第2話【問題用務員と幽閉】
本気で何も覚えていない。
「アタシは何をしたんだ?」
「こうやって校舎内を歩いている時も疑いたくなるよねぇ」
「酔っ払っちゃうといつもより3割り増しで螺子が飛ぶものネ♪」
静寂が満たすヴァラール魔法学院の廊下に、ユフィーリア、エドワード、アイゼルネの声が飛び交う。
こうして静謐に包まれた廊下を歩いているだけでも恐怖心が湧き出てくる。酔っ払った時の記憶がなく、自分がやらかした問題行動に巻き込まれるかもしれないという可能性が大いにあるのだ。用務員室に帰るだけでも緊張感を持って対応しなければならない。
警戒すべき箇所と言えば、学院内があまりにも静かなことぐらいだろうか。普段は生徒たちが学生寮から出てきてもいい頃合いだが、今日に限って生徒は1人も見かけていない。生徒どころか教職員ですら同じである。
ユフィーリアは廊下を見渡し、
「今日って休日だったか?」
「平日だよぉ」
「じゃあ創立記念日だっけ?」
「創立記念日はまだ先ヨ♪」
ユフィーリアの質問に、エドワードとアイゼルネが淡々と答えていく。
休日でもないのに驚くほど静かな状況は、もはや異常と呼んでも差し支えはない。夏休み期間中のヴァラール魔法学院の方がまだ賑やかさはあった。
もしかして校舎内に爆弾でも細工を仕掛けたのだろうか。爆弾処理の名目で生徒や教職員たちはすでに校舎から避難し、残されたのは酔っ払いの問題児だけである。何と薄情な連中だとは思うが、こんな問題行動ばかりやらかす問題児など死んで然るべきと言っているのだろう。誰だそんなこと言った奴。
頭を抱えたユフィーリアは、
「ついに校舎をぶっ壊そうとしたのか、アタシは」
「止めてよぉ、ユーリぃ。夏とはいえまだ暑いんだからねぇ、熱帯夜の中で寝たくないよぉ」
「お風呂に入れないのが嫌だワ♪」
「まだ校舎を壊すって決まった訳じゃねえから!!」
まだユフィーリアの罪は確定していないのだ。もしかしたら別の理由によって物凄く静かなだけかもしれない。
酔っ払った影響で何をしでかすのか自分でも予想が出来ないので、本当に校舎を爆破して「ひゃっはー!!」しようとした可能性もなきにしもあらずであるが現実逃避をしよう。そんなことは決していていない。
そんなやり取りをしながら根城にしている用務員室に帰還を果たした馬鹿な大人3人組は、
――ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッッッッ!!
凄い勢いで用務員室の扉が内側から叩かれていた。
「ぎゃッ!?」
「お化けぇッ!?」
「あら大変♪」
唐突な物凄いノックに、ユフィーリアたち3人は驚きのあまり飛び上がってしまった。
閉ざされた状態の用務員室の扉が、内側から誰かが勢いよく叩いているのだ。何度も何度も拳で扉を殴りつけているようで、その荒々しさは見ていれば理解できる。どこか切羽詰まった雰囲気が漂っていた。
内側から扉を叩いているということは、用務員室に残っていた誰かの仕業だろうか。この場にいない問題児はハルア・アナスタシスとアズマ・ショウの未成年組になるのだが、彼らはまだ夢の中を遊び回っているのか?
