第7話【問題用務員と王の私室】
磯臭さが弱まっている方角を目指すと、とある青色の尖塔に辿り着いた。
「ここかな」
「磯臭さも驚くほど弱まってるよぉ」
エドワードが鼻の下辺りを擦りながら言う。磯臭さに包まれて嗅覚が馬鹿になりつつあるのかもしれないが、もう少しの辛抱だ。
周囲に人の姿はなく、やけに静かだ。尖塔に繋がる扉には厳重に鍵がかけられており、侵入者への対策は万全だと思い込んでいるらしい。
魔法が一般的となったご時世で、普通の錠前だけで厳重な施錠が出来ているとは考えられない。随分と杜撰な管理の方法だ。もしかして、故人の私室に関する管理はもう考えないようにされているのだろうか。
ユフィーリアは埃の被った錠前に雪の結晶が刻まれた煙管を突きつけ、
「〈開け〉」
ガチャン、と錠前が外れてしまう。魔法への対策は何も施されていないからこうなるのだ。
簡単に外れてしまった錠前を扉の脇に寄せておき、ユフィーリアは扉を僅かに開ける。磯臭さを警戒しての行動だったが、扉の隙間から漂ってきたのは埃臭さと潮風の匂いである。海沿いの街特有の爽やかさのある香りと言えよう。
それまで感じていた磯臭さが嘘のような消失っぷりである。オセアーノ王の棺が安置されていた場所と同じく強烈な磯臭さを想定して身構えていたエドワードも、磯臭さを感じなくなって不思議そうに首を傾げるばかりだ。
問題児5人は互いの顔を見合わせ、
「よし行くぞ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「何だかワクワクしちゃうわネ♪」
「諜報員みたいだな」
ユフィーリアたち問題児は、王族の私室である青色の尖塔に足を踏み入れる。
扉の向こう側には螺旋状の階段が続いており、天井を見上げると果てしないほど伸びている。どこに繋がっているのか不明だが、この先にある部屋に秘密が隠されているのは間違いない。
やれ「階段がきつい」とか「階段が狭い」とか文句を垂れながら狭い螺旋階段を上っていくと、5分もしないうちに最上階へと到着した。
「扉だな」
「塞がれてるね!!」
螺旋階段の終着点は木製の扉で塞がれていたが、ユフィーリアの魔法によって難なく施錠が解除されてしまう。
扉からガチャンという音が聞こえ、軽く押すと蝶番が軋む音と共に問題児をその先に誘ってしまった。ニヴァリカ王国の次期国王である息子のマーカスから「立ち入らないでください」と念を押されていたはずだが、そんな事情など無視である。
扉からひょっこりと顔を出したユフィーリアは、
「おー、なかなか広いな」
見た目は煙突のような塔に三角形の屋根を被せただけの石積みの塔だったが、王族の私室ということもあって部屋は非常に広い。おそらく魔法を使って拡張をしているのだろう、質素な部屋に似つかわしくない天蓋付きのベッドが隅に置かれており、衣装箪笥や机まで完備されていた。
壁沿いに置かれた本棚には小難しそうな本が隙間なく詰め込まれており、読書家であるユフィーリアにとっては気になるラインナップと言えよう。あとで何冊か読んでみたいところだ。
ついに王族の私室へ足を踏み入れてしまった問題児は、とてもイキイキした表情で行動を開始する。
「お前ら、怪しげな箱とか瓶とか全部ひっくり返せ。ベッドの下とか念入りに調べろよ」
「俺ちゃんの鼻のよさを舐めないでよねぇ」
「オレの勘のよさを甘く見てるね!?」
「おねーさん、秘密を探すのは得意なのヨ♪」
「俺も隠し場所には多少の知識はあるぞ、ユフィーリア」
「ショウ坊の場合はそうだろうな、アタシの隠してるエロ本を探し当てるぐらいだもんな」
秘密のブツを探すのにこれ以上の頼もしい仲間はいない。威張るようなことではないのだが、それでも楽しいことには全力投球なのが問題児だ。
ユフィーリアは手始めに本棚を漁る。小難しそうな本の題名を掲げていながら実は偽物であり、表面だけは真面目を装っているエロ本だと判断したのだ。
