第6話【問題用務員と探検】
化けて出たオセアーノ王は、硝子絵図を指差しただけである。
「…………はえ?」
「硝子絵図がどうかしたのぉ?」
「何が言いたいの!?」
「黙ってないで何か言いなさイ♪」
「アイゼさん、死人に怒っても無駄だと思います」
オセアーノ王の幽霊が硝子絵図を指差すので、ユフィーリアたち問題児もふと硝子絵図に視線をやる。
硝子絵図に描かれているものは、水面に手を伸ばす人魚姫の美しい絵である。水の中に揺れる人魚の豊かな金色の髪や極彩色の鱗を持つ魚の下半身、水泡や背景の海藻まで見事に再現された精緻な作りをしていた。
その綺麗な硝子絵図を自慢したいのか、はたまた何か意味があるのか。オセアーノ王の幽霊は死んだ魚のような目で人魚姫の描かれた硝子絵図を指差すばかりで何も言わない。喋る為の声がないのは、王子様へ会う為に声という対価を支払って魔女から足をもらった人魚姫のようだ。
硝子絵図を眺めていたショウが、
「硝子絵図の向こう側に何かあるのでは?」
「え?」
ショウに指摘され、ユフィーリアは人魚姫の硝子絵図に歩み寄る。
様々な色の光を落とす硝子絵図の向こう側には、ひっそりと聳え立つ尖塔が見えた。硝子絵図越しに見ているので正確な色は分からないが、ニライカナイ城には青色の尖塔がいくつも屹立していたことを思い出す。
オセアーノ王が示しているのは、その青色の尖塔の1つなのだろう。「あの尖塔に行け」ということか。
今もなお棺の側で佇むオセアーノ王の幽霊に振り返ったユフィーリアは、
「あの尖塔に行けってことか?」
「…………」
腕を下ろしたオセアーノ王は、静かに頷いただけだった。
「あの塔に何があるの!?」
「王様の遺産だろうか」
「もしかしたら見つかったらまずいものかもしれないねぇ」
「えっち本とかかしラ♪」
「よくあるよな、他人には言えないブツを始末してくれっての」
ユフィーリアたち問題児は互いの顔を見合わせた。
故人が化けて出てくるのは未練があるから、という話はよく聞く。その中でよく確認される未練が『他人には言えない秘密のブツを内緒で処理してほしい』ということだ。特に性癖を詰め込んだ書籍などは家族にバレたくないものだろう。
なるほど、オセアーノ王も人間だった様子である。男なら秘密の1つや2つぐらい持っていてもおかしくはない。その処理を頼みたいからこそ、何も言わずにあの尖塔を指差したのか。
爽やかな笑みを浮かべたユフィーリアは、親指を立てて言う。
「お前ら、探検に行こうか」
「いいねぇ」
「探検大好き!!」
「何が見つかっても文句は言わないでちょうだいネ♪」
「大丈夫ですよ、内緒で処分してあげますね」
問題児根性丸出しなユフィーリアたちはウキウキと弾んだ足取りで広間から飛び出すのだった。
☆
ところでこのニライカナイ城、阿呆みたいに広い上にお目当ての尖塔がいくつも建ってるものだからどこを目指せばいいのか分からない。
「広間から見えてた尖塔ってどこだっけ?」
「というか広間ってどっちの方向なのぉ?」
「迷ったね!!」
「あらマ♪」
「尖塔がありすぎて迷ってしまうな」
ニライカナイ城を彷徨い歩く問題児どもは、目的地に辿り着けず首を捻る。
同じような青色の尖塔がいくつも屹立しているので、どれがオセアーノ王の幽霊が示した場所なのか分からないのだ。考えなしに広間から飛び出してしまったので方向感覚も狂い、どこを目指すのかさえ闇の中である。これでは広間に戻ることはおろか、キクガや他の七魔法王のところに戻ることさえ叶わない。
ついでに言えば、現在は嗅覚を一時的に制限している状態なので馴染みのない場所を歩き回るのは危険である。危険な状況の判断を視覚と聴覚に頼ることとなってしまうので、可能ならば嗅覚の制限状態を解除したいところだ。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「エド、嗅覚の状態を元に戻してもいいか?」
