第12話【問題用務員と冥府拷問刑】
パーティー会場は変な空気が漂っていた。
「王太子殿下の左腕の怪我は」
「もしかして」
「王太子殿下に限ってそんなことは」
「いやでも」
「殿下の奥方様は全員、元聖女と言っていたような」
招待客たちのヒソヒソとした声で交わされる会話が、さざなみのようになってセシルに襲いかかる。
渦中に放り込まれたセシルは、包帯を巻いた自分の左腕をサッと背中に隠す。そんなことをしても、すでに周囲には左腕を怪我していると知られているので無駄なことだ。彼の罪が白日の元となるのも時間の問題だろう。
彼の態度から判断して、犯人はほぼ確定である。ここで「犯人はお前だ!!」とやってもいいのだが、それでは面白みに欠ける。王太子殿下がわざわざ始めた1人舞台である、問題児を相手に喧嘩を売ったのだから最高の幕引きでなければ納得できない。
にやけそうになるのを咳払いで誤魔化したユフィーリアは、
「まあ、アタシは偽物の聖女なんでな。王太子殿下を罪に問うなんて恐れ多いし、もしかしたら王太子殿下は今回の件に関わっていないかもしれない。その左腕の怪我だって落馬によるものかもしれないしな」
ユフィーリアがそう言うと、セシルがあからさまに安堵したような表情を見せる。
別に庇うような意図は毛頭ない。こういうことは『上げてから落とす』という方法が1番楽しいのだ。やるなら徹底的に絶望してもらおう。
パーティー会場の入り口を示したユフィーリアは、
「じゃあ、今回の件を第三者の立場から判断してくれる人物を呼んだからさ。セシル王太子殿下、ぜひご自身の潔白を証明してくれ」
「え?」
間抜けな声を発するセシルをよそに、ユフィーリアが呼んだ第三者とやらがパーティー会場に足を踏み入れる。
――コツン。
その足音がやたら大きく聞こえたのは、パーティー会場が水を打ったように静まり返っていたからだろう。
パーティー会場に姿を見せたのは、絢爛豪華なパーティーという場所に似つかわしくない神父服を身につけた長身痩躯の男性である。艶やかな黒髪は足元に届くほど長く伸ばされており、磨き抜かれた革靴が大理石の床を踏む。装飾品のない神父服で唯一、胸元で揺れる錆びた十字架が不穏な気配を漂わせていた。
男性の顔は認識できない。顔全体を覆い隠しているのは骸骨の仮面である。お祝いの場に相応しいパーティー会場に骸骨の仮面は非常に浮いており、不吉な印象を相手に与える。
骸骨の仮面を装着した異様な神父はセシルの前で立ち止まると、淡々とした口調でその身分を明かす。
「冥府総督府冥王裁判課課長、冥王第一補佐官を務めるアズマ・キクガだ」
セシルの口から「ひゅッ」と息を吸い込む音が聞こえた。
第三者から公平に判断してもらおうと呼んだ相手が、まさかの冥府の関係者である。冥府といえば死後に人間が行き着く世界であり、全人類の生前の記録が保管されている場所だ。当然ながら善行も悪行も全てが記録されているので、相手が嘘を吐いていることなどすぐに分かってしまう。
この世の誰よりも公平で、正確な判断を下せる最適な人物だ。特にキクガは冥王第一補佐官という立場上、最も冥府の裁判に立つことが多い。罪の判断、刑罰の有無、その他諸々はよく理解しているだろう。
セシルはその場に膝をつくと、
「懺悔いたします、私は」
「必要ない」
反省の姿勢を見せるセシルの全身に、純白の鎖が巻きつく。
対象者の魔法や能力を封じる神造兵器『冥府天縛』である。この鎖で縛られてしまうと、相手は魔法やその他の能力を使うことが出来なくなってしまうのだ。
鎖で雁字搦めに縛られたセシルの胸倉を掴んだキクガは、
「貴様が息子に夜這いを仕掛けた犯人か?」
その声は、まるで冥府の底から聞こえてくるかのような低く冷たいものだった。
「答えろ、貴様が息子に夜這いを仕掛けた犯人だな?」
「あ、その、それはッ」
「言い訳は不要だ」
しどろもどろになりながら答えようとするセシルの左眼球に、キクガは容赦なく人差し指と中指を突き入れた。