だが残念なことに、どれもこれも真面目な本ばかりである。政治の本だったり海洋汚染がどうだと書かれた論文だったり、オセアーノ王の性格が本の趣味にも滲み出ていた。中には見覚えのあるくどい文章が羅列した本があって、著者を確認すると『グローリア・イーストエンド』とあった。あの学院長の本を買っていたのか、オセアーノ王。
舌打ちをしたユフィーリアはグローリアが書いた魔導書を床に叩き捨てると、
「面白くねえ本を書きやがって」
他に面白い本はないものかと本棚を物色していると、背中から「ユフィーリア、ユフィーリア」というショウの呼び声が飛んできた。
「どうした、ショウ坊。何か面白いモンでも」
振り返った先にいる最愛の嫁の姿を目の当たりにして、ユフィーリアの思考回路が停止した。
ショウが抱えていたものは魚である。しかも意外と大きく、立派な二又の角が生えた魚だ。
硝子のような眼球がユフィーリアを真っ直ぐ見据えており、銀色の胴体は塔の壁に設けられた小さな窓から差し込む陽光を受けて煌めいている。胴体の上部分へ向かうに連れて色が黒く変わっていき、頭部から突き出た硬そうな角もまた黒々と輝いている。
昆虫のように薄い翅をエラの部分から伸ばしてビチビチとショウの腕の中で暴れる魚を観察し、ユフィーリアは「ああ」と頷いた。
「カブトマグロか。凄え立派じゃねえか」
「衣装箪笥に収納されていたんだ」
見れば衣装箪笥の扉が開け放たれており、王様らしい仕立てのいい洋服の他に数多くの魚が転がり落ちていた。衣装箪笥から転がり落ちてきただろう魚たちはビチビチと床の上を跳ね回っている。
泣きそうな表情でカブトマグロと呼ばれる魚を抱きかかえるショウは、細々とした声で「どうしよう」と呟く。生の魚を衣装箪笥に収納するオセアーノ王は一体何を考えていたのか。棺の側に出現したオセアーノ王の幽霊は、衣装箪笥に詰めた魚たちの処分を問題児に依頼したかったのか。
ユフィーリアはショウの腕に抱かれて跳ねるカブトマグロの頭に触れると、
「あ、これ玩具だな」
「玩具?」
「子供用の釣りセットだ。これを水の中に放つと魚のように泳ぎ回るから、釣りの玩具でも臨場感が出るって開発されてたんだよ」
特に上等な玩具になると本物と見分けがつかないほどリアルに再現されており、まるで本物の魚を釣ったかのような楽しさがあるのだとか。玩具そのものは防水加工を施されているので濡れても問題はなく、齧っても火で炙っても壊れない頑丈さを誇る。
よく見れば、床の上を跳ね回る魚たちは再現度にムラがあった。ショウが抱えているカブトマグロの玩具のように精巧な出来の魚だったり、逆にピンクや紫色など可愛らしい色合いをした「玩具です」と言わんばかりの見た目をしていたりと様々だ。オセアーノ王はこういったものに興味があったらしい。
ユフィーリアはとりあえず玩具を氷漬けにし、
「ハルと一緒に遊ぶなら持って帰るか?」
「いいのか? 何だかバチが当たりそうな気がするのだが……」
「これからもっと恥ずかしいモンを処理してやるんだから、その駄賃として取っとけよ」
それに、オセアーノ王の口はもうない。彼がどれほど言葉を発しようとユフィーリアの耳には届かないのだ。
まあ遺族からは怒られるかもしれないだろうが、そこはそれ、学院長に説教された時と同じように『ごめんなさいの歌〜海沿いの街バージョン〜』でも披露してやる時だ。星をも降らせる美声を海に響かせるだけである。
ショウは同じように衣装箪笥を漁っていたハルアに、凍ったカブトマグロを突き出して「玩具らしい」「じゃあ遊びたい!!」などとやり取りをしていた。お持ち帰りは確実なものとなりそうだ。
「ユーリぃ、見てみてぇ」
「何だその大量の小瓶」
天蓋付きベッドの下を調べていたエドワードが、その下に隠されていた大量の小瓶を床に並べる。
小瓶の表面には埃を被っており、黄ばんだラベルには掠れた文字が印刷されていた。魚のような絵柄は薄らと認識できるものの、それだけでは果たして何を示しているものなのか不明である。
