第4話【問題用務員と葬式準備】
「お待たせして申し訳ございません……!!」
馬車に揺られる問題児を相手に平謝りするのは、濃紫の髪を持つ女性である。黒曜石を彷彿とさせる大きな瞳には涙が浮かべられており、全身で反省を示していることが理解できる。
彼女は冥王第二補佐官のオリカゼ・アヤメと名乗った。今回の葬儀行列で動員された人材らしく、第二補佐官なので第一補佐官であるアズマ・キクガとも近しい様子だ。
ユフィーリアはひらひらと手を振ると、
「いいって、そんなに謝らなくて」
「ですが第七席様をお待たせするなど、キクガさんに怒られてしまいます」
アヤメは目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、
「なにぶん、葬儀行列など久々ですから手順が分からず……葬儀会場もバタバタしておりまして……」
「大変なんだな」
ユフィーリアは他人事のように言う。
かくいうユフィーリアも葬儀行列は数える程度しか参加の経験がなく、エドワードたち4人に至っては今回が初めての葬儀行列だ。葬儀行列などあまりない行事である。
葬儀を取り仕切る冥府側も、葬儀行列が初めての人物が多いから段取りが悪くなってしまっているのだ。滅多にない行事だから慌てているのだろう、別にこの場でアヤメや他の人員を責める気はない。
アヤメは疲れ切ったような口調で、
「今回の葬儀行列も急に決まったものですから、キクガさんも頭を抱えていらっしゃいまして」
「料理以外なら何でも出来そうな父さんが珍しいな」
「ひゃいッ!?」
「?」
ショウが口を挟んだ途端、アヤメが声をひっくり返して反応した。黒曜石の瞳をこぼれ落ちんばかりに見開き、驚いたような表情を見せる。
「あ、あ、びっくりしたぁ。息子さんの方でしたか」
「はい、父がいつもお世話になっております」
「お顔がそっくりですからびっくりしましたよ。『あの人が私に対して敬語を使った!?』と」
「父にどんな印象を持っているんですか」
「仕事の出来る上司です」
アヤメがキッパリと言い切るものだから、息子としてショウも何も言えなくなってしまう。ただ自分の父親が『仕事の出来る上司』と評されたからか、どこか誇らしげな様子ではあった。
現場を駆け回る一般の獄卒から実力だけで冥府の2番手にのし上がる有能っぷりは、誰もが認めるもののようだ。息子のショウも誇らしく思うのは理解できる。
窺うような視線をユフィーリアに寄越すアヤメは、
「それでですね、第七席様」
「何だよ」
「出来れば葬儀行列ってどういうものかご教示いただけません? 私も葬儀行列が初めてですから、作法とかそう言ったものを知らないので」
「いやアタシも数えるぐらいしか参加したことねえし」
古い記憶を引っ張り出して、ユフィーリアは葬儀行列がどういったものであったのか思い出す。
あの時はどこの国の王様が亡くなったのだろうか、もしかしたら女王様だったかもしれない。国中が悲しみに満ち溢れており、国民の誰もが喪服を身につけていたような気がする。故人への献花に長蛇の列が出来ており、たくさんの真っ白い百合の花が捧げられていた。
葬儀行列だって、冥府の役人がゾロゾロと棺を担ぎ出して冥府に連れて行ったら終わりである。葬儀行列の当事者ではないからそんな印象しかないのだ。あとはもうかつて葬儀行列に参加したことのある獄卒から聞いて回るしかないだろう。
年に何回も葬儀行列があれば話は別だが、数百年に一度の単位でしか執り行われることのない行事を「思い出せ」という方が無理な話である。しかもユフィーリアだって『未練を断ち切る』以外の行動をしていない。
「親父さんは大丈夫なのか?」
「冥王様からお話をお伺いしていましたが、主に葬儀行列の中心になるのがキクガさんなものですから……」
「大変なんだな、誰も彼も」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「まあ、こっちも初心者を4人も抱えてるんだ。出来る限りのことは手伝ってやるさ」