セシルの口から甲高い絶叫が迸る。眼窩に突き入れられたキクガの指は器用にセシルの左眼球を引っこ抜き、ぶちぶちと視神経も引き千切って抉り出す。その手のひらにセシルの眼球が転がり落ちると、キクガはゴミでも捨てる勢いで足元に叩きつけた。
パーティーの参加者から次々と悲鳴が上がる。王太子殿下が唐突に冥府関係者から凄惨な暴力を振るわれたのだから、恐ろしさのあまり悲鳴も上げたくなる。
「私は気が長い方ではない訳だが。言い訳をするようなら次は右目だ」
「ご、ごめんッ、ごめんなさいッ、ごめんなさい許してください!!」
痛みのあまり滂沱の涙を右目から流すセシルは、唾を飛ばす勢いで謝罪の言葉を叫んだ。
「ほ、本当は銀髪の女を狙うつもりだったんですッ、で、でも神官のッ、ミゲルが『たまには俺にもやらせろ』って言うからッ、だからッ!!」
「ほう、義娘の夜襲にも関与していた訳かね」
「むすめえッ!?」
セシルの声がひっくり返る。叩けば叩くほどボロが出ていく男である。
キクガがセシルの首を鷲掴みにし、ギリギリと5本の指先に力を込めて締め上げていく様をユフィーリアは清々しいほどの笑みで眺めていた。おかわりとして給仕が抱えていたお盆からシャンパンの硝子杯をあるだけ全部ぶん取ると、値段などお構いなしに消費していく。
これほど楽しい1人舞台はない、もう全部が楽しくて仕方がないのだ。セシルは喋れば喋るだけキクガの怒りを増長させて暴力を振るわれ、先程まで「追放処分とする!!」とか堂々と言っていた態度は面影すらない。あの時の自信はどこに行ったのか。
シャンパンの硝子杯を次々と空にしていくユフィーリアの元に、気が済むまで甘いものを堪能したショウとハルアが戻ってくる。
「ユフィーリア、父さんは来たか?」
「ショウちゃんパパ来た!?」
「見てみろ、面白いぞ」
ユフィーリアが今まさに首を絞められている王太子殿下を示すと、ショウとハルアは揃って「うわぁ」と声を漏らした。左目が抉られた状態で拷問を受けているのだから、そんな反応が妥当と言えよう。
今回の作戦で、ユフィーリアは冥王第一補佐官であるキクガに頼ることを選んだ。冥王第一補佐官という立場にいる彼は、全人類の行動を記録した台帳を確認できるので忖度が働きそうな裁判所よりも厳格な刑罰を与えてくれるだろうと踏んだからだ。
利用するのは心苦しいと思ったのだが、ショウが夜這いされそうになったと事実と一緒に少し嘘泣きを披露したら簡単に釣れた訳である。彼を利用、もとい頼ることに対する罪悪感は雀の涙ほどはあったがセシルに痛い目を見てもらうにはこの方法が最適である。
すると、皿に大量の肉料理を乗せてきたエドワードが「凄いねぇ」と言いながら戻ってきた。
「怒らせたら怖い人の典型じゃんねぇ」
「アタシも親父さんを怒らせたら左目を抉られるのかな」
「浮気したら抉られるんじゃないのぉ?」
「不吉なことを言うなよ、そんなことする訳ねえだろ」
浮気をするつもりなど毛頭ないのだが、怒らせて眼球を抉られるような真似だけは避けたいところである。「痛い」で済む話ではない。
「貴様、殿下に何をする!!」
「その手を離せ!!」
「殿下を解放しろ!!」
その時、セシルを助けようと衛兵がパーティー会場に雪崩れ込んできた。
全身を頑丈な甲冑で包み込み、長槍や剣を構えてキクガに立ち向かおうとする。キクガ1人に対して挑む衛兵の人数は20を超えており、勝利を確信しているのか衛兵たちの意気込みが凄い。
キクガはセシルの首を絞めた状態で衛兵たちへと振り返ると、
「この犯罪者を助けようと言うならば、貴様たちにも冥府拷問刑を適用して連行する。痛い目を見たくなければ大人しくしている方がいい訳だが」
「そんなこと関係ない!!」
「王太子殿下を救出するんだ!!」
衛兵たちは関係ないのでちゃんと警告をしたキクガだが、強気な衛兵たちは愚かにもその警告を無視して襲いかかる。
キクガは首を絞めていたセシルを一旦解放すると、右手を軽く横へ薙ぐ。
その動作が合図となり、武器を構えて襲いかかる衛兵たちの足元から純白の鎖が何本も伸びて彼らを縛り上げる。魔法や能力さえ封じられてしまっているので転移魔法を用いて逃げることすら出来ず、それどころか甲冑が凹む勢いで締め上げられてボキボキと嫌な音が聞こえてきた。
あっという間に20人にも上る衛兵を屠ったキクガに、パーティーの招待客から戦慄の眼差しが送られる。そもそも七魔法王が第四席【世界抑止】であるキクガに挑もうなど馬鹿げているのだ。
「ところでユフィーリア、冥府拷問刑とは?」
「王族や聖職者にだけ適用される特殊な刑罰のことだよ。王族と聖職者、あと金持ちなんかは裁判で簡単に裁けないからな」
ショウの質問に対して、ユフィーリアは簡潔に答える。
王族や聖職者は功績などで判断されて減刑されやすく、金持ちは裁判官相手に金でも握らせれば忖度が働く。第三席【世界法律】のルージュが裁判を担当すればその限りではないが、権力者は総じて頭がいいので言いくるめられてしまう恐れがある。
そんな簡単に刑罰を与えることが出来ない相手の為に『冥府拷問刑』というものが存在する。これは対象者の生まれてから現在に至るまでの全てを記録している冥府が「明確な悪人だ」と断定した場合、生きたまま冥府まで連行されて耐え難い拷問を受けるという刑罰である。もちろん刑罰が終われば地上に戻されるが、無事では済まないだろう。
ちなみにこの冥府拷問刑が適用された罪人を庇うと、もれなく死刑に処されてしまう訳である。衛兵たちが殺されてしまったのはそれが原因だ。
「セシル・ディオ・アルバ・トロノール、貴様は8人の聖女と23人の修道女を姦淫した罪がある。慈悲はないと思いなさい」
「い、いやだ、嫌だ助けてッ、誰か助けてッ」
暴れるセシルを問答無用で引きずり、ついでに全身の骨を折って潰してしまった20人の衛兵たちも連行するキクガ。招待客たちはキクガから距離を取り、抵抗する王太子殿下とは目も合わせようとしない。
8人の聖女だけではなく、23人の修道女にも同じことをしていたとは驚きだ。救いようがない大馬鹿野郎である。冥府でせいぜい死ぬような思いをすればいいのだ。
キクガはユフィーリアたちの前で立ち止まると、
「ショウ、そしてユフィーリア君たちも。珍しい格好をしている訳だが」
「ああ、リリアに8人も聖女が辞めた原因を探ってほしいって頼まれてな」
「そうかね、原因が必要なら台帳を複写する訳だが」
「いや、いい。聖女姦淫の罪だけでお腹いっぱいだってのに、これ以上の罪が出てきたら両手足を折っても足りねえよ」
先程とは打って変わって穏やかに応じるキクガは、
「たとえ事実だとしても、利用するならきちんと相談しなさい。その時は力になる訳だが」
――どうやら利用しているという魂胆がバレていたようだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】自分の手で裁きをしてもよかったのだが、どうせなら本場のヤクザの拷問方法を見てみたいので通報した。怒らせるとあらゆる方法で追い込む性格の悪い怒り方をする。
【エドワード】見た目から怒っていると思われがちだが、怒ることはあまりない平和主義者。怒ると口調が変わる。
【ハルア】怒ることは滅多にないが、怒ると笑顔が消える。うるさくもなくなる。普段と真逆になる。
【アイゼルネ】基本的に怒ることは苦手。怒った時は尻に針がブスッ!
【ショウ】怒る仕草まで可愛いのだが、ユフィーリアが関連すると冥砲ルナ・フェルノで冥府の空に穴が開く羽目になってしまう。
【キクガ】ショウの実父にして冥王第一補佐官殿。このたび息子が悪漢に襲われたと通報されてブチ切れ参戦。滅多に怒ることはないが、怒ると暴力的になる。
【セシル】冥府拷問刑に処された哀れなお馬鹿王太子殿下。生きて帰れるのかは彼次第。




