第2話【問題用務員と自我覚醒魔法】
悪戯を目論む問題児どもが忍び込んだのは職員室である。
「ヴァラール魔法学院にも職員室なんてあるんだな」
「まあ、副学院長みたいに自分で研究室を持つ教職員もいるけどな。授業がない教職員はここで担当授業の準備をしていたりするよ」
全員揃って始業式に出席しているからか、職員室は伽藍としていた。
教室を2つほど繋げたような広い職員室には事務机がいくつも並んでおり、それぞれの机の上に個性が発揮されている。書類が大量に積まれた机に魔導書から筆記用具まで整頓された綺麗な机、中には机の上には積まずに机の下へ書類から何まで隠している机など多岐に渡る。机の数は両手や両足の指を入れても足りないほど置かれており、それだけヴァラール魔法学院の教職員は人数が多いのだ。
ユフィーリアは近くにあった机に歩み寄り、
「ほら一応、自分用の教室を持っていても座席があったりするんだよ」
「本当だ」
机の上にあった三角形の札を手に取って、ユフィーリアはショウに見せてやる。その三角形の札には『スカイ・エルクラシス』とあり、副学院長である彼の机となっていた。
ただし机の上には何も置かれていない。書類や筆記用具すら置かれていない。誰にも触れられていないようだが、机は埃すら被っていないのでおそらく定期的に教職員の誰かが片付けているのだろう。
さて、問題は夏休みの宿題だ。善良な生徒から夏休みの宿題を巻き上げるなどというお馬鹿な生徒に裁きを与えなければならない。
「もうすでに回収されてるかな」
「回収されているところは回収されているようだねぇ」
エドワードが「ほらあそこぉ」と職員室の一角を示す。
そこにあった机には大量の紙束が積み重ねられていた。全校生徒の夏休みの宿題だとしたら随分と大量の書類である。手分けをしたとしてもまず見るのが面倒くさくなってくるほどの量だ。
試しに1番上の紙束を手に取ってみると、上から下までびっしりと呪文が書き込まれていた。夏休みの宿題で定番の『書き取り問題』である。よくこの手の宿題を出す教職員が一定数いるのだが、口に出して唱えることで発揮する魔法の呪文をわざわざ書き取りさせる意味が分からない。
見ているだけで嫌になってきたユフィーリアは、手に取った紙束を雑に書類の山へ戻す。名門魔法学校の宿題方式など呆れたものだ。
「書くなら魔法の実験結果の報告書とかだろ、何で未だに書き取りなんてさせるんだろうな」
「何度も反復練習で書かせて覚えさせる為って言っていたのを聞いたけど、効率が悪いわよネ♪」
「な」
アイゼルネの辛辣な言葉に同意するユフィーリア。書き取りで呪文の反復練習になるのならば、実技はもはやいらなくなるではないか。世の中は実技こそ必要なのに。
「ユーリ!! 何かの報告書の宿題もあった!!」
「魔法薬の報告書みたいだ」
「ああ、魔法薬を服用してからの実験結果をまとめた報告書か。人によって結果が違うもんな」
律儀に夏休みの宿題を探してくれていた未成年組のショウとハルアが、呪文の書き取りと同じく紐で綴じられた紙束をユフィーリアに差し出してくる。
魔法薬学の宿題は、自分で調合した魔法薬を服用して実験結果を提出することが多い。今年も例外に漏れず同じ宿題を出してきたようで、紙束につけられた題名が『惚れ薬実験結果』とある。まさか自分に惚れ薬を使用したのか。
面白そうな内容なので、ユフィーリアは差し出された報告書に目を走らせる。
「コイツ、鏡に映った自分に惚れてその惚気を報告書にびっしりと書いてやがる。何で惚れ薬を自分で使ったかな」
「終盤になったら途端に正気を取り戻すのは何なのぉ?」
「正気に戻らなきゃ実験結果を書けないからだろ。まあ、何か自分に惚れている間の記憶は残らないタイプだったようだから、自分が何で鏡に頬擦りしていたのか分かってないみたいだけどな」