「俺ちゃんに死ねとぉ?」
エドワードはユフィーリアをジト目で睨みつけ、
「あの磯臭さは耐えられないよぉ」
「エド」
エドワードの鋭い眼光にも怖気付くことなく、ユフィーリアは真っ向から彼を見つめ返す。
「嗅覚を元の状態に戻す。これは命令だ、拒否権はねえ」
その強めの言葉に、エドワードは苦い表情を見せながらも渋々と「分かったよぉ」と応じる。
問題児の仲間である以前に『魔女の忠犬』の役割を与えられた従僕に拒否権はないのだ。許可申請ではなく決定事項である、最初から反抗する余地など存在しない。
ユフィーリアは絶死の魔眼を発動し、切断していた嗅覚を司る糸を結んで機能を復活させる。失われていた嗅覚が元の状態に戻り、ニライカナイ城を支配する強烈な磯臭さが再び襲ってきた。
「…………?」
ふとユフィーリアは周囲を見渡す。
先程よりも磯臭さが弱まっているのだ。吸い込む空気の中にはまだ磯臭さは残っているものの、ニライカナイ城へ初めて足を踏み入れた時やオセアーノ王の棺が安置されている広間と比べれば弱い方である。
エドワードやハルア、アイゼルネ、ショウもまた弱まっている磯臭さに首を傾げていた。記憶にある強烈さがなくなっているのが不思議で堪らない様子である。
形のいい鼻を鳴らすエドワードは、
「こっちの方が弱まってるねぇ」
「本当か?」
「微妙な感じだけどねぇ」
嗅覚の優れたエドワードが示したのは、長い廊下の先である。大きな窓から陽光が差し込んで明るく照らされているが、廊下の先は日陰となっており薄暗い。何だか不気味な雰囲気が漂ってくる。
問題児5人の呼吸と会話しかなく、少し口を閉ざせばすぐに静寂が訪れる。遠くの方で響く誰かの声が耳で拾えるぐらいに静かだ。
じっと廊下の奥を見つめていたハルアが、
「ユーリ、誰か来るよ」
「人数は?」
「1人。嫌な予感はしないから大丈夫そうだけど」
ハルアはショウを背中で守るように立ち、エドワードはアイゼルネの腰を抱き寄せていつでも抱えられるようにする。そういった行動が自然と出来てしまう辺り、自分の役割をちゃんと理解しているようだ。
ユフィーリアも雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめ、いつでも魔法が打てるように備えておく。ハルアが「嫌な予感はしない」と言っていたから心配はないが、防衛魔法を展開したあとに氷柱の1本でも尻に捩じ込んでやらなければ気が済まない。
そしてようやく、コツコツという足音が認識できた。
「おや?」
廊下の奥から姿を見せたのは、王族を想起させる煌びやかな格好をした中年の男性である。豊かな金髪と年齢を重ねた皺のある顔、ユフィーリアたちを真っ直ぐに見据えるのは海を思わせる青色の双眸だ。
驚いたような表情を見せる中年の男性は、ユフィーリアたち問題児の存在に首を傾げる。この場に部外者がいることが想定外の出来事なのだろう。
中年の男性は「そこの君」と言い、
「こんな場所まで何か?」
「あー……」
ユフィーリアは苦笑いを見せ、
「いやー、実はトイレを探しておりまして」
「うぐッ!?」
綺麗な笑顔を保ったまま、エドワードの腹部に肘鉄を叩き込む。
呻き声を発して、エドワードは崩れ落ちる。「お゛……ごッ……」という汚え嗚咽が聞こえてきて、血走った目でユフィーリアを睨みつけてくる。見た目だけで言えば腹痛を我慢する人に見えるのだが、これは無視するに越したことはない。
中年の男性は納得したように頷き、
「それでしたら廊下の奥を突き当たり右側にありますよ」
「ありがとうございます。いやー、助かった。汚い話で申し訳ないですが決壊寸前でして」
「城は広いですからね、お察しいたします」
爽やかな笑みを見せる男性は、
「もしかして、本日の葬儀行列の関係者ですか?」
「ええ、まあ」
ユフィーリアは曖昧にぼかしておく。