「ありがとうございます、とてもお心強いです」
アヤメが安堵したように言ったその時、
「ユーリユーリ!!」
「ンだよ、ハル。馬車なんだから大人しくしてろ」
「オレ、馬車となら並走できる気がする!!」
唐突にハルアがぶっ壊れた笑顔で空気の読めないことを言い始めた。
そういえば、魔法列車と並走しようとして窓から飛び出そうと画策する馬鹿野郎である。魔法列車より速度の遅い馬車となら並走しても問題ないと思っているのだろうか。そんな訳あるか。
ユフィーリアはエドワードと同時にハルアの頭を押さえつけると、
「アヤメ嬢、冥府天縛とか持ってねえか?」
「すみません、その神造兵器は冥王第一補佐官のキクガさんしか持っていないですね……」
「じゃあ似たようなものでもいいから」
「諦めてください」
アヤメから「そちらも大変ですね」と哀れみを込めて言われたので、ユフィーリアは苦笑いで誤魔化しておいた。
☆
「到着しました、こちらがニライカナイ城となります」
馬車に運ばれてやってきたのは、青色の尖塔がいくつも屹立した王城だった。
曇天にたなびく国旗は群青の生地に人魚が祈りを捧げる紋章が刺繍されており、海と密接な関係があることを暗に告げている。城全体は海によく映える白を基調としており、屋根が色鮮やかな青だったり濃度の違う青色の尖塔が建っていたりと海に近い王国らしい外観となっている。
城の正面玄関には献花へ訪れた国民が代わる代わる出入りしていたので、ユフィーリアたちが運ばれたのは城の裏手である。正面側とは違って驚くほど静かだ。
「まずは親父さんに挨拶を――」
しねえとな、という言葉をユフィーリアは思わず飲み込んでしまった。
潮の香りが強い。
いいや、どちからと言えば磯臭いと言った方がいいのだろうか。
王城は海から距離がある小高い丘の上に建てられており、津波などの影響は及ばない位置となっている。おそらく国民全員の避難場所にでも指定されているのだろう。城の造りも堅牢なものなので、海による災害対策が施されていると言えようか。
それなのに、何故か磯臭いのだ。花売りの少女が売り歩いていた真っ青な百合の花よりも磯の臭いが酷すぎる。
磯の臭いを感じ取ったのは、何もユフィーリアだけに限った話ではない。
「ゔぁッ!!」
馬車から降りようとしたエドワードは鼻を押さえて悶絶し、
「臭え!!」
「磯の臭いが酷いワ♪」
ハルアとアイゼルネもまた鼻を押さえて「臭い」と言い、
「海沿いの街だからってここまで酷いのか……?」
手巾で口元を押さえるショウは酷い磯臭さに眉根を寄せていた。
アヤメは特に気にしている風ではないように見えるが、本当にこの磯臭さを認識できていないのだろうか。海沿いの街特有の匂いとして片付けるにはあまりに酷すぎる悪臭なのだ。
さすがにこの磯臭さには耐えられず、ユフィーリアも自分の鼻を手で覆ってしまう。この磯臭さの中で葬儀行列をしなければならないと考えただけで白目を剥きたくなる。
首を傾げたアヤメは、
「どうかしましたか?」
「アヤメ嬢、磯臭えのによく平気でいられるな」
「そんな臭いしますか?」
「え?」
アヤメの口から飛び出たとんでもねー言葉に、ユフィーリアは思わず聞き返してしまった。
今もなお強烈な磯臭さはどこからともなく漂ってきている。エドワードは激臭に馬車へ閉じこもり、ハルアやアイゼルネも鼻を摘み、ショウも磯臭さに顔を顰めている始末だ。この反応を見れば無視できない臭いで充満していることなどすぐに気づく。
ところが、アヤメの態度は平然としていた。嗅覚が機能していないのか、それとも冥府ではこの磯臭さが通常装備なのか、ケロッとした様子である。「何か臭います?」と空気の臭いまで嗅いでいた。
ひとしきり臭いを嗅いだアヤメは、
「こちらへどうぞ、キクガさんがお待ちです」
「ええ……」
磯臭い中を普通に案内し始めるアヤメに困惑気味のユフィーリアは、とりあえず彼女の背中を追いかける。
城に足を踏み入れると、さらに磯臭さが増した。この時点で「帰りたい」という願望が脳内を占めるが、キクガから参加を希望された以上はここで帰る訳にはいかない。
縦横無尽にバタバタと忙しなく駆け回る神父服姿の男性や修道服姿の女性を見かけたが、全員この磯臭さの中をよく行動できるものだと感心する。アヤメと同じく磯臭さを認識していないだけかもしれない。彼らの嗅覚はすでに死んでいるのだろうか。
走り回る神父や修道女の中心になっているのは冥王第一補佐官のキクガである。羊皮紙で葬儀行列の段取りを確認しながら、部下らしき人物に次々と指示を出していた。
「死に化粧の準備は?」
「完了しております。葬儀行列の開始時刻までには間に合うかと」
「献花はどのぐらいで終わりそうかね?」
「まだかかります。やはり開始時刻は当初の予定通り、夜の方がよろしいでしょう」
「見送り料理の支度は?」
「整っておりますのでいつでもお出しできますが」
キクガの質問に対して、様々な人物が的確に回答していく。有能と言われるだけあって仕事ぶりは見事なものだ。
「キクガさん、お連れしましたよ」
「ご苦労様」
アヤメへ簡単な労いの言葉を投げかけ、ようやくキクガは羊皮紙から顔を上げた。
赤い瞳でユフィーリアたちを見据えると、それまで緊張感のある顔立ちを嘘のように崩して微笑んだ。そんな表情を見せる間にも磯臭さは消えてくれず、彼もまたこの磯臭い空気を何とも思っていない様子であることが窺えた。
ユフィーリアは顰めっ面のまま、
「どうも、親父さん」
「どうかしたのかね、全員揃って表情がやけに苦しそうな訳だが」
「いや、城の中が磯臭くて」
「磯の?」
キクガは周囲を見渡し、
「そんな臭いはしない訳だが」
「あー、多分アタシらが気にしすぎなだけだと思う」
「海沿いの街特有の香りだと思うがね。気になるようなら香水などを用意する訳だが」
「そこまで気遣いしなくていいぞ、親父さん。ただでさえ忙しいんだから」
それに、強烈な磯臭さは香水如きで消えそうにない。むしろ臭いが混ざって激臭となったら、今度こそ花が終わる予感がする。
ただでさえエドワードは今にもぶっ倒れそうなのだ。嗅覚が人並み程度のユフィーリアたちでさえ磯臭さに顔を顰めてしまうのに、嗅覚が優れたエドワードはさぞ辛いだろう。
キクガは「そうかね」と応じ、
「他の七魔法王たちはすでに到着している。今は棺が安置されている広間で最期のお別れをしている頃合いな訳だが」
「他の奴はもう来てんの? アタシらもだいぶ前に来たのに」
「こちらの手違いで迎えが遅くなってしまったことが原因な訳だが。待たせてしまってすまなかった、冥府を代表して謝罪しよう」
「頭を下げるな頭を下げるな。場所は分かっていたんだから、歩くなり転移魔法なりの移動手段を使わなかったアタシが悪い」
頭を下げて謝罪しようとするキクガを止めたユフィーリアは、
「アタシらも最期のお別れに行ってくる」
「そうするといい訳だが」
キクガに見送られ、ユフィーリアたちはオセアーノ王の棺が置かれた広間に向かうのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】待ちぼうけを喰らっていた魔女。葬儀行列には参加したことなど数回しかないので教えられるようなことはなく、また初心者を4人も抱えているのでそれどころではない。
【エドワード】磯臭さに鼻が死んだ。ニヴァリカ王国ってここまで磯臭かっただろうか。
【ハルア】磯臭さに鼻が曲がりそう。汽車がダメなら馬車なら並走できるかとお伺いを立ててみたところ、ユフィーリアとエドワードの2人がかりで止められた。
【アイゼルネ】磯臭さに鼻が折れそう。お葬式の準備が大変そうだと他人事。
【ショウ】父親の仕事する姿が見れて役得。父さん格好いいなぁ、ユフィーリアの次だけど。
【アヤメ】冥王第二補佐官。このあと第七席を待ちぼうけさせたことでキクガから怒られる。
【キクガ】冥王第一補佐官。仕事の出来る有能なショウの実父。第七席が到着しないことを怪しんでいたら迎えの馬車がまだ出ていなかったことに驚き、アヤメをパシッた。