ユフィーリアと一緒に実験結果の報告書を読んでいたエドワードは「馬鹿だねぇ」と憐みの眼差しを向ける。本当に、よくもまあそんな馬鹿な真似をしたものだ。
見たところ、やはり職員室に夏休みの宿題が集められている様子である。不良生徒はもうすでに巻き上げた頃合いだろうか。その前に回収されていれば、善良な生徒たちが巻き込まれないで済む。
もうすでに遅かったとしても魔法で識別する方法など山ほどあるのだ。宿題そのものにかけられた偽装の魔法を見破る魔法とか、名前だけ書き直された宿題を見分ける魔法とか、その他色々である。痕跡を辿るだけならいくらでも出来る。
雪の結晶が刻まれた煙管をまるで指揮棒のように振るユフィーリアは、
「名前が書き直されて提出された痕跡とか、そもそも何も書いてない宿題とか、魔法で全部識別するか」
「そんなことが可能なのか?」
「魔法なら何でも解決だよ、ショウ坊。魔法の天才なユフィーリア様に敵う相手がいるなら出てきてほしいものだな」
ユフィーリアは「ふはーはははははははは!!」と魔王のように笑いながら夏休みの宿題を選別していく。
積み重ねられた宿題の山が一旦空中に浮かび上がったと思えば、宿題がちゃんと終えられたものと細工が施された宿題で分別されていく。ちゃんと努力して終わらせた宿題は再び元の位置に戻るが、細工が施されてしまった哀れな宿題たちは問題児の目の前で山になって積まれた。
全校生徒が多い分、宿題の量も相当なものとなる。全ての夏休みの宿題を山として積み上げると、まあまあ量となった。全校生徒の夏休みの宿題のうち、1割程度のものだろう。
選別された宿題に煙管をかざすユフィーリアは、
「さて、コイツらに命を吹き込んでやるか」
「命を吹き込む?」
「物品にも一応は自我があるって話があるだろ。玩具とかを乱暴に扱う子供に、親が『そんなことをしたら玩具さんが痛い痛いでしょ』とか言うあれ」
「ああ……」
何か思う節があるのか、ショウは納得したように頷く。
魔女や魔法使いの間にも、そんな説を提唱する人物はいる。人形を使って魔法を行使する魔女や魔法使いなんかは特に『物品に自我が宿る』説を強く主張してくるのだ。
もちろん、信じる信じないは本人次第である。ただ、すでに物品へ宿った自我を覚醒させる魔法は開発されているのだ。魔法に「現実的ではない」などの言葉は通用しない。
雪の結晶が刻まれた煙管を一振りしたユフィーリアは、
「〈自我覚醒・変形指定〉」
魔法が発動し、問題児の目の前に積み重ねられていた夏休みの宿題たちが姿を変える。
紙束がガサガサと音を立てて広がったり丸まったりしながら、やがて小さな怪獣の姿になった。絵本によく出てくる邪悪なドラゴンを可愛らしく縮めたような様相となり、大きく開いた口から「ぎゃーッ」という咆哮を轟かせる。吊り上がった目も、大きな口から覗く牙も、尖った尻尾なども全てが紙で構成されている。
夏休みの宿題によって量産された宿題怪獣を前に、エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウは口を揃えて「わあ」と感嘆の声を上げた。
「何これぇ、可愛いじゃんねぇ」
「ヨチヨチしてて可愛い!!」
「夏休みの宿題が可愛くなっちゃったワ♪」
「可愛い」
ヨチヨチと職員室を歩き回る宿題怪獣の群れに魅了される問題児たち。
確かに見た目は可愛く設定した。自我覚醒の際に姿を指定することも出来るので、1枚の羊皮紙を紙製の人形の状態にして動き回らせたりすることが可能なのだ。人形などのすでに姿が確定されているものを変形させるのは難しいのだが、夏休みの宿題は紙束だったので変形指定が簡単だった。
ユフィーリアはヨチヨチと歩き回る宿題怪獣たちに視線を落とし、
「はい整列」