七魔法王が第七席【世界終焉】なのだが、正装である黒いドレスでなければ認識されないのだろうか。それなら好都合だ、このままオセアーノ王の示した青色の尖塔にも忍び込める。
有名人になると影響力を持つ代わりに、行動が制限されがちなのが玉に瑕だ。一挙手一投足に注目が集まってしまうので、喪服を想起させる真っ黒なドレスを身につけなければ【世界終焉】だと認識されないのは都合がいい。
中年男性は「そうでしたか」と応じると、
「私はヴィクトル・オセアーノの息子でありますマーカスです」
「次期国王陛下ってことですか。それはそれは、将来が楽しみですね」
「父のように王国を率いなければならないので緊張しております。本日の葬儀行列はよろしくお願いいたします」
マーカスと名乗った中年男性に、ユフィーリアは綺麗な笑みを保ったまま言う。
「ところで、随分とその……海沿いの街独特の香りと言いますか。そんな臭いがしますが」
「そうでしょうか?」
マーカスは周囲の臭いを嗅ぐも、磯臭さを認識できていない様子である。やはり呪臭を感知できないのか。この違いは一体何なのか。
「こう言った臭いはあまり慣れませんので」
「そうでしたか。ニヴァリカ王国は海が近いですから無理もないですね」
「確かに、そうですね。普段は海から離れているから嗅ぎ慣れていないかもしれないです」
ユフィーリアは丁寧な言葉遣いでマーカスの相手をし、
「それでは失礼します。同行者が限界のようですので」
「ええ、間に合うといいですね」
マーカスはその場から立ち去ろうと足を踏み出してくるが、思い出したように「あ」と振り返る。
「この先には父の自室がありますので、出来ればトイレに立ち寄ったらお早めに葬儀行列の会場までお戻りください。あまり部外者に王族の私室を見られたくはないので」
「……かしこまりました、ご忠告ありがとうございます」
立ち去っていくマーカスの背中を見送り、その姿が完全に見えなくなったところで口の葉を持ち上げてニヤリと笑う。
いいことを聞いた、この先にオセアーノ王の自室があるのか。オセアーノ王の自室に行けば、処分に困っていた秘密のブツも出てくるかもしれない。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「よーし、じゃあいっちょ私室に忍び込んで」
「その前にぃ」
「あれ?」
エドワードの大きな手のひらに頭を掴まれて、ユフィーリアは間抜けな声を上げる。
そういえば、すっかり忘れていた。
マーカスを誤魔化す為の措置とはいえ、エドワードの腹部めがけて肘鉄を叩き込んだのである。あの時の親の仇を見るような目線は寒気がする。
5本の指先に力を込めていくエドワードは、
「いきなり肘鉄を叩き込んでくるとかぁ、頭を潰されても文句は言わねえよなコラ」
「イダダダダダダダダダおいふざけんなあれは必要な演出だったろ!?」
エドワードの握力によって頭蓋骨が軋むほどの痛みに襲われ、ユフィーリアは甲高い悲鳴を上げるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】方向音痴ではないのだが、煙管が倒れた方角に向かって進むということをやらかすのでたまに迷う。でも帰って来れる。
【エドワード】方向音痴ではないし、狼の獣人だからか帰巣本能を有しているのでちゃんと帰って来れる。嗅覚に頼ると必ずご飯屋に辿り着く。
【ハルア】意外と方向音痴。ショウがいない時は1人で買い物なんてさせられなかったが、ショウが来てから迷子にはならなくなった。
【アイゼルネ】方向感覚には自信ありだが1人では出歩かない。まず変質者に会っても逃げられないので、もっぱらエドワードと行動している。
【ショウ】一度でも通った道は忘れない偉い子。方向音痴なハルアが好き勝手な道を進んでも必ず軌道修正して帰る。抵抗する場合は冥砲ルナ・フェルノで強制連行する。