エドワードは埃を被った小瓶を指で摘むと、
「嗅いでみなよぉ」
「ん?」
ユフィーリアはエドワードの差し出す小瓶に鼻を寄せ、それから「びゃッ」と声を上げて飛び退いた。
「お前、ふざけんなよ!! 磯臭え!!」
「それを最初に嗅いだ俺ちゃんの気持ちは分かるぅ?」
「知らねえよ!!」
ユフィーリアは絶叫すると、瓶を床に叩きつける。小瓶は幸いにも割れることなく、コロコロと転がって部屋の隅に追いやられた。
鼻に突き刺さった磯臭さが抜けない。爽やかな潮風の香りが一気に磯臭さへと変わってしまった。しきりに鼻の下を擦ってみるも磯臭さが解消される雰囲気はない。
顔を顰めるユフィーリアに、同じくベッドの下を探していたアイゼルネが問いかける。
「ユーリは何か見つかったかしラ♪」
「めぼしいモンはねえな。真面目な王様らしい」
他人には言えないようなブツの処理を頼む割には、そんな怪しいものはない。エロ本すら存在していないのだ、あの王様には性欲というものが存在しないらしい。
これでは探し損である。この姿をオセアーノ王の親族に目撃されれば説教だけでは済まない可能性だって考えられる。七魔法王の品位を落とすような真似をすればグローリアが黙っていないし、問題児にとっては危険極まる行動であるのは間違いない。
ユフィーリアはふと机へ振り返り、
「残りはここか……」
何の変哲もない机は綺麗に片付けられており、広げっぱなしになった日記帳とインク瓶に浸された羽根ペンがあるだけだ。
まっさらな状態の日記帳には、薄らと文字が滲んでいる。前の頁に書かれた文字があまりにも強く書かれすぎたのだ。
頁を捲ったユフィーリアは、
「…………わあお」
頁にはこう書いてあった。
『海に帰して』
その前の頁にも。
『海に帰して』
その前の前の頁にも。
『海に帰して』
『海に帰して』
『海に帰して』
『海に帰して』
書き殴るような文字が続いていた。
まるで呪うような文字の羅列である。文字は誰のものなのか不明だが、オセアーノ王の部屋にあったのだからオセアーノ王のもので間違いはないだろう。
日記帳は全ての頁に『海に帰して』という文章で埋め尽くされており、日付が新しくなるにつれて文字が乱暴なものに変わっていく。懸命に、必死に、オセアーノ王はこの文章に自分の気持ちを込めていたのだ。
呪われた日記帳を閉じたユフィーリアは、
「まさか、あの王様――」
ふと頭の中に浮上した可能性を確かめるべく、ユフィーリアはエドワードへと振り返る。
ベッドの下から小瓶を全て出し終えたようで、エドワードはアイゼルネと「何の小瓶だろうねぇ」「分からないワ♪」と相談しあっていた。埃を被っていた瓶はラベルが色褪せており、文字が判別できない。
ユフィーリアは床に並べられた小瓶を拾い上げ、閲覧魔法を発動させた。
「まずいな」
閲覧魔法に表示された情報には、こうあった。
『人間化魔法薬』
《登場人物》
【ユフィーリア】エドワードに「自分が死んだら何も言わずに机の中にしまわれている本を処分してくれ」と頼んでいた。でも全部ショウにバレてる。
【エドワード】ユフィーリアに「自分が死んだら何も言わずにベッドの下に保管してある箱を燃やしてくれ」と頼んでいる。最近、危うくなってきたので隠し場所をユフィーリアの書斎に変えた。
【ハルア】エロ本(という名の水着グラビア写真集)をショウに預かってもらっている。ついでに「オレが死んだらお墓に入れてほしい」とお願いしている。
【アイゼルネ】緊縛本と官能小説を隠し持っているが、隠し場所は本人しか知らない……と思っている。ショウにバレていることは知らない様子。
【ショウ】用務員室のエロ本の隠し場所を網羅している女装メイド少年。自分のものは父親であるキクガに預かってもらっている。内容? ユフィーリアのお着替えシーンとかお風呂シーンとか寝顔とか色々。