「「「「「ぎゃーッ!!」」」」」
宿題怪獣たちはユフィーリアの命令に従い、ヨチヨチと小さく短い足で歩き回って隊列の形をなす。それから短い手を掲げるなり「ぎゃーッ」とまた鳴いた。
「お前らはこれから夏休みの宿題を完遂できなかった馬鹿野郎どもに裁きの鉄槌を下してもらう」
「「「「「ぎゃーッ!!」」」」」
宿題怪獣たちはユフィーリアの要求に対して「了解」とでも言うかのように応じた。
「過酷な戦いになるかもしれないが、立ち向かってくれるか?」
「「「「「ぎゃーッ!!」」」」」
宿題怪獣たちは「当然だ」とばかりに咆哮で答えてきた。
「よし、じゃあアタシに続け!!」
「「「「「ぎゃーッ!!」」」」」
ユフィーリアの号令の下、ヨチヨチと宿題怪獣たちは銀髪碧眼の魔女の背中を追いかける。
自我を覚醒させても、魔法を使った魔女や魔法使いの腕前が低いと簡単に言うことを聞いてくれなくなるのだ。宿題怪獣たちはそんな気配がないので安心である。
さて、ノリで「アタシに続け!!」などと言ってしまったが、この先をどうすればいいだろうか。ただ始業式の場に宿題怪獣を送り込むのは何だか味気ない。
「なあショウ坊、この宿題怪獣たちを送り込むのにいい方法はねえか?」
「え?」
「わあ、抱っこしてやがる」
宿題怪獣のうち1匹を捕獲したのか、ショウは紙製のチビ怪獣を胸の前に抱いて頭を撫でている。宿題怪獣は歯が痒いのか、あむあむとショウの指先に甘噛みしていた。
痛がるそぶりを見せていないのでおそらく痛くはないのだろうが、最愛の嫁に噛み付くのはいただけない。見た目的にヒヤヒヤしてしまう。
ユフィーリアはショウの指先に噛み付く宿題怪獣をさりげなく引き剥がしてやりながら、
「ショウ坊、ソイツらは一応噛み付く力が強いから抱っこは危ねえぞ」
「こんなに可愛いのに」
ショウは抱っこしていた宿題怪獣を群れに戻してやると、
「えっと、宿題怪獣を使わずに全校生徒を焼き払う方法だったか?」
「それはお前の冥砲ルナ・フェルノでやれば解決しちゃうな」
ユフィーリアは「そうじゃねえ」と否定し、
「この宿題怪獣を始業式の場に送り込む方法を考えてくれ。お前の異世界知識が頼りだ」
「解き放たなくてもいいんじゃないか? こんなに可愛い宿題怪獣たちを危険な目に遭わせたくないのだが……」
「そんなこと言うなよ、せっかく宿題怪獣たちもやる気なのに」
ショウの提案を受けて、せっかく始業式の場に乗り込むつもりだった宿題怪獣たちが一斉に尻尾を垂れ落としてこちらを見上げていた。吊り上がった目元もしょんぼり垂れてしまっている。雰囲気もどこか寂しげだ。
その姿がまた可愛らしくて、ショウは慌てた様子で「ご、ごめんなさいそんなつもりじゃ」と謝罪する。さすがの問題児でもこの可愛さには敵わなかったようだ。
咳払いをしたショウは、
「じゃあ、こういう方法はどうだろうか?」
――その提案はユフィーリアの目論見通り、どこまでも魅力的であった。
《登場人物》
【ユフィーリア】ハルアのウサギのぬいぐるみに自我覚醒魔法をかけたことがあり、頭にネクタイを巻いた酔っ払いに成り果てたことがあるのでアイツのぬいぐるみには二度と自我覚醒魔法なんてかけない。
【エドワード】ハルアのウサギのぬいぐるみが自我覚醒魔法でおっさん化してしまい、もしかして術者の性格に引っ張られるのかと疑う。
【ハルア】ウサギのぬいぐるみをおっさん化した場面に遭遇し、どうしたものかと混乱した挙句に持っていたリンゴジュースを硝子杯に注いであげた。
【アイゼルネ】化粧道具をよくなくすので、自我覚醒魔法を使って探し出したりする。ただ魔法でおっさん化したウサギのぬいぐるみを見た時は頭が混乱した。
【ショウ】もしかして自我覚醒魔法を使えば、ユフィーリアのフィギュアを自由自在に動かすことが出来るのだろうか。




