第3話【問題用務員とニヴァリカ王国】
爽やかな潮風が頬を撫でる。
「ここがニヴァリカ王国……」
目の前に広がる街並みに、ショウは瞳を輝かせる。
石造りの建物が並ぶ街並みは、見事な蒼海に面している。三日月の形をした漁港があるものの、街全体が葬式の雰囲気に包まれているのか驚くほど静かだ。街中を歩く通行人も真っ黒な衣装を身につけて、何やら物悲しそうな表情を浮かべている。
賑わっているはずの漁港もまた非常に大人しく、船は1隻も漁に向かっていない。活気溢れる商店街も重たい空気に支配されており、店そのものを開いていない場所さえ見受けられた。
慕っている国家元首が亡くなったのだ、それはもう国民は悲しいに違いない。子供だけは死ぬことがよく分かっていないようで、母親らしき女性に手を引かれながら「まま、なんでみんなないてるの?」などと聞いていた。
「漁港の街なんだな」
「漁師が多く住んでいる国でな、漁業が有名なんだよ」
今では見る影もなく静かな雰囲気に包まれたニヴァリカ王国を眺め、ユフィーリアはショウの言葉に応じる。
国王陛下であるオセアーノ王が生きていれば、賑やかな街並みを見ることが出来ただろう。漁師たちの喧しい声がぶつかり合い、商店街には生鮮野菜よりも海産物が多く並ぶ。今日は何が安いとか、今の時期は何の魚が旬だとか漁師連中は気さくに話しかけてくるのだ。
そんな街並みだからか、女子供も活気がある。声を上げて笑うし、男に負けない腕っぷしの強さで家を守っている。気の強い女性が多いからか、街の酒場なんかは大賑わいだ。時には激しい夫婦喧嘩も勃発して、客から野次を飛ばされるまま盛り上がり、最終的には警察組織からお叱りを受けるという流れまであった。
それが今ではすっかりなりを潜めてしまっている。国民全員がオセアーノ王の死を悼んでいるのだ。
「迎えの馬車はいるって聞いたけどぉ」
「そのはずなんだけどな」
転移神殿から出てきたユフィーリアたち問題児一行は、迎えの馬車を探す。
話では、転移神殿前に馬車を待機させているからそれで王城まで来てほしいとのことだったはずだ。転移神殿から葬式会場となる王城まで距離があるので馬車を出してくれるのはありがたい話だったのだが、まだ到着していないのか馬車の姿は見当たらない。
馬車がなければ散歩がてら街中を歩いてもいいのだが、下手な騒ぎを起こして学院長であるグローリアの怒りに触れれば減給どころか七魔法王の広告料収入も強制的に減らされそうである。それだけは勘弁してもらいたいところだ。
馬車を探して周囲に視線を巡らせるエドワードは、
「遅れてるみたいだねぇ」
「待つしかねえか、せっかく馬車を出してくれるって言ってたし」
雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、ユフィーリアは大きく伸びをする。
現在の格好は、普段着である肩だけが剥き出しとなった黒装束だ。葬儀行列が始まれば外套を羽織り、頭は頭巾で覆う手筈になっている。
本当はドレスでも着た方がいいのだが、第七席【世界終焉】としての労働が求められている以上、ドレスを着ることはない。ドレスを着てしまうと思ったように動けなくなってしまうのだ。過去や未練を断ち切るには、動きやすい格好の方がいい。
エドワードやハルアも普段着であり、アイゼルネも愛用している真っ赤なドレスを身につけ、ショウも雪の結晶が随所に刺繍されたメイド服を着ている。葬式会場で着替える手筈となっており、会場には化粧道具まで揃っているからという話だったのだ。
「おねえさん」
不意に声がかけられた。
声をかけてきたのは、真っ黒なワンピースに身を包んだ幼い少女である。栗色の髪を真っ黒なリボンでツインテールにし、その手には色とりどりの花が詰め込まれた籠を提げている。
葬式ということもあって、街中の人間に花を売って回っているのだろう。花の売れ行きはいいらしく、籠の中の花は残り少なくなっていた。
少女は籠から青色の百合の花を抜き取ると、
「いかがですか?」
「いります!!」
「いります」
食いついたのはハルアとショウの未成年組である。彼らはそれぞれ財布を取り出して、少女に 5ルイゼという少額の金銭を支払って青色の百合の花を購入していた。
「綺麗なお花だね!!」
「何ていうお花なんですか?」
「『海の百合』っていうおはなです」
少女は小振りな歯を見せて笑うと、
「おうさまはね、うみがおすきなのよ。おうひさまのこきょうだから」
「王妃様は人魚さんだったって聞きましたが」
「そうなの。まるでにんぎょひめみたい」
そう言って、少女は他の通行人に籠の花を売りにいった。
人魚姫とはいい例えである。海の中に住んでいた人魚姫が王子様に一目惚れをし、一度はお近づきになれるものの海に戻ることや王子様と結ばれることなく泡になって消えた悲しいおとぎ話だ。
結末が違うのは、ニヴァリカ王国の人魚は国王陛下と結婚できたことだろう。夫婦仲は円満、人魚姫である王妃様は喋れないということもなく幸せに暮らし、最期は愛する旦那と家族に看取られて静かに息を引き取った。この上なく幸せな結末である。
すると、
「ゔぁッ!!」
「どうした、エド」
唐突にエドワードが鼻を押さえて呻き声を発したのだ。
それまでそんな素振りを見せなかったのだが、ハルアとショウが青い百合の花を購入した途端のことである。花の匂いが気になるのか。
エドワードは「臭ッ」と叫び、
「その花、めちゃくちゃ磯臭いよぉ」
「そうかな!?」
「そこまで気になりませんが……」
磯臭さを指摘されたショウとハルアは、購入したばかりの青い百合に鼻を寄せる。それから2人揃って「ぎゃッ!!」と悲鳴を上げた。
「めっちゃ磯臭え!!」
「海の匂いがするってレベルじゃないです」
エドワードの指摘が正しかったのか、ショウとハルアは青い百合の花を遠ざける。
試しに匂いを嗅いでみると、確かに強烈な磯臭さを放つ花である。こんなものを献花として捧げれば顰蹙を買いかねないものだが、先程の花売りの少女は気にした様子もなく通行人に青色の百合の花を売り捌いていく。
嗅覚の優れたエドワードどころか、人並みの嗅覚を有するユフィーリアたちでさえ「磯臭え」と叫ぶぐらいだ。この花を売り捌く少女や、それを購入する客は磯臭さに気づかないものだろうか。
ユフィーリアはショウの手から花を奪い取り、
「お嬢ちゃん、おーいお嬢ちゃん」
「はい」
花売りの少女を呼びつけたユフィーリアは、青い百合の花を彼女に差し出して問いかける。
「この花、匂いを嗅いで何か感じねえか?」
「…………?」
不思議そうに首を傾げた少女は、小さな鼻を青い百合に寄せる。
「なにもかんじないわ、とてもいいにおいよ」
「本当か? 凄え磯臭えんだけど」
「きになるならこうかんしましょうか?」
まだ籠の中に余っている青色の百合を差し出してくる少女に、ユフィーリアは「いや、いいわ」と首を横に振って辞退を申し入れた。
「悪かったな、仕事中に変なこと言って」
「きっと、おねえさんはおうこくのそとからきたのね」
少女は可愛らしく笑うと、
「ここはいつもうみのにおいがするのよ」
そう告げて、パタパタと足早にどこかへ向かってしまった。
海に面している王国だから海の匂いがするのは、まあ理解できる。少しばかりベタベタする潮風に慣れれば、運ばれてくる海の匂いなど気にならなくなるだろう。
ただ、青い百合の花がきっかけでようやく認識することが出来た。この街の異常を。
どこもかしこも磯臭いのだ。
「海産物が有名って言ってもここまで酷くねえだろ……」
「ユーリも酷いって思うのぉ? ニヴァリカ王国ってこんな匂いだったぁ?」
「ここまで酷くねえはずだったんだけどな」
王妃様の葬式でニヴァリカ王国を訪れた際も、ここまで酷い磯臭さはなかった。建物などの王国中にこびりついた磯臭さは、さながら呪いのようだ。
人魚であった王妃様が、オセアーノ王を寄越せと国中を呪っているのだろうか。伴侶と死んでも一緒にいたいと願う執着の強い種族ゆえの呪いか何かか。
ユフィーリアは青色の百合をショウに返すと、
「ショウ坊、その花は怪しいから燃やしておけ。ハルのも」
「ああ、分かった」
ショウは頷くと、足元の石畳を踏みつけて腕の形をした炎――炎腕を呼び出す。わらわらと生えてきた炎腕に青い百合の花を燃やしてもらうと、あっという間に燃え滓となって潮風に散らされていった。
せっかく購入した花を燃やすのは忍びないが、それでも異常と感じるほどの磯臭さを放つ花をこれ以上持っていればどうなるか分からない。街中を支配する磯臭さの原因さえも分からないのに、異常と思えるものを手元に置いておくのは危険すぎる。
燃やしてしまった青い百合の花を残念そうに眺めるハルアとショウは、
「あーあ、燃やしちゃった!!」
「お花はどうしようか……」
「代わりに黒百合を用意してるから、王様にはそれをあげろよ。第七席の象徴だから、冠婚葬祭でも見かけるしな」
よく黒百合は不吉の象徴と扱われがちだが、第七席【世界終焉】を象徴する花であるのだ。ユフィーリアたちは第七席【世界終焉】として葬儀行列に参加するので、象徴する花を用意するのは当然である。
一般人が黒百合などを供えれば「何だこいつ」と反感を嗅いかねないが、ユフィーリアは別である。第七席【世界終焉】として黒百合を捧げることは七魔法王として何も間違っていない。それが世界の常識なのだから。
ユフィーリアは財布から硬貨を取り出し、
「ほら、花を燃やせって指示を出した詫びだ。お小遣いやるからアイス買っておいで」
「やった!!」
「ありがとう、ユフィーリア」
硬貨を受け取ったハルアとショウは、エドワードの両腕を掴む。
「エド、行こ!!」
「行きましょう、エドさん」
「ちょ、待って力強い強い強いどこから出てくるのよぉ!!」
両腕を未成年組に封印されてしまったエドワードは、哀れ強制的にアイスが売っている売店まで引き摺られていくのだった。せいぜい頑張って面倒を見るといい。
ユフィーリアがエドワードたち男子組3人を見送ると、今まで沈黙していたアイゼルネがスススと音もなく近寄ってくる。
白魚のような指先でユフィーリアの羽織る外套を摘み、自分の身を隠すようにユフィーリアを盾にしてくる。まるで何かを警戒するような動きだ。
「どうした、アイゼ」
「ユーリは知っているかもしれないけれド♪」
アイゼルネは小さな声で、
「『海の百合』は人魚が死んだ時に咲く花って言うわヨ♪」
「人魚が死んだ時に?」
「王妃様が死んだのは随分前なのよネ♪ 《《どこの人魚が死んだのかしラ》》♪」
アイゼルネの言葉に、ユフィーリアは磯の匂いで満たされたニヴァリカ王国に視線をやる。
ニヴァリカ王国の青い海は穏やかで、陽光を受けて煌めいている。見た目は平和そのものだが、青い海の中に広がるのは未知の世界だ。
あの青い海が、得体の知れない世界への入り口としか見えなくなったのは言うまでもない。
――それから迎えの馬車が来たのは、たっぷり30分待たされてからだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】ニヴァリカ王国には翼の生えた小型の鯨『エンジェルホエール』を見に来た時に訪れたのが最後。船の免許も持ってるので運転できるが、慣れるまでゲロを吐きまくった。
【エドワード】ニヴァリカ王国には銀の鱗を持つ魚『ツキイロノムレ』を釣りに来たのが最後。きっちり人数分釣って煮魚にして食べた。
【ハルア】ユフィーリアと一緒にホエールウォッチングを楽しんだのが最後。船はやっぱり気持ち悪くなるので吐いた。
【アイゼルネ】ダイビングを楽しんだ記憶がある。綺麗な珊瑚礁が見えたが、そういえば海洋魔法学実習室でも同じようなものが見えるかと考えてからユフィーリアのホエールウォッチングに同行するようになった。
【ショウ】初めてのニヴァリカ王国。海産物が美味しいと聞いたのでお刺身が食べられるだろうかとワクワク。




