服を身につけた人間がゆっくりと歩いている。彼らの手には小さな炎が灯された三叉の燭台や角燈などが握られており、ぼんやりと行く先を照らしている。
行列の中心には棺を担ぐ要員である背の高い男性たちがおり、さながら神輿のように棺を担いでいた。現在担いでいる棺は空っぽの状態だが、あれにご遺体を入れ替えて冥府に持っていくのだ。
喪服を身につけた集団は、全員して顔を薄布で隠している。誰も彼も俯き加減で足を引きずり、その姿はまるで死者の行列のようであった。
「何か怖い行列だねぇ」
「葬儀行列が楽しいものの訳ねえだろ」
霧の中を歩いてくる葬儀行列をニライカナイ城で待ち構えているのは、ユフィーリアたち問題児である。
その格好は真っ黒な外套で全身を包み、頭巾を目深に被って顔を隠している。『面隠しの薄布』と呼ばれる第七席【世界終焉】が身につける礼装のおかげでその姿は非常に曖昧なものとなり、誰が誰だか判別できなくなっていた。
ニライカナイ城で待ち構えている第七席【世界終焉】の人数は5人――本物の【世界終焉】であるユフィーリアを含めて、問題児全員が集合して同じ格好をしていた。
「いつ見ても怖いんだよ、あの行列は」
「夜中にトイレ行けなくなるね!!」
「ハル、静かにしてろ」
「むぎゅ」
唐突にクソでかい声で喋り始めたハルアを叱責すると、彼は自分の口を手で塞いで黙った。自分の声がうるさいと自覚があるようでよかった。
「あらキクガさん綺麗だワ♪」
「父さん、いつもとは違う格好をしている」
アイゼルネとショウが注目したのは、葬儀行列を率いるキクガである。
普段は装飾品を限りなく削ぎ落とした神父服と錆びた十字架、そして頭に乗せられた髑髏のお面という冥府の人間らしい格好と言えよう。だが今は葬儀行列ように着飾っていた。
艶やかな黒髪を飾る金色のヘアチェーンには宝石などがあしらわれており、胸元には何重にも首飾りを装着して豪華に着飾っている。裾が引き摺るほど長い外套にはモコモコとした襟がつけられており、他の冥府関係者とは違って顔を隠していないので息を呑むほどの美貌が露わになっていた。化粧もしているようで、その美しさは3割増だ。
葬儀行列の先頭を歩くキクガの姿を見やるユフィーリアは、
「あれが冥王としての正装だ。冥王第一補佐官は冥王の依代であり、冥王と同じ権限を持つって言われてるからな」
「そうなのか、父さんは凄いな」
「本当ならエリート家系から選ばれるはずが、一般の獄卒から能力だけで昇進して冥王第一補佐官の椅子を勝ち取ったんだから凄えよ本当に」
尊敬する父親の凄さを改めて認識するショウの側で、ユフィーリアもまた遠い目を向けるのだった。
冥王第一補佐官は冥王の代理であるという役目が強い。冥王が不在の際は代わりに冥府の裁判を取り仕切るし、滅多なことでは現世に出ることがない冥王に変わって現世の祭事に参加するので冥王の依代であると認識される。
葬儀行列でも現世に出てくることが出来ない冥王ザァトに代わり、冥王第一補佐官であるキクガが冥王の正装をして死者を迎えにいくという役割がある。冥王の代わりは非常に荷が重いので選ばれた人物でしか請け負えず、冥王第一補佐官は優秀なエリート家系から選出されることが多いのだ。
そのエリート家系を差し置いて実力だけで一般獄卒からのしあがり、冥王第一補佐官の椅子を獲得したキクガの技量は凄いものだ。しかも周りから文句がないので、本来選ばれるはずだった冥王第一補佐官候補の連中よりも優秀なのだろう。
――コーン。
葬儀行列の後部で燭台や角燈の代わりに長杖に小さな鐘を吊り下げた装具を持つ人間が、杖を揺らして鐘を鳴らす。霧が立ち込める夜のニヴァリカ王国に鐘の音が高らかに響いた。
ゆっくり歩いてきた葬儀行列は、ついにニライカナイ城の敷地内に足を踏み入れた。
喪服の集団を引き連れてやってきたキクガは、オセアーノ王の息子であるマーカスと相対を果たす。マーカスの側には蓋が閉じられた状態の棺が置かれており、その中にはご遺体が眠っているはずだ。
キクガはニライカナイ城の玄関で待ち構えていたマーカスへ、恭しく頭を下げる。
「此度は大変ご愁傷様です。冥府を代表し、お父上をお迎えにあがりました」
「この度は父を迎えにお越しくださり、大変恐縮です」
マーカスは棺を示すと、
「父の棺です。どうか……」
「丁重にお連れいたします」
キクガはそう言うと、棺の担ぎ手へ振り返る。
空っぽの棺を担いでいた担ぎ手の面々は、地面に空っぽの棺を下ろすとオセアーノ王が眠る棺に駆け寄った。複数人がかりで棺を神輿台に乗せようと持ち上げるのだが、そのうちの1人が「あれ?」という声を上げる。
誰もが黙った葬儀行列に異様な空気が流れる。それまで静かだったはずの葬儀行列の参加者は俄かに騒がしくなり、互いの顔を見合わせて「喋ってよかった?」「いやダメじゃない?」と確認している。
喋ってしまった棺の担ぎ手は、別の担ぎ手に小突かれていた。
「馬鹿野郎、何で喋るんだよ」
「いやだって、棺が軽いんですよ」
「この人数で担いでるんだぞ、軽くなることだってあるだろ」
異変を訴える棺の担ぎ手は「でも」と言葉を続け、
「ここまで軽くなりますか? だってこの中ってオセアーノ王がいらっしゃるんですよね、ご遺体でもここまで軽くなるなんてことは」
「疑問を持つな。ご遺族の方に迷惑がかかるだろう」
「黙って棺を担げばいいんだよ」
他の担ぎ手に強く言われ、異変を訴える棺の担ぎ手は「はぁい」と不満を飲み込んでいた。それから再び棺を神輿台に乗せようとするのだが、その行動に待ったをかけた人物がいた。
「待ちなさい」
「補佐官様、ですが」
「意見を封殺するのはよくない。不安要素があるままオセアーノ王を冥府へお迎えしても、彼の御霊に失礼がある訳だが」
キクガはマーカスへ振り返り、
「殿下、お父上のお顔を拝見しても?」
「え、ええ。そ、それが必要であるなら……」
マーカスからの戸惑いながらも許可が下り、棺の担ぎ手は一旦作業を中断する。
地面に下ろしたオセアーノ王の棺の蓋が、キクガの手によって横に滑る。蓋を釘で留めていなかったからか、簡単に蓋は棺の上から退かされて地面に落ちた。
その中に待っていたのは、
「なッ」
「え」
「何だこれ!?」
棺の中を覗き込んだキクガや棺の担ぎ手たち、そして親族のマーカスまでもが息を呑んだ。
色とりどりの花で満たされた棺の中に眠っていたのは、男の人魚の氷像だった。爽やかな笑みを見せ、親指を立てた半裸の男が我が物顔で棺の中に居座っている。その光景を目の当たりにした彼らの心境は如何程か。
棺を開けたら半裸の、しかも下半身は魚になった氷像が横たわっていたら言葉すら失う。この大切な葬儀行列の時にふざけた氷像が出てきてしまったのだ、混乱もしたくなるものである。
同じように棺を覗き込んだ七魔法王の面々は、
「氷像……?」
「ふざけた氷像ッスね」
「誰かが好んで作りそうなものですの」
「こんな大切な局面でこんな悪戯をする奴など1人しかおらんじゃろ」
「よりによってどうしてこんなことに……」
それから、その場の誰もがユフィーリアに視線を向けてくる。
もう氷像の製作者が分かってしまったらしい。当然である、氷の魔法を得意として氷像を使った悪戯を数多く仕掛けてきたのだから疑われる。間違いなく犯人として扱われる。
ユフィーリアは頭部を覆っていた頭巾を脱いだ。それから「何かありましたか?」と言わんばかりにすっとぼけた表情を見せる。
代表してユフィーリアに質問を投げかけてきたのは、七魔法王が第一席【世界創生】のグローリアだ。
「ユフィーリア、オセアーノ王をどこにやったの」
その質問に対して、ユフィーリアは真っ直ぐ指を海に向けて答える。
「捨てた」
☆
――葬儀行列開始の2時間前まで時は遡る。
「わっせ」
「わっせ」
「わっせ」
「わっせ」
ショウとハルアは、人間大の麻袋を運んでいた。
葬儀行列が控えていることもあってか、夕方の街並みは人気がない。そのおかげで大荷物を運んでいても誰も気づかない。
麻袋の中身を誰にも知られてはいけなかった。知られてしまえば最後、その行動を阻止されてしまう。行動を阻止されるとニヴァリカ王国が海に沈む恐れがあるのだ。
「わっせ」
「わっせ」
「わっせ」
「わっせ」
人目を盗んで麻袋を運んできた先は、静かな波を湛える港である。葬儀行列があるから漁師もさすがに仕事を休んでいるようで、誰も乗っていない漁船が物寂しげに揺れている。
ハルアはショウに麻袋を押し付けて「よろしくね!!」と言う。ここから先はショウにしか出来ないことだ。
麻袋を抱えると、ショウは軽く右手を掲げた。その動きを合図にして歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノが出現した。それと同時にショウの足が地面から離れ、自由に空を飛び回れるようになる。
「ではハルさん、見張を頼むぞ」
「あいあい!!」
ビシッと敬礼するハルアに見送られ、ショウは夕焼け空に旅立つ。
重たい麻袋を落とさないように気をつけながら、暗い海の上を飛んでいく。耳元で風を切る音がして、黒い髪が潮風に靡く。
陸地からかなり離れた地点で、ショウは動きを止めた。キョロキョロと周囲を見渡して誰もいないことを確認すると、抱えていた麻袋をひっくり返す。
その中身は死体だった。ニライカナイ城の棺で眠っているはずのオセアーノ王の死体である。
「どうか安らかに眠ってください」
どぼん、と暗い海に沈んでいくオセアーノ王の死体に祈りを捧げてから、ショウは地上に戻る為に元来た方向へ引き返す。
――ありがとう。
嗄れ声で心の底から嬉しそうなお礼が、ショウの耳元を掠めた。
《登場人物》
【ユフィーリア】棺の中の氷像は、上半身だけエドワードに寄せて作成した。顔の部分は面倒なことを押し付けてきた腹いせに、オセアーノ王の爽やか満面の笑みにしてやった。盛大に笑われろ。
【エドワード】出来上がった氷像を目の当たりにして「ばはぁ!?」と吹き出した。お供えされてた花が散った。
【ハルア】出来上がった氷像を目の当たりにして、面白さのあまり硝子絵図を割ってしまった。ユフィーリアに直してもらった。
【アイゼルネ】出来上がった氷像を目の当たりにして貴族のご令嬢ばりの高笑いが飛び出た。異変を察知したキクガが扉越しに「何事かね」と問いかけてきたので、ルージュの声を真似して追い払った。
【ショウ】出来上がった氷像を目の当たりにして混乱のあまり三回転半捻りが出た。だんだん笑いのクセがハルアに似てきたような気がする。
【キクガ】冥王第一補佐官の椅子を実力だけで勝ち取ったショウの実父。あるべきはずのオセアーノ王の死体がなくて驚いた。