第2話【問題用務員と葬儀行列】
「珍しいな、連絡もしないで来るなんて」
「仕事な訳だが」
用務員室を訪れたキクガは、普段から身につけている装飾品のない神父服である。頭頂部に乗せた髑髏の仮面と胸元で揺れる錆びた十字架は、とてもではないが聖職者には見えない。
息子であるショウの元を訪れる際は、必ずと言っていいほど女性用の着物で綺麗に着飾った和装美人に変貌を遂げるのだ。「息子のショウが女装をしているのだから自分も似合うに違いない」という自信に基づく行動である。だから仕事着である神父服姿で、唐突の来訪は珍しいと言えた。
キクガを連れてきた張本人のハルアは、
「中庭で副学院長の動物たちと遊んでたら会ったんだよ!!」
「そうか、案内ご苦労」
ユフィーリアはハルアを労うと、
「せっかく来たんだから、紅茶でも飲んでいくか?」
「君が入れるのかね?」
「何だ、不満か?」
雪の結晶が刻まれた煙管を一振りすると、用務員室の隅に置かれた戸棚からひとりでに陶器製の薬缶と人数分のカップがふわふわと飛び出してくる。魔法で生み出した水を陶器製の薬缶に注ぎ入れ、温度を操作すればあっという間にお湯へと変わった。
お湯を注ぐ前にカップへ橙色の立方体をコロンと転がし、沸かしたばかりの熱いお湯を注ぎ入れる。じわりじわりと橙色の立方体がお湯に溶け出していく様を確認してから、キクガにカップを渡した。
カップに視線を落としたキクガは、その中身を目の当たりにして息を呑む。
「夕焼け空……?」
「『空茶』の夕焼けって名前の紅茶だ」
ユフィーリアは茜色の空を描く紅茶を啜る。果実の芳醇な香りが鼻孔を掠め、口いっぱいに紅茶特有の渋みに紛れて僅かな酸味が広がる。
普通の茶葉を使った紅茶も好きだが、やはり面白いものが好きなユフィーリアにとって『空茶』はお気に入りだ。気分によってカップの中に広がる空模様を変えることが出来るし、調味料などで自分好みに調整するのも大好きである。「空を飲む」などという行動も面白みがある。
キクガもまた空茶を啜り、
「美味しいな」
「購買部で売ってるぞ」
「帰りに買って行こう。――いやそうではなく」
緩やかに首を振ったキクガは、
「仕事で訪れたことを忘れそうになる訳だが」
「仕事の合間に来た訳じゃねえの?」
「すまないが、君に頼みがある訳だが」
キクガは空茶を一気に飲み干すと、空っぽになったカップをユフィーリアに返却してくる。
「ユフィーリア・エイクトベル」
改まって、キクガはユフィーリアの名を口にする。
誰が相手だろうと、彼は相手を君付けで呼ぶのが常だ。ヴァラール魔法学院の学院長であるグローリア・イーストエンドや副学院長のスカイ・エルクラシスなどは役職呼びになるものの、ユフィーリアを相手では呼び捨てにするようなことはなかった。
真剣な光を帯びる赤い瞳に真っ直ぐ射抜かれて、ユフィーリアは思わず唾を飲み込んでしまった。これから何を要求されるのか――不思議と、用務員室に緊張感が漂う。
「七魔法王が第七席【世界終焉】として、葬儀行列への参加を求める」
その直後のことである。
「ユフィーリア、貴女好みの黒猫メイドさんに」
居住区画の扉が勢いよく開き、猫耳と猫の尻尾を装備したショウが満面の笑みで用務員室に帰還を果たした。
ところが、彼が居住区画に引っ込んだ時と状況はすでに変わっている。普段は冥府で仕事をしている最中の父親が、何故かユフィーリアと対峙を果たしているのだ。事情を知らなければ、父親が愛する旦那様であるユフィーリアを睨みつけていると見て取れる。
2人に視線を巡らせてから、ショウは「あー……」と申し訳なさそうな表情を見せた。
「父さん、非常に申し訳ないがユフィーリアに乱暴なことをすると全裸にひん剥くことになるぞ」
「ふむ、父に反抗か。その意気やよし、全力でかかってきなさい」
「全力でかかられると困るんだよ親父さん!?」
足元から腕の形をした炎――炎腕を大量に呼び出すショウへ対抗するべく純白の鎖を虚空から引っ張り出したキクガを、ユフィーリアは全力で止めにかかるのだった。
☆
さて、ショウがお茶を入れ直して話が再開である。
「改めて、ユフィーリア君。第七席【世界終焉】として葬儀行列へ参加してほしい訳だが」
「まあ、そりゃいいんだけどよ」
ユフィーリアは花の香りが漂う紅茶を啜りながら、キクガの要求に応じた。
要求の概要説明までする気なのか、キクガは用務員室の隅に設置された長椅子に腰掛けている。概要説明の相手は愛息子のショウと、彼と一緒に紙製の怪獣と金属製のドラゴン型魔法兵器で遊ぶハルアに向けられたものか。
正直な話、概要説明に残ってくれるのはありがたいことである。ユフィーリアも承諾したのはいいが、葬儀行列にはあまり経験がないのだ。
紙製の怪獣を頭に乗せてはしゃいでいたハルアは、
「ショウちゃんパパ、葬儀行列って何!?」
「いわゆる王様専用の葬儀方法な訳だが」
キクガはショウの入れた紅茶を飲み干すと、
「良い王様はその功績を讃えられ、冥府側が迎えに行くことがある訳だが。そのことを葬儀行列と呼び、王様たちの名誉ある葬式だと言われている」
「葬式ってことは王様の誰かが死んだの!?」
首を傾げるハルアに、ユフィーリアは「あ」と気づく。
そういえば、朝刊を読んでいる最中に彼は用務員室にいなかった。崩御されたばかりの王様の件で会話をしたのは、金属製のドラゴン型魔法兵器と戯れる猫耳メイドちゃんだけである。
膝の上に転がるロザリアの顎を撫でながら、ショウはハルアに言う。
「最近、オセアーノ王という人が亡くなったらしいんだ」
「じゃあその人のお葬式をやるんだね!!」
「だからいつもより静かにしていなければいけないんだぞ」
「むぐ」
静かにしていなければならない、というショウの言葉に、ハルアは自分の口を手で塞いだ。自分の声がうるさいということに自覚はある様子である。
「七魔法王として出席を命じるってことは」
「ああ、他にも声はかけた。葬儀行列を珍しがっていたが、全員出席するとの回答を得られた訳だが」
ユフィーリアの言葉に、キクガは首肯で返す。
確かに葬儀行列は極めて珍しい。王様専用の葬式ということもあり、莫大な資金が遺族に請求されるのだ。冥府総督府とて慈善事業ではなく、葬儀行列で必要な人件費を確保する為にもいくらか遺族に金銭を請求することになっている。
その莫大な金額に葬儀行列の申請をした遺族は「え、こんなにかかるんですか?」と驚かれるが、今まで王様が国民に対して尽くしてきた金額だと思えば安い方ではある。だから葬儀行列は国民から冥府へと旅立った王様に対する感謝と労いが込められた贈り物なのだ。
キクガは赤い瞳をユフィーリアに向け、
「特にユフィーリア君、第七席は非常に重要な立場にいる訳だが。出席を断られたらどうしたものかと思っていたが、快諾してくれて助かった」
「親父さんの頼みなら聞かない訳にはいかねえだろ」
あらゆるものを終焉に導く第七席【世界終焉】のユフィーリアは、冠婚葬祭の場面で非常に重要視されるのだ。『過去を断ち切る』という動作をすることで未来に向けて歩き出すことが出来るのだと言われている。
今あるものを終わりに導き、新しい世界へと踏み出す為に背中を押すこともまた【世界終焉】としての役割だ。本当の意味で世界を終焉に導く死神も意外といいことをする訳である。
キクガは長椅子から立ち上がると、
「では日取りが決まり次第、正式な書面にて参加をお願いする訳だが」
「あれ、今回の口約束だけでいいんじゃねえの?」
「これは葬式な訳だが。相手は『海の賢王』と名高いお方だ、きちんとした手順を踏んだ方がいいだろう」
そう言い残して、キクガは「ではまた、近いうちに」と用務員室の扉を開く。