内側から叩かれ続ける用務員室の扉から距離を取る3人は、
「だ、誰? 誰?」
「ハルちゃんとかショウちゃんじゃないのぉ?」
「だとしてもここまで扉を叩くかしラ♪」
別に入ったら二度と出られないような仕様にはなっていないし、扉の内側から叩いているのだから物理的にかけられた鍵を開ければ解決である。ドンドンドンドンドンドンッ!! となおも強く扉を叩き続けるのは異常だ。
未成年組を狙った犯罪者か、それとも単純に用務員どもへ用事があった教職員か。用務員室を積極的に訪れてくれるのは七魔法王の面々と、1学年のリタ・アロットぐらいのものである。常識と照らし合わせると不審者がやってきたと判断する方が現実味がある。
雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめたユフィーリアは、叩かれ続けて軋み始めた用務員室の扉に近づく。
「誰だ、用務員室に金目のものなんてねえぞ」
「ユーリ!?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、問題児の暴走機関車野郎と名高いハルア・アナスタシスの声だった。
「ハル?」
「俺もいるぞ」
次いで聞こえてきたのは、ユフィーリアの愛する嫁のアズマ・ショウである。扉の向こうにいるのは不審者ではなく、ハルアとショウの未成年組だったようだ。
「お前ら、何してるんだよ。朝から扉を叩いて遊んでるのか?」
「開かないの!!」
ハルアは扉を叩きながら、
「扉が開かないの!!」
「そんな訳ねえだろ、ちゃんと鍵は確認したのか?」
「したよ!! 鍵かかってないよ!!」
鍵もかかっていないのに扉が開かないのはおかしい、扉が叩かれすぎて完全に壊れてしまったか。
だが、扉を叩きすぎて壊れるような話は聞いた覚えがない。施錠魔法が何かおかしな動きをしてしまったのか、それとも別の魔法がかけられて未成年組を部屋に閉じ込めることが目的だったのか定かではない。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管で用務員室の扉を叩くと、
「〈開け〉」
施錠魔法を解除しようとするのだが、扉が開く気配がない。
「あれ?」
「ユーリが施錠魔法の解除に失敗したぁ」
「珍しいわネ♪」
「失敗……?」
エドワードとアイゼルネが揶揄うような口振りで言うが、ユフィーリアは失敗したという感覚ではないような気がするのだ。
どちらかと言うと、すでに魔法の効果は正常に作動しているのだが変化がなかったのだ。施錠魔法は解除されているのだが、扉は何故か開かない。
これはもしかして――いいや、もしかしなくても酔っ払ったユフィーリアの問題行動が関係していないだろうか。
「ゥオイ、酔っ払った時のアタシは何しやがったんだ!?」
「扉を接着させたとかぁ?」
「もはや呪いの類かしラ♪」
「洒落にならねえ!!」
ユフィーリアは頭を抱えた。
全く記憶にないのだが、どうやら扉に細工を仕掛けてしまったらしい。魔法を無効化する魔法か、あるいはもっと別の何かか。魔法を使っても扉が開かないという現状に直面しても、解決方法が分からない。
いっそ『絶死の魔眼』で見てみるしかないだろうか。その方が最適である。あらゆる魔法・加護・記録・その他諸々を糸として認識することが出来る魔眼ならば、扉の細工さえ暴くことが可能だ。
しかし、時間は待ってくれない。そもそも暴走機関車野郎と呼ばれしハルアがどれほど扉を叩いていたのか分からないが、彼の我慢がついに限界を迎えていた。
「ユーリ、そこ退いて!!」
「は?」
「扉を壊すから退いて!!」
突然の扉破壊宣言に、ユフィーリアは「おい待て!!」と叫んだ。
「ふざけんな、誰が直すと思ってんだ!?」
「ユーリが先に壊したんでしょ!! なら諸共破壊しても大丈夫でしょ!!」
「そんな理不尽が罷り通ってたまるか!?」
思い直すように説得を試みるもハルアの暴走は止まらない。
何かをとんでもないものでも取り出したのか、扉の向こうにいるショウが「ハルさん、それは危ないと思うのだが!?」と叫んでいる。非常に危ない予感がしてならない。主に扉の命とユフィーリアの命が。
慌ててその場から逃げ出した直後のこと、
「エクスカリバーッ!!!!」
ハルアの絶叫と共に黄金の奔流が扉を吹き飛ばし、ついでに廊下の壁も一部破壊して巨大な風穴を開けていった。