扉の向こうに冥府転移門を待機させていたのか、その先には深淵に浮かぶ長い階段が伸びていた。キクガが足を乗せると自動的に階段が動き出し、キクガを死後の世界である冥府に運んでいく。以前、階段の自動運転化を企んでいたが実現した様子である。
キクガの背中が冥府転移門の奥に消えていくと、冥府転移門が音もなく消え去って何の変哲もないヴァラール魔法学院の廊下が見える。葬儀行列の準備があるからか、キクガも忙しそうだった。
「行っちゃった」
「父さん、もう少しゆっくりしていけばいいのに……」
キクガの背中を見送ったハルアとショウは、残念そうに呟く。今回は仕事で現世を訪れたので、あまり話す時間がなくて寂しそうだった。
こればかりは仕方がない。キクガは冥王第一補佐官なのだ、様々な業務を抱えているので忙しいに違いない。普段から碌に仕事をしない問題児どもとは訳が違うのだ。
すると、
「ユーリぃ、不気味な髑髏の門が用務員室の前にあったけど誰か来てたのぉ?」
「確か冥府転移門よネ♪ キクガさんが来ていたのかしラ♪」
ちょうど購買部に日用品や食品の買い物に出ていたエドワード・ヴォルスラムとアイゼルネの2人が用務員室に帰還を果たした。2人の腕には大きめの紙袋が抱えられており、その中身が僅かに見えている。
エドワードとアイゼルネの姿を確認すると、ショウとハルアがエドワードへ即座に飛びついた。彼らは買い出し組の2人におやつをお願いしていたのだ。「お菓子は!?」「お菓子ほしいです!!」「待ちなさいってぇ!!」などという賑やかなやり取りが用務員室に響く。
アイゼルネが日用品を詰めた紙袋をユフィーリアに手渡し、
「頭皮マッサージ用のオイルも買っちゃったノ♪」
「また実験台にされる……?」
「今度は気持ちいい奴ヨ♪ 髪の毛もサラサラになるんだかラ♪」
紙袋から茶色い小瓶を取り出して「まだまだ暑さはあるもノ♪」などと言うアイゼルネ。最近ではマッサージ修行の頻度も大人しくなっているのが救いだが、いつまた矛先がユフィーリアに向けられるか分からない。
小瓶には『冷感仕様』と銘打たれており、おそらく冷たく感じる香油なのだろう。世の中には珍しい商品が出るものだ。
ユフィーリアは紙袋に詰められた商品を確認しつつ、
「そうだ、購買部で生花って取り寄せできたよな」
「出来ると思うわヨ♪」
「黒い百合が必要になった、5本注文しといてくれ。包装も黒いリボンだけでいい」
「分かったワ♪」
アイゼルネは購買部に送り届ける為の注文用紙を用意しながら、
「それにしても、黒い百合の花が必要って何かあるのかしラ♪」
「葬式で必要になった。国王陛下の葬式だからな、ちゃんと礼儀正しくしておかねえと」
「あらマ♪」
驚くアイゼルネをよそに、ユフィーリアは自分の葬式の準備をどうするか考えるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】冠婚葬祭で重要視されている魔女。最近多いのはカップルの縁切り、面倒なので絶対にやらない。
【ショウ】ユフィーリアに縁切りの依頼を多くしてくるカップル連中が絶えないので、逆にユフィーリアとのラブラブを見せつける嫌がらせをしている。
【ハルア】縁切りの概念がよく分かっていないので、とりあえず何かを切ればいいのかと首を狙ったら怒られた。解せぬ。
【エドワード】購買部に買い物へ出掛けていた。【世界終焉】の従僕だが、何かを依頼される確率は限りなく低い。頼みづらそうに見えるが、1番物事を頼むのが楽な人物。
【アイゼルネ】縁切りを相談されて、恋のお悩み相談を引き受けてよりを戻させた功績を持つ。男子は遠慮なく縁切りをする。
【キクガ】第四席【世界抑止】として子供の教訓とか説教の場面で名前が出てくるのだが、それで抑止力になっているのだろうか?