扉は塵と化し、壁に作られた巨大な穴からは温い風が吹き込んでくる。青い空の彼方へと消えていく黄金の奔流に驚いたらしい鳥の集団が、一斉にその場から逃げ出した。
さっさと絶死の魔眼を使えばよかったのに、かえって大惨事を招いてしまった。これは問題である。
「朝ご飯!!」
煌々と刀身が黄金に輝く剣を肩に担ぎ、無数の衣嚢が縫い付けられた黒いつなぎを身につけた少年――ハルア・アナスタシスが大股で用務員室から出てくる。
その後ろから困惑気味に壊れた用務員室の出入り口を潜ってきたのは、ユフィーリアの愛する嫁のアズマ・ショウである。本日も可憐なメイド服を身につけ、支度もバッチリ整っている。
本日のメイド服は水色と茶色の縦縞模様が特徴的なワンピースとフリルがふんだんにあしらわれたサロンエプロン、細い腰を強調するように巻かれた太い革製のベルトという格好だ。ショウの意見を参考にしてユフィーリアが仕立てた『チョコミント風メイド服』である。胸元を飾る青色の魔石をあしらったリボンタイが可愛らしく、頭頂部で存在を主張するホワイトブリムにも小さな青いリボンが縫い付けられていた。
今日も完璧に可愛いメイドのお嫁さんは、扉と一緒に壁も破壊されて呆然と立ち尽くすユフィーリアに歩み寄ってきた。それからパタパタとユフィーリアの服についた埃を払い落とすと、
「大丈夫か、ユフィーリア? どこか怪我は?」
「こんな時、どうすればいいか分からないよショウ坊……」
「まずはお風呂に入った方がいいと思う。そんな汚れたままの状態では美味しく朝ご飯が食べられない」
ショウは衣嚢に剣をしまい込むハルアへ振り返ると、
「ハルさん、いきなりエクスカリバーは危ないだろう。ユフィーリアたちが怪我をしたらどうするんだ」
「他の奴はもっと酷いことになってたよ!! エクスカリバーが1番マシだった!!」
「うーん、反応に困る。あれが1番マシな判断だったのか……」
呆然とするユフィーリアを正気に戻そうとしているのか、ショウはパタパタと埃を払い落としてから抱きついてくる。ぎゅうぎゅうとユフィーリアの身体を締め付けてくる彼の腕の加減は心地よいが、朝からハグをしてくるとは珍しい。
ようやく正気を取り戻したユフィーリアは、ショウの艶やかな黒髪を指先で梳き、それから彼の後頭部を撫でてやる。「ふふッ」とショウから嬉しそうな声が漏れた。
強く強くユフィーリアを抱きしめてくるショウは、
「俺は嬉しいぞ、ユフィーリア」
「ん?」
「昨夜、貴女は『ショウ坊は大事なお嫁さんだから安全な場所にしまっておこうねぇ』と言って、扉に細工をしていったぞ。覚えていないかもしれないが」
何やら背筋に冷たいものが伝い落ちていき、ユフィーリアはふと愛する嫁の顔を見上げた。
恍惚とした表情を見せるショウと視線が合う。
彼の夕焼け空を想起させる赤い瞳からは光が消え、それでも表情は非常に嬉しそうであった。怒っている訳ではなさそうだが、何故か嫌な予感がしてならない。
ショウはユフィーリアの手を取ると、
「でもダメだろう、ユフィーリア。監禁をするならちゃんと首輪と手錠まで用意してくれなきゃ」
「いやあの、ショウ坊」
「さあ、ユフィーリア。貴女が俺に似合う首輪と手錠を選んでくれないか? そうしたら喜んで用務員室に監禁されよう、ちゃんと可愛がってくれるだろう?」
「待ってショウ坊、何で手錠や首輪が複数出てくるんだどこから出てきたんだ何種類もいらねえだろ手錠とか首輪なんて!? ていうかそもそもそんな趣味ないからァーッ!!」
手錠と首輪を持って迫るショウから逃げ出すユフィーリアを、エドワード、ハルア、アイゼルネは助けることすらせずに見守っていた。
《登場人物》
【ユフィーリア】どうやら酔っ払って学院の扉を接着させたらしい魔女。最愛のお嫁さんも可愛いのでしまっちゃおうね〜。
【エドワード】今回は完全にユフィーリアが悪いんじゃないかと思っている酔っ払い馬鹿2号。でもアイゼルネを木の上に乗せて放置した余罪はある。
【ハルア】神造兵器で扉ごと吹き飛ばして脱出してきた暴走機関車野郎。このあと扉はちゃんとユフィーリアに直してもらった。
【アイゼルネ】今回はユフィーリアだけが悪いんじゃないかと思っている南瓜頭の娼婦。ある意味木の上で放置されたので被害者ではある。
【ショウ】最愛の旦那様に監禁欲があったことを知り、ここぞとばかりに自前で用意した手錠と首輪を取り出したら引かれた。何